たけじいの気まぐれブログ

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下谷七福神めぐり

2020年01月03日 18時57分09秒 | 街歩記(小さな旅)

十数年前からのことであるが、毎年 正月三が日の内の1日は 近隣各地の七福神巡りをすることにしている。
当然初詣を兼ねてはいるが、主目的は 年末年始に鈍った身体に活を入れるべきウオーキング
今年は どこを巡ろうか、直前まで迷っていたが、今回同行することになった 夫婦共通の友人Mさんとも相談し、
「下谷七福神(したやしちふくじん)」と決め 今日巡ってきた。
東京都台東区に有る 一社六寺に祀られている七福神を巡るもので 比較的新しく昭和50年頃から始まったものだという。

JR山手線鶯谷駅からスタート。

先ず 訪れたのは 鶯谷駅北口を出て直ぐ(徒歩2分)の 元三島神社
いただいた案内書、

元三島神社
元三島神社には 寿老神が祀られている。延命長寿の神

元三島神社で 御朱印を押してもらうための色紙をゲット(300円)、
(注)絵柄付きの色紙は 500円、

元三島神社入り口

拝殿、二拝二拍手一拝

寿老神像は 拝殿内部に有り 撮影出来ず、
元三島神社は 弘安の役の折、河野通有が四国の大山衹神社に必勝を祈願し、
武功を上げ帰陣したところ 神のお告げを得て 
大山祇神社を武蔵国上野山中に建立したもとが始まりと伝えられているという。

元三島神社から言問通りに出て 浅草方面へ徒歩10分程で 入谷鬼子母神に到着する。

入谷鬼子母神
入谷鬼子母神には 福禄寿が祀られている。人望福徳の神。

いつのころからか 「恐れ入谷の鬼子母神」という言葉を覚えているが 
その縁起までは知らなかった。
「ある大名の奥女中が腰に腫物が出来、医者にも見放されてしまったが 
入谷鬼子母神に 二十一日間、毎日願をかけたところ、
満願
の日の帰り道、橋で躓いて欄干のえぼしに腰を打ち付けてしまった。
すると 腫物の口が破れて膿が出て すぐ全治してしまった。
これを 江戸時代中期の狂歌師 太田蜀山人が聞き付け
 その御利益に恐れ入ったことを 「恐れ入谷の鬼子母神」と言ったことが流行り、
今日まで使われている」

ということのようだ。

福禄寿は中国の道士で その姿は短身、長頭、多髪、三徳具備の相が有る。

江戸時代より朝顔作りが盛んなな地域で 毎年7月6日~8日、
鬼子母神を中心に朝顔市が開催されることでも知られている。

言問通りを渡って 入谷谷口通りを少し進み 狭い路地に入ると 英信寺に着く。

英信寺
英信寺には 三面大黒天が祀られている。有福蓄財の神。

 弘法大師の作と伝えられている三面大黒天

 

英信寺から 徒歩で3分程で 法昌寺に着く。

法昌寺
法昌寺には 毘沙門天が祀られている。勇気授福の神。

 

日蓮聖人が 現世安穏を祈願して開眼したと言われている毘沙門天のお堂、

コメディアンたこ八郎改めたこ地蔵が合掌している。

法昌寺から路地を東に進み昭和通りに出て 三ノ輪方面へ徒歩15分程で 弁天院に着く。

弁天院
弁天院には 朝日弁財天が祀られている。芸道富有の神

 備中松山城主水谷伊勢守勝隆が 
寛永初年、不忍池に弁財天を建立すると同時に
下屋敷であった水の谷の邸内の池にも弁財天を祀り、
朝日弁財天と称したことが始まりという。
今も境内に小さな池弁天池が残っている。

弁天院から路地を東へ進み、国際通りを渡ると直ぐ 飛不動尊に着く。

飛不動尊
飛不動尊には 恵比寿天が祀られている。敬愛富財の神

 

飛不動尊から静かな街の路地を北へ徒歩約10分で 寿永寺に着く。

寿永寺
寿永寺には 布袋尊が祀られている。清廉度量の神

寿永寺で 最後の御朱印を押していただき 下谷七福神めぐりが終わった。

比較的狭いエリア内に有る一社六寺のため
巡って歩く距離は 3km程度、
のんびり歩いても 所要時間は 1時間から1時間30分程度。
ウオーキングとしては やや物足りなく 引き続き 
おばあちゃんの原宿?巣鴨の地蔵通りを歩いてみることになり、
明治通りを渡り、都電荒川線の三ノ輪橋駅に向かった。

都電荒川線 三ノ輪橋駅

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下谷(したや)とは 東京都台東区のおよそ西半分の地域。
旧東京市下谷区の範囲を指している。
上野や湯島等の高台や忍ケ岡の谷間の下に有り、
江戸時代以前から下谷村という地名が有ったことから 由来している。
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(つづく)

 

 

 

 

 

 

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