極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

ジョナサンと西村賢太 2

2018-08-30 12:44:19 | Weblog
人の記憶とはいいかげんなものである。

前回 本が新婚家庭まで持ち込まれた様に書いたが、女房に確認したところ
「結婚前に持って行ったのよ」とのご回答。「すごい量だった」そうだ。

私はバンド時代から住んでいた江古田のアパートが建て替えされるため、転居を
余儀なくされ、会社の独身寮に潜り込んだ。そこに2年近く住み、結婚する半年前には
「最後の独身貴族」を味わうために、住宅都市整備公団(いわゆる公団、現在の
都市再生機構 UR)の新築賃貸住宅に移り住んだ。どうして南大沢という東京のはずれ
だったのか、というと家賃と広さの関係と、近所に会社の先輩が住んでいて
「まあ、いいところだから住んでみろ」と言われたからだ。口車に乗ってしまった。

新築公団住宅はたしかに家賃のわりには、広いワンルームであり、バブルの香も
漂っていた。風呂は、「湯船に入ると、自動的にちょっと追い炊きする」という
よくわからない「殿様モードボタン」なるものも付いていた。

しかし住んでみると、駅までは徒歩で20分位かかるし、京王線南大沢からの通勤は
朝は1時間半、帰りは2時間という、とんでもない時間がかかった。住んでみて、
長く住めるところではない、とすぐに思った。

話が脱線したが、南大沢には春から秋の3シーズンしか住んでおらず、本を運んだ
のは冬だったから、当然にして武蔵小金井の独身寮時代だったことになる。

独身寮では本が入っているダンボールをブロックのように積み上げ、その上に
板などを置いてデスクのように使っていた。カートン数は6ではなくて、もっと
多かったのかもしれない。

独身寮から結婚前の男女がダンボールを車に積み込んで出て行くというのも、
今にして思うといかがなものかと思うが、その頃は結婚も確定しており、
特にコソコソすることもなかった。

私達は1994年の10月に結婚するので、本の運搬は1994年の冬。今回これを書くに
当たり、正確な日程を調べた。

1994年2月11日に東京を出発している。2月11日は金曜日で建国記念日だから
土日で三連休になっている。2泊3日で浜松に行ったのだ。

つづく

コメント (2)
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