マゼラン海峡ってどこ? 南米と南極大陸の間あたり。でも地図上にマゼラン海峡は見あたらない。マガリャンイス(マゼラン)はポルトガル人だが、当時の国王とウマが合わなかった。やむなく隣国カスティーリャの女王の援助を受けて西への航海に旅立つ。祖国ポルトガルにひじ鉄を食らわしたことになる。ポルトガルの叙事詩「ルジアダス」ではマガリャンイス一行の功績をたたえながら、なぜかマガリャンイスの名前が登場しない。1960年代に建立された「発見のモニュメント」ではヴァスコ・ダ・ガマのすこし後ろにマガリャンイスの像が置かれ、その名誉を回復している。
マゼラン海峡を発見したのはマガリャンイス(マゼラン)だが、それが地図上で正確にどこにあるのかをこのたびはじめて知った。ジェームズ・ミッチェナー作「ハワイ」を読みながら、アームチェア・トラベラーとして地図を見ていた。海峡というからには海の地峡であり、南米大陸と南極大陸の間にあると考えること自体がおかしい。地図でよく見ると南米大陸の南端にはギザギザした半島や無数の島があり、わずかな地峡をはさむ細長い島がある。ここをマガリャンイスの一行がはじめて通行し、太平洋へ出たのだろう。よくまあ、この狭い(と地図では見える)地峡を発見したものだ。
ミッチェナーの小説「ハワイ」に登場する宣教師たちの一行は小型の帆船でボストンを出航し、南米南端を経由して太平洋上のハワイへ向かう。1820年代のことでパナマ運河はまだなかった。その南米南端の気象の激しいことといったらこのうえなく、進行方向から襲ってくる暴風雨を乗り切って通過するのに8週間かかっている。南米大陸南端を経由できなくて、すこし北にあるマゼラン海峡に向かうのだが、気象条件はほとんど変わらず暴風に苦しめられる。乗員たちはなんとか船を立て直そうと帆柱にしがみつくが、乗客である宣教師たちのほとんどは嘔吐をくり返し生きた心地がしない。
そういえばアフリカ南端を帆船で経由するのも一大事業だった。多くの船が遭難した。「ルジアダス」にはバスコ・ダ・ガマ一行が喜望峰に近づいたあたりで巨人の怪物アダマストールが出現して一行を悩ませる件がある。叙事詩のなかでは暴風雨を怪物に見立てて話に色をつけているのだが、それにしても一般に大陸の南端というのはそれほどまでに気象条件が悪いものなのだろうか。ちなみにアフリカ南端は南緯35度、人間にとって住みやすい地中海性気候だといわれ、南米南端はそれよりはるかに南に位置し南極大陸に近い。凍てつく寒さだ。
大陸南端を船で迂回する。この壮大なロマンをきょうも書斎で追体験している。
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