鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
(本ブログに掲載している写真の無断使用・転載を禁じます。)

ひたひこで「みのり号」に会う-JR九州ウォーキング香春駅コースに参加

2015-11-25 | JR九州ウォーキング
11月21日(土)

JR九州ウォーキング香春駅コースに参加。
今日のテーマは「JR日田彦山線・採銅所駅舎開業100周年記念行事」。

豊肥本線、九州新幹線、福北ゆたか線、後藤寺線、日田彦山線と乗り継いで香春駅(かわらえき)へ。9時30分頃に着く。
このコース初めての参加だけど、さて、どんな出会いが。

駅舎を出ると眼前に香春岳(かわらだけ)。石灰岩で出来ている香春岳は採掘で山の形は変形している。五木寛之の「青春の門」では「異様な山」と書かれている。「青春の門」が書かれたころよりもっと削られている今はどう表現されるであろうか。
駅の広場でも採銅所駅(さいどうしょえき)舎開業100周年記念のイベントが開催されるがまだ準備中であった。

勾金(まがりかね)小学校の前を通り「道の駅香春」へ。物産直売所「わぎえの里」でお昼用にお弁当でもと思ったが、採銅所駅のイベント会場へ行けば何かあるだろうと眺めただけで引き返す。

山小屋ラーメン発祥地の看板があったが、山小屋ラーメンは食べた記憶がない。昔、熊本の繁華街に「山小屋」というレストランがあったことを思い出す。

ひたひこ(日田彦山線)を渡っていくと、こんもりとした小山があった。山の上には鏡山神社がある。神功皇后が新羅へ出兵するときに必勝祈願したとされるところである。急な階段を上って神社へ。無人なようでお賽銭箱は扉の中。急な階段を下りるのは怖かった。階段下りたところには、万葉集巻3-311「梓弓引き豊國の鏡山見ず久ならば戀しけむかも」按作村主益人の歌碑があった。 

碑から横道に入ったところに「河内王(かふちのおほきみ)の墓」がある。行く途中に万葉集巻3-419「石戸破る手力もがも手弱き女にしあれば術の知らなく」手持女王の歌碑があった。河内王の墓は宮内庁が管理していて、防護柵がしてあった。河内王は689年、太宰帥として大宰府に赴任した皇族で、巡察で香春に来たおり、この地で亡くなっている。手持女王はその妻ともいわれている。
最初に寄ったわぎえの里あたりは古代官道、田河道があって豊前国分から大宰府への最短距離の道であったようだ。

田園の中をしばらく歩いて金辺川(きべがわ)に出ると、ひたひこの鉄橋が見える。川面からの高さが60尺(約18m)あるので「六十尺鉄橋」という。撮り鉄の姿がちらほら。話を聞いているうちに列車の来る時間が迫って来たので、カメラを構えて待つことにする。下りが来て暫くすると上りが来た。二つとも撮った。教えて貰った撮り鉄の人にお礼を言って鉄橋の下をくぐって鉄橋の写真を撮りながら進んで行くと、また、下りの列車が来た。ローカル線で度々列車が来るのは珍しいと思っていたら、この日は記念列車「みのり号」が運行されているようだ。写真を撮らずに眺めていると、「みのり号」は六十尺鉄橋の上はゆつくりと進んでいた。


鉄橋を過ぎ金辺川沿いを歩いて、山手の方に行ったら、「清祀殿(せいしでん)」跡と「神間歩(かんまぶ)」がある。清祀殿は奈良時代に宇佐八幡宮の神鏡を鋳造した場所で、神間歩は銅鉱石を採掘した坑道跡でここで採掘された銅で鏡が作られていた。

引きかえすと、踏切がありそこにも撮り鉄の皆さんがいたので、ここでも撮り鉄になった。

古宮八幡神社の階段を上ることなく、採銅所駅へ。採銅所駅は45年程前に来たことがある。その時の駅舎は改修されて綺麗になっている。お腹が空いたのでイベント会場で何か食べたかったが行列もできているし、帰りの列車の時間も迫っているので、お腹空かしたままホームへ。トンネルから出てくる12時36分発小倉行の列車を撮って、乗る。小倉駅内でようやくビールとお食事。

日田彦山線、鹿児島本線、九州新幹線、豊肥本線と乗り継いで帰る。博多駅からぐるりと一周した。

今日は乗り鉄と撮り鉄を堪能した一日になった。

コースの雰囲気はアルバムを見てください。
こちらです。
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/m/FwnJiFaRCeJ


(採銅所駅)


(六十尺鉄橋)