極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

大学2年 1

2005-03-20 19:00:27 | Weblog
1983年4月上旬、バンドの話し合いを青柳と池谷と私とでしている。その後も何回か打ち合わせは続いた。平田も打ち合わせに参加はしたが、最終的にバンドに参加することはなかった。

「日本的なものを取り入れる」と青柳は言った。具体的には、民謡や音頭のリズムをやるということだ。

「民謡とか音頭のリズムは日本人にとって根本からあるものだから、受け入られやすい」とも言った。青柳は演劇業界にいるからか「アンダーグラウンドは避けたい」と言っていた。アングラは極少数しか受け入られないからだ。

「日本」をやるのは「実験的」だが、大多数にウケるライブをする、というのが青柳の出した結論だった。

「実験的で大衆受けする」ものはむずかしいと思った。
また、「日本ぽい」ものは「ダサい」と紙一重だからなあ、とも思った。

若干の疑問もあったが、ま、やるか、と思った。

劇団「空間演技」の青柳を私は知らない。すぐに退団してしまったのではないか。
ずっと後になってから「空間演技」の芝居を青柳と観にいったことがある。
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