新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ことしも陣馬山で連凧をあげます

2014年04月14日 | 日記
5月5日は陣馬山頂で連凧あげをする日です。この17年欠かしたことがありません。連凧を作っているのは82歳になるISさんです。昨年は体調を気遣って山に登ることは控えられましたが、ことしはどうしても登りたいと意気軒昂です。助さん格さん役の若手(60代)も頑張らなければいけません。ご期待ください。

炭を焼いています

2014年04月13日 | 日記

 満開の桜のしたで、若葉がいくらか芽吹き始めた山並みを眺めながらの作業は快適そのもので、ことばに表せません。
 陽気に誘われるかのように遠方から人が集まってきます。埼玉加須から、川越から、東京葛西から、そして神奈川城山からも・・。Kさんは圏央道、中央道の事故渋滞で川越から4時間かかったとのことでした。

12日、8人で窯づめを完了し、焚き口をつくり、同時に薪づくりをしました。13日午後2時、排煙口での温度が75度になり、焚き口を閉じました。いまは空気口と排煙口を残して密閉しています。3日から4日かけて焼きあげます。木酢液をこれ以上にとる必要がないので、5メートルほど横にのばしていた長い煙突は撤去しました。

 城山のMさんのご尽力により、囲炉裏の上にテントシートをかぶせられるようになりました。ふだんは折りたたんでおいて、必要なときにのみテントを張ります。
 20日(日曜)には城山のクヌギ林からクヌギの枝を運びます。軽トラック2台分を運ぶ予定です。メールをいただければ正確な場所をお知らせします。

 

窯づめします

2014年04月05日 | 日記
  
 久しぶりにSTさんにお会いしました。1月中旬に城山から薪を運んで以来ではないでしょうか。城山のMさん、調布のMさんらも駆けつけてくださって、崩れた屋根の解体作業を終え、必要な薪おき場だけは新たなトタン屋根をつけました。
 あすから窯に炭材をつめる作業を始めます。もう囲炉裏の上に屋根がなく雨が降ったときの逃げ場がありませんから、天気をよく見てお出でください。
 20日にトラックを借りて、城山からクヌギを運びます。こちらにもご協力をお願いします。

マリア・ルカウ村のパン窯

2014年04月03日 | 日記

 講談社学術文庫「パンの文化史」は読み甲斐のある本だ。ヨーロッパのパンの焼き方を細かく調べ、記録してくれている。
 家庭にあるパン窯は土と石でつくられ、天井はドーム状にしあがっている。ちょうど私たちの炭窯とおなじつくりだし、作り方もそっくりだ。パン窯の場合、最初に石と土で周りの壁をつくったあと、薪をいっぱいにつめ、薪の上部をきれいなドーム状にしておいて土を載せて固める。そしてその薪をすべて燃やしてしまう。炭窯の場合は、炭材をいっぱいにつめ、ドーム状の天井に土を載せて固めてから、第1回の炭焼きをする。炭材を燃やすのでなく、炭にする点が異なるだけだ。
 ヨーロッパのパン窯は1960年ごろを境に、徐々にそのつくりを変えていく。まずは窯内を二層にして、一度により多くのパンが焼けるようになる。さら熾きやその余熱でパンを焼いていたのが、しだいに電気オーブン式の窯が主流になる。
 いっぽう炭窯はドラム缶窯などの工夫もされてはいるが、やはり昔ながらの石と土の窯がもっとも効率がよく、上質の炭が焼きがある。パン窯とはいつのまにか完全に袂を分かっている。
 「パンの文化史」は舟田詠子氏がヨーロッパのパン焼き技術を調べ上げた記録であり、とくにオーストリア内、アルプス山中に位置するマリア・ルカウ村を12年の間に4回も訪れて、パン焼き術を教わり、観察し、みずから体験し、時代の変遷とともにパンの焼き方も変化していることをまとめあげている点が圧巻だ。
 私はヨーロッパを歩き回っていたとき、食事にはパンとワインさえあれば十分だった。それはパンもワインも製法に磨きがかけられ、飽きないおいしさがあるからだろう。小麦パンだけでなく燕麦パン、ライ麦パンなどのいわゆる黒パンも捨てがたい味があるはずだ。

花は桜、桜はソメイヨシノ

2014年04月01日 | 日記

 花といえば桜、桜といえばソメイヨシノだ。花見はソメイヨシノを見るにかぎる。
 いにしえの昔から桜を詠んだ歌が多いが、西行や定家が詠んだ桜はソメイヨシノではない。山桜と総称される野生の桜を想像すればよいのだろうか。かつて奈良県吉野山へ桜を見に行ったおりも、よそでソメイヨシノを見たときほどの感動はなかった。野生種ばかりの吉野桜は山裾から山頂までいっせいに花開くわけではない。桜の種により位置、高度により咲く時期が早かったり遅かったりする。
 ソメイヨシノは江戸末期から明治初期にかけて、エドヒガンとオオシマザクラを交雑させたものだ。系統解析され、この点は間違いないようだ。ソメイヨシノという名前は「染井村(東京都豊島区)の植木屋が売り出した」から、または「染井村の植木職人が人工交雑して作り出した」からだという。
 学生時代、巣鴨駅から染井霊園を通り抜けて大学へ通った。あの染井霊園にいったい桜が何本あっただろう。ほとんど記憶にない。
 日影原に咲く桜は、20年近くまえに私たちの手で植えたものだが、正確な種を知らない。山桜の一種だと思っている。葉と同時に花が咲く年と葉よりさきに花だけが咲く年がある。苗木は小さいものだから、ついつい接近して植えてしまった。いまでは大きくなり枝をすりあわせるほどになっている。1本おきに大きく生長した木とか細いままの木に、つまり勝ち組と負け組に分かれているのは自然の摂理を表していておもしろい。