(講談社文庫)
森博嗣氏の作品は『スカイ・クロラ』(中公文庫)が最初に読んだ作品だった。
人間の内部の動きが巧みに詩的にそして鋭く描写されていて興味深く味わうことができた。まだこの戦闘機パイロットの話はシリーズで続いている。
四季というタイトルに惹かれて最初に『四季 春』を手にとったのだが、上記作品と似ていて非常に飽きない作品だった。
そして二作目の『四季 夏』である。
引用p25
「外部とは何ですか?」
「外部ですか・・・・・、いや、外部は、つまり、外側のことで、建築外、周囲の社会、そして自然のことだと思いますが」
「そういった概念を人が感じるとき、それは電波やケーブルを伝わってくる信号と実体は同じものです。では、外部はアンテナやケーブルの中にありますか?それでしたら、通信ケーブルという窓が開いていれば十分では?」
「しかし、今の社会は、今の人間は、まだそこまでは・・・・」
「そう、そこまでは洗練されていません。形式的には、あと数十年かかるでしょう。しかし、それがあるべき姿だということです。人の躰は、外側で周囲と接していますが、人は、頭脳によって外部を認識しています。これはすなわち、頭脳の中に、社会や自然というすべての概念が取り込まれていることに等しいのです。そうなれば、結局、その人間の外部は脳の中にこそ存在するのではありませんか? それが外側なのでは?」
p26
「ああ、そういえば、胃袋の中というのも、トポロジィ的には人間の外側だ」
p193
「ありがとう、正しいことはいつか 理解されるわ」
p244
「自分の生活に影響が及ばない範囲の心配をするのは、いったいどういうわけだろうか。自分が立ち去ったあとのストーリィを想像して、怒ったり悲しんだりする傾向も、一般的には多く観察される。それなのに、まったくすべてを想像して、怒ったり、悲しんだりはしない。実在することは確かなのに、その実在の一部にふれないかぎり、発想さえしようとしない。
こういった傾向は、しかし、精神の安定性には寄与している。おそらくは、楽観的な遺伝子が自然淘汰の中で生き残ったためだろう。」
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このように物語の中だとはいえ、非常に鋭い人間・そのあつまりである社会に対する洞察をちりばめています。脳と感情の関係は直結しているのでしょうか。こういったことを計算することは現実問題として可能なのでしょうか。だとしたら脳と脳の直接的コミュニケーションができたら誤解という概念が意味喪失してしまいます。そうすると、矛盾も無くなり、すると人間の発展、社会の発展(技術は除き、内面が発展してきたかと言うと疑問ですが)は無くなってしまう、とまってしまうような気がします。
さらに、そうなると過去の情報を整理してしまえば、好きなときにどこからでも完成された表現をリストから抜け出すだけでいいという状態になります。そうすると検索エンジンにかけて、コピ&ペーストして、コミュニケーションが完全成立する世の中にもなってしまう。既にその兆候は携帯をメインとした小型PCの普及によって見受けられます。
確かに脳の中にたまったテキストを呼び出し、文章化して伝達するのとたいした違いは無いのですが。それに気づかなかっただけかも知れません。難しいですね。
この辺は人間の身体内部の神経系統(ビルゲイツ『思考スピードの経営』に詳しく書かれています)をモデルにPCやネットワークを構築してきたことこそが大罪のような気もします。意味ない議論ですが。
いろいろ考えることができて興味深い作品です。