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9月7日(月)
寝るのも早かったけど、民宿の2日間で癖がついて早く目が覚めた。
小雨の中、朝の露天風呂に浸かる。
遊佐のウォーキングが終わって、その日に羽田から飛行機で熊本に帰るのは無理なようだったので山形市付近で宿泊するところをネットで調べたら「男気一人旅☆平日限定1泊2食付」というプランの宿があったので、利用した。もちろん「女子の一人旅」のプランもある。当日宿の案内等を見ていたら、皇族や多くの著名人が利用してきた宿のようだ。竹久夢二の作品を集めた「夢二ギャラリー」もあったので朝食後に鑑賞した。
さて、山形県4日目。
テレビの天気予報は山形県南部置賜地方の雨の確立午前50%、午後60%である。傘をさしての一日になるのを覚悟しホテルをチェックアウトしたら、雨が止んだ。
ホテルの直ぐ横にある上山城へ行った。城の中は歴史資料館になっているようだが休館日であった。このあたりの歴史は知らないのでお城についても分からない。
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(上山城)
お城横の公園には斎藤茂吉の歌碑があった。上山市は斎藤茂吉の出生地である。昨日は山形駅から列車でかみのやま温泉駅へ来たが、一つ手前の駅は斎藤茂吉記念館前駅だった。
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(斎藤茂吉歌碑)
10分程歩いて駅へ。傘をささずに歩けたのはありがたかった。
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(上山城)
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(米沢駅)
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(斎藤茂吉記念館前駅が隣駅)
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(米沢行普通列車)
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(山の斜面のハウスは何だろう)
9時47分米沢行普通列車は遅れて入ってきた。米沢駅に着いて観光案内所で博物館や上杉神社へ行く方法を聞いたら、バスが直ぐに出るということで慌ててバス停へ向かった。スーツケースをコインロッカーに入れる時間もなく、バスの運転手に確認し乗った。15分ほどで上杉神社前バス停に着いた。雨は降っていない。
先ずは、米沢市上杉博物館へ。中にコインロッカーがあった。100円入れて後からそのお金は戻ってくるロッカーだった。
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(米沢市上杉博物館)
博物館には上杉家に伝わる品々が展示してある。織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝えられる「上杉本洛中洛外図屏風」を大型スクリーンに映し出し解説する映像があった。上杉鷹山の展示コーナーでは鷹山の功績や人となりが紹介されている。上杉鷹山シアターでは3面マルチスクリーンで鷹山の物語が上映されている。鷹山を演じているのは鉄ちゃん西村和彦だった。
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(上杉鷹山)
上杉鷹山を有名にしたのは、1961年に第35代アメリカ合衆国大統領に就任したケネディである。日本人記者の「尊敬する日本人政治家は」との質問に「上杉鷹山」と答えたと言われています。上杉鷹山を欧米の人に最初の紹介したものとして明治27年(1894年)に出版された内村鑑三の英文著書がある。日本語訳「代表的日本人」(岩波文庫他)として出版されている。西郷隆盛(新日本の建設者)、上杉鷹山(封建領主)、二宮尊徳(農民聖人)、中江藤樹(村落教師)、日蓮上人(仏教僧侶)の5人が紹介されている。
上杉鷹山は米沢藩第9代藩主上杉治憲で、隠居後に鷹山と号した。日向高鍋藩の次男として生まれたが米沢藩に養子として迎えられ17歳で藩主となる。
当時、藩の財政は厳しく、大倹約令を発令し、江戸藩邸での藩主の生活費をおよそ7分の2とし、日常の食事は一汁一菜、普段着は木綿、奥女中も50人から9人に減らした。食事や普段着は生涯にわたり実行したといわれる。倹約だけでは限界があることから、武士の庭のはじめ空いている地に漆・桑・楮の木を植え、産業の発展を図った。武士の婦子女には機織りを習得させ、絹織物を産業として発展させ今日も米沢織として発展している。公娼制度の廃止にも取り組んだ。
鷹山はこれらの改革を領民の生活の向上を一番の目的として推進した。鷹山は35歳で家督を譲ったが、その時に、領民は藩主のためにいるのではない。藩主は領民を私物化してはいけない。など三ケ条を後継者に言い渡している。1785年、明治維新80年程前のことである。それは「伝国の辞」として伝えられている。
上杉家第四代藩主上杉綱憲は吉良上野介の実子である。上杉家に残る文書では、討ち入りの日、吉良邸の警備は厳しいものではなかった、という興味深い展示もあった。綱憲の治世も財政悪化の一因となったともいわれている。
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(鉄砲の体験コーナー)
博物館の後は、上杉謙信が祭られている上杉神社にお参りし、上杉謙信、上杉景勝、直江兼続などが所用した鎧などが展示してある上杉神社稽照殿(けいしょうでん)へ。戦国時代、闘いの真ん中にいた武将たちが戦場で使っていたものだけに迫ってくるものがある。
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(上杉謙信像)
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(上杉鷹山像)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(稽照殿)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(米沢市上杉博物館)
上杉神社の境内を出るところに堀がある。鯉が泳いでいたが、鷹山は武士に鯉を育てさせ産業とした。土産物店などがあるところにはウコギソフトがあった。ウコギも鷹山が食用に推奨し垣根として植えられた。現在でも新芽を天ぷらやおひたしとして食べられている。根や茎は滋養強壮になる。
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(お堀の鯉と鳩)
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(土産物店近くの母子像)
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(ウコギソフト)
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雨にはあわないまま、バスで駅へ。乗客は私一人だった。経営大丈夫かなといらぬ心配をする。
14時38分発山形新幹線つばさで東京駅へ。遅い昼食になったが、山形駅で買った駅弁を食べる。東京駅着16時48分。羽田へ向かい帰熊。
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(米沢駅)
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(山形新幹線)
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(駅弁)
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(駅弁)
今回の旅は鳥海ツーデーマーチに参加することが目的であったが、行は羽田から京急で品川駅へ。品川でJR山手線に乗り換え。東京駅から上越新幹線で新潟駅へ。新潟から白新線、羽越本線を特急で酒田駅へ。酒田から羽越本線普通列車で吹浦駅へ。2泊。帰りは、遊佐駅から羽越本線普通列車で酒田駅へ。酒田から陸羽西線快速で新庄駅へ。新庄から山形新幹線で山形駅へ。山形駅から奥羽本線でかみのやま温泉駅へ。1泊。かみのやま温泉から奥羽本線普通で米沢駅へ。米沢から山形新幹線で東京駅へ。山手線で浜松町駅。浜松町からモノレールで羽田へと移動。東京からの上越新幹線と帰りの米沢からの山形新幹線車内で駅弁も食べ、鉄ちゃんの楽しい旅でもあった。
9月7日(月)
寝るのも早かったけど、民宿の2日間で癖がついて早く目が覚めた。
小雨の中、朝の露天風呂に浸かる。
遊佐のウォーキングが終わって、その日に羽田から飛行機で熊本に帰るのは無理なようだったので山形市付近で宿泊するところをネットで調べたら「男気一人旅☆平日限定1泊2食付」というプランの宿があったので、利用した。もちろん「女子の一人旅」のプランもある。当日宿の案内等を見ていたら、皇族や多くの著名人が利用してきた宿のようだ。竹久夢二の作品を集めた「夢二ギャラリー」もあったので朝食後に鑑賞した。
さて、山形県4日目。
テレビの天気予報は山形県南部置賜地方の雨の確立午前50%、午後60%である。傘をさしての一日になるのを覚悟しホテルをチェックアウトしたら、雨が止んだ。
ホテルの直ぐ横にある上山城へ行った。城の中は歴史資料館になっているようだが休館日であった。このあたりの歴史は知らないのでお城についても分からない。
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(上山城)
お城横の公園には斎藤茂吉の歌碑があった。上山市は斎藤茂吉の出生地である。昨日は山形駅から列車でかみのやま温泉駅へ来たが、一つ手前の駅は斎藤茂吉記念館前駅だった。
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(斎藤茂吉歌碑)
10分程歩いて駅へ。傘をささずに歩けたのはありがたかった。
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(上山城)
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(米沢駅)
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(斎藤茂吉記念館前駅が隣駅)
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(米沢行普通列車)
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(山の斜面のハウスは何だろう)
9時47分米沢行普通列車は遅れて入ってきた。米沢駅に着いて観光案内所で博物館や上杉神社へ行く方法を聞いたら、バスが直ぐに出るということで慌ててバス停へ向かった。スーツケースをコインロッカーに入れる時間もなく、バスの運転手に確認し乗った。15分ほどで上杉神社前バス停に着いた。雨は降っていない。
先ずは、米沢市上杉博物館へ。中にコインロッカーがあった。100円入れて後からそのお金は戻ってくるロッカーだった。
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(米沢市上杉博物館)
博物館には上杉家に伝わる品々が展示してある。織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝えられる「上杉本洛中洛外図屏風」を大型スクリーンに映し出し解説する映像があった。上杉鷹山の展示コーナーでは鷹山の功績や人となりが紹介されている。上杉鷹山シアターでは3面マルチスクリーンで鷹山の物語が上映されている。鷹山を演じているのは鉄ちゃん西村和彦だった。
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(上杉鷹山)
上杉鷹山を有名にしたのは、1961年に第35代アメリカ合衆国大統領に就任したケネディである。日本人記者の「尊敬する日本人政治家は」との質問に「上杉鷹山」と答えたと言われています。上杉鷹山を欧米の人に最初の紹介したものとして明治27年(1894年)に出版された内村鑑三の英文著書がある。日本語訳「代表的日本人」(岩波文庫他)として出版されている。西郷隆盛(新日本の建設者)、上杉鷹山(封建領主)、二宮尊徳(農民聖人)、中江藤樹(村落教師)、日蓮上人(仏教僧侶)の5人が紹介されている。
上杉鷹山は米沢藩第9代藩主上杉治憲で、隠居後に鷹山と号した。日向高鍋藩の次男として生まれたが米沢藩に養子として迎えられ17歳で藩主となる。
当時、藩の財政は厳しく、大倹約令を発令し、江戸藩邸での藩主の生活費をおよそ7分の2とし、日常の食事は一汁一菜、普段着は木綿、奥女中も50人から9人に減らした。食事や普段着は生涯にわたり実行したといわれる。倹約だけでは限界があることから、武士の庭のはじめ空いている地に漆・桑・楮の木を植え、産業の発展を図った。武士の婦子女には機織りを習得させ、絹織物を産業として発展させ今日も米沢織として発展している。公娼制度の廃止にも取り組んだ。
鷹山はこれらの改革を領民の生活の向上を一番の目的として推進した。鷹山は35歳で家督を譲ったが、その時に、領民は藩主のためにいるのではない。藩主は領民を私物化してはいけない。など三ケ条を後継者に言い渡している。1785年、明治維新80年程前のことである。それは「伝国の辞」として伝えられている。
上杉家第四代藩主上杉綱憲は吉良上野介の実子である。上杉家に残る文書では、討ち入りの日、吉良邸の警備は厳しいものではなかった、という興味深い展示もあった。綱憲の治世も財政悪化の一因となったともいわれている。
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(鉄砲の体験コーナー)
博物館の後は、上杉謙信が祭られている上杉神社にお参りし、上杉謙信、上杉景勝、直江兼続などが所用した鎧などが展示してある上杉神社稽照殿(けいしょうでん)へ。戦国時代、闘いの真ん中にいた武将たちが戦場で使っていたものだけに迫ってくるものがある。
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(上杉謙信像)
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(上杉鷹山像)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(稽照殿)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(上杉神社)
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(米沢市上杉博物館)
上杉神社の境内を出るところに堀がある。鯉が泳いでいたが、鷹山は武士に鯉を育てさせ産業とした。土産物店などがあるところにはウコギソフトがあった。ウコギも鷹山が食用に推奨し垣根として植えられた。現在でも新芽を天ぷらやおひたしとして食べられている。根や茎は滋養強壮になる。
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(お堀の鯉と鳩)
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(土産物店近くの母子像)
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(ウコギソフト)
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雨にはあわないまま、バスで駅へ。乗客は私一人だった。経営大丈夫かなといらぬ心配をする。
14時38分発山形新幹線つばさで東京駅へ。遅い昼食になったが、山形駅で買った駅弁を食べる。東京駅着16時48分。羽田へ向かい帰熊。
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(米沢駅)
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(山形新幹線)
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(駅弁)
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(駅弁)
今回の旅は鳥海ツーデーマーチに参加することが目的であったが、行は羽田から京急で品川駅へ。品川でJR山手線に乗り換え。東京駅から上越新幹線で新潟駅へ。新潟から白新線、羽越本線を特急で酒田駅へ。酒田から羽越本線普通列車で吹浦駅へ。2泊。帰りは、遊佐駅から羽越本線普通列車で酒田駅へ。酒田から陸羽西線快速で新庄駅へ。新庄から山形新幹線で山形駅へ。山形駅から奥羽本線でかみのやま温泉駅へ。1泊。かみのやま温泉から奥羽本線普通で米沢駅へ。米沢から山形新幹線で東京駅へ。山手線で浜松町駅。浜松町からモノレールで羽田へと移動。東京からの上越新幹線と帰りの米沢からの山形新幹線車内で駅弁も食べ、鉄ちゃんの楽しい旅でもあった。
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