新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

郷愁を誘う廃線跡

2019年08月27日 | 日記

 旧長野電鉄松代駅を見ました。廃線になった屋代線の中央部にあった駅です。駅舎とプラットフォームが残っていました。線路は撤去されて存在しませんが、プラットフォームからむかし線路があっただろうと思われる場所を東北方向へ歩いて行くと、あったあった、廃線跡が。両側には家が建ち並んでいるのに、その家並みが避けるようにして開けてある空間、まさに廃線跡です。
 むかし職場の同僚で、鉄道の中でも廃線に格別の興味を持つ人がいました。物好きな人だなあ、と当時は思ったものでしたが、こうして自分が廃線跡に相対してみると、限りない郷愁をかき立てる代物だということを実感します。ここをこう鉄道が走っていた、周りの家の人たちはどういう思いでその鉄道を眺めていただろうか、どう利用していただろうか、などと考えさせます。
 ネットで調べてみると、長野電鉄屋代線は1922年開業、2012年廃業になっています。わずか7年前まで走っていた鉄道です。跡地がまだ利用されないで空き地のままになっています。だからこそなおさらその廃線が郷愁を誘うのでしょう。「ブラタモリ」の世界です。廃線跡にそってどこまでもゆっくりと歩いてみたいほどです。
 その旧松代駅の近くに川中島古戦場跡があります。公園と県立博物館がありますが、私の関心は「川中島はほんとうに川の中の島か」という一点にありました。犀川と千曲川に挟まれた地域にあることは現在の地図の上でわかりましたが、どう見ても島ではありません。川の流れは時代とともに変わり、むかし島だったところがいまは陸地になっていることがあります。古戦場跡にたっても、そこで何度も戦がおこわれた必然的な理由など類推することはできませんでした。関ヶ原の古戦場跡はまだ地形から戦のようすを類推できたのですが、川中島についておなじことをするのはムリです。近所に住む人たちの憩いの場にしか見えませんでした。
 廃線跡と古戦場、やはり時が経ちすぎると昔を偲ぶものが失せてくることを思い知らされた二つの史跡でした。






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