三豊百貨店崩落事故も韓国特有の事故だったのではないでしょうか。
1995年にソウルで起こった三豊百貨店崩落事故があります。
五階建ての百貨店のビルが営業中に突然、崩落し、死者502名、負傷者937人、行方不明者6人の被害を出した世界的にも例のない大崩落事故ですが、この事故のほぼ100パーセントが人災と言えるものです。
この百貨店は完成(1989年)直後から、いずれ崩落することが確実だあったとしか思えない建物だったからです。
そもそもこのビルは三豊建設産業が四階建てのオフィスビルを計画していましたが、建築途中に五階建てのデパートにすることを決定しました。
施工会社に設計変更を要求しましたが、施工会社は現時点での設計変更は危険だとして拒否しました。
そこで三豊建設産業が直接施工しました。
ところがその施工が実にお粗末極まりないものでした。
売り場に防火シャッターを設置するために柱を一部撤去。
また中央部にエスカレーターを設置して吹き抜け構造としましたが、本来、柱を補強すべきところを、見て目重視で逆に柱を細くしました。
加えて全体的に鉄筋の数を減らし、建物が構造的に弱くなりました。
また部分によっては鉄筋の代わりに石油缶を詰めているところもありました。
最上階の五階は建物に負荷がかからないローラースケート場にする予定でしたが、建築認可が下りた直後に、不正にレストラン街に変更されました。
また事故の二年前の1993年に、屋上に87トンの大型冷房装置にローラーをつけて牽引したため、屋上や柱周辺にひびが入り、強度が低下しました。
さらに翌年、当局に無断で地下に売り場を増設する工事を行ない、建物の強度がさらに低下しました。
まさに日本では、とても考えられないことが行われてしまっていたのです。
ちなみに1994年、漢江の聖水大橋が崩落しています。
もしこの時、三豊百貨店がビルの強度点検をしっかりしていたら、翌年の大惨事は起こらなかったでしょう。
1995年6月28日、五階で働いていた従業員がひび割れに気づき、上司に報告しました。
翌日、報告を受けた経営陣は、午前9時に緊急会議を開きました。
すぐに建築士を呼んで調べようということになりましたが、その間も百貨店は通常通り営業しました。
午後3時、建築士が到着し、ビルを調べましたが、その結論は、「閉店後の補修すれば問題ない」というものでした。
約3時間後の午後5時57分、夕方の買い物客が集まったビルは突如崩落し、1500人近くいた客や従業員を飲み込み、完全に崩壊しました。
まさに、日本では起こりえない韓国特有の事故だったのではないでしょうか。