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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ケーン!、ケン! 

2021年04月12日 16時45分47秒 | 散歩・ウオーキング

今日も 近くの河川敷から 
ケーン!、ケン!・・・、
キジのオスの甲高い鳴き声が 
風に乗って、聞こえてくる。
やや冷たい風が強く吹き、
ポカポカ陽気とは言い難いが 
散歩・ウオーキングにはもってこいの日。
午後になってから ちょこっと歩いてきた。
今日のお目当ては キジとの遭遇、
いきなり、20m以上先の遊歩道に、二つの影、
もしや ツガイ?、
慌ててコンデジと老眼鏡を取り出すも ピント合わせられず、ブレブレ、
10枚以上、シャッター押したものの、 
なんとか見れるのは1枚だけ、(あとは 削除)
メスを見たのも ツガイで見たのも初めてのこと、
こちらの気配に気付き、藪の中に入って行ってしまった。
残念・・、

メスが羽ばたいている瞬間、ピンボケ

毎度 人目に付く場所に出て来てくれる分けはなく、
今日は 3ケ所で キジを見かけられ、ラッキーだった。


「中学生日記より」その23(再)

2021年04月12日 11時51分30秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のこと。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると すっかり喪失してしまっていた記憶が 断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。(コピペ文、再読無用)


その23 「十二指腸虫虫下し(駆虫)」

昭和30年7月30日、土曜日、天気 晴、
起床 5時30分

1限目 英語、✕ 学期末 大そうじ(掃除)
2限目 数学、✕
3限目 特活、✕ 終業式
4限目 特活、✕ 通知表をもらって帰る

1、十二指腸虫の虫下し(を飲んだ)、
  1、玉のつぶ(粒) 三つぶ(粒)→ 2、一つぶ(粒)、3、下し薬(駆虫薬
2、通知表は六年よりずっと上がった。(あまい点らしい)
帰家(帰宅) 12時30分、

1学期の最終日の日。授業は無く、大掃除をしたと書いてある。男子は まだ木製だった窓ガラス戸のガラス拭きをやらされていたような気がする。M男の通ったO中学校では、当時、農繁期に「田植え休み」や「稲刈り休み」等も有ったことから、その分、夏休みは短かったのだろう、この年は、7月31日から8月25日だったようだ。
学期の最終日には 必ず、全校生徒(とは言っても 1学年1クラス、小学校中学校併設校、小学生中学生合わせて300人程度だったが)が 講堂と呼んでいた体育館で終業式が行われ、校長の一言や、休み中の注意等を聞かされたような気がする。
終業式の後、各教室に戻り、通知表を受け取って、12時30分には、家に帰り着いたようだ。

1、「十二指腸虫の虫下しを飲んだ」と書いてある。当時 それがどういう意味だったか等詳しく分かっていたのかどうか記憶曖昧だが、十二指腸虫回虫等の寄生虫を退治するために、定期的に虫下し薬(駆虫薬)を服用した記憶は有る。そして実際に、何回か、白いミミズのような寄生虫を排出し、なんとも気持ち悪い思いをしたことも有った。
第二次世界大戦直後、昭和20年代、30年代の農村では まだ現在のような化学肥料等の普及が進んでおらず、堆肥や人糞等を有機肥料として畑に撒いていたが、普段の暮らしも不潔、不衛生だったこともあり、寄生虫の卵等が付いた野菜等を食していたことから、体内(腸内)に寄生虫がわく寄生虫問題が課題の時代だったようだ。
寄生虫卵検査を「検便」と言っていたことも思い出した。確か、マッチ箱の空き箱に便を採って学校へ持っていった記憶が有る。そのこと自体も、不潔、不衛生だったが それも当たり前の時代、皆、栄養不足と寄生虫で痩せこけていて、肥満児問題等 全く考えられない時代だったと思う。
2、通知表、ずっと上がったようで 単純に喜んでいる。