たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

夏目漱石著 「三四郎」

2020年01月01日 09時37分30秒 | 読書記

書棚、押入れ、天袋等に 読まれずに何十年も眠っていた文学全集、単行本、文庫本、辞書類、雑誌類等 古い本類は ここ数年で かなり整理処分してきたが、なかには 「勿体ない」「改めて読んでみたい」等という気が働いてしまい 処分し切れず の本が いまだに結構 残っている。
戦後間もない頃、貧しい家で育ち、本等おいそれと買ってもらえず 「本は大切な物」という観念が身についてしまっている人間、大胆な断捨離を心掛けている一方で 特に「本」となると、決断が鈍ってしまうのである。

夏目漱石の一連の作品の文庫本10数冊も その類である。そのほとんどは 自分で買い求めた記憶は無く もしかしたら 本好きだった義母から妻が譲り受けたものかも知れないし 息子達が学生の頃買って 置いていったものかも知れないが どの作品も読んでみたい気にはなってしまうのだ。
「じゃ、いつ読むの?」・・・・これが問題。
なかなか 重い腰が上がらない、手が伸びない。

昨年12月の中頃 気合を入れ やおら1冊、読み始めたのは 「三四郎」(新潮文庫)、
短編時代小説なら 一気に読めるものが多いが やはり手強い。
記憶力減退爺さん、読んでも読んでもすぐ忘れてしまうため、読み掛けのページから さっと読み続けること出来ず 何ページか遡ってはまた読む直す・・の繰り返し。
やっと、やっと 読み終えた。

夏目漱石著 「三四郎」

「解説」によると 「三四郎」は 明治41年に朝日新聞に連載された小説で 次作「それから」「門」に続く三部作の序曲をなす作品。主人公は 九州出身の純朴な青年小川三四郎
熊本の高等学校を卒業した23歳の三四郎は 故郷の福岡を後にして 東京帝国大学一部文科入学のため、単身 上京するところから物語が始まる。
見るもの聞くもの全てが目新しい世界の中で 三四郎は驚き、それまで体験したことが無い孤独を感じ始める。
理科大学の野々宮宗八先生を尋ねた帰りに 赤門の奥の池の端でしゃがみ込んでいた時 丘の上に立っていた女性里見美禰子を見かけるところから 三四郎の魂がふわつき出す。
出会った里見美禰子は 自由気儘な都会的な女性であったが、三四郎は 強く彼女に惹かれてゆくのだった。
学問、友情、恋愛への不安や戸惑い、そして失恋に至る過程、青春時代の一時期、誰でも経験する心の葛藤、複雑な思い、
時代は明治、田舎と東京、男と女、当時の世相等も織り交ぜて 孤独な青年 三四郎を通して 漱石ならではの世界が描かれているように思う。

主な登場人物

小川三四郎、
佐々木与次郎、
里見美禰子
野々宮宗八
野々宮よし子
広田萇
原口
三四郎の母親
三輪田のお光

純朴は田舎者の青年三四郎が 世慣れた佐々木与次郎と出会い、翻弄され、里見美禰子に心を惑わされ、結局 片思いで終わる そんな物語とも言える。

本書の最後の文節
・・・・、与次郎だけが 三四郎の傍に来た。
「どうだ森の女は」、「森の女という題が悪い」「じゃ、何とすれば好いんだ」、三四郎は 何とも答えなかった。ただ口の中で 迷羊(ストレイシープ)、迷羊(ストレイシープ)と繰り返した。

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因みに 現在の東京大学キャンパスに有る「三四郎池」は 元々 江戸時代 加賀藩上屋敷の庭園の一部の池だったが 夏目漱石の小説「三四郎」の影響で 「三四郎池」と呼ばれるようになり、東京のど真ん中にありながら 今でも 池周辺は静かなたたずまいを保っているという。

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次作「それから」も 続けて読んでみたい気もするが 一息入れて、しばらくしてからにしようと思う。


恙なく暮らせることを願いつつ

2020年01月01日 00時00分56秒 | 暮らしの記録

いきているよろこびをかみしめながら
これまでつけてきたあしあとと
これからあゆむあしあとを
きまぐれにかきとめていきたいと
おもいます。

きおくりょくげんたいじいさんの
ろうのうにかわるきおくほじょつーる、
じぶんのためのびぼうざっきろくのたぐいと
きめこんでいるブログですが
ブログがかきこめなくなったらおしまいと
つぶやきながら
あまたのみなさんのはげましをいただき
ことしもなんとかつづけていきたいと
おもっています。

どうぞよろしくおねがいしまチュー。

2020年(令和2年)元旦



 

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