◯「四季の新潟」
昭和30年代中頃、M男が、北陸の山村の親元を離れ、地方都市の学生寮に入寮し、生まれて初めて外で集団生活を始めた頃の話である。
3月8日の「学生寮の記憶・その2」の中の「◯寮歌の練習」で、「歌詞をもらったようなもらわなかったような・・・」と書き込んでいたが、その後、その気になって、押入れのダンボール箱に詰まっている、ガラクタ、雑物を漁ったところ、寮歌や当時の愛唱歌等の歌詞を手書きした小型のノートのような、手帳のようなものが見つかった。多分、歌集等の印刷物等はもらえず、何かから書き写したものなのだろう。すでに紙は劣化しており、うっかり触るとボロボロ破れ落ちてしまいそうな代物だが、なんとか読める。その中には、「四季の新潟」も有る。
「昨日の夕食、何食べた」も思い出せなくなっている後期高齢者であるが、なんと、「四季の新潟」、1番から4番までソラで歌える程に覚えているから不思議なことだと思う。
念のため、今更になってネットで調べてみると、3番の最後の1節、「旅まわり」と書かれている部分が、正しくは、「岳(たけ)まわり」であることが分かり、もしかしたら、間違って教えられ、ずっと「旅まわり」が正しいと思い込んでいたようだ。
当時から詳しく知っていた分けではないが、実は、「四季の新潟」は、元々の寮歌ではなく、1934年(昭和9年)に、作詞 西條八十、作詞 中山晋平で作られた、新潟情緒たっぷりの、いわばご当地ソングで、花柳界で歌われたり踊られていた歌だったのだ。では、何故、そんな歌が、学生寮で、寮歌の番外として歌い継がれてきたのかについては、旧制高校のバンカラ時代、芸者遊び等をするような剛気な学生も大勢いたはずで、その歌を寮に持ち帰り、コンパ等で歌っている内、定番になってしまったものと推定されている。
「四季の新潟」
作詞 西條八十、作曲 中山晋平
1、春はうらうら日和山(ひよりやま)
雪の弥彦も霞に溶けて
枝垂れ(しだれ)青柳 (あおやぎ)風吹きゃなーびく
あだな西堀東堀(にしぼりひがしぼり)
2、夏はすずかぜ天の川
うちわ片手に万代橋(ばんだいばし)を
おけさ踊りについ夜も更ーけて
別れ涙の寺泊(てらどまり)
3、秋は稲穂(いなほ)の信濃川
早も帰るか港のつばめ
便りまちまち今年も暮―れりゃ
やるせないぞえ旅まわり岳(たけ)まわり
5、冬は雁木(がんぎ)に積もる雪
口説(くぜつ)半ば(なかば)に窓の戸開けりゃ
佐渡は寝たかよもう灯(ひ)は見―えぬ
夜の出船に鳴く千鳥
島村武男の「四季の新潟」 (YouTubeから共有)
1934年(昭和9年)に発売されたSPレコード盤のB面に収録された「四季の新潟」だが、ほとんど一般庶民には歌われず、「幻の名曲」?とも言われているようだ。
小林幸子の「四季の新潟」 (YouTubeから共有)
2005年(平成17年)には、地元新潟出身の歌手小林幸子も、カヴァーしている。
新潟古町芸妓・日本舞踊 「四季の新潟」 (YouTubeから共有)
(つづく)