日本と韓国では、「働く行為に対する意識の違いがある」と思える。
おそらく、それは日本人と韓国人が持つ「一人の人間の評価基準」の違いによるものだろう。
つまり、日本で「働く行為」は、「一人で自立できる人間なのかどうか」を判断する基準となって、「自立」は一人の人間の評価基準にもなる。
例えば、中高校生で「自らアルバイトして報酬をもらってお小遣いを稼ぐ行為」も、高校卒業後、「一人暮らしをする行為」も、立派な、自立した一人前の人間だと高く評価する人が多い。
ところが、韓国では事情が変わる。
中高校生が働いたからといって、ほめる人よりも、「その時間があったら、勉強しろ!」と叱る人が多いだろうし、一人暮らしをしようとする子供を、自立したとほめる親はいないだろう。
韓国では、日本人ほど、「自立=働く行為」が、人間の重要なポイントとなっていない。
それよりも、「本業」や「義務」を重要視する人が、高く評価されるだろう。
つまり、学生という身分の本業はアルバイトではなく勉強だし、卒業後は、親と同居しながら、家族を守るのも、家庭・家族に対する義務の一つだろう。
人間は、生きていく中でいろんな義務を課せられるが、その中でも、「職場に尽くす義務」「本業に尽くす義務」「家庭に尽くす義務」などは、社会生活の中で重要な義務だと言えるだろう。
勤勉な日本人の立場からみれば、子供の頃から「報酬が発生する経済原理に基づく行為=職場に尽くす義務」が人間の評価や人生のやりがいを測る重要なポイントとなっているかもしれないが、韓国では、それよりも、「本業に尽くす義務」や「過程に尽くす義務」を重視する人間が高く評価される。