最近読んだ本。
好井裕明「差別言論」平凡社新書。
副題は「<わたし>の中の権力とつきあう」。
変に小難しくなく、とてもわかりやすい本。
「差別」とか「人権」ってどこか他人事で
お勉強の対象になりがちだけど、
本当は自分が差別しうる立場であることを
誰もが認識しなくてはならない。
そういうことがさらっと書いてある。
自分が何年も前に見たテレビ番組で
障害者が奮闘しているVTRを流した後、
有名アナウンサーが「僕たちでも大変なのにね」と
コメントしたことに強い違和感を感じたことがある。
この「僕たち」って誰なのか。
アナウンサーは無意識に、自分とレポーターまたは視聴者を
同じ健常者(非障害者)としてくくり、
障害者を「僕たち」ではない人としてくくったのである。
人情派で知られるアナウンサーでさえこういうことがある。
それはただちに差別とは言えないかもしれない。
しかし、無意識にカテゴライズするところから差別は生まれるのだ。
差別についてさらに言えば、
自分が差別しうる立場であることを認識する必要があるのと同時に、
差別されうる立場でもあるということを認識しなくてはならない。
しかしこの認識を持つのは非常に難しい。
普通は避けたがるものだからだ。
人は自分と他人をカテゴライズして安心させようとする。
そのカテゴリーに何の意味があるかを問わず盲信している。
昨年、縁あっていろいろ人権研修をやったが、
上記の認識を受講者にいかに持ってもらうかが大事だと思った。
また研修をやる機会があれば、その観点で工夫したい。
好井裕明「差別言論」平凡社新書。
副題は「<わたし>の中の権力とつきあう」。
変に小難しくなく、とてもわかりやすい本。
「差別」とか「人権」ってどこか他人事で
お勉強の対象になりがちだけど、
本当は自分が差別しうる立場であることを
誰もが認識しなくてはならない。
そういうことがさらっと書いてある。
自分が何年も前に見たテレビ番組で
障害者が奮闘しているVTRを流した後、
有名アナウンサーが「僕たちでも大変なのにね」と
コメントしたことに強い違和感を感じたことがある。
この「僕たち」って誰なのか。
アナウンサーは無意識に、自分とレポーターまたは視聴者を
同じ健常者(非障害者)としてくくり、
障害者を「僕たち」ではない人としてくくったのである。
人情派で知られるアナウンサーでさえこういうことがある。
それはただちに差別とは言えないかもしれない。
しかし、無意識にカテゴライズするところから差別は生まれるのだ。
差別についてさらに言えば、
自分が差別しうる立場であることを認識する必要があるのと同時に、
差別されうる立場でもあるということを認識しなくてはならない。
しかしこの認識を持つのは非常に難しい。
普通は避けたがるものだからだ。
人は自分と他人をカテゴライズして安心させようとする。
そのカテゴリーに何の意味があるかを問わず盲信している。
昨年、縁あっていろいろ人権研修をやったが、
上記の認識を受講者にいかに持ってもらうかが大事だと思った。
また研修をやる機会があれば、その観点で工夫したい。