韓国人は、ひとつの理念、主張などを振りかざして、ものを言います。
理念、主張は、もとより事実ではない。
だが、韓国人は、その理念、主張を前提として、自説を言い立てます。
韓国人が議論好きのように見えるのは、上辺のことにすぎなく、自己主張が強いだけのことであります。
ものごとを検証しながら、理路整然と相手を納得させることは、きわめて苦手のようである。
冷静な議論ではなく、罵詈雑言に訴えても、相手の意見を圧殺した方が勝ちだと考えます。
これは、2000年間に960回も、異民族の侵入を経験した歴史とも、関わりがあるだろう。
自分が掲げた信念、理念、主張などを、死に物狂いで守らないと、異民族から突き崩されてしまう。
相手の言い分など、耳を傾けたりしたら、最低限の要求すら踏みにじられてしまい、殺されるかもしれない過酷な歴史だったのだ。
韓国人の反日も、日本とは、こういうものだという、彼らだけの定義があって、そこからスタートするから、彼らの日本イメージと合致しない事実が出てくると、すべてご破算になってしまい、また彼らが考える日本イメージに立ち戻ってしまうのだ。
その場合、実際の日本がどうだったかは、まったく検証されない。
あくまで、彼らが考える日本イメージだけが優先される。
韓国では、多様な意見が存在しにくい。
なぜなら、過酷な歴史だったから、少しでも異分子の存在を許せば、外国が干渉してきて、自国に都合のいい政権を打ち建てるかも知れないからだ。