鉄卓のブログ「きままに」

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方言に出会わなくなった-この夏東北を旅して

2015-10-09 | 旅で思う
 最近は、同じ年齢の人よりも耳が悪い。話をしていても聞き取れないことが多い。列車に乗ると不安なのに車内放送がある。降車駅が近づいていることや、乗換などの放送を聞き取ろうとするが、分からないことが多い。九州では列車に乗ることに慣れてきたので車内放送がよく聞き取れなくても不安は少ないが、それでも初めての路線では不安がある。知らない土地ではなおさらである。
 
 「奥の細道鳥海ツーデーマーチ」に参加のため山形県を旅した時、井上ひさし著「国語元年」(岩波文庫、2012年(2002年初版))という本を持って出かけた。本はカバーに書いてあるのを借りれば、『「共通語」を発明せよ。明治7年、文部官僚・南郷清之輔は「全国統一話言葉(はなしことば)」制定を命じられ、まず家中から口語の統一をこころみる。しかし南郷家はお国ことばの坩堝。清之輔は長州弁、妻と舅は薩摩弁、使用人たちは遠野弁に津軽弁、江戸武家言葉に町言葉。単語のちがい、異なる発声。屋敷中は大混乱に・・・言語と近代国家の奇妙な緊張関係を、ユーモラスに描いたテレビ版戯曲、文庫初登場』という内容のもの。1985年、NHK総合テレビで放送されたテレビドラマ。「國語元年」(中公文庫)の戯曲である。
 
 この本の中には『子音となるとさらに一層(ヨッポド)大変ヂャ。たとえば奥羽人は「十(ジュー)五夜」をば「ズーゴヤ」と言う。「人力車」をば「ズンリキシャ」と言う(ユー)。つまり奥羽人は「ジュー」チュ音も、「ジ」チュー音も、「ズー」チュー音一個で間に合わせチョルのでアリマスナ。』という清之輔の台詞も出てくる。
 
 読んでいたから不安が増していたわけではないけど、降りる駅と乗換を間違えないようにしなくてはと思いつつの旅だった。9月4日、東京駅から上越新幹線で新潟駅へ。新潟駅15時31分発秋田行き特急「いなほ7号」に乗車した。知らない土地で知らない路線である。ところが乗った「いなほ7号」の車内放送はそんな不安など一掃する格別なものだった。一語一語の発音がはっきりしていて、これまで乗った列車の中で最も明瞭でわかりやすい放送だった。
 もっともJR東日本の列車なので、車掌さんが東北の人とは限らないが、JRグループが車内放送の全国コンクールをしたらトップクラスではないかと思うほどであった。
 列車で旅をすると車窓や駅弁や楽しむことは多いが、車内放送に感動した旅はこの時が初めてであった。

 40年程前に福島・宮城を旅したことがある。その時は東北訛りなり東北弁をよく聞いたという印象が残っている。その場面の一部は旅の思い出として残っている。
 この夏、ウォーキングで青森に行ったり、山形に行ったりした旅では東北訛りなり東北弁にはあまり出会わなかった印象がある。それは、耳にとっては安心の旅であったが、そこそこの土地ならではの言葉に出会わなかった寂しさを感じる旅でもあった。


(7月29日青森県の太平洋沿いをウォーキング)


(9月5日山形県の日本海沿いをウォーキング)