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1965年の日韓国交正常化以降、日本から韓国への買春ツアー「기생(妓生)観光」が盛んに行われていた

2018-12-22 11:37:51 | 韓国旅行

朝鮮半島の芸者にあたる存在が「기생(妓生・キーセン)」


最近は韓流ドラマや映画でもてはやされているが、中高年以上の日本人男性にとってはまた違った意味で記憶に残っているに違いない。

1965年の日韓国交正常化以降、日本から韓国への買春ツアー「기생(妓生)観光」が盛んに行われていたからだ。

JALのJALパックをまねて、YALパックツアーと呼ばれ、農協などの団体ツアーが数多く韓国へ出かけていった。


기생(妓生)はもともと高麗時代からあったが、14世紀末以降の朝鮮王朝時代からは国家が管理する「官妓」の制度が設けられた。

身分は自由が制限された下層階級だったが、特に高級な기생(妓生)は官庁の礼宴で歌舞音曲を披露するなど重要な役目を担っている。


1876年の日朝修好条規によって、朝鮮王朝は開国を余儀なくされる。

その後日本資本が現在のソウルに料亭を設け、日本人芸者も朝鮮半島に渡った。

기생(妓生)たちも1910年の日韓併合を経て、日本の認可の下で料亭に派遣されるようになる。

やがて最下層の기생(妓生)をまとめて組織化する形で公娼制度が確立され、終戦まで性風俗産業を担った。


この公娼制度は1948年に廃止される。

しかし娼婦たちは再就職のあてもなく、非合法で売春を続けるしかなかった。

こうして非合法の売春が半ば公然と性風俗産業の中核を占め、あちこちに売春街が生まれる。

在韓米軍駐屯地の近くで営業が行われることもあったが、やがて1965年以降は日本人観光客向けの기생(妓生)観光が活発化していった。

一説では外貨獲得に必死だった朴正熙政権が、国策として男性客を誘致したともいわれている。


だがもちろん韓国では快く思わない人が多く、70年代前半にはソウルの金浦空港で기생(妓生)観光反対デモも行われた。

やがて80年代以降、기생(妓生)観光は少しずつ下火になっていく。

在来の売春街はその後も根強く繁盛していたが、2004年の性売買特別法施行で本格的な取り締まりが始まった。


しかしいったんは壊滅したかに見えたものの、また看板を替え普通の街の中に溶け込んで再開している。

性欲という名の本能に直結した産業だけに、摘発だけで根絶するのは難しいのかも知れない。

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