自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
哲学・ビジネス・雑記・洒落物など等

スティ-ブン・コヴィ『7つの習慣』

2007-05-28 21:25:58 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

(キングベアー出版)

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正直、世に出ている人生において成功するためにという目的で書かれた本の内容は、

本書で言っていることと同じだろう。続編みたいなものも出ているようだけど、この本に書かれていることを常に意識し、行動し、パターン化・習慣化できれば、いいだけで、この本を何回も読み直し、どこが出来るようになり、どこが出来ていないかを反省したほうがよい。

ドラッカーもそうだし、ナオポレオン・ヒルもそうだし、マリリン・ポールもそう。結局は「習慣化」、これが成功のキーワードだ。

成功とは、自分で定義し、それを悔いの無いように柔軟に変化させ、TRYし続ける対象だと思う。だから人生の最後になってみないと分からないもの、人生そのもの、生きるとはなんなのかを追求することそのものだと自分では定義している。


島本理生『生まれる森』

2007-05-28 21:08:57 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

Dvc00010 (講談社文庫)

p123

「自分が他人を幸福に出来るなんて発想は、そもそも行き過ぎなのかもしれないよ」

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「幸せにしたいと思うことは、おそらく相手にとっても救いになる。けど幸せにできるはずだと確信するのは、僕は傲慢だと思う」

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難しくなく、淡々と年上の男性に恋をした20前後の女性の心の動きを描写した物語。


森博嗣『四季 冬』

2007-05-26 09:24:02 | 小説

(講談社文庫)

p245

「自分の人生を他人に干渉してもらいたい、それが、愛されたい、という言葉の意味ではありませんか?犀川先生。自分の意志で生まれてくる生命はありません。他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意志ではなく生まれたものの、本能的な欲求ではないでしょうか?」

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「愛の反対は無関心」そういうことを言っていた人が確かにいた。愛するとは、言い換えると干渉するということだったのか。愛というあいまいな言葉を干渉といい替えるとある種の重みが加わったような気がします。


NEVER CRY FOR ME

2007-05-24 23:20:39 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

枯れた野を横切る 風が熱を奪い

遠い足音から 弱さ忍び込む

そっと唇噛み 言葉飲み込んでた

君の瞳がまだ 背中のこっている

NEVER CRY FOR ME 引き返せない

NEVER TURN AROUND もうあの日々には

深き森にしみる 雨の音色に似た

君のささやき声 耳に優しく降る 

肩をよせ まどろむ 夜がただ愛しい

遠い昔にみた 夢を探すように

NEVER CRY FOR ME うまくいえない

NEVER TURN AROUND 胸 刻む思いを

誰と戦うのか 濡れた戦士たち

明日はどこで眠る 錆びた鎧おろし

NEVER CRY FOR ME 引き返せない

NEVER TURN AROUND もうあの日々には

SONG BY 小室哲哉 


五條瑛『ROMES 06』、森博嗣『四季 秋』

2007-05-24 22:17:45 | 小説

Dvc00008 (徳間書店)

元防衛庁の情報分析官という肩書きを持つ著者。この人の作品は確か5作品目。

はずれが全く無い。

目次

プロローグ

ROMES01 監視

ROMES02 探索

ROMES03 追跡

ROMES04 警告

ROMES05 防衛

ROMES06

エピローグ

p392

「何しろ、毎日あんたと顔を突き合わせている連中でさえ、あんたという人間が分かっちゃいないんだからな」

「みんな同じだよ。誰もが腹に一物抱えて生きているが、それを表に出さないだけだ。出すには勇気と犠牲がいるからな」

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さらに

森博嗣『四季 秋』(講談社文庫)を読む。こちらも人間に対する洞察力が非常に鋭い。

とっくに個人レベルでは、もちろん人によりさえするが国境なんて越えているし、なくなっている。思考、思想こそもっとも自由なもの。行動では僅かしかそれを表現できない。アーティストは少しでも思考の多くを表現しようと抽象化した。だが受け取る側に多様性があったためにいろいろな形で受けとらられてしまう。

そう、「理解に必要な最小限の条件とは、理解しようとする意志、そして決意(p189)」であり、またそれがあると感じるならば、誠意を持って対応するべきだ。

まったくそのとおりだ。


五條瑛『J』

2007-05-20 20:48:13 | 小説

(徳間書店)

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名言

「何かを始めるのに

遅すぎることはない。

手をのばせ

世界はそこにある。

君に、家族に、自分に――。」

p181から引用

「流行は甘い毒みたいなものよ。人を蝕みこそすれ、育てはしない。誰もそのことを疑問に思っていないのね」

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東南アジアの生きていくために体を売るような状況の「子供」たちと、日本の精神的に病む「大人」。両方を引き受けてしまったことが組織崩壊の引き金となる。

東南アジア諸国と日本の関係は、途上国と先進国の関係か。理想と現実の両方を考慮しなければならない。桃源郷は、個人で努力の上で見出すものであって、人から与えられてそう思えるものではない。また努力してもそんなものないことに気づくかもしれない。そして今度はプロセスに意味を見出すかもしれない。しかし、プロセスも重要だが、結果も同じように重要だ。


森博嗣『四季 夏』

2007-05-19 10:50:00 | 小説

(講談社文庫)

森博嗣氏の作品は『スカイ・クロラ』(中公文庫)が最初に読んだ作品だった。

人間の内部の動きが巧みに詩的にそして鋭く描写されていて興味深く味わうことができた。まだこの戦闘機パイロットの話はシリーズで続いている。

四季というタイトルに惹かれて最初に『四季 春』を手にとったのだが、上記作品と似ていて非常に飽きない作品だった。

そして二作目の『四季 夏』である。

引用p25

「外部とは何ですか?」

「外部ですか・・・・・、いや、外部は、つまり、外側のことで、建築外、周囲の社会、そして自然のことだと思いますが」

「そういった概念を人が感じるとき、それは電波やケーブルを伝わってくる信号と実体は同じものです。では、外部はアンテナやケーブルの中にありますか?それでしたら、通信ケーブルという窓が開いていれば十分では?」

「しかし、今の社会は、今の人間は、まだそこまでは・・・・」

「そう、そこまでは洗練されていません。形式的には、あと数十年かかるでしょう。しかし、それがあるべき姿だということです。人の躰は、外側で周囲と接していますが、人は、頭脳によって外部を認識しています。これはすなわち、頭脳の中に、社会や自然というすべての概念が取り込まれていることに等しいのです。そうなれば、結局、その人間の外部は脳の中にこそ存在するのではありませんか? それが外側なのでは?」

p26

「ああ、そういえば、胃袋の中というのも、トポロジィ的には人間の外側だ」

p193

「ありがとう、正しいことはいつか 理解されるわ」

p244

「自分の生活に影響が及ばない範囲の心配をするのは、いったいどういうわけだろうか。自分が立ち去ったあとのストーリィを想像して、怒ったり悲しんだりする傾向も、一般的には多く観察される。それなのに、まったくすべてを想像して、怒ったり、悲しんだりはしない。実在することは確かなのに、その実在の一部にふれないかぎり、発想さえしようとしない。

 こういった傾向は、しかし、精神の安定性には寄与している。おそらくは、楽観的な遺伝子が自然淘汰の中で生き残ったためだろう。」

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このように物語の中だとはいえ、非常に鋭い人間・そのあつまりである社会に対する洞察をちりばめています。脳と感情の関係は直結しているのでしょうか。こういったことを計算することは現実問題として可能なのでしょうか。だとしたら脳と脳の直接的コミュニケーションができたら誤解という概念が意味喪失してしまいます。そうすると、矛盾も無くなり、すると人間の発展、社会の発展(技術は除き、内面が発展してきたかと言うと疑問ですが)は無くなってしまう、とまってしまうような気がします。

 さらに、そうなると過去の情報を整理してしまえば、好きなときにどこからでも完成された表現をリストから抜け出すだけでいいという状態になります。そうすると検索エンジンにかけて、コピ&ペーストして、コミュニケーションが完全成立する世の中にもなってしまう。既にその兆候は携帯をメインとした小型PCの普及によって見受けられます。

 確かに脳の中にたまったテキストを呼び出し、文章化して伝達するのとたいした違いは無いのですが。それに気づかなかっただけかも知れません。難しいですね。

 この辺は人間の身体内部の神経系統(ビルゲイツ『思考スピードの経営』に詳しく書かれています)をモデルにPCやネットワークを構築してきたことこそが大罪のような気もします。意味ない議論ですが。

 いろいろ考えることができて興味深い作品です。


森博嗣『四季 春』

2007-05-16 23:55:30 | 小説

(講談社文庫)

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Dvc00038 『四季 春』より

p268-272

「~人はみんな、自分のことを知りたくないんだ

自分のことを。

自分の存在の意味を。

知ることが恐いから。~」

いや少なくとも、俺は自分の事が知りたい。自分の

ことを知ることは他人を知ることの第一歩だと信じているから。

お釈迦様やデカルトは自分をどれくらい理解していたんだろう。

やっぱり人間理解は思考の産物なのだろうか。


浅田次郎『ひとは情熱がなければ生きていけない』

2007-05-14 21:46:57 | 小説以外 

(講談社文庫)

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初めに言ありき

言は神とともにありき

そも言は神なるがゆえ

初めに言ありき

言は人とともにありき

そも言は人なるがゆえ

人間は、言が(言葉が)あるいは何でもいいけど、コミュニケーション手段が

ないと生きていけない。

また、人間は情熱をもっていないと光を、水を満足に吸収できない状況の

花のようになってしまう。

だから情熱という名の火焔で、自らを自らで灯すぐらいの

気で死ぬまで駆け抜ける人生にする。

まだその情熱の対象は霧だから、徐々に水に、そして手につかめるぐらいの

雪玉にしてやります。


相田みつを『いちずに一本道 いちずに一ッ事』

2007-05-07 22:03:58 | 小説以外 

(角川文庫)を読む。

この人の何がすごいか。彼曰く、禅の訓えに従って、競争せずにどうやって生きるかを考え、習字の先生を辞めて(地方の競争が激しかった)、包装紙のデザインをするという仕事を見出し、自分で仕事を取ってきたことだ。これを「具体的に動く」と著者は呼ぶ。

つまり、営業ですね。十件まわって、すべて断られる。

理由は二つ。①無名で保証がない②当時、デザインに金をかけるという意識がなかった。

だそうだ。

それでも真剣にたずね続けていると、こういったやり取りに出遭った。

p159~

「私は、これこれこういうもんですが、お宅の包み紙のデザインの仕事をやらせてもらえませんか?」

と、いいつつ、肩書きなしの名刺を渡す。

「あなたはどんな経歴の方ですか?」

「経歴や肩書きは何もありません。立派な肩書きがあれば、ここまで注文を取りに来ません。ないからきたんです。」

「あなたはどこか、他の店の仕事をやっていますか?」

「いいえ、やっておりませんお宅が初めてです。」

「どうしてうちに来ました?」

「はい、お宅がこの町で一番良いお店のように思いましたので」

「何か、今までにやった見本の仕事はありますか」

「いいえ、ありません、こちらが初めてです」

「ほう、初めてですか?うちで今使っている包み紙はこれですが」

「これよりもいい仕事ができる自信はありますか」

「そんな自信はありません。あるのはうぬぼれだけです、そのうぬぼれもやってみなければ分かりません」

「うん、確かにそうだ。おもしろい、ここは一つ頼んでみるかね」

で、しかも、このあと、手付金として、前金までを受け取ってしまう。

すごい話だが、世の中にはいろいろな人がいるものなんですね。

で、デザインは気に入ってもらえて、30年以上が経つ。すごいですよね。

この話。


上田紀行『日本型システムの終焉』

2007-05-04 08:51:59 | 小説以外 

上田紀行『日本型システムの終焉』(法藏館)を古書店で購入。

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「個としての自信を回復せよ。」p233

本書で著者が言いたいことはこの一行である。

「個としての自信の回復」の中身は2つに分けて説明している。

①自分の意図せざることをどれだけ楽しめるか

目的達成のための効率は下がるが、意図せざることは見落とした風景と出会う可能性をその内に秘めている。

②目的、合理性といったことそのものに罠が潜んでいるということを認識すべき。

p235

「自信とは他者と比べてすぐれているといった相対的な優越感ではないし、誰からほめられるからえらいといった『いい子』の肯定でもない。文字通り、自分を信頼すること。自分に信を置くという自信である。

この本、かなり面白い。スリランカで宗教、医療人類学を研究していた著者だが、社会学の視点で日本に起こっている数々の問題を考察している。

言っていることはもっともである。私自身、人生のすべては最終的には自分の価値観、迷ったときに立脚する自分内部にある軸に依存すると思っているが、それを確立するべきだとの主張だ。出なければ自分を信ずるなんてことは不可能だ。これさえあれば、迷ったときに気持ちが揺らぐことがない、それどころか迷いのほとんどは迷いのうちに入らないことに気づく。

宗教を装った似非宗教、TV番組の捏造、そして政治家の不遠慮な発言、企業の不正、不正会計、保険会社の未払いなどなど。自分の価値観に信念を持っていれば、これらの罪に加担することもない。たとえば発言した政治家へ一票を投じていればそのあなたは知らないでは済まされない加担者だ。不正企業の社員であればそのあなたも世間から見れば加担者だ。そしてTV番組に関しても踊らされているあなたはすでに被害者ではない、加害者だ。

このように現代の社会はクレイジーです。この波荒れる時代を生き抜くにはぶれない価値観が必要でしょう。そのためには、常に常識を疑ってみる、何故そうなるのか?と好奇心を表出させる、ちょっと待てよと一歩引いて考える、癖をつけるだけでだんだん、何が正しくて、何がおかしいか、何が人の道で、何が邪道かダークサイドか?分かってくる。

自分ではそう思って生きています。揺らぐことの無い価値観という軸、幹を自分の中に育てたい。

自分の価値観、信念=死守するもの。したがって、文字通りこれが否定されれば自分の存在意義がなくなってしまう、だから絶対に、死ぬ気で守るもの。

☆ちなみに著者の作品で『宗教クライシス』というのがありますが、きちんと体系立てて「いじめ」というのは人類に農耕社会が形成されたときから存在し、無くなるものではないことをきれいに理論化しています。面白いです。キーワードは移動と定住です。