新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

アーサー・バックウォルド

2020年03月25日 | 日記

「子ども時代、自慢できることはすべて一人でやりとげた。ホリスからクイーンズ・ブールバードを通ってニューヨークまで(18キロぐらいか)ローラースケートで行ったことがある。10歳にもなっていなかった。クイーンズボロ・ブリッジもローラースケートで渡った。午後遅くフィフス・アベニューのデパート「フランクリン・サイモン」に着いた。そこには姉のイーディスが働いていた。姉は帰りを心配して、地下鉄代をくれた。私は自分のこの偉業に高揚していた。唯一比べられるものといえば、リンドバーグの大西洋横断(飛行機ではじめてノンストップで大西洋を横断した1927年の偉業)だった。リンドバーグと同様、私は橋を渡ったマンハッタンに、まったく新しい世界を見つけた。」(LEAVING HOME a Memoire/Art Buchwald)
 アート(アーサー)・バックウォルド(1925~2007)。ワシントン・ポスト紙のコラムニストであり、ユーモア作家だった。生まれてまもなく母と引き離された。母はアーサーを生むまえからうつ病に苦しんでいた。アーサーは母の顔を知らずに育った。父はカーテン地などを縫い商う仕事をしていたが、1929年の大恐慌から第二次大戦へ向かう時節がら、商売はうまくいかず、つねに借金を背負っていた。父は娘3人と息子のアーサーを孤児院に入れた。ユダヤ系専門の孤児院だった。日曜日にはきまって孤児院を訪問する温かみのある父だった。孤児院のなかで過ごした時期もあるが、たいていはどこかの家へ預けられた。預かる家は子どもを預かると補助金をもらえた。その補助金めあてに子どもを預かる家が多かった。どの家でも生活が困窮していた。ときおり孤児院からケースワーカーが子どもたちのようすを見に来る。1年ごとぐらいに養い親が変わった。アーサーはたいてい1つ年上の姉ドリスと同じ家に預けられた。
 いろいろな人に出会う。親切な人にも意地汚い人にも。意地汚い人のことを自伝に書くにはどうすればよいか、とだれかに問うたところ、名前を変えて書けばよいと教えられたとのこと。名前だけ変えて、赤裸々につづった名著がこれだ。
 このような経験からあのユーモアが生まれるとは・・。それについては、またいつか。



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