日本の侵略の歴史というと、韓国の人たちは、必ずと言っていいほど悪の権化扱いで豊臣秀吉の話をする。
これまで、歴史上ではすべて日本からの一方的な朝鮮侵略だと、多くの日本人が思っていた。
しかし、大きく見落とされた史実がある。
それは「元寇」である。
元寇と言えば、モンゴル兵が日本を侵略しようとしてやってきたというイメージがすぐに目に浮かぶ。
鎌倉時代の蒙古襲来として知られているが、これは歴史上日本最大の危機であり、わずか740年前の出来事である。
日本に残されている「蒙古襲来絵詞」を見ると、襲来した兵士の武具はモンゴル軍のものであることから、当然、兵士たちもモンゴル人だと考えられてきた。
しかし、実はモンゴル軍の主力部隊は高麗軍(当時の朝鮮は「高麗」という国名)だったことをご存じだろうか。
しかも、指揮する将軍には朝鮮人もいた。
描かれているのが高麗軍の武具でないために、これまですべてモンゴル人だという勘違いがあったのだ。
高麗軍に次いで多かったのは南宋の軍隊。
宗は当時の王朝なので、つまり元寇は中韓連合軍によるものだったのである。
モンゴル人は騎馬民族なので、泳げないし海も苦手、海上や船上での戦いは不得手なので、実質的には高麗軍が攻撃を担っていたと言っていい。
もし韓国人が「命令されたから仕方なかった」とその事実から逃れようとしても、朝鮮は日本侵略の共犯者で会って同罪なのは変わりがない。
豊臣秀吉の朝鮮出兵は良くないが、朝鮮のやったことも侵略である。
韓国側から「秀吉の朝鮮出兵と蒙古襲来を同等に扱うことはできない」と反論が聞こえてきそうだが、侵略は侵略だ。
ほかの国から見ても、「モンゴルに命じられたから朝鮮の日本侵略は仕方ない」では通らない。
秀吉の時代よりもまえの時代のことなので、朝鮮のほうが先に侵略を働いたことになる。
仮に秀吉の朝鮮出兵が蒙古襲来の復習だと日本側から言われても言い返せないはずだ。
蒙古襲来は失敗に終わって良かったが、もしそうでなかったら日本側にさらなる甚大な被害をもたらしたであろう。
この史実を知ったら、もはや韓国は「他国(特に日本)を侵略したことのない善良な国」として済ますことや、「一方的に日本から侵略を受けた」という言い分が通らなくなるだろう。