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「筑豊で山頭火」に会う【JR九州香春駅 鉄卓のフォト・ウォーク2019-6】

2019-05-01 | JR九州ウォーキング
2019年4月28日(日)

今日は、日田彦山線(愛称:ひたひこ)香春(かわら)駅へ。


(今日のマップ)


(今日のマップ)

博多駅で乗換え、福北ゆたか線で新飯塚駅へ。そこで後藤寺線に乗換え、田川後藤寺駅へ。そして日田彦山線に乗換え、田川糸田、一本松と停車し、香春駅に10時34分に到着。

日田彦山線の添田~夜明間は、平成29年の豪雨で被害を受け、いまだ不通で、復旧の目途はたっていない。鉄道での復旧をめざす地元自治体と、バスでの復旧をめざすJR九州とで意見がまとまらず今後の方針が立っていない。


(田川後藤寺駅で乗換え)


(香春駅)


(駅舎内)


(公園で)


(香春岳)

歩道橋を渡って、金辺川沿いの「山頭火遊歩道」を歩く。


(金辺川)

種田山頭火は、自由律俳句の俳人。自由律俳句は、17文字という定型にとらわれないで自由によむもの。
明治15年、山口県防府市に生まれる。
大正5年、熊本に移り住む。熊本市下通り、昔の人が知っているのは大洋デパート、今の人たちが知っているのはCOCOSAの場所で古書、絵葉書、額縁などを扱った「雅楽多」を開業。
大正15年から、雲水姿で西日本を中心に、行乞をし、酒を飲み、句を作り、旅する、を繰り返す。
昭和15年、愛媛県松山市の「一草庵」で生涯を閉じている。

代表的な句には、「分け入っても分け入って青い山」、「うしろすがたのしぐれてゆくか」などがある。

「山頭火遊歩道」は、昭和5年11月に香春町を訪れたときの句を中心に碑が建てられている。
この時の行程は、9月に熊本を発ち、八代→日奈久→佐敷→人吉→宮崎県えびの→都城→宮崎市→飫肥→油津→志布志→都城→宮崎市→延岡→大分県佐伯→竹田→由布院→森→中津→山口県下関→北九州八幡→直方→糸田→【香春】→後藤寺→篠栗→福岡→二日市→羽犬塚→大牟田→荒尾と旅し、12月熊本に帰っている。

香春の隣り田川には医師で俳人の木村緑平氏がいて、物心両面の援助をしていた。昭和5年2月、昭和7年5月にも訪れている。遊歩道には、その時の句もある。


(山頭火遊歩道)


(「香春晴れざまへと鳥がとぶ」)


(「みすぼらしい影をおもふに木の葉ふる」)


(「香春をまともに乞ひ歩く」)


(「香春見上げては虱とってゐる」)


(山頭火遊歩道)


(「香春へ日が出る雀の子みんな東に向く」)


(「鳴きかはしては寄りそふ家鴨」)


(「ふりへえれば香春があった」)


(「枯木かこんで津波蕗の花」)


(「あるけばきんぽうげ すわればこんぽうげ」)

山頭火は、旅で温泉に浸かるのを楽しんだ。上記した旅の始まりには日奈久温泉を訪れ、温泉を称賛した。八代市日奈久町では、山頭火が訪れた9月に『九月は日奈久で山頭火』のイベントが毎年開催されている。

イベントの一つとして「山頭火ウォーク」もある。毎年、参加したいと思うが、まだ、実現していない。
今年こそ。

5月の連休が終わった、最初の金曜、土曜、日曜の3日間、八代市では「九州国際スリーデーマーチ」が開催される。今年は5月10日(金)、11日(土)、12日(日)の3日間。全国から、外国から多くのウォーカーが参加される。

日奈久温泉街を歩くコースも設定されている。温泉街ではいたるところに山頭火の句が掲げられている。

ゴールした後、肥薩おれんじ鉄道で日奈久温泉へ行き、句を味わい、温泉を味わい、ビールを飲めば最高ですね。

山頭火遊歩道を後にして、金辺川上流にある「第二金辺川橋梁」へと歩く。橋脚の高さから通称「六十尺鉄橋」とも呼ばれている。


(せとおおはしから第二金辺川橋梁)


(駅長さんも見てよと第二金辺川橋梁)


(第二金辺川橋梁を走るひたひこの列車)


(第二金辺川橋梁のすぐそばにある橋梁)

列車を見送って歩く。山を眺め。道沿いの花を撮りながら歩く。


(山を眺め)


(道沿いで)


(道沿いで)

「阿蘇」という地名や神社があると、その昔、熊本(肥後)となんらかの縁があった地ではないか、と勝手に想像する。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(金辺川)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

道沿いの花を撮りながら歩いて着いたのは「清祀(せいし)殿」。間歩より運ばれた銅の鉱石を製錬し、宇佐神宮の放生会に奉納する御神境を鋳造した場所と推察されている。

清祀殿の紋は、熊本市東部にある健軍神社と同じではないかな?健軍神社は阿蘇四神社の一つ。


(清祀殿)

数分歩いて、「神間歩(かみまぶ)」へ。


(神間歩への案内)

間歩は坑道のことで、横穴を掘って銅鉱石を採掘していた。
神間歩は、神事も行った場所と推察されたている。神間歩の周辺にも間歩が数か所ある。


(神間歩)

神間歩のある周囲は公園にもなっている。


(神間歩公園で)


(神間歩公園で)


(神間歩公園で)


(神間歩公園で)


(神間歩公園で)

神間歩を後にして、古宮八幡神社へ。神幸祭は準備中。14時ぐらいが一番いいらしい。次回は遅い時間にこよう。


(お祭りの準備中)

下りは怖いな、と思いながら古宮八幡神社の急な階段を上る。


(古宮八幡神社の階段)

古宮八幡神社の畧縁起には「永禄四年七月(1561)大友義鎮日向肥後豊後の軍勢3万余騎を率い香春岳城主原田五郎義種と交ゆるとき社殿宝庫を喪失」したことが記されている。

熊本(肥後)との縁も感じながら今日のコースを歩いてきた。


(古宮八幡神社)

階段ではなく坂の方を下ったらゴールの採銅所駅に出る。


(採銅所駅)


(採銅所駅)

今日は、ビールは無い。阪本農園の「かぼちゃプリン」で今日のウォーキングを終える。


(かぼちゃプリン)

《「山頭火」参考本》
大山澄太著『俳人山頭火の生涯』彌生書房、平成4年10版
井上知重著『山頭火意外伝』熊本日日新聞社、平成29年第1刷


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