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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「中学生日記より」その26(再)

2021年04月22日 18時52分25秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のこと。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると すっかり喪失してしまっていた記憶が 断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。(コピペ文、再読無用)


その26 「田植え休み、結(ゆい)」

昭和31年6月4日(月)、天気 晴、

田植(え)休み
1、田植え
  昼前(午前中) 川原
  昼後(午後) じょんでん(十二田)、山田、苗代附近、
  人足 12人、家 3人、正、
2、明日、昨明日(明後日)、オケヤ、
3、休み(田植え休み) 1週間、

M男の通っていた北陸の山村の1学年1クラスの小さな中学校では、当時、毎年、田植えのピーク時期に1週間、「田植え休み」と称して休校にしていた。生徒のほとんどが農家の子供であり、中学生ともなると、一人前の働き手に数えられていた時代、農業は 家族全員で営むのが当たり前の時代だったのだ。
さらに、「結(ゆい」という慣習がまだ残っていて、親戚や親しい間柄の家同士が、交互に人足として 手伝い合っていた時代でもあった。あらかじめ、田植えの順番の打ち合わせがされ、持ち回りで行っていたが、この日は、M男の家の田植えだったようだ。
人足 12人・・と書いてある。手伝いにきてくれた人の人数が12人ということだ。家、3人とは、父母とM男のことだと思う。午前中は 「川原の田んぼ」と呼んでいた堤防に接していた田んぼの田植え、午後は 「じょんでんの田んぼ、山田」等と呼んでいた棚田の田植えをしたようだ。
明日、明後日は オケヤ・・・と書いてある。オケヤとは M男の父親の実家(本家)の屋号で大農家、田植えも2日間掛かったようだ。
総勢15~16人ともなると、休憩時の接待(飲み物、お茶菓子類等の準備)や、昼食(味噌汁、おかず、おにぎり等の準備)に、裏方も大変で、M男の家では祖母が担っていたような気がする。苗の植え付けは手作業、腰を折って、辛い作業だったが、その大部分は 「女衆(おんなしゅう)」がしていて、お互いに大きな声でおしゃべりしながら、陽気で、和気藹々、賑やかな田植え風景だったことが思い出される。M男は 主に苗の束を運んでは 投げ入れる役割をしながら、女衆に混じって、誂われながら、並んで植え付けもしたが、辛抱強く、手慣れた女衆にはとうてい叶わなかった気がする。 

昭和30年代頃の田植え風景
(ネットから拝借画像)

休憩時やお昼時、リヤカーで食べ物や飲み物を運ぶ風景
相互フォロワー登録している「気ままぶらぶら」たなのぶ様のパソコン画
ご本人のご了解を得て拝借している。

田植えの歌 (YouTubeから共有)

 

 

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夏日に歩いて

2021年04月22日 16時52分34秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は 最高気温25℃以上の「夏日」だった。
少し動くと汗ばむ陽気だったが、やや風が強く、湿度は20%台と爽やか、
そろそろ、暑さにも順応しないと・・・、
午後になってから やおら重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
上着を脱ぎ、中には半袖の姿もチラホラ、
毎度のこと、コンデジでカシャ、カシャ撮りながら
頑張って、スマホの歩数計で 約12,000歩。

川辺でのんびりの半袖シャツのオジサン、

君の名は?

???

君の名は?

君の名は?

ムラサキツメクサ(紫詰草)

オオツルボ(大蔓穂)・シラー・ペルビアナ?

ルリタテハ(瑠璃立羽)
先日、相互フォロワー登録しているmimoza様から教えてもらったばかりの蝶、
「しっかり、覚えて チョーヨ!」と ばかり、
目と鼻の先のコンクリート塀に止まっており、カシャ!

オマケ