新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

桜の思い出

2021年03月31日 | 日記

 銘木ではない。自分たちが植えた桜が毎年咲いたのだから、特別な思いがあるだけだ。場所は日影原の農道沿いだった。植えたのは1992年ごろだったと思う。ジョイフルという名前で活動していた、KHさんを中心にするグループが植えたはずだ。植樹活動に私も参加した。農道沿いに桜の苗木を30本ほど植えていった。みんな若かったし、苗木だから大きくなった状態を熟考することなく、4メートルほどの間隔でどんどん植えていった。
 1999年、その地に炭焼き窯をつくった。その年の桜が散り終えたころだった。農道沿いに穴を掘り、枠を石と粘土で固めた。第1回目の炭焼き自体が、窯が完成したことと同義だった。つまり炭を焼いて窯から炭を取り出したとき、残ったものが炭焼き窯だった。
 それから15年間、夏を除いて毎年、5、6回は炭を焼いてきた。炭焼き仲間も増えていった。毎年、春になると満開の桜のもとに仲間が集まり、花を愛でながら炭焼き活動にいそしんだ。よく見ると桜は勝ち組と負け組とに別れている。大きく太く成長した木があるかと思えば、細く弱々しい木がある。ほぼ一本おきに勝ち組が幅をきかせているようだ。自然の掟を学びながらも、私たちは毎年、桜を楽しんだ。桜の種類は不明なままだ。ソメイヨシノではない。花が開くと同時に葉っぱが出るタイプだった。年々、木は生長していった。ときには炭焼き活動の邪魔をする枝を払う必要にも迫られた。
 2014年、未曾有の大雪に炭焼き場は大被害を受けたが、桜の木々は耐え、同じくみごとな花を咲かせた。だが、会員の高齢化のせいで炭焼き活動は終焉を迎えた。桜はその後も薪炭クラブの活動を見守ってくれた。
 さて、2021年のNPOがるでんの解散に先立ち、何人かいる地主さんの意向により、元の状態を復元することになった。桜を全部、伐採した。いまはもう桜の木は1本もない。農道沿いは25年前の状態に戻った。
 この四半世紀、私たちを楽しませてくれた桜に感謝したいが、その感謝の対象になる木は一本もなく、いまは遺された土地だけが寒々と存在している。



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