日本の作家、司馬遼太郎は、日露戦争をテーマにした小説『坂の上の雲』で「明治初期の日本人には『サル』という惨めなあだ名がつけられていた」と書いた。日本は欧州を見習おうとする民族という意味で「サル」と呼ばれたという。司馬は、このような軽蔑的な表現を最初に使ったのは欧州ではなく韓国だったと説いた。韓国人は公文書でも、明治維新で大変革を遂げた日本を指して「その姿を変え、慣習を変えたのだから、なぜ日本人と言えようか。国交を結びたければ本来の風習に戻すように」と記したという。司馬の文章には、韓国人の根深い日本観に対する抗議と共に、歴史の大転換期にも気付かなかった朝鮮王朝に対するやゆも込められている。
今はもちろん違う。韓国は日本から多くのことを学ぼうとしており、交流も活発だ。昨年、韓国で日本語能力試験(JPLT)を受験した人は9万3000人(受験者全体の19.8%)に上り、中国の24万人(同51.5%)に次いで2番目に多かった。2010年の韓国語能力試験は、日本人1万1500人以上が受験し、外国人受験者の8%を占め、中国に次いで多かった。
このように韓日両国は、互いの言語や文化について熱心に学んでいるが、両国を代表する国立大であるソウル大と東大には、これまで日本学科や韓国学科がなかった。1961年の韓国外国語大学を皮切りに、多くの私立大と17校の国公立大に日本関連の学科が設置された。しかし、ソウル大は「民族のプライド」を盾に日本学科の設置を先延ばしにしてきた。「東大が韓国学科を設置するまでは、ソウル大に日本学科を設けるべきではない」という主張もあった。
だが両大学は2000年、総長同士が立ち上がり、日本学科・韓国学科の設置を同時に推進してきた。ソウル大は日本語講座を開設して研究所を設立し、東大でも韓国学コースが開設されたが、正式な学科ではなかった。一方、ソウル大は同年に日本語教育学科の新設を要請したが、教育部(省に相当)は「日本語教師が多すぎる」として承認しなかった。
ところが、ソウル大は先日の学長会議で、日本学専攻課程を含む「東アジア言語文明学部」を開設することを決めた。これを機に、日本学科の設置に関するタブーが破られたことになる。日本の文学、歴史、哲学を総体的に捉え、研究する内容となっている)。ソウル大学が学科の設置をめぐって東大と神経戦を繰り広げる時代はすでに過ぎ去った。日本をはじめ、東南アジア、インド、中東など、今までおろそかにしてきた地域に対する理解を深めることが、自国を強化していく道だ。