たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

5巻7-8章

2023-07-31 05:15:49 | 世界史

【7章】

アッピウスは護民官に充分対抗できる演説をした。この時、予期しない悲劇が突然起きたという情報がもたらされ、すべての身分が団結し、もっと本格的にヴェイイの包囲を推進することになった。このことは、護民官に対するアッピウスの勝利を確実にした。ヴェイイの城壁に向かって通路が建設された。通路は高架になっており、城壁に近い部分では屋根がかけられた。通路と屋根の建設は安全な夜ではなく、日中敵から見られながら遂行された。突然城門が開かれ、大勢のヴェイイ兵が火矢を通路に向かって放った。一時間足らずで、通路と屋根は焼け落ち落ちた。何日も苦労してつくった通路が一瞬で消えた。哀れなローマ兵は燃焼を止めようとしたが、焼死したり、敵に切り殺されたりした。ローマに知らせが届くと、誰もが悲しんだ。怒った市民が暴動を起こすかもしれない、と元老院は心配した。戦闘中の軍隊に暴動の

鎮圧を求めることはできなかった。護民官はローマ軍の敗北を

喜んだ。幸い元老院を助ける人々が現れた。騎士の資格を持ちながら、馬を支給されていない人々が一致して行動を起こした。彼らは元老院に行き、話をさせてほしいと言った。「馬は自分で用意するので、我々を騎士と認めてほしい」。

元老院は彼らに感謝し、彼らを称賛した。このことが中央広場と市内に伝わると、平民が元老院の前に集まり、歩兵として志願すると宣言した。彼らは「我々は現在兵役の順番ではないが、国家に貢献するつもりだ」と約束した。「我々は命令に従いヴェイイでも他のどこへでも行くつもりだ。もしヴェイイに行くことになったら、ヴェイイが陥落するまで我々は帰らない」。

元老院は喜びを抑えらえなかった。しかし元老院は最高官を通じて感謝を伝えることはなかったし、志願した平民を元老院の中へ招いて感謝の言葉を述べることもなかった。この点は騎士の志願兵に対する場合と異なっていた。平民の志願兵は元老院の境内からすぐ立ち去った。彼らは元老院のそばの高台に行き、集会所に集まった市民に向かって、手振りを交えて、高揚した気持ちを伝えた。話し手も、聴衆も喜びに包まれた。志願兵は断言した。「市民の団結により、ローマは不敗の都市になるだろう。ローマは祝福された、永遠の都市になるだろう。我々に先立って志願した騎兵はローマの誇りである。志願兵を熱狂的に支援するローマ市民は国家の宝である。市民にとって今日は最高の日だ。市民は元老院より礼儀正しく、親切だ」。

平民も元老も喜びの涙を流した。集会は最後に次のように決議した。「執政副司令官は市民集会を開き、志願した騎兵と歩兵に感謝を述べるべきである。市民が祖国愛を示したことを、元老院は忘れてはならない」。

集会はもう一つの決議をした。「自ら志願した兵士たちに給料を払うべきである」。

志願した騎士と歩兵に一定の額の給料が払われることになった。騎兵が給料を支払われたのは初めてだった。志願兵たちはヴェイイに向かった。焼け落ちた高架通路がすぐに再建されただけでなく、攻城のための構造物が新たにつくられた。ローマから軍への補給が滞りないよう、努力がなされた。全力で戦う兵士たちに不足がないようにはかられた。

【8章】

翌年の執政副司令官は C・セルヴィリウス・アハラ(3回目の就任)、Q・セルヴィリウス、ルキウス・ヴェルギニウス、Q・スルピキウス、アウルス・マンリウス(2回目の就任)、マニウス・セルギウス(2回目の就任)だった。この年も市民の関心はヴェイイ戦にあったが、アンクスールが陥落した。

(日本訳注)アンクスール:Anxur はティレニア海沿岸にあり、キルケイの東。アンクスールはエトルリアの町だったが、紀元前509年ローマに征服された。その後ヴォルスキがこの町を占領し、紀元前406年ローマが支配を回復したが、402年ヴォルスキに奪われた。本文で「アンクスールが陥落した」と書かれているのは、この出来事である。その後紀元前400年ローマが再び支配を回復した。紀元前397年のヴォルスキの攻撃は失敗に終わった。紀元前329年ローマは植民団を送り、ローマの支配が安定した。(日本訳注終了)

 

 

 

アンクスールに駐屯していたローマの守備隊の多くが休暇で不在だったので、ローマの防衛は手薄だった。ヴォルスキ人の商人が無制限にアンクスールに入ってきて、門の前にいた守備兵が驚いているうちに、門の左右の城壁が占領された。ローマ人居住者は野原に散らばって逃げたり、隣町に向かったので、犠牲は少なく、病人が死んだだけだった。逃げた人々は陣地の兵士相手に商売するのと同じように、隣町で商売をした。

一方ローマ市民の関心事であったヴェイイ戦では、事態は改善しなかった。ローマ軍の司令官たちは敵と争うのではなく、お互いに敵対した。このような時、カぺナ(ファリスク人のちいさな町で、ローマの北26km)の軍隊とその他のファリスク人の軍隊が突然現れて、さらに深刻な危機となった。

 

 

これらのファリスク人の町はヴェイイから近く、ヴェイイが陥落すれば、自分たちも同じ運命になると考えていた。また以前のローマとフィデナエの戦争の時、ファリスク人はフィデナエ側で参戦していたので、ローマの復讐を恐れていた。ヴェイイとファリスク人は互いに代表を送り、交渉の末、同盟を誓った。その結果ファリスク人の軍隊がヴェイイに向かった。彼らはローマ軍の塹壕を攻撃した。この塹壕はエトルリア軍に備えて掘った塹壕で、ここの防衛を指揮していたのはマギウス・セルギウスだった。ローマ兵はエトルリアの全軍が襲ってきたと思い、衝撃を受けた。ヴェイイ兵もエトルリア軍が到着したと考え、勇気を得て反撃に転じた。ヴェイイを包囲していたローマ軍は両面から攻撃され、一方の敵に立ち向かうや否や、別の敵も相手にしなければならなかった。もはやヴェイイ兵を市内に押し込めておくことはできず、また塹壕に迫ってきた外の敵を押し返すこともできなかった。ローマ軍の唯一の希望は本陣から援軍が来ることだった。そうすれば、ファリスク兵を撃退し、ヴェイイから出撃してきた兵を押し戻すことができるだろう。しかし戦場の司令官セルギウスと陣地の司令官ヴェルギニウスは仲が悪く、互に相手を憎んでいた。敵がほとんど全てのの塹壕を攻撃し、味方の防衛線が断ち切られたうえに、城内からヴェイイ兵が出撃していると報告されると、ヴェルギニウスは兵士に「武器を持って待機せよ」と命令しただけだけだった。「セルギウスが援軍を欲しいなら、使者を送ってくるはずだ」と彼は言った。ヴェルギニウスはわがままだったが、セルギウスのほうも意固地であり、嫌いな相手の助けによって勝利するくらいなら、敵に敗北する方がましだだと考え、援軍を求めなかった。ローマ兵は両面の敵に攻撃され、多くの犠牲者が出た。少数のローマ兵が戦場から逃げ出し、陣地に向かった。セルギウスは大部分の兵を撤退させ、ローマに向かった。ローマに帰ると、彼は言った。「敗北の責任はヴェルギニウスにある」。

ヴェルギニウスはローマに呼び戻され、彼の幕僚が部隊の指揮を執ることになった。元老院はこの問題について審議したが、国家の利益を優先する元老はほとんどいなくて、党派心や個人的感情から、セルギウスまたはヴェルギニウスを支持した。

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