阪神のオマリーの「六甲おろし」の例を挙げるまでもなく、「日本語を話せない人が
歌う」場合はダサいというより、おもしろくなってしまうのだが、韓流アーチストには
それは当てはまらない。
多くの韓流スターは流暢な日本語を話す。日本語の歌詞の発音も正しい。「変な歌い方」
にはならない。
曲は初めて聴いた曲がまず第一の印象となる。日本語にしろ英語にしろ韓国語にしろ
違う言語で歌われたものを聴く場合、それはある種の「替え歌」になる。
ここが、第一の違和感の出発点であると思う。
洋楽を日本の流行歌手が日本語で歌ってヒットしたものもあるが、それを原曲を聴いていた
場合と、聴いていない場合とでは印象は違ってくる。
郷ひろみの「ゴールドフィンガー99」は、その前にリッキーマーティンの「リヴィン・
ラ・ヴィダ・ロカ」を聴いていたので、(ほぼ同時か)やはり違和感があった。
(あちち あち、じゃないだろう)と思った。ダサいと思ったが、歌詞は康珍化。一流である。
(ACHICHI ACHI は郷ひろみの発案とウィキペディアにある)
だが、子供の頃に聴いた尾藤イサオの「悲しき願い」は、原曲を知らなかったため、単純に
かっこいいと思った。
また、2010年前後、KARAとか少女時代がK-POPとして、日本に入って来た時は
日本語バージョンからだった。私はそれに違和感はあまり感じなかった。
韓国の戦略なのか、あまり韓国語バージョンはラジオや音楽番組でも流れなかったように
思う。
現在はBTSに代表されるK-POPはどちらかと言えば、韓国語バージョンから聞く方が
多くなっているような気がする。韓国語バージョンを先に聴くから、その後の日本語
バージョンに違和感があるのだ。
TWICEの「more&more」の曲のラストは
「그러니 한 번 더 」 である。
発音は「ぐろに はん ぼん ど」だが、MVを見ていると「みやもんだー」と聞こえる。
これがかっこいい。
意味は「だから もう 一度」らしいが、これが日本語バージョンだと、
「だから もう 一回」となる。
「みやもんだー」が「だからもう一回」である。ダサい。
「だからもう一回」とは、歌詞としてどうなんだろうか。
しかし、「みやもんだー」と書いてしまうと、こっちもダサく感じるな。あれ?
みのもんた が出てきそうだ。
今回もしまりませんでした。
おわり。
六甲颪 オマリーVer ‐ ニコニコ動画原宿
歌う」場合はダサいというより、おもしろくなってしまうのだが、韓流アーチストには
それは当てはまらない。
多くの韓流スターは流暢な日本語を話す。日本語の歌詞の発音も正しい。「変な歌い方」
にはならない。
曲は初めて聴いた曲がまず第一の印象となる。日本語にしろ英語にしろ韓国語にしろ
違う言語で歌われたものを聴く場合、それはある種の「替え歌」になる。
ここが、第一の違和感の出発点であると思う。
洋楽を日本の流行歌手が日本語で歌ってヒットしたものもあるが、それを原曲を聴いていた
場合と、聴いていない場合とでは印象は違ってくる。
郷ひろみの「ゴールドフィンガー99」は、その前にリッキーマーティンの「リヴィン・
ラ・ヴィダ・ロカ」を聴いていたので、(ほぼ同時か)やはり違和感があった。
(あちち あち、じゃないだろう)と思った。ダサいと思ったが、歌詞は康珍化。一流である。
(ACHICHI ACHI は郷ひろみの発案とウィキペディアにある)
だが、子供の頃に聴いた尾藤イサオの「悲しき願い」は、原曲を知らなかったため、単純に
かっこいいと思った。
また、2010年前後、KARAとか少女時代がK-POPとして、日本に入って来た時は
日本語バージョンからだった。私はそれに違和感はあまり感じなかった。
韓国の戦略なのか、あまり韓国語バージョンはラジオや音楽番組でも流れなかったように
思う。
現在はBTSに代表されるK-POPはどちらかと言えば、韓国語バージョンから聞く方が
多くなっているような気がする。韓国語バージョンを先に聴くから、その後の日本語
バージョンに違和感があるのだ。
TWICEの「more&more」の曲のラストは
「그러니 한 번 더 」 である。
発音は「ぐろに はん ぼん ど」だが、MVを見ていると「みやもんだー」と聞こえる。
これがかっこいい。
意味は「だから もう 一度」らしいが、これが日本語バージョンだと、
「だから もう 一回」となる。
「みやもんだー」が「だからもう一回」である。ダサい。
「だからもう一回」とは、歌詞としてどうなんだろうか。
しかし、「みやもんだー」と書いてしまうと、こっちもダサく感じるな。あれ?
みのもんた が出てきそうだ。
今回もしまりませんでした。
おわり。
六甲颪 オマリーVer ‐ ニコニコ動画原宿
でも、今年の愛媛県民文化祭でタケカワユキヒデがゲストで来るというのを聞き、迷っています。
本当を言うと、「言語とメロディーの適正感」というか、「合う合わない」問題なのかもしれない、とようなことを深く考えてみたかったのですが、そこまでの内容になりませんでした。毎度の「浅い」文章です。
例えば日本語はやはり日本で作られてきた民謡であったり、童謡や演歌、歌謡曲が一番適性があり、英語で作られてきたR&Bやロックやjazzには適性がないと個人的には思います。逆に英語で民謡や演歌を歌ったらネイティブの人にはどう感じるのだろうか、なんて。ポルトガル語のボサノバ、フランス語のシャンソン、知識がないのでそれくらいしかすぐには思い浮かばないけれど、その土地、その国で育ったメロディー、ジャンルが一番適性が良いのだと思います。あたりまえのことだけど。
だから、古くはハッピーエンドとかサザンとか最近のJ-POP、J-ROCK(こんなカテゴリーはないか)は、頑張っているとは思いますが、歌詞についてどうかと言えば、詩の内容が深いものも少ないように思います。メロディ優先でノリをよくしているケースも多いように思います。
韓国語の細かく発音する発声、発音はポップミューリズムに適性があると感じます。
タケカワユキヒデといえば、「子だくさん」のイメージしかないなあ。
松山のカラオケで同僚のS君が「ゴールドフィンガー99」をよく唄っていたのを思い出します。
しかし、「ゴールドフィンガー99」とは舐めたタイトルですねえ。
〇 昔、英語の教師に、日本人のシンガーで一番発音がきれいだと思う人は誰かときいたら、鈴木雅之(マーチン)だと言った。
〇「言語とメロディーの適正感」ということで言えば、私は日本語のラップが恥ずかしくて聴けない。好みもあろうが、これだけは×。
2曲目が郷ひろみだったけど「君は特別」だったぞ。「恋の弱み」ではなかった。
郷ひろみならば、ヒットもしたけどやっぱ「よろしく哀愁」だろう。