鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
(本ブログに掲載している写真の無断使用・転載を禁じます。)

「蒼土窯」に会う【JR九州網田駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-3】

2017-04-16 | JR九州ウォーキング
2017年4月15日(土)

6年振りに、JR九州ウォーキング網田駅(おうだえき)コースに参加。


(今日のマップ)

午前8時熊本駅で三角行き列車に乗ったとたん、強い雨が降り出す。出発した頃には止んだが、宇土駅を過ぎ、三角線(愛称「あまくさみすみ線」)に入ったらまた雨。網田駅に着いた頃には晴れ間がのぞきだし一安心。

2両編成の列車は熊本駅から満員。三角駅では受付で長蛇の列がなかなか進まない。ようやく終えて、線路沿いを先程の雨でできた水溜りを避けながら歩く。


(網田駅)


(熊本駅発列車から大勢の人が降りた)


(線路沿いを歩く)

線路と別れてしばらく歩いて、網田神社へ。境内で、鹿児島から参加されている女性の方に久方ぶりにお会いし、いろいろとお話をしていただいた。いつもブログを見ていただいてありがとうございます。


(網田神社)


(道沿いで)


(道沿いで)

「網田焼の里資料館」へ。網田焼は、細川藩が幕府への献上用、各大名への贈答用として、寛政5(1793)年に、肥前の陶工、山道喜右衛門を招いて創業された。文政5(1822)年に、御用焼き物の発注が停止される。その後、雑器を中心に続けられ昭和7年に最後の窯出しが行われている。細川藩の御用窯のころは白磁が中心だったようだ。

資料館にある、網田焼の陶工の監督を務めていた中園家の居宅は熊本地震で被害を受け、立ち入り禁止となっている。


(網田焼の里資料館の中園家の居宅)

先へと歩き、「網田焼窯元跡」へ向かう。


(道沿いで)

この窯跡は「長尾新家窯」のもので、窯は山の斜面を利用した「のぼり窯」。熱気を窯全体に平均して回すように設計されていた。


(網田焼窯元跡)

コースは徐々に上り、歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

蒼土窯(そうどがま)工房から、蒼土窯の展示販売所へ。6年前に来た時に気になっていた蒼土窯。今年ようやく買い物をする。毎年、網田駅コースに参加しょうと思いながら機会を失っていたが、今年で良かった。昨年の熊本地震で水屋が倒れ、多くの焼物が壊れたので、一昨年までに参加して買い物をしていたら、蒼土窯も壊れていただろうと思う。


(蒼土窯工房)


(蒼土窯工房で)


(蒼土窯販売所へ)


(蒼土窯販売所へ)


(蒼土窯作品)


(3個並んでいたが1個は買った)


(いただいた説明書)

ここからは、下り。


(蒼土窯からの眺望)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

工房せいや窯へ。ここは花に囲まれている。


(工房せいや窯)


(工房せいや窯で)


(工房せいや窯で)


(工房せいや窯で)


(工房せいや窯で)

下って、線路を渡る。今度は網田中学校への上り。このコースは上り下りがあって結構ハードなコースになっている。


(道沿いで)


(道沿いで)


(線路を渡った)


(網田中学校への上り)

網田中学校を過ぎても、まだまだ上り。かなり上ってぐるりと廻って、「干潟景勝の地」へ。


(上りの道沿いで)


(上りの道沿いで)

今日は残念ながら潮が満ちている。干潟は見えない。六年前来た時は潮は引いていたと思う。雲仙、島原半島もうっすらとしか見えない。


(干潟景勝の地からの有明海の眺望、遠くは雲仙、島原半島)

地元の皆さんから貝汁のおもてなしを受ける。おにぎりとおかずに卵焼きを買って昼食。グルメもいいが、歩いてきて、高い所から景色を眺めながらの昼食はまた格別。ウォーキングでもっとも楽しい瞬間かも。


(昼食)


(干潟景勝の地からの有明海の眺望)


(干潟景勝の地からの有明海の眺望)


(干潟景勝の地の案内板)

景色と食事を堪能して下る。網田海岸公園へ。以前来た時は潮干狩りをする人たちもいた。


(下りの道沿いで)


(道沿いで)


(海岸へと出た)


(戸口大橋から)


(戸口大橋から三角線を走る列車)


(網田海岸公園。左、山の上が先ほどまでいた干潟景勝の地)


(入漁の案内板)

景行天皇が九州遠征の際、美しい海岸線が天皇の目に留まり、しばし御輿を駐め見入られたという伝説からその名がついたとされる御輿来海岸(おこしきかいがん)沿いを歩いて、宇土マリーナへ。


(御輿来海岸沿いで)


(御輿来海岸)


(御輿来海岸沿いで)


(御輿来海岸沿いで)

宇土マリーナでは先着300名限定の地元野菜のプレゼントをいただく。


(宇土マリーナ)

宇土マリーナからはマイクロバスで網田駅まで送ってくれる。ゴール受付後にも網田特産品をいただいた。


(上、宇土マリーナで、下、ゴール後網田駅でいただいた)

そうこうしていると、駅には熊本駅行の列車が入ってきた。大勢のウォーカーが乗り込んだ。走れば間に合ったが止めた。次の列車は約1時間後。


(熊本駅行きは出発。「網田駅」の文字板は蒼土窯で創られている)

網田駅に来たらここに入らなくては、と土日祝日限定の「網田駅カフェ」へ。以前の駅事務所が改造されている。

明治時代、九州で初期の鉄道敷設は九州鉄道という民間会社が担った。明治22(1889)年、博多-久留米間の運転が始まる。その後、南へと延び、明治24(1891)年に熊本、明治29(1896)年、八代まで延びた。

当初は、八代よりも先に三角へと延ばす計画だったが、難工事のため、八代に遅れること3年、明治32(1899)年に三角までが開通した。網田駅はその時に建てられた駅舎で、九州鉄道が建設した駅舎では唯一残っているという。国登録有形文化財にも指定されている。

平成24(2012)年に、宇土市がJR九州から購入し、発券も含めて、地域のNPOが運営して、地域活性化の中核施設として活用していている。「網田駅カフェ」も活性化事業の一つ。

ホーム沿いの桜を眺めながらコーヒーを飲んでいたら、「A列車で行こう」が三角駅へ向かってスーッと通り過ぎた。


(網田駅カフェから)


(網田駅カフェから)


(網田駅カフェから)

今日のウォーキングは、網田駅カフェのコーヒーで終わろう。


(帰りの熊本駅行き列車)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿