2016年11月23日(水)
(今日のマップ)
JR九州ウォーキング八代駅コースに参加。
三里木駅から熊本駅乗換えて1時間5分で八代駅に着く。
八代の11月23日は「妙見祭」の日。祭りは人出が多いので二の足を踏む。それで祭りの日に八代に降りたのは初めて。
ホームでは日本製紙工場に壁に書かれた「妙見祭り」の巨大な絵がいつも出迎える。
(日本製紙工場)
妙見祭の「妙見宮祭礼神幸行列」は「長崎諏訪神社おくんち」、「福岡筥崎宮放生会」とともに九州三大祭りといわれ、23日は、獅子、奴、甲冑武者、神輿、笠鉾、亀蛇、飾馬など、長さ約1Kmの行列になる。塩屋八幡宮から本町通り、八代駅前、八代神社(妙見宮)、砥崎の河原、中宮跡まで場所場所で演舞をしながら行列は行く。
2011(平成23)年、重要無形民俗文化財に指定され、今年、博多祇園山笠、戸畑祇園大山笠、唐津くんちの曳山、日田祇園の曳山など全国の「山・鉾・屋台行事」33件とともにユネスコ無形文化遺産登録をめざしている。
ウォーキングの受けつけのある駅前は多くの人出でに賑わっている。飾馬の馬追いがあっていて、しばらく見学。迫力に圧倒される。馬追いの前後には付き人の人たちが飴などを観客席に投げ入れる。私は捕れなかった。
(飾馬:頭に飾り物をつけている)
(飾馬の馬追い)
(飾馬の馬追い)
(飾馬の馬追い)
駅前を後にして、水無川親水公園内を歩き、御霊神社に寄り、妙見宮参道へ。「妙見宮」は明治初めまでの名で、1871(明治4)年、社名は「八代神社」となっている。しかし、今でも妙見宮あるいは妙見さんの名で親しまれている。「妙見祭」も私の耳や目には「妙見さんのおまつり」が馴染んでいる。
(肥薩おれんじ鉄道八代駅)
(水無川)
(水無川親水公園)
(御霊神社)
参道には出店が立ち並び、人出も多い。人をかきわけ、かきわけ進む感じで歩く。妙見宮横の宮地小学校グランドには、笠鉾、亀蛇、木馬籠が展示されている。
(球磨川のあゆも売っていた)
(笠鉾:中央の柱一本で各部材を支えている。)
(笠鉾:旧城下の町から9基の山車が出される。)
(木馬:神と木でできた作り物の中に子供が入って歩く。)
亀蛇(きだ)は「ガメ」の愛称で親しまれている。亀と蛇が合体した想像上の動物で、妙見神が亀蛇に乗って海を渡ってきたという伝説を元にして作られている。妙見祭の人気者だ。亀蛇のストラップを買ったら、売り手の人たちが「シャンシャンシャン」と手拍子をしてくれる。
(亀蛇)
(亀蛇のストラップを買った。)
(手拍子をしてもらえる)
妙見宮は並んでいる人が大勢なので、砥崎の河原へと向かう。河原の階段は、すでに場所取りも終わっていて、人もいっぱい。一番前はたくさんのカメラマンが陣取っている。しばらくは立って演武を待っていたが、獅子と花奴の最初だけ見て次へと進んだ。ここまで何も食べてなかったのでお腹が空いて、疲れてもきた。もう少し我慢していれば亀蛇や馬追いも見れたのだが・・・。
(妙見宮は人でいっぱい)
(妙見宮に入る飾馬)
(砥崎の河原)
(獅子の演舞:獅子舞は八代の商人桜屋勘七が長崎で観た獅子舞に感銘を受けて始めたといわれている。)
(獅子の演舞)
(奴の演舞:殿様のお供で江戸へ行った家来が覚えてきたのが始まりといわれている。)
水無川沿いを妙見中宮跡まで歩く。川沿いは「水無川ホタルの里親水公園」になっていて澄んだ水が流れている。
(水無川)
(水無川)
(中宮跡)
折り返して、「懐良親王墓公園」に寄る。懐良(かねなが・かねよし)親王は後醍醐天皇の皇子。醍醐天皇の南朝と、足利尊氏の北朝の二つに分かれた南北朝時代に、南朝の征西大将軍に任じられ九州に入った。その後、征西大将軍後継の良成親王とともに菊池や八代に征西府を置き北朝と戦う。熊本の北部を治めていた菊池氏、南部を治めていた名和氏は征西大将軍を助け南朝側で戦った。懐良親王は筑後の矢部で亡くなったと伝えられているが、宮内庁よりここが墓所と指定されている。
(懐良親王墓公園)
後醍醐天皇より地頭職に任ぜられ八代を治めていた名和氏が築いたのが山城「古麓城」で、三代の八代城の最初の城になる。二つ目は小西行長が築いた「麦島城」、三つ目は加藤忠広の時代に家臣・加藤正方が築いて、今も城郭が残っている「松江城」になる。
古麓城は妙見宮の近くにあり一帯は門前町と城下町で賑わった。麦島城と松江城は当時の海岸沿いに建てられた。江戸時代になり一国一城令が出た後も、肥後細川藩の八代城(松江城)は取り壊されず、細川家家老の松井家が代々城代を務めた。
妙見宮の横を通り、薩摩街道を歩いて「東片自然公園」へ。777段の石段を上れば八代が一望できるはずだが、上るのは諦めた。14時ごろだがまだお昼を食べていない。石段の下にいた中学生位の男の子に「何回上った。」と聞いたら「2回。」という答えだった。まだ上りそうだった。
(道沿いで)
(道沿いのお宮)
(道沿いで)
(道沿いで)
(みかん畑)
(東片自然公園)
(777段の階段の上り口)
後は、ゴール新八代駅へ向かうのみ。駅近くの「八代よかとこ物産館」に寄って、生姜菓子を買う。ゴールではスタンプ3個押してもらう。
(八代よかとこ物産館で)
(八代よかとこ物産館横にある「松中信彦スポーツミュジアム」)
(新八代駅)
(新八代駅)
先ほど買った生姜菓子を駅に着いて食べた。少しだけ生姜の味がするお菓子と思ったら違った。生姜の苦手な人は食べられないが、生姜好きははまる味だ。少しだけお腹を満たし今日の2つのウォーキングを終える。
(今日のマップ)
JR九州ウォーキング八代駅コースに参加。
三里木駅から熊本駅乗換えて1時間5分で八代駅に着く。
八代の11月23日は「妙見祭」の日。祭りは人出が多いので二の足を踏む。それで祭りの日に八代に降りたのは初めて。
ホームでは日本製紙工場に壁に書かれた「妙見祭り」の巨大な絵がいつも出迎える。
(日本製紙工場)
妙見祭の「妙見宮祭礼神幸行列」は「長崎諏訪神社おくんち」、「福岡筥崎宮放生会」とともに九州三大祭りといわれ、23日は、獅子、奴、甲冑武者、神輿、笠鉾、亀蛇、飾馬など、長さ約1Kmの行列になる。塩屋八幡宮から本町通り、八代駅前、八代神社(妙見宮)、砥崎の河原、中宮跡まで場所場所で演舞をしながら行列は行く。
2011(平成23)年、重要無形民俗文化財に指定され、今年、博多祇園山笠、戸畑祇園大山笠、唐津くんちの曳山、日田祇園の曳山など全国の「山・鉾・屋台行事」33件とともにユネスコ無形文化遺産登録をめざしている。
ウォーキングの受けつけのある駅前は多くの人出でに賑わっている。飾馬の馬追いがあっていて、しばらく見学。迫力に圧倒される。馬追いの前後には付き人の人たちが飴などを観客席に投げ入れる。私は捕れなかった。
(飾馬:頭に飾り物をつけている)
(飾馬の馬追い)
(飾馬の馬追い)
(飾馬の馬追い)
駅前を後にして、水無川親水公園内を歩き、御霊神社に寄り、妙見宮参道へ。「妙見宮」は明治初めまでの名で、1871(明治4)年、社名は「八代神社」となっている。しかし、今でも妙見宮あるいは妙見さんの名で親しまれている。「妙見祭」も私の耳や目には「妙見さんのおまつり」が馴染んでいる。
(肥薩おれんじ鉄道八代駅)
(水無川)
(水無川親水公園)
(御霊神社)
参道には出店が立ち並び、人出も多い。人をかきわけ、かきわけ進む感じで歩く。妙見宮横の宮地小学校グランドには、笠鉾、亀蛇、木馬籠が展示されている。
(球磨川のあゆも売っていた)
(笠鉾:中央の柱一本で各部材を支えている。)
(笠鉾:旧城下の町から9基の山車が出される。)
(木馬:神と木でできた作り物の中に子供が入って歩く。)
亀蛇(きだ)は「ガメ」の愛称で親しまれている。亀と蛇が合体した想像上の動物で、妙見神が亀蛇に乗って海を渡ってきたという伝説を元にして作られている。妙見祭の人気者だ。亀蛇のストラップを買ったら、売り手の人たちが「シャンシャンシャン」と手拍子をしてくれる。
(亀蛇)
(亀蛇のストラップを買った。)
(手拍子をしてもらえる)
妙見宮は並んでいる人が大勢なので、砥崎の河原へと向かう。河原の階段は、すでに場所取りも終わっていて、人もいっぱい。一番前はたくさんのカメラマンが陣取っている。しばらくは立って演武を待っていたが、獅子と花奴の最初だけ見て次へと進んだ。ここまで何も食べてなかったのでお腹が空いて、疲れてもきた。もう少し我慢していれば亀蛇や馬追いも見れたのだが・・・。
(妙見宮は人でいっぱい)
(妙見宮に入る飾馬)
(砥崎の河原)
(獅子の演舞:獅子舞は八代の商人桜屋勘七が長崎で観た獅子舞に感銘を受けて始めたといわれている。)
(獅子の演舞)
(奴の演舞:殿様のお供で江戸へ行った家来が覚えてきたのが始まりといわれている。)
水無川沿いを妙見中宮跡まで歩く。川沿いは「水無川ホタルの里親水公園」になっていて澄んだ水が流れている。
(水無川)
(水無川)
(中宮跡)
折り返して、「懐良親王墓公園」に寄る。懐良(かねなが・かねよし)親王は後醍醐天皇の皇子。醍醐天皇の南朝と、足利尊氏の北朝の二つに分かれた南北朝時代に、南朝の征西大将軍に任じられ九州に入った。その後、征西大将軍後継の良成親王とともに菊池や八代に征西府を置き北朝と戦う。熊本の北部を治めていた菊池氏、南部を治めていた名和氏は征西大将軍を助け南朝側で戦った。懐良親王は筑後の矢部で亡くなったと伝えられているが、宮内庁よりここが墓所と指定されている。
(懐良親王墓公園)
後醍醐天皇より地頭職に任ぜられ八代を治めていた名和氏が築いたのが山城「古麓城」で、三代の八代城の最初の城になる。二つ目は小西行長が築いた「麦島城」、三つ目は加藤忠広の時代に家臣・加藤正方が築いて、今も城郭が残っている「松江城」になる。
古麓城は妙見宮の近くにあり一帯は門前町と城下町で賑わった。麦島城と松江城は当時の海岸沿いに建てられた。江戸時代になり一国一城令が出た後も、肥後細川藩の八代城(松江城)は取り壊されず、細川家家老の松井家が代々城代を務めた。
妙見宮の横を通り、薩摩街道を歩いて「東片自然公園」へ。777段の石段を上れば八代が一望できるはずだが、上るのは諦めた。14時ごろだがまだお昼を食べていない。石段の下にいた中学生位の男の子に「何回上った。」と聞いたら「2回。」という答えだった。まだ上りそうだった。
(道沿いで)
(道沿いのお宮)
(道沿いで)
(道沿いで)
(みかん畑)
(東片自然公園)
(777段の階段の上り口)
後は、ゴール新八代駅へ向かうのみ。駅近くの「八代よかとこ物産館」に寄って、生姜菓子を買う。ゴールではスタンプ3個押してもらう。
(八代よかとこ物産館で)
(八代よかとこ物産館横にある「松中信彦スポーツミュジアム」)
(新八代駅)
(新八代駅)
先ほど買った生姜菓子を駅に着いて食べた。少しだけ生姜の味がするお菓子と思ったら違った。生姜の苦手な人は食べられないが、生姜好きははまる味だ。少しだけお腹を満たし今日の2つのウォーキングを終える。
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