自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
哲学・ビジネス・雑記・洒落物など等

ワルキューレ

2009-03-22 13:52:09 | 映画

ネタばれ!!

トム・クルーズは貴族出身の大佐の役。彼が暗殺の首謀者にして実行者。

ヒトラーが愛したというワグナーの曲名がタイトル。

電話を受けたり、かけるシーンでThank youを使っていたが、ここはドイツ語で

言わないと違和感があった(細かい部分)。

制圧に成功しなかった原因は、計画の甘さと言えばそれまでだが、反逆者側か現体制側かどちらにつくか多くの幹部が判断を迫られる情勢の場面で、ゲッベルスが予備隊の隊長に逮捕されそうになるところ、ゲッベルスはうまくかわす。これ以上の方法はない方法で。まさにここが分岐点になってしまった。

ただ、この作戦で、ヒトラーは爆殺された。大佐は自身でも確認している。建物自体が吹き飛ぶのを。しかも、この爆殺シーン以後、ヒトラーは、姿を見せず、字幕で、拳銃自殺を遂げたことになっている。

この作戦以後、ゲッベルスが、ラジオ放送などで、声を変えて自分(ヒトラー)は無事だと発信していた、というように受け止めることができる。

ナチスの中にもこういう人間たちがいたんだというのは知っておくべきことだ。


東野圭吾『百夜行』

2009-03-19 23:26:40 | 小説

約800ページの大作。幼少期の少年と少女。少女は、変態の大人に買われていた。しかし、その変態は、少年のおやじだった。この物語のすべてはこの不幸から始まっている。その変態が誰かに殺された。この犯人が誰だったのか。未解決のまま少年と少女は成長していくが、このときのことが原因か、彼らと親しくなった人々が皆不幸になっていくのだ。


最終回答をいきなりつくる発想

2009-03-12 23:31:48 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

今日言われたこと。

予算・売上が決まっている中、どうしたらできるだけ短い時間でできるだろうか、と常に考えていた。

①宣言する(ルールを作る=規則集のようなもの)

②いきなり最終回答を作り上げるつもりでやる。

③間違いがあったら、ルールのほうを変える。

こう考えてやらないと堂々巡りでなかなか上達しない。

でもほとんどの人は堂々巡りをしている。

これは全然違う。


マザーテレサ

2009-03-12 23:19:26 | 映画

貧しい人のために自分のできることをしよう。

「大きなことをできる人はたくさんいますが、小さなことをしようとする人はごくわずかしかいません」

眼の前で苦しんでいる人のために。

ただその思いが原動力だった。ただその思いが人々を動かした。ただその思いが苦しさをも乗り越えた。


東野圭吾『手紙』

2009-03-09 22:45:20 | 小説

人間は、きれいで、耳に聞こえがよいような善き世界しか「想像」しない、なんてことはない。

むしろ、他人に対して自分の都合のいいように発揮する「想像」力たるや絶大、といってもいいだろう。

欲望、犯罪、陰険、世間の眼、他人、引っ張り合い、傲慢、無知、憎しみ、矛盾。

愛、純粋、気遣い、組織の力、応援、支え、無知の知、希望、夢、矛盾。

すべて想像世界のものだったなら。

Mr.Children 「Imagin」を聴きながら。


スカイ・クロラ

2009-03-04 22:33:36 | 映画

ゲット。amazonで購入したので、安かった。

記録はじめてから映画129本目。小学生のころから映画を観まくっているので、

二千本はいっているだろうな。

同じ会社の飛行機が落ちて、遺体を搬送しているときに、おばあちゃん(そのパイロットと親族の間だったかは不明)が、「かわいそうに・・・」と泣いているのを草薙氏が聞いて。

「かわいそうなんかじゃない。同情なんかで、あいつを侮辱するなっ!!」


麻生首相誕生と民主主義の未熟

2009-03-01 00:58:39 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

麻生は、すでに『職業としての政治』家=衆議院議員となってから20年以上経過している。

彼はその20年以上の月日の間に、何回選挙を行い、その都度、国会議員(衆議院議員)に、どんな目的(定性的)と目標(定量的)を掲げ、なりえたのだろう。

衆議院議員一期4年として二期8年やって、その掲げた目的と目標を達成できなかったのならば、自己認識で気が付き、「自分には才能がない、これ以上国民から税金を給与としてもらいまた会議などをして税金を費やすのは迷惑をかけるな」と、やめるべきではなかったか。

そして、もし達成したのなら、もう役目を終えたのだから、成果を引き下げて、身内の一企業に帰すべきだったはずだ(といっても親から譲り受けた相当でかい規模の企業のようだが)。

また、この間に何故、あたかも税金や国家権力をもった個人のライフワークのごとく、彼に二桁年も『職業としての政治』を許してきたのか。

これも明白なことで、有権者がおり、その中の彼に一票を投じた投票者がいるからである。さらにこれは明白なことではないが、その中には土建屋がいたり、彼の親族の関連する企業で働く社員がいたりしたかも知れない。

かくして、こうして、20年以上も職業として、いやいや、ライフワークとして、税金で生活し、権力をふるい、我々の未来を形成する・方向づける人間が生まれているのである。

このことは、衆議院議員・参議院議員(こちらは一期6年)合わせて700人以上いる内、9年以上議員を行っている議員(背後で後押しした投票者全員にも一責任、投票に行かなかった者全員にも責任がある)が何人・何割いるか正確な数字は知らないが全員にいえることである。

伊藤真著『伊藤真の憲法入門』、同著者『伊藤真の図解憲法のしくみがよくわかる本』を読みながら、こんなことも考えてみた。

裁判員制度を導入する前に、中学校で、岩波のモンテスキュー『法の精神』を教科書として配って輪読を義務化するべきではないか。それに新聞で、裁判後記者会見のお願いをするよりも、報道会社は裁判員制度から考える視点で、『法の精神』の解説連載をするべきではないか(読む人少ないのかな)。

~するべきのオンパレードだ。