1986年1月から3月までは何も日記を書いていない。
レコーディングの話が進んだ。「はる」単独のオリジナルアルバムではなかった。映画のイメージサウンドトラックとしてのアルバムだった。映画は東映映画「大奥十八景」である。監督は「パンツの穴」の鈴木則文。「パンツの穴」といえば菊地桃子で、(そういえば、早慶バンド合戦で「モモコ賞」をもらったな)と連想した。
単独オリジナルではないのが、少々ひっかかったが、贅沢は言ってられない。そもそも、この話がどのように進められたのか詳しく知らない。吉田ディレクターが持ち込んだのか、映画の音楽担当者の意向か、鈴木監督の意向か、どれかはわからないが、このうちのどれかだろう。音楽担当者は桑島さんといって、業界では有名な人らしかった。「とっちらかっちゃてさあ」というのが口癖だった。自身も若い頃は作曲をしていたらしい。「一日で何十曲も作ったよ」と言っていた。私には気のいいおじさんに見えた。
大奥だから、裸が満載だなと思ったら、思った通りの映画だった。
レコーディングの話が進んだ。「はる」単独のオリジナルアルバムではなかった。映画のイメージサウンドトラックとしてのアルバムだった。映画は東映映画「大奥十八景」である。監督は「パンツの穴」の鈴木則文。「パンツの穴」といえば菊地桃子で、(そういえば、早慶バンド合戦で「モモコ賞」をもらったな)と連想した。
単独オリジナルではないのが、少々ひっかかったが、贅沢は言ってられない。そもそも、この話がどのように進められたのか詳しく知らない。吉田ディレクターが持ち込んだのか、映画の音楽担当者の意向か、鈴木監督の意向か、どれかはわからないが、このうちのどれかだろう。音楽担当者は桑島さんといって、業界では有名な人らしかった。「とっちらかっちゃてさあ」というのが口癖だった。自身も若い頃は作曲をしていたらしい。「一日で何十曲も作ったよ」と言っていた。私には気のいいおじさんに見えた。
大奥だから、裸が満載だなと思ったら、思った通りの映画だった。
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0113360.htm
亡くなったのか。