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中国の経済状況 図

2007-01-22 00:23:44 | 中国について

Photo_1

⇒中国地域別の貿易状況

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⇒中国地域別の直接投資実行額

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         Photo_3    

⇒中国地域別5年間の累積一人当たりGDP


『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』

2006-12-29 23:36:41 | 中国について

高野裕次著

『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~

メインメ・ッセージは、

1.中国の汚職・腐敗、

2.同じく1と関連し、中国の将来に立ちはだかっているのが、大規模な人口とそれゆえの格差、

この二つが中国の発展の足かせとなる、である。

そしてこの二つはもちろんのこと、すべての問題に絡むのが法制度である。

中国はいまだ途上国である。市場の発展に欠かせない、基本的な人権を保障するための権利である所有権、特に物権法の憲法への明記、そして現実においてそれを保守し、運用しなければならない。でないと長期的な発展は困難である。

<本論文の構成>

<各種 表・図タイトル>                                      <1.はじめに>                                            <2.テーマ選択の理由>                                      <3.中国成立から現在までの歴史>                                1.中華人民共和国の成立                                     2.ソ連模倣期 第一次五ヵ年計画                                  3.大躍進                                                 4.文化大革命                                            5.改革開放政策                                             6.天安門事件                                              7.社会主義市場経済へ                                       8.問題は組織の肥大化と人治 ツケを払うのは農民                      <4.中国の経済改革の特徴と現状>                               1.改革の特徴                                             2.漸進的改革ゆえに残る根本問題                               3.指標からみる中国の現状                                   <5.行政幹部の汚職・腐敗 レント・シーキングとクローニー・キャピタリズム現象>                                            

1.レント・シーキングとクローニー・キャピタリズム現象                   2.中国の汚職・腐敗概要                                         3.汚職・腐敗の背景                                            <6.三農問題>                                           1.内陸農村の現状                                         2.三農問題から発生する出稼ぎ労働者                             3.戸籍制度                                              4.戸籍制度の背景                                           5.貧しい内陸                                            <7.中国政府の対応>                                       1.人口抑制政策 独生子(一人っこ)政策                            2.東部と中西部内陸を結合させるための西部大開発                      3.西部大開発の現時点における評価                              4.前提としての法治                                          <8.物権法の確立 ルールの強要 それができるのは政府のみ>             <9.終わりに>                                           <10.参考文献>                               

<各種 表・図タイトル>                            「中華人民共和国地図 東部13 中部6 西部大開発対象12地域」                                    図1「BRICs諸国のGDP推移」                         図2「1950、2000(上位10カ国)、2050年の人口変化」         図3「BRICs各国の実質GDP伸び率と一人当たりGDP」          図4「中国のGDPおよび前年比成長率と一人当たりGDP推移」      図5「中国の全人口、農村部と都市部の人口推移」              図6「地域別人口」                                 図7「地域別GDPと一人当たりGDP」                      図8「社会消費小売総額と物価上昇率 および通貨供給量とその伸び率」図9「中国の投資額推移」                             図10「中国直接投資実行額の推移」                       図11「中国の国家財政推移」                             図12「中国の貿易額推移」                            図13「中国の外貨準備高」                            表1「中国の行政区画」                               表2「経済犯罪の具体例」                             表3「公務員の腐敗・汚職の立件数」                       表4「国際比較による中国農業の特徴」                     図14「中国の財政収入内訳とその推移」                     図15「中国の労働争議件数と参加人数推移」                 図16「都市・農村部門別就業者数」                       図17「中国の貧困人口推移」                          図18「地域別 工業付加価値額と農林水産業生産額」             図19「地域別固定資産投資額推移」                      図20「地域別都市農村の所得格差」                       図21「中国の中央政府財政支出における三農支出項目」              表5「1996~2004年国家予算内基本建設投資の地域分布、」「中国の            各地域GRP成長率」」                               図22「地域別 直接投資実行額」                        図23「5年分(2001年~2005年)の地域別一人当たりGDP合計」     

図24「地域別 貿易額」


『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』①

2006-12-29 23:24:26 | 中国について

高野裕次著

『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』①

<1.はじめに>

 卒業論文を書くに当たり、改めてなぜ「産業政策」をテーマにするゼミに入ったのか、振り返ってみる。私が最初にこのテーマに関して、頭に浮かんだのは、経済活動に影響を与える規制やその緩和、自由化などであった。説明会でゼミの先輩方から、自分たちは97年のアジア金融危機における各国政府の対応について研究した、ということを聞き、最初のイメージとは少し違っていたが、とても興味を持つことができた。

 先生やゼミの皆と政治・経済について話し合いながら学び、開発経済というキーワードを知り、さらにこの分野に強く惹かれた。なぜなら、大学に入り、経済を学びたいと考えた理由と合致していたからだ。それは、大学入学前に専門学校で、ジャーナリズムについて学んでいた時に眼にした、戦争や国内紛争、貧困、そして難民キャンプで生活する人々の写真である。とても強い衝撃を受け、印象に残り、経済について学びたいと思った理由の一つだ。それまで、まったく考えもしなかった現実世界だったために、なぜ同じ世界に住む人間が境遇によってこんなにも違いがあるのか、不思議だったし、許容してよいものとは思えなかった。ゼミで開発経済学について知り、ますますその思いは強くなった。

 開発経済学は、第二次大戦後に植民地だった途上国が独立し、経済発展を求めてどのようにすれば伝統的農業主要経済から工業化を果たし、先を行く先進国のように恵まれた生活を享受できるかを研究する学問だからである。

 開発経済学は、生きた学問であり、それゆえに完成はなく、常に現実の世界経済の展開に興味を持ち、どのように国と国が経済活動によって関係・影響しあっているのか、という視点が求められることを知った。


『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』②

2006-12-29 23:23:46 | 中国について

高野裕次 著

『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』②

<2.テーマ選択の理由>

現在、BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国の頭文字を取った言葉、Sを成長著しい南アフリカを指す場合もある・・・『通商白書2005年版』p.26)という言葉に代表されるように途上国の工業化の新しい発展モデルとして、また企業の投資先として注目され、多くの学者の分析対象となるほど急成長しているのが、この4カ国である(図1「BRICs諸国のGDP推移」、図2「1950、2000(トップ10)2050年の人口推移」、図3「「BRICs諸国のGDP伸び率と一人当たりGDP推移」参照)

4カ国の中でも、特に中国とインドは、歴史上例がないほどの巨大な人口規模とそれを背景にした安価な労働力を武器に、これからの経済成長の可能性において、先進国を含めて考えても他国を凌駕するほどの潜在能力を有している図1「BRICs諸国のGDP推移」、図2「1950、2000(トップ10)2050年の人口推移」、図3「BRICs諸国のGDP伸び率と一人当たりGDP推移」参照)

しかし、その反面、この2つの国は、歴史上最大といえる根深い問題も抱えている。それは、人口規模自体とその規模を有するがゆえの格差である。この2カ国の今後の動向によっては、世界中に動揺を波及させる可能性さえある。それは、通信・情報技術、金融規制の国際協調緩和によってグローバル化が進展し、情報や資金はもちろんのこと、企業や労働さえチャンスを求めて世界中を移動するようになったからである。

中国は、地理的・歴史的な理由において、日本とは特に関係が深い。世界で最も多くの人口を抱え、ゆえに発展を可能にし、急成長している中国だが単純に将来もこの勢いが続くと見るにはあまりに楽観的すぎる。

 日本国内においても中国の政治・経済議論については、脅威論や悲観論、楽観論などまさに百家争鳴であり、定まるところではないが、良かれ悪しかれ現在の中国から眼を離すことができないのは、日本との経済的結びつきからも必然である。

日本経済は長期不況から脱しつつあるが、それには少なからず中国の存在が影響しており、日本経済の今後の成長も中国抜きでは考えられないほど密接な関係となっている。

社会主義国だった旧ソ連や東欧諸国の採ったワシントン・コンセンサス型の急進的体制移行方法であるビッグバン・アプローチは、アメリカの国際経済研究所のジョン・ウィリアムソンらによってまとめられ、アメリカや世界銀行、IMF(Internation-al Monetary Fund=国際通貨基金)の間で共有された自由主義的な政策指針(関志雄『中国経済のジレンマ』p.44)によって行われた。

一方、改革解放以降、四半世紀以上にわたり、高い経済成長を維持している中国は、漸進的アプローチを採用した。しかし、漸進的であるが故に徐々に問題が表面化するため、問題が認識しづらい国なのも確かである。例えば、社会主義体制のまま市場経済を導入したことで、歴史上、例のないほど急成長を遂げている反面、改革解放区を中心とした沿岸地域とその西に広がる広大な内陸地域との経済格差も例のないほど拡大し続けている(図4~7「中国のGDPおよび前年比成長率と一人当たりGDP推移」「中国の全人口、農村部・都市部の人口推移」「中国の地域別人口」、「中国の地域別GDPと地域別一人当たりGDP」参照)

中国の見方は多々あるが、この論文では、特に①法の不備と体制そのものに起因する行政・党幹部の汚職や腐敗、そして②沿岸部と内陸部の格差について考える。これらは、放置しておけば、前者は市場の歪みであるために、やがて成長も鈍化する可能性があり、後者の問題は暴動というかたちで体制そのものを揺さぶる原因となりうる。格差自体は、利潤追求を目的としている市場においては悪いことではない。それは、働けば働くほど稼げる、豊かになれるというインセンティブとして働くからである。しかし、中国の東部都市部の豊かな地域、たとえば上海や北京と西部の貧しい西部地域の四川省や貴州省の経済格差は、同じ一国の経済とは思えないほどである。

中国は、2008年に北京オリンピック、2010年には上海万博という二大国際イベントを控えており、沿岸地域都市部の不動産投資は過剰とさえいえる状況である。しかし、中国は13億人もの人口を抱え、広大な土地を有している。沿岸部も中部も西部も同じ中国である。中部・西部は、アフリカ貧困地域の経済レベルだが、2010年には一人当たりGDPを2005年度比の倍にし、さらに2020年には2000年のGDPを4倍にし、全面的な小康社会(中国全土におけるベーシック・ニーズの充足)を実現すると政府目標として掲げられた。果たして実現可能だろうか。

二大イベントを目前に控えた、今だからこそ、改めて中国の問題を再考してみることは、日本経済、世界経済の今後を考える上でも、途上国の新たな発展モデルとしても意味あることと考えた。

以下、本論文では、まず、中国の人治を示す行政幹部の汚職・腐敗と法治の関係について論じる。次に、三農問題の状況を取り上げ、産業基盤がない故に貧しく、さらに特に地方行政幹部の汚職・腐敗によって重い負担に苦しみ、その貧しさゆえに出稼ぎ労働者として東部都市へ向かうメカニズムについて述べる。そして、この問題も実は法の不整備と無関係ではないこと、さらには逆に足かせとなっている戸籍制度についても考察する。

最後に、政府の対応について述べる。特に、世界で始めて公に実施している人口抑制政策、中国の全面的な小康社会を達成するための西部大開発、そして、汚職・腐敗、格差を是正するための根本的な解決には、物権法の確立が不可欠だということについて、「市場発展と物権法の関係」から述べる。

以上より、タイトルを『中国経済 小康社会の鍵 物権法の確立とバランスの取れた発展』とした。


『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』③

2006-12-29 23:22:37 | 中国について

高野裕次著

『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』③

<3.中華人民共和国成立から現在までの歴史> 

 1.中国の成立

まず、最初に中国がどのような過程を経て、改革・解放政策、WTO加盟、今日へ至ったのかを概観しておく。1949年に中華人民共和国(中国)が成立してから現在に至るまで、まさに激動の時代を乗り越えてきた。

中国共産党の支持基盤は、農村で農業を営む農民である。しかし、共産党はもともとプロレタリアート(都市労働者)を基盤とする政党である。それでは、なぜ中国共産党の支持基盤は農民なのか。以下、その経緯を毛沢東らによる建国から高成長を続ける現在までの歴史過程について説明する。

ロシアに社会主義を打ち立てたレーニンらは第二次大戦後の1919年にコミンテルン(共産主義インターナショナル)を結成し、中国に対して共産党の創立を指導し、1921年に上海で共産党が設立された。このとき、後の建国者となる共産党トップ毛沢東は湖南代表として創立大会に出席し、国共合作下の国民党幹部として活躍していた。

1931年11月には中華ソヴィエト臨時中央政府が樹立、その後、国民党蒋介石軍との内戦で毛沢東らは敗走を重ね、時期にして約一年、距離にして一万キロに上る長征を経験する。10万の兵が国民党との戦いで2万~3万になってしまったころの1935年、遵義会議において毛沢東は党内主導権を確立する。陝西省の延安に根拠地を形成し、解放区をつくり、そして毛沢東思想を確立させた。延安整風運動や農村改変運動である(中嶋嶺雄『中国』)。農村出身者だった毛沢東にとっての革命は、農民の農民による農民のための革命だったのである。すでにこのころには、都市労働者を主体として革命を掲げるソ連・コミンテルンの指導とは一線を画していた。

そして1943年に毛沢東は共産党主席となり、1945年に中国共産党は17年ぶりに党大会を開き、毛沢東体制を固めた。新しい党規約には、「中国共産党はマルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践を統一した思想である毛沢東思想をもって、党のすべての活動の指針とする」と定めている。(毛利和子『ソ連と中国』p.19)

1946年、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が統一国家のあり方をめぐって対立し、再び内戦に突入する。しかし、激しいインフレに生活は圧迫し、大衆は国民党に不満を持つようになる。一方で、共産党は毛沢東のもとで、新民主主義論を唱え、解放区にて「中国土地法大綱」にもとづいて、地主の土地所有を廃止し、農民に耕地をあたえる土地均分化を徹底させた。土地を獲得した農民は、内戦を地主との戦いとみなして、ぞくぞく共産党軍に加わった。人民解放軍と呼ばれた中国共産党軍は、国民党との内戦に勝利し、49年末、中国全土を解放する(蒋介石は台湾に逃れる)(木下康彦ほか編『詳説世界史研究』p.494)。

このように中国共産党の支持基盤は、都市労働者のプロレタリアートではなく、農村部で農業を営む農民である。6100万人の共産党員(98年時点)を構成する割合から見てもこのことは明らかである。さらにいうならば、1989年の天安門事件においても民主化運動を鎮圧し、政府崩壊の危機を防ぐことができたのも、実は農民が運動に加わらなかったからである。

そして同年の1949年、北京の天安門にて中華人民共和国の成立を告げた。

2.ソ連模倣期、第一次五ヵ年計画 

 建国後、経済官僚組織として設立されたのが、中央人民政府政務院財政経済委員会である。混乱していた経済を収拾し、統一していくのがその目的だった。委員会の主任だった陳雲が大きな役割を果たす。

そして、1952年に財政経済委員会に代わって国家計画委員会が誕生する。これは翌年に始まる第一次五ヵ年計画を展開するための官僚組織である。毛沢東および国家の経済政策機関である国家計画委員会は重工業を重点的に進めていく中で、次第に個別・専門そして分業化され、経験不足と専門化不足に気づくことになる。さらに国を統一させるべく中央集権制を採用したために汚職や官僚主義といった弊害も発生した。

一方で、ソ連においては中央集権システムが既に確立していたために「ソ連に学べ」という毛沢東のスローガンが示すように、第一次五ヵ年計画ではその主要な部分で、ソ連を模倣することとなった。そのため、自然とソ連に近い東北部出身者が委員会の多勢を占め、ソ連から多くの専門家を招きいれて支援を受け、社会主義化を進めていく。

3.大躍進

 国家計画委員会による第一次五ヵ年計画は、上意下達方式で中央集権的に行われたために、党や官僚主義の弊害が深刻化していった。毛沢東は、これを問題として認識し、さらに1957年には、ソ連モデル一辺倒だったために、中国の現実との間で歪みが生まれ、管理体制の改革を行う。そして中国独自の社会主義建設のために地方分権と重工業一辺倒から工業・農業の同時発展を目指すことになる。

 しかし、このことが一個人であるはずの毛沢東を中心とした大躍進運動へとつながっていく結果となり、虚偽報告や地方官僚の汚職といった行為を生み出すメカニズムとして機能し、大躍進の被害を拡大させることとなる。大躍進とは、人間の努力を過度に強調し、生産力の飛躍的拡大を目指した運動である。

 この中国独自の社会主義を目指すという目的のもとで、毛沢東は、パリのコミューン(公社)をモデルに、まず集団所有化(生産隊や生産大隊)、そしてそれらを合併する形で人民公社が設立され、同時に戸籍制度が整備される。

毛沢東の独裁的で科学的ではない運動の推進、共産党とそのトップである毛沢東の手足となってしまった官僚組織、さらには現場の状況を自身で把握しようとしない経済官庁は地方の虚偽報告を盲目的に信用し、目標が達成できなかった場合の責任を回避するために地方政府へ方針展開していけばいくほど実際の目標値より高めの設定がなされ、実態と成果としての統計は乖離し、最悪な状況へ突き進む形となった。

追い討ちをかけるように、1959年から3年続きで自然災害に見舞われ、中国が独自路線を歩むことになったことから中ソ関係は悪化し、ソ連人専門家の引き上げが行われ、中国の特に農村は瀕死の状態に陥る。この時期の餓死者は二千万人とも三千万人とも言われている。

 毛沢東という建国の父、カリスマ指導者のもとでは、官僚も無力であり、中国はこのころから人治であり、毛沢東自身が法となってしまったともいえる。

4.文化大革命

 大躍進運動から鄧小平・劉少奇らの指導下における経済調整期を経て、1966年毛沢東は、文化大革命を発動する。本来は、調整期を経て第三次五ヵ年計画が展開されるはずだった。しかし、第二次五ヵ年計画が大躍進運動に代わられたように、今度は三線建設に代わってしまう。三線建設とは、当時の国際環境を考慮して、農業と国防を第一優先に、工業を二番目に優先するという考え方のもとで、沿海地域を一線、中部地域を二線、内陸の後方を三線として、国防上の理由から内陸に重工業の本拠地を移すというものである。さらに64年に核保有国となったことも軍事・国防に力点が移っていく大きな理由である。

 また、社会主義教育運動が進まないのは、党内の鄧小平・劉少奇ら実権派の存在と毛沢東が考えたことも、産業と国家体制が軍事に傾斜していくことになった要因と考えられる。

 文化大革命とは、こうしたことから軍事化と権力闘争と言える。63年には大躍進の影響から調整の結果、経済安定へと進みつつあったが、65年には毛沢東によって鄧小平や劉少奇ら実権派は農村に下放され、一般大衆を巻き込んだ軍事主導と権力闘争は毛沢東が亡くなり、江青ら4人組が逮捕される76年まで続く。

5.改革解放政策

 78年に鄧小平は周恩来の後押しを得て、政治的復活を果たし、学生らによる民主化運動「天安門事件」まで経済的には順調に成長していくことになる。毛沢東という独裁者によって大躍進と文化大革命の経験から、鄧小平は、題目だけの社会主義建設よりも「白猫黒猫論(黄色い猫だろうが黒い猫だろうがねずみを取る猫は良い猫だ)」という国の安定のための経済成長こそ重要だということを、身をもって理解していたからだろう。それは、76年に毛沢東が死去し四人組が逮捕された後、78年には改革解放を提起し、80年には、実際に沿海部の4都市において経済特別区を設置し、改革解放政策をスタートさせたことから伺える。

6.天安門事件

 毛沢東時代のような惨事を二度と起こしてはならないという問題意識のもとで、鄧小平は経済改革と同時に行政改革にも着手するが、このことが天安門事件とつながる結果となる。この時期、フィリピンの民主化革命、それを受けて台湾などアジアにおいて民主化の嵐が吹き荒れ、こうした国際政治動向も中国国内で民主化運動が展開される要因となったと考えられる。

 86年半ば、経済改革をさらに進めるための政治改革、党政分離が鄧小平によって提起されるが、経済改革のための政治改革という考えを超えて、民主化の議論が展開され、中国科学技術大学の副学長が民主化や言論の自由を講演しながら訴えてまわり、それが各地に波及するかたちで民主化要求運動が展開されていった(国分良成『現代中国の政治と官僚制』p.219)第一次天安門事件である。

 当時の党総書記胡耀邦は、こうした学生運動に寛容な態度を示したとして地位を解任され、1989年には、胡耀邦が亡くなったことをきっかけに北京の天安門広場で、学生運動が行われ、第二次天安門事件という暴動へと発展し、後を引き継いだ趙紫陽も裏で学生を支持していたとして事件後に地位を解任される。

 同時期にソ連ではゴルバチョフがペレストロイカとグラススノスチによって民主的な体制へと転換し、ソ連邦は崩壊する。

このような国際状況の中で、鄧小平によって暴動鎮圧には軍が導入された。そして学生らによる民主化運動は失敗に終わった。その主な原因は、共産党の最も大きな支持基盤である農村部が動揺しなかったためといわれている。天安門事件以後、党政分離など政治改革の根本的なことについては、鄧小平も直接発言を控えることになる。

7.社会主義市場経済へ

89年に天安門事件が起こって以来、再び経済は低迷するが、この低迷を打破したのが、趙紫陽に代わって総書記の座に就いた江沢民ではなく、毛沢東に代わって絶対的な指導者の地位を築いた鄧小平である。92年に沿岸部南方の経済特区を視察した鄧小平は、党の指導が原則であることを前提に、社会主義の市場経済を提起し、「南巡講和」という社会主義と市場経済は矛盾するものではない、と大躍進運動後の調整期に語った白猫黒猫論を想起させる、経済成長こそ国力であることを説いて周った。再び、外資による直接投資が急激に増加し、経済成長は軌道に乗り、現在まで続く高度経済成長へとつながっていく。

8.問題は組織の肥大化と人治

以上の歴史的事実からどういったことが分かるだろうか。建国から現在まで動乱を交えながら、地方分権や集権化が国を安定させるために交互に繰り返された。そして、89年の天安門事件後に鄧小平によって行われた「南巡講和」によって何とか現在に至り、その92年から高度成長を続けている。これは、旧ソ連や東欧諸国とは違った体制移行アプローチを模索し、採用した結果といえる。

しかしながら、官僚や党幹部の汚職や腐敗は、まったく改善されていないし、この問題は建国当初から常に存在し続けた問題であり、分権の結果としての地方幹部による農民に対する恣意的費用や「上に政策あれば下に対策あり」という言葉が示すとおり、中央による方針の地方の無視、そして虚偽の報告などは農民を苦しめ続けている。

経済政策が有効に機能するかどうかは、前提条件として、実態状況がきちんと立案者の頭の中で把握され、さらに一定期間において目標管理がなされているどうかに左右される。

従って、ある地方の実態は貧しくてどうしようもないのにその地方の幹部が「持続的に成長しているので問題なし」との報告を中央にし、さらに中央は自身で虚偽報告を行っていないか密かに定期的にチェックしなければ、各種資源を有効に配分することなどは不可能であるし、到底、経済政策などは立てられない。資源は、地方幹部の袖の中に入り、結局は浪費されるだけである。つまり、国を安定的に統治するための策として、経済改革や政治・行政改革は繰り返し行われてきたが、問題は依然として存在するのである。これは、原因が解決されずに残っていることを示している。

物権法を除いて各種の法は、2001年にWTO加盟に加盟とともに整備されつつある。しかし、問題の原因は制度が機能しておらず、運用面の意識が希薄な点にある。それは、建国期から現在まで、法治ではなく人治であったことと強く関連し、その歴史からも明らかである。第一次5ヵ年計画期において、中国はソ連に学んだと記述したが、モスクワ大学には法学部があったが、北京大学には法学部がなかった(中兼和津次『経済発展と体制移行』p.127)ことが、特に法に対する重要性の認識が希薄なことを裏付けている。

この問題が解決されない限り、末端の農村部に住む農民が最も苦しむこととなる。それは同時に、暴動というかたちで再び体制が揺らぐ可能性を現体制が内包していることを示している。


『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』④

2006-12-29 23:21:14 | 中国について

高野裕次著

『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』④

<4.中国の経済改革の特徴>

1.改革の特徴

前述の歴史からも分かるように、中国は大躍進、文化大革命という動乱を経ながらも改革解放以降の四半世紀もの間(天安門事件後は一時的に低迷する)、旧ソ連やポーランドなどの東欧諸国のように経済低迷に陥ることなく、なぜ、経済成長を遂げることができたのだろうか。その理由として漸進的アプローチによって改革に着手したことがあげられる。

筆者が考えるに、経済成長期に入るまでに前章で述べたように逆に多くの混乱を経験していたがために、斬新的アプローチが政府および国民によって受け入れられ(公共選択の結果)、ソ連や東欧諸国の採用したビッグバン・アプローチ(急進的改革アプローチ)とは異なる結果が生まれた。

 また、計画経済における計画範囲の幅が、旧ソ連と中国では大きく異なっていたことも関係しているだろう。旧ソ連の場合の財の計画統制対象は約4万種、うち2000種類が中央により配分され、12000種類が地方で配分された。

 一方、中国では、ソ連模倣の結果生まれた、国家計画委員会が直接管理した財の数は数百種類で、精確に計算された計画物資はわずか数十種類に止まったといわれる(中兼和津次『シリーズ現代中国 経済発展と体制移行』pp.125~126)。 このことは、官僚主義を嫌った毛沢東の存在が大きく影響し、旧ソ連ほど計画経済が深化・制度化していなかったことも大きく影響している。

 中国の採用する漸進的アプローチには、大きく分けて二つの特徴がある。

一つめは、実験的方法である。二つめは、双軌制・二重構造アプローチである。 まず、実験的に特定地域・特定企業といった一部で改革が行われ、それがうまくいった場合には徐々に全国的に普及させていくといったやり方である。そうすることで失敗した時には被害を最小限の範囲で抑えることができる。具体例としては、経済特別区の導入があげられる。まず、1980年に広東省と福建省の4都市をはじめとして、84年には14都市へとその範囲を拡大させていったように、最初は点で、そしてそれが成功すれば沿岸という線へと範囲を広げ、最終的には中国全面へと普及させていくといった方法である。

 2つめの双軌制とは、旧体制を維持しながらも新体制を徐々に拡大させていくやり方である。存量改革と増量改革というように中国の新制度経済学派の間では呼ばれている。つまりストック部分の旧制度の改革が存量、フロー部分の新制度が増量改革という意味である。具体的には、市場経済における制度を非国有企業に適用し、同時に国有企業を改革し、各種生産要素を移行させていくといったやり方である。そのため、価格も2種類存在し、為替レートも93年まで二重に(国有企業とその他の外資など非国有企業に適用するレート)存在した。この方法は、78年までに2度(文化大革命時、天安門事件時)の失脚から復活し、改革・解放政策を導入した鄧小平の考え方によるものである。「先富論」と呼ばれる有名な「富める者から先に裕福になればいい」という言葉も急ぐ必要はないということであり、漸進的アプローチを指している。

 しかし、見方を変えれば、問題を先延ばしにすることによって、ただ混乱にならずに済んでいるだけだ、という見方もある。しかしながら、こうした見方は大規模な人口と広大な土地、そして個々では小規模ながらも多民族を擁する、歴史上にも例がない国情を考慮すれば、批判にはならないのではないかと考える。鄧小平の言葉を借りれば、「探りながら橋を渡る」ことで失敗した時の被害を拡大させずに済む。こうした国を運営するには漸進的アプローチしかないのである。渡ろうとしている、つまり体制を移行しようとしていることは確かである。

2.経済成長を妨げる問題とは何か

中国政府は、政府目的として全国的小康社会(生きていくために必要な衣・食・住には困らないまずまずの社会=全面的なベーシック・ニーズの充足)の実現を掲げ、それを受けて具体的に、2005年度の一人当たりGDPを2010年には倍にし、2020年にはさらに倍(2000年の4倍)にする目標を掲げた(当初は2000年度のGDPを2010年に倍にする目標が立てられたが、2005年までのパフォーマンスが好調だったために2010年には2005年度の「一人当たりGDP」を倍にするとしている)(図4「中国のGDPおよび前年比成長率と一人当たりGDP推移」)

78年に改革・解放政策を開始して以来、2004年まで前年比平均成長率約9%を達成してきたが、「これから先も大丈夫だ」とは到底いえない多くの深刻な問題を抱えている。以下、中国の現状を把握しつつ、漸進的改革と共産党一党支配原則を堅持するがゆえの汚職や腐敗、そして中国の格差問題について考える。

3.指標からみる中国の現状

中国の2005年度のGDPは、18兆2321元(約2兆2257億ドル、1ドル=8.19元)で対前年比では約10%増加した(図4「中国のGDPおよび前年比成長率と一人当たりGDP推移」)。2005年度の一人当たりGDPは1万3985元である。社会消費小売総額は、6兆7176億元、固定資産投資は8兆8604億元、財政総支出は3兆3708億元、貿易額は、約8200億元の黒字となっている。そして外貨準備高は、日本を抜いて世界第一となった(図8~13「社会消費小売総額と物価上昇率 および通貨供給量とその伸び率」、「中国の投資額推移」、「中国直接投資実行額の推移」、「中国の国家財政推移」「中国の貿易額推移」「外貨準備高」)これらのマクロ的な数字だけを見ると、中国が右肩上がりで、成長していることに疑問の余地はない。しかし、汚職や腐敗、格差の存在は、見えてこない。

行政組織は、まず、中央政府、地方政府に分かれ、地方政府は、22省(台湾省を除く)、5自治区、4直轄市、2つの特別行政区から構成されている(さらに下級の行政区は、表1「中国の行政区画」参照)。人口は2005年度の数字で全人口は約13億756万人、農村部で約7億5700万人、都市部では約5億4300万人である(図5「中国の農村部と都市部の人口推移」を参照)

 地域別で見ると、人口は、東部13省・自治区・直轄市で5億5777万人、中部6省で3億6511万人、西部大開発対象地域で3億7127万人である(図6「地域別人口」)。GDPは、東部12兆6129億元、中部3兆7046億元、西部3兆3390億元(図7「地域別GDPと一人当たりGDP」)で明らかに富の地域的偏在を有していることがわかる。これは、鄧小平の「先に豊かになれるものから豊かになれば良い」という「先富論」政策によるものである。理論的には、トリックル・ダウン仮説や「発展初期には経済格差は拡大するが、経済がより発展することによって、徐々に格差は縮小していく」というクズネッツ仮説である。市場経済を導入し、経済は劇的に発展し、格差は拡大していったが、今後も持続的に発展することで格差が縮小されていくのかが、中国共産党にとって最も重要な課題である。そのため、目的として中国の全面的な小康社会(言い換えれば全面的なベーシック・ニーズの充足)、目標として2000年度のGDPを2010年には倍に、そのさらに2020年には2000年度の4倍のGDPを達成し、小康社会を建設することを目標にしている。2001~2005年の間(第十次五ヵ年計画)に達成した平均前年比成長率が予想を上回る約9.5%だったため、第十一次五ヵ年計画(2006年3月の全国人民代表大会にて承認)では2010年の一人当たりGDP目標値を1万9270元としている。実績でみると2004年度一人当たりGDPは1万2336元、2005年度は1万3985元(2004年12月に行われた経済センサス、第三次サービス産業の再評価によって大幅増加修正された)である。しかし、中国では、毎年の新規就業者数は1000万人といわれており、経済成長は7%以上でなければ、労働市場は吸収しきれない。つまり成長率7%は最低条件ともいえる。ここにも中国の人口問題の難しさがある。

これまでの発展アプローチを振り返ってみると、東部に外国資本企業を誘致するために、輸出加工区(経済特別区)をつくった。そこに重点的に港湾、輸送のための道路など交通インフラを整備し、税制優遇処置を外資企業に適用し、積極的に呼び込んだ。これがうまく機能し、中国は外資主導による輸出大国になった。そのためGDPに占める貿易額の割合は高い(図12「中国の貿易額推移」を参照)

まずは、80年に東部沿岸4箇所に特区を設置、さらに84年にはさらに14箇所を加えて、沿岸部が発展した後で、徐々に中西部の都市と結びつけて、やがては中国全体が発展するという、外資誘致の東部先富発展戦略である。


『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑤

2006-12-29 23:19:13 | 中国について

高野裕次著

『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑤

<5.行政幹部の腐敗と汚職 レント・シーキングとクローニー・キャピタリズム現象>

1.レント・シーキングとクローニー・キャピタリズム現象

レント・シーキングとは、市場活動をせずに、公権力を利用することによって利益を追求する活動である。市場活動とは、法令というルール遵守を前提として、企業間で競争しながら利益を追求する活動(プロフィット・シーキング)である。中国では、毛沢東の死後、復活した鄧小平によって経済の改革開放政策が実施され、市場メカニズムによる資源配分が東部沿岸部から漸進的に実施されていった。しかし、政治的には共産党支配を基盤とする独裁体制に特別な変化はなく、国有企業と行政幹部の癒着、地方幹部の横領など、政治的には社会主義=つまり公的機関・組織特有の権力と経済改革の結果としての市場経済が結びつき、急成長を遂げているが負の面も拡大してしまった。そのため、未だに中国全土で市場が機能しているとは言えず、後者の健全なプロフィット・シーキングと同じぐらいレント・シーキングが蔓延しているとされる。

クローニー・キャピタリズム現象とは、一部の仲間意識や縁故によって結ばれた者の中でのみ資本主義経済が機能している状態を指し、そのために、その閉鎖的な中でのみ市場メカニズムによる経済資源が循環し、恩恵をその中の者のみが享受する状態である。中国では、こうした2つの現象が蔓延している。以下、これらの二つの現象から見られる中国の行政・共産党・企業幹部による汚職や腐敗の概要、背景について考える。

2.中国の汚職・腐敗概要

マクロデータを見れば、経済改革について高く評価をすることができる。しかしながら、中央政府でさえも実態を把握できぬほどの汚職・腐敗、具体的には、政府・行政・国有企業幹部の横領や脱税行為、そして賄賂。地方に至っては、94年に導入された分税制度の影響によって地方財政が苦しくなり、予算外収入が増加し、農民から恣意的な費用徴収がまかり通る人治が固定化されてしまった。そのために内陸の農民は貧しいにも関わらず、重い負担に苦しみ、社会問題といえるほど汚職や腐敗問題は増加傾向にある。都市部では、不動産開発のために、出稼ぎ労働者の住んでいる家を補償もなしに打ち壊し、追い出すといった土地開発業者と権力を利用した行政幹部の横暴が後を絶たず、出稼ぎ労働者が起こす「騒乱」が急増している。

1978年に経済の改革解放を決定してから、汚職・腐敗の問題は深刻化し、79年から97年までの汚職の摘発件数は年平均22%にのぼり、成長率を上回るスピードで増加の傾向にある。2001年に中国科学院「国情研究センター」主任の胡鞍鋼氏試算によれば、90年代後半以降、共産党幹部の汚職・腐敗がもたらした経済損失は、年平均9875億元~1兆2570億元に及ぶとしている。この数字はGDPの約15%になる(門倉貴史『中国経済大予測』p.84)

最近(2006年6月~8月)、汚職や腐敗を理由に処分された地方幹部の具体例を挙げると、6月、北京市副市長が生活の腐敗と堕落などを理由に免職、海軍副司令官が収賄容疑で解任、安徽省副省長が金銭問題と生活の腐敗により定職処分。8月には福建省宣伝部長が違法行為・規律違反などで免職、上海市労働社会保障局長が収賄容疑で解任、中央の指示を無視して内モンゴル自治区主席が違法に発電所を建設したことにより自己批判処分、天津市検察長が職員の福利厚生、住宅問題などを通じて業者と結託し、不正を見逃して賄賂を受けた疑いもあり、規律違反で辞職(事実上の解職)などである(朝日新聞2006年8月30日朝刊より。原資料は新華社、香港中国系紙)。

3.汚職・腐敗の背景

こうした汚職・腐敗の問題の背景には、一つは体制移行が漸進的であり、未だに物権法が確立していない状況を利用する機会を政府・行政・国有企業幹部に与えていること、市場のルールに従って競争し、利益を追求するよりも許認可権を持つ行政・共産党幹部と国有企業幹部が話し合いによって自分たちの都合がいいようにルールを作り、利益を貪っていること(レント・シーキング)、二つ目に、中央と地方の税制関係が曖昧で、94年に分税制を導入した結果、地方財政が苦しくなり、そのツケを貧しい農民に払わせることで対処していることが問題である。そして、三つ目として、そもそも中央政府が把握しきれないほど中央・地方の公的機関で働く人間が多いことに起因する。観光資源を利用したサービス産業や中小企業など民営企業を育成することで国有企業人員や公務員を吸収する必要がある。

 一つ目は、物権法、ここでは、特に所有権を問題にする。国有企業改革によって国有企業から民営企業となる際に、所有が曖昧なために、雇用された経営者によって国有財産が処分されている。さらに体制移行過程にあり、既に述べたように漸進的改革による結果、計画価格と市場価格が存在し、安い計画価格を高い市場価格で転売すれば、容易に利益を上げることができる状況を官僚や企業に与えていることが汚職・腐敗の要因となっている。物資の割り当てを官僚が行うために立場を利用すれば何の困難もなく大金が懐に入る状態に置かれている。この問題はコーポレート・ガバナンスとも大きく関係する問題で、例えば株式上場することで直接金融により資金を調達した場合、その企業は誰のものとなるのか、ディスクロージャーに関する法など企業と投資家間の情報の非対称性をどのように解決するのか、など所有権に関する問題は多く、根深く長期間を要する。歴史からみる紛争は、他人と共同で物を所有する人たちの間で起こるものである。いらぬ紛争を防ぎ、効率を追求するには財産権を定義し、各経済主体の役割を明確にする必要がある。

公私の区別が曖昧な法の不整備による人治や、党と政府、政治と企業といった行政機構人事や企業人事に党の介入が存在するなど、その原因は、長期にわたって共産党一党独裁を維持している体制そのものにあるとするのが中国の著名な経済学者樊綱(ファンガン)である。彼による腐敗の定義とは、「公の権利を悪用し、私利を求める」ことである(樊綱(ファンガン)著 関志雄訳『中国 未完の経済改革』p.15)。「公の権利を悪用し、私利を求める」という行為は、まず「人事制度」に関係し、人間すべてが「公正無私」ではなく、一部分の人は、「私欲」を持っており、機会さえあれば、権利を利用して私利を求めることを認めるとするならば、いかにして私欲の少ない、公利のために勤勉な努力を惜しまない人材選抜システムを確立するかを研究する必要があるとし、国家機関や国有企業の人事制度、職員の選抜制度及び官僚の任命制度を改革し、「悪い人」が権力につく機会を減らすことが腐敗を防止する方法としている(樊綱(ファンガン)著 関志雄訳『中国 未完の経済改革』p.16)

違法行為が蔓延していることに関係することとして2つ目に挙げているのが、法の不整備である。そして、これらを整えるにはただではできず、取り締まるためのコストがかかると主張し、腐敗撲滅運動のコストに対する直接利益は、回収したお金や物品、間接利益として民衆の怒りや社会の安定、みせしめ効果があると述べている。しかし、根本原因は、現在の中国の経済体制上「腐敗行為を行う可能性のある人間の絶対数が非常に多く」、人数やコストがかかりすぎるために上記の2つでは根本の解決にはならない。その根本的な解決策としての結論が、「公の権利の数を縮小」させること、としている(関志雄HP 中国経済論 ファンガン著『腐敗の経済学原理』2002年1月)

 二つ目に汚職・や腐敗の温床の要因と考えられるのが、94年に行った税制度改革(分税制導入)である。その結果、上級政府に税収が集中し、下級にいけば行くほど財政収支が悪化したことで、地方行政幹部は、負担を農民に求めてしまった。そのため、中央政府は2005年に農業税を全面廃止し、代わりに地方への移転支出を増加させたが、これは使途が決められており、農業税の減少分を補うには至っておらず、根本的な解決になっていない。例えば、中央・地方政府の共有税を見ると、増値税の比率は、中央75:地方(省)25、企業所得税は中央60:地方(省)40で配分される。その後、さらに同じように省から県・郷政府へと配分される。そのためにもともと裕福ではない県や郷政府の財源が減少する結果となってしまった(関志雄 HP 中国経済新論 精華大学 劉玲玲 張凱雲 程子建『県と郷における財政難への処方箋』2005年11月29日)

三つ目として、そもそも地方の内陸に行けば行くほど、公務員の人数が多く、農業が経済の主体であるために資本蓄積を行う余裕はなく、観光資源は豊富な地方も多いが、交通インフラが整備されていない状況と関連する。従って、中央からの財政移転が必要不可欠である。日本のような地方交付税交付金のように、一度吸い上げてから配分するような方法は、領土が広く、人口が多いために中国では不向きである。財政によってインフラを整備し、観光産業を発展させ、余剰な公的人員を吸収し、工業とともにサービス産業も育成する必要がある。また、教育は私的財だが、正の外部性を持っているので、基礎教育への財政投入も欠かすことができない。そうしなければ、内陸部における市場はいつまでも発達せず、事実上中国に分断された経済地域が生まれてしまい、格差は拡大しつづけ、国民生活を守るはずの政治家や行政と地方の農民との間で対立的な構造が生まれてしまう。

ルールを作る側に汚職や腐敗が蔓延するようでは、健全な市場は育たず、歪みは拡大・常態化し、国民の間に疑心暗鬼が生まれる。さらに食べることにさえ必死な農民は集団・組織化し、暴動のインセンティブにつながっていく。結果的に、急進的な改革を強制的に迫られるかもしれない。既にその兆候はみられ、賃金未払い、土地の強制収用や幹部腐敗への抗議など暴動を含めた抗議行動は、2005年度に確認されているものだけで、8万7000件と公安省が発表している(各種新聞報道2006年8月4、5日)(表2「経済犯罪の一部具体例、表3「公務員の腐敗・汚職の立件数」参照)

 現体制においても、鄧小平の「4つの原則=社会主義の道、プロレタリアート独裁、中国共産党の指導、マルクス-レーニン思想」や江沢民の「3つの代表=共産党は生産力、文化、人民の3つを代表する」というスローガンからも分かるように路線変更は見受けられず、共産党を頂点とした指導原則を前提としているために、腐敗撲滅のための体制改革と党の存在意義の間にジレンマが存在している。漸進的アプローチを採り続けるならば、この腐敗・汚職問題を放置したままでは、時が経てば経つほどサンク・コストは増加し、解決のための将来コストも高くつきことになる。従って、解決策を模索しながらも、この問題に現政権は真っ向から挑まなければならない。

問題は、格差問題とも関係している。高度の経済成長を続けているうちは、中国人口の7割を占める農民にとって、こうした腐敗や汚職も許容範囲かもしれないが、大多数が、自分たちは、土地や戸籍制度に移動を縛られて貧しい状況にあるのに、人民の代表であるはずの党幹部が関与し、公権力を利用して数百万元~数千万元の所得を得ている(レント・シーキング)人間が多ければ、その事実に内陸部の農民が気づいたとき、もしくは、経済成長が止まりその恩恵を感じなくなったとき、言い換えれば、トリックル・ダウンすら有効でなくなったときに暴動へと発展する可能性が急速に増す。

依然、政治権力としての公権利を有する人間の絶対数が多いため、政府規模の縮小が腐敗・汚職の根本的な解決策となる。

中央と地方の権力関係では、既に述べた通り、94年に分税制が導入され、中央と地方の財政収入が明確に分けられてから中央財政は急激な伸びを見せたが(図11「中国国家財政の推移」)、逆に地方の税収は減り、ここから地方幹部が農民から恣意的な費用を徴収するという現象が多く発生するようになった(図14「財政収入内訳の推移」)。そのため農民の生活はいっそう貧しく苦しくなり、民工潮(出稼ぎ労働)というかたちとなって就職先・より高い所得を求めて都市へ向かう構造がうまれた。


『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑥

2006-12-29 23:13:35 | 中国について

高野裕次著

『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑥

<6.三農問題>

1.内陸・農村の現状

三農問題の本質は、農民の所得が低く、アフリカ諸国並みに貧しいことである。東部沿岸は、外資による直接投資によって成長軌道に乗った。このまま東部と内陸中西部の格差を放っておけば、分裂の要因にさえなりかねない。広大な土地を有する中国は、内陸部に多くの土地や人口を抱えている。例えば、後に詳しく述べる、西部大開発対象地域は、人口で約3億7000万人、国土面積では、実に70%を占める(地図、図6「中国の地域別人口」、図7「中国の地域別GDP・一人当たりGDP」)

内陸中西部では、経済インフラが整備されておらず、農民一人当たりの耕地も少ないために所得が低く、戸籍どおりの場所にいれば、生活も苦しいために、外へ出稼ぎに向かう(表4「国際比較による中国農業の特徴2002年」)。当然の行動といえる。余剰労働力は1~2億人ともいわれている。しかし、長期的な発展、2020年に全面的な小康社会を目指すならば、都市のスラム化を防ぎつつ、内陸中西部を発展させて、内需を育成するしかない。

三農問題とは、農村で農業を営む農民問題である。建国前、共産党を支えたのは、農民だった。しかし、歴史的に見ても、社会主義を深化させるべく人間の精神を第一に掲げた毛沢東の大躍進運動によって飢えに苦しみ、数千万人が犠牲者となった。

そして、現在も東部沿岸の発展を裏で支えているのは外資だけではない。都市部の人々の食糧を生産する中国の農民である。にもかかわらず、いまだ中国内陸の農民は貧しい状況にある。都市部は工業化を進め、所得が急上昇している。一方で、農村部の農業は、いまだ、戸籍によって差別され、役人による収奪に苦しみ、所得は上がらない。82年に導入された生産責任制によって、一時は、インセンティブとして働き、所得も上昇した。しかしながら、94年に中央と地方の財政分離制度を導入されて以来、地方行政・党幹部は、その減少分を農民の負担に求めた(図14「中国の財政収入内訳とその推移」)。そのために再び農民所得は向上せず、貧しさから逃れるために、更なる所得を求め、出稼ぎとなって都市部へ向かう。農民一人当たり農地は、他国と比してもごくわずかしかない。政府も三農問題を重要政策課題と位置づけ、農業税を段階的に引き下げ、2006年には、全廃した。しかし、その分を恣意的に農民に費用を負担させ、中にはそのままそれを袖の中に入れてきた内陸地方行政幹部が、守る保障はない。結局のところ、工業・サービス産業を育成し、農業人口をいかに減らすか。これが、中国政府の課題であり、農村における問題である。

現状では、政府の汚職・腐敗による恣意的費用負担や雇用が不足しているために子供に教育が受けさせられないことや劣悪な労働条件を知りつつも、出稼ぎ労働者となって都市へ向かう。そして都市への急激な人口流入は、治安の悪化につながっていく。内陸部における農民所得向上のメカニズムが必要である。

2.三農問題から発生する出稼ぎ労働者

出稼ぎ労働者の多くは、戸籍制度の存在のために、出稼ぎ先の都市でまともな住居はもてないし、食糧は配給されないし、教育を受けることがむずかしく、そして企業の賃金不払いなどによる労働争議が多発し(図15「中国の労働争議件数と参加人数推移」参照)、不動産開発の影響による強制立退き処分、さらに都市部においても恣意的な費用などによって苦しい状況にあっている。つぎにその戸籍制度の歴史的背景をみる。

3.戸籍制度

戸籍制度は1958年に制定され、以来、半世紀近く経つ現在まで存在し続けている。戸籍制度とは、農村戸籍と都市戸籍という二種類の戸籍によって、中国国民の身分を分ける制度である。戸籍制度の根拠法令は、「中華人民共和国戸口(戸籍)登記条例」である。条例とあるが、制定の手続きは「法律」と同様の手続きを経ているので、法と同様の重さを持っている(白石和良『農業農村から見る現代中国事情』p.101)

4.戸籍制度の背景

 「条例」第一条には、「社会秩序を維持し、公民の権利および利益を保護し、社会主義建設に貢献するために本条例を制定する」と書かれている。つまり、時代背景として毛沢東が社会主義運動を展開するための一つの手段として戸籍制度が定められたのである。

 当時進められた社会主義運動とは、三面紅旗運動である。社会主義建設総路線、大躍進運動、人民公社推進で、農業によって生まれた利潤を工業に振り向け、工業化を推進するというものだった。そのため、農業生産に従事するものは農村に固定させ、都市の移動を禁止する制度だった。さらにこの制度を支えたのが、食糧の供出・配給制度である。これは、1953年から、つまり第一次五ヵ年計画期の段階からはじめられていた。これは都市住民、つまり工業に従事する人々の食糧確保のための制度だった。食糧切符を購入することで食糧にありつけるという制度である。しかも、農民には与えられなかった。このときから都市と農村という二重構造が生まれ、その間の交流は皆無だった(白石和良『農業・農村から見る現代中国事情』)

このように制度ができた当初は、工業化の推進と食糧危機への対応だったが、途中からこの制度を存続させているのは、急激な都市部への人口流入は、衛生・治安の悪化を引き起こすと考えられたからだろう。戸籍制度は明らかに都市労働者と農村農民の差別を制度化したものである。

しかしながら、78年に改革開放政策を開始し、80年に沿岸部に特区をつくり、外資を誘致して以来、沿岸部と内陸では経済の恩恵に当然のごとく差が生まれ、少しでも高い稼ぎを求めて、内陸農村部から沿岸都市部への出稼ぎ労働者の流入は止まらない。受け入れる側も、賃金高騰を防ぐために政府幹部も事実上黙認しているのが実態である。しかし、労働環境の改善を求める内容の労働争議は増加の一途をたどっている。さらに、都市に戸籍をもたない出稼ぎ労働者の足元をみた政府末端幹部の非合法的な費用の徴収や、不動産開発のための補償もない強引な立退きも都市部では横行している。さらに、結婚による戸籍変更もないために、もし都市と農村の人間が結婚した場合でも法を守るならば別居し続けなければならない。そして母親が農村戸籍の場合、原則として子供も農村戸籍として登録されることになる。家族で出稼ぎに出てきた農村戸籍の農民は子供に教育さえ受けさせることができないし、食糧配給の権利も受けることができないのである。都市部では人口を管理しきれていないのが実情である。

現状では、農村戸籍から都市戸籍を手に入れるための方法は、とても狭き門といってよく、2つしかない。一つは大学へ進学すること。もう一つが軍隊で功績を挙げることである。従って、中国が戦争を今後行わないという前提ならば、大学進学のみが、科挙の名残か、農民が都市戸籍を得るための唯一の手段である。なぜなら、大学を卒業すると同時に国家機関や国有企業に配置してくれることになっているからである。 

特別ケースとして、農地を公共事業などにより収用された場合には、農業という生活手段がなくなってしまうので、見返りとして都市戸籍への転換が認められるケースがある。もう一つ違法だが、事実上黙認されているケースとして、小都市幹部にお金を支払うことによって都市戸籍を手に入れるケースである。このケースは、モチベーションの高い農民を都市に入れることによって都市を活性化させたい沿岸部小都市の首長と初期費用はかかるが収入を増やしたい農民の需要が一致し、徐々に増えている。例えば沿海地区の浙江省ではこうして都市戸籍を得た人口は同省都市人口1046万人の一割に当たる100万人にのぼる。従って、三農問題の本質は、中国の7割の農民の所得をどう引き上げるか。特に沿岸部とは環境がまったく異なる内陸部の農民たちの所得をいかにして引き上げるかである。

5.貧しい内陸

中国の一人あたりの耕地・農地面積を考慮すると、明らかに多くの農民が余剰労働力である(表4「国際比較による中国農業の特徴」図16「都市・農村部門別就業者数」)。国有企業就業者数は年々減少し、郷鎮企業、個人経営就業数がそれに代わって増加しているがすべての余剰農民を吸収するほどの規模は有してない。国有企業改革を進めれば都市失業率も増加し、農村からの出稼ぎ労働者と就業をめぐって対立する可能性もある。また格差は、日本やアメリカのように数十倍から数百倍ならば、市場原理として、所得の向上を目指すインセンティブとしてプラスに働くだろう。だが、中国のように東部の富裕層は、一台数千万元もするような車を購入する人間が存在する一方で、家族全員が食べる物に困るほど貧しい農民が存在する。公式統計ですら、いまだ2400万人の貧困人口が存在する(図17「中国の貧困人口」参照)

こうした状況を政府が、無視すればどうなるか。市場原理は、逆に暴力として機能する。働くよりも、奪ったほうが楽だと。既にこうした事件が発生している。農村から都市へ出稼ぎにでるが働き口がなく、都市部の人間がいかに贅沢な生活をしているのかを知り、強盗を行うといったものから、出稼ぎに出た少女が、都市部の悪人に誘拐され、農村部の花嫁として売り飛ばされるなどの事件もおきている。都市の治安も悪化傾向にある。


『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑦ 

2006-12-29 22:31:38 | 中国について

高野裕次著

『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑦

<7.中国政府の対応>

1.人口抑制政策 独生子(一人っ子)政策

 一人当たり所得=総所得/人口である。従って、所得をあげるには、人口を減らすか、総所得をあげるかの二つの方法がある。中国政府は、両面から人口問題に取り組んでいる。

 1950年ごろに6億人台だった人口は、70年代の改革解放のころには、10億人近くに到達していた。57年には、北京大学の学長馬寅初が人口問題の危険性を説くも、毛沢東は、戦争の影もあってか、労働力こそ国力として人口抑制を退け、馬寅初は、60年に公職から追放されている。そして60年代を通じて膨張は続き、現在の約13億人に至っている(村山宏『異色ルポ 中国・繁栄の裏側』p.108)

 鄧小平が実権を手にした直後の1979年に人口抑制政策、「独生子(一人っ子)政策」が導入された。一人っ子政策は、4段階によって推進された。

第一期(79~84年)全国計画出産弁公室主任会議が中心になって国策として軌道に乗る。

第二期(84~85年)国連の国際人口会議で、強制中絶や女嬰児殺害によって人口抑制をしていると中国を批判し、国連人口基金の援助停止を決定。それを受けて、第二子出産条件を緩和する。

第三期(86~87年)農村の抑制政策は、第一子が女児の場合、政策実施は困難とされ、農村部において全国的に緩和される。(社会保障の不備や貧しさから中国農村では女子より男子を重宝する傾向がかなり強い)

第四期(87年以降)各地区の計画出産条例の制定・改定が繰り返され、チベット自治区以外では、制定が完了される(若林敬子『人口超大国の行方』pp.65~67)。

 このように政府は、人口問題に取り組み、ある程度の抑制には成功している。都市部においては、かなり厳格に独生子政策が実施されている。だが、所得の低い中西内陸部では、男子は貴重な労働力であり、将来的には親の面倒を見る社会保障的な側面もあるため、第一子が女の子の場合、戸籍に登録されずに成長している人口が多い。誰も中国の人口の真実数を掴めていないのが現状である。

 結局、世界で始めて、国が個人的な出産に対して関与する人口抑制政策では、当然のごとく限界がある。根本的な解決は、農村から都市へ、農業部門から工業部門への余剰労働力の移動を促進するために国内外の民間活力を利用するためのインフラや各種制度を整備し、雇用を創出するための産業を興るよう仕掛けを作るしかない。従って、中国の中央および地方政府は、連携しながら、ハードとしての各種のインフラを財政投資によって整備し、ソフトとしての財政による人的資本投資、さらには制度的な企業への優遇処置の実施に全力をあげるべきである。

 次に、全面的小康社会実現のカギ、農村部の一人当たり所得を向上させるための政府重点政策 西部大開発について考える。

2.東部と西部内陸を結合させるために 西部大開発

 中国の内陸発展は、毛沢東の国防上の理由から重工業を内陸へ移転するという60年代半ばの三線建設まで遡ることができるが、改革解放政策が展開され、10年を経過した88年に鄧小平は、次のように語っている。「沿海地域は、対外開放を加速し、2億人の人口を擁する広大な地帯をまず発展させ、内地(内陸部)の発展を帯同させる。これは大局にかかわる問題である。内地はこの大局に従わなければならない。そして、発展が一定の段階まで、到達したとき、今後は沿海がより大きな力を使って内地の発展を助ける必要がある。これもまた一つの大局である。そのときは沿海がこの大局に従うべきだ」(加藤弘之『シリーズ現代中国経済 地域の発展』p.42)

 東部の経済開発は、軌道に乗り、成長の恩恵を東部、特に工業・サービス業に従事する人々が手に入れはじめた(図18「地域別 工業付加価値額と農林水産業生産額」図19「地域別固定資産投資額推移」)。それなりに資本・技術は蓄積され、高度成長も続き、税収も増えた(図14「財政収入内訳とその推移」図20「地域別都市農村の所得格差」)。中西部へと市場を開発していくチャンスである。

 格差問題は、江沢民政権から問題視されており、1999年に陝西省を視察した折に、「時期を逸することなく、中西部地域の発展を加速させるべき、そのために西部大開発について研究するべき」と語った。

 2000年の第9期全国人民代表大会第三回会議で、西部大開発推進が採択された。そして同年、国務院(行政のトップ機関)に西部開発指導グループが設立され、その下に弁公室が設けられ、そこに企画・政策策定・管理・事務調整などを推進させた。さらに2001年に承認された、第十次五ヵ年計画(2001~2005年)によって「西部大開発を実施し、中部・西部地域の発展を加速させ、合理的に地域経済の構造を調整して、地域経済の調和発展を促進する」指針が明示された(大西靖編著『中国 胡錦涛政権の挑戦』p.81)。こうして、西部大開発、中部発展の加速、東部発展のレベルアップという優先順位のもとで、全体計画が策定された。

 西部大開発とは、東部沿岸部と西部内陸部の経済格差を是正、全面的な小康社会を実現するために、西部内陸部に重点的に財政支出を行うことでインフラを開発し、東部と西部が事実上分断され、二重構造だった経済を有機的に連結させる戦略の試みである。

西部大開発の対象地域は12地域、当初は、内陸中西部全体が対象だったが、資源をできる限り傾斜配分できるように、西部10地域に、広西チワン自治区、内蒙古自治区を加えた12地域となった。それでも、中国全国土の7割、人口約3億7000万人=約28%、GDPは3兆3390億元=18%に及ぶ(図7「地域別のGDP・一人当たりGDP」)

柱としては、

①財政資金の重点傾斜投入

②インフラと法整備による投資環境の改善

③外資投入領域の拡大

④科学技術教育の拡充と人材育成などである(鮫島敬治・日本経済研究センター『中国 WTO加盟の衝撃』p.280)。

重点任務として

①インフラ建設

②生態環境保護の強化

③農業基盤強化 工業構造の調整

④科学技術教育

⑤外資導入促進の5点が挙げられている。

 最も西部に必要なのは、発展のメカニズムであり、メカニズムのエンジンである民間投資である。そのための前提条件となるのが、各種のインフラや制度である。①のインフラ建設について、2000年から10大プロジェクトが始まった。

①西安-南京鉄道の西安-合肥区間

②重慶-壊化間の鉄道

③西部地域の自動車道路

④西部地域空港

⑤重慶のモノレール

⑥ツァイダム盆地の天然ガスパイプライン

⑦四川省紫平鋪と寧夏の黄河砂坡頭の水利建設

⑧中西部の耕地の樹木や草の栽培幼稚への転換

⑨青梅省カリウム肥料プロジェクト

⑩西部地区大学のインフラ建設 

である(加藤弘之『シリーズ現代中国経済 地域の発展』p.157)。鉄道や高速道路が多いが、企業家の投資が向かうまでには、長期の時間を要するだろう。2004年末現在では、国主導で新たに60プロジェクトが始められ、「西気東輸」、「西電東送」、青梅-チベット鉄道、水利ステーション、交通幹線、空港建設など建設資金総額は8600億元に達し、2700億元が国債資金によって賄われた(大西靖編著『中国 胡錦涛政権の挑戦』p.84)

 西部大開発戦略は、三段階に分けて考えられている。第一段階は、2001~2005年の第十次五ヵ年計画期間、第二段階は、現政権があたっている2006年~2010年の第十一次五ヵ年計画期間、そして第三段階が2016年~2030年で国際化・都市化の加速、民主と社会発展の全国平均水準化が想定されている。

 西部内陸を発展させるためには、財政支援(図「中国の中央政府財政支出における山農支出項目」)のほか、経済のエンジンである民間投資増加も欠かすことができない。そのために優遇税制などについても外資企業に対して、①国が奨励する分野に投資した起業については、企業所得税の引き下げ33%~15%、②交通・電力・水利・放送事業を西部地域で立ち上げた企業に対しては減免処置、国内企業についても営業開始から1~2年目は所得税免除、3~5年目は所得税を半減するなどの処置がとられている(加藤弘之『シリーズ現代中国経済 地域の発展』p.157)。広大すぎるプロジェクトなため、この西部大開発も体制改革と同様に漸進的に進められている。

3.西部大開発の現時点における評価

開始から5年以上が経ち、西部大開発の成果も漸進的にだが、国家予算内基本建設投資の増加速度を見ると成果が現れ始めているかにみえる(表4「1996~2004年国家予算内基本建設投資の地域分布、」「中国の各地域GRP成長率」図21「中国の中央政府財政支出における三農支出項目」参照)。西部大開発対象地域への2004年度の地域別直接投資実行額を見ると内蒙古自治区、新疆ウイグル自治区、チベット自治区への直接投資が急増していることも分かる(図22「地域別 直接投資実行額」参照)

しかし、そもそも政府の目的は、バランスある発展、中国全土における小康社会の形成である。そのためには西部内陸において、投資に見合うような市場の形成、100~200万人規模の工業都市が最低100~200箇所形成することが最低目標となるだろう。漸進的改革を志向する中国においては、まだ西部大開発が始まってからまだ5年しか過ぎていないといえるが、2020年に全面的な小康社会の達成を掲げている。東部は、達成できるだろうが、西部内陸においては、環境圧力や水不足、財源不足など多くの資源が不足している。また、ほとんどの西部地域で、5年分の一人当たりGDP合計は、上海の2001年度一年分のGDPにしかならない図23「地域別5年分(2001年~2005年)の一人当たりGDP合計」参照)。最も貧しい地域である貴州省にいたっては、上海直轄市と約10倍の格差が存在しているため、上海の5年分の一人当たりGDPを生み出すのに、貴州省では、50年もかかる。財政資金をさらに西部へ傾斜配分し、インフラと各種制度の優遇処置によって、西部企業の自力発展、東部の工業企業や海外企業の誘致という両面からさらなる努力が必要である。

4.前提としての法治

 西部大開発とともに、早期に実施しなければならないのが、物権法の確立である。物権法の確立が、貧しい西部地域にとっては、社会保障にも等しいからである。なぜなら、物権法が確立すれば、地域行政幹部の恣意的な費用徴収もなくなる。さらに、西部大開発によって、西部内陸の都市化を進め、産業が立地すれば、東部沿岸部に出稼ぎへ出る必要もなくなり、差別的な扱いを受けることもなくなる。東部都市部の急激な人口流入による治安の悪化、スラム化も防げるようになる。

 法治は、中国全体にとってプラスである。司法関連の職員の育成・増加は欠かせないが、人でなく法に統治を任せることで、かなりの行政職員を減少させることができるだろう。そして、法治を整備することで、三農問題のうちの違法な幹部の恣意的で過剰な費用徴収も、急減させることができる。

 西部内陸の農民・都市部労働者にとっても、物権法を頼ることが可能になれば、泣き寝入りしてきた行政幹部による職権乱用にも、法に則ったかたちで対抗する手段を得ることになる。  

逆に、法に則った徴税に関しては、きちんと納税する義務を負う。こうした法治によって、取引=所有権の移転、さらには「契約の履行義務の発生」という制度が、市場参加者の間で認識されれば、市場の持続的な発展にもつながる。

法治の確立には、教育が最も不可欠となる。中国の全主要都市の中学・高等教育機関で、社会倫理を教育し、大学・大学院においては法曹教育課程を設置し、法治の確立に努めなければならない。

2002年に江沢民党総書記に代わって胡錦涛が党トップに就任した。2003年には、国家主席に就任、温家宝総理と政権を担う。そして、2005年に軍の主席に就任し、3つの権力(①国家組織のトップ国家主席、②共産党のトップ党総書記、③軍事組織のトップ党中央軍事委員会、国家中央軍事委員会国家主席)を握り、政治基盤は安定軌道にのった。2006年に第十一次五ヵ年計画が全国人民代表大会で承認され、引き続き東部・中部・西部に加えて、東北地域の吉林、黒龍江、遼寧の三省がバランスある発展のための重点地域に加えられた。地域のバランスある発展が意識され、三農問題、内陸農村の発展が重点課題として強調されている。

 工業化・都市化を加速するために、インフラ整備、生態環境保護、科学技術教育、人的資本の開発=教育など、政府は、西部地域の投資環境の改善、貧困地域の所得増加、そして2020年の全面的な小康社会実現を実現させなければならない。

 しかし、いまだに汚職や腐敗は増加傾向にあるし、東部・西部の格差は、拡大傾向にあることも事実である(図23「地域別5年分の(2001年~2005年)一人当たりGDP合計」)参照。特に、中西部における貿易額は、東部に比べれば無きに等しいことが数字に表れている(図24「地域別 貿易額」参照)。これらを克服するための「持続的なバランスのとれた発展」には、物権法の確立こそ欠かすことができない必然的な制度である。


『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑧

2006-12-29 22:12:30 | 中国について

高野裕次著

『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑧

<8.物権法の確立 ルールの強要 それができるのは政府のみ>

 共産党独裁を維持し、江沢民の「三つの代表論」どおり、人民の生産面、文化、利益を代表であることを維持し、全面的な小康社会を実現するには、①汚職・腐敗の撲滅、②内陸部の発展による格差縮小は、欠かすことができない課題である。特に①については、解決に乗り出すのが遅れれば遅れるほど機会費用も考えると高くなる。放置すれば、中央政府内はもちろんだが地方政府の中央指導の無視さえ助長する事になり、いつまで経っても、一つの国として統治することは不可能になるだろう。法治の徹底は避け通れない。

 既に述べたように、体制移行過程にある中国では、汚職や腐敗が多い。それは、社会主義の名残ともいえるが、中央・地方問わず、役人の裁量によって統治されている。そのために全国からの陳情が後を絶たない。2001年にWTOに加盟してから、順次整備されてきたが、いまだ、日本の民法にあたる中国の法体系の中で欠けているのが、物権法に相当する部分である(日本経済新聞社編『中国大国の虚実』p.238)。

 99年から草案は何度か見直され、2006年3月の全人代での成立が見込まれていたが先送りとなった。法制建設は、改革解放とともに鄧小平によって唱えられたスローガンである(日本経済新聞社編『中国大国の虚実』p.239)

 この私有、所有制に関する物権法がないからこそ、体制移行過程・漸進的改革を利用して、暴利を得るレント・シーキングが、中国では特にひどい。出稼ぎ労働者には無理に立退きを迫り、行政・党幹部が業者と結託して不動産開発によって利益を得る。農民は、土地請負制度・戸籍制度によって、出稼ぎ労働すら法律違反となり、それでも食べていけないから、出稼ぎへと都市に向かう。物権法の確立・厳格な運営こそ、今の農民らにとって、社会的保障となる法律である。

 また、成長が続いている現在は良いが、恣意的な行政幹部による税収や費用負担は、健全なビジネス(市場)の育成を妨害する行為でしかない。短期の利益を得るために、長期的な利益を失うことになる。漸進的に長期的な視点で改革を志向するならば、腐敗と命を欠けて戦った朱鎔基前首相のような認識で望まなければ、やがては、成長も失速し、外資にも逃げられる。

 摘発センターを胡錦涛主席の名のもとに全国各地に設置し、地方幹部の汚職・腐敗も徹底して取り除かなければならない。同時に、国家のために働く、健全な幹部育成の仕組みを作らなければならない。いくら取り締まりにコストがかかっても、将来コストの発生を防ぐことができる。国有企業改革においても引き続き努力する必要がある。行政改革と国有企業改革、さらには金融改革は、朱鎔基前首相が唱えた、三大改革だが、残念ながら、振り子は、戻されてしまったといえる。現政府も、この三大改革を続ける必要がある。

 鄧小平の改革解放政策によって、社会主義経済より市場経済のほうが効率がよく、経済も活発化することは、自ら経験し学んだことで現政府も認めるしかない。市場メカニズムにとって明確に定義された物権法は、必要条件である。市場における自由取引とは、言い換えれば、所有権の自由な移転である。この移転が活発に起こるからこそ市場は発達する。だからこそ、物権法・財産権は明確に定義されている必要がある。これが、定義されておらず、行政幹部の裁量に任せた人治を続けるならば、取引後にありもしないクレームが発生し、安心して取引することなどできず、人々の間で疑心暗鬼が生まれ、市場は縮小していく(中兼和津次『現代中国構造変動(2)経済-構造変動と市場化』p.26)

開発独裁体制を維持しながら市場を有効に機能させたいと思うならば、この物権法・財産権を定義・確立し、運営することが望まれる。それは、レント・シーキングより、市場を通じた資源分配のほうが、社会的厚生からも望ましい。それは、レント(政府規制や特権的地位を利用した非生産的な活動)の結果、①生産可能曲線の内部に押しとどめられる、②私的費用と社会的費用の乖離がもたらされる(厚生のロス)からである。これらは、開発経済学者クルーガーらによって明らかにされている(絵所秀紀『開発の政治経済学』p.86)

クルーガーの研究方法に基づいて、中国の経済学者胡和立と万安培は、中国の年別のレント総額を計算した。その結果、中国のレント総額の対GDP比は、1987年20%、1988年30%、1992年32.3%だった。つまり、人民が作り出した財の三分の一がレントの対象になり、1990年代初め、中国から毎年、海外へ流出した資金が何百万ドルにものぼり、高級ではない官僚でさえ、海外で豪邸を購入し、自分の家族を移住させることが可能だったことが理解できる(関志雄HP 呉敬漣著『なぜ中国で腐敗が蔓延するのか』2003年7月)

ドナルド・コース、ダグラス・ノースらの取引コスト仮説からも市場の発達にとって、財産権・物権法の重要性が示されている。

お互いに顔見知りの間での取引、私的な交換が支配的な社会では、濃密な社会関係ネットワークが形成されており、取引コストはきわめて小さく済む。しかしながら、中国は既に市場経済を導入しており、人々も土地や戸籍で抑制しても、多くの人間が、移動し、取引活動を行っている。取引費用を最小限に抑え、特化と分業の発達によって可能となった生産性向上の利益を実現するためには、様々な諸制度が必要であり、発達しなければならない。近代西欧社会では、その制度は所有権という形をとり、政府だけが所有権の設定と契約の実施を強要できたのである。

裏を返せば、そうした制度が欠如していれば、生産と交換(取引)は、私的なつき合いを基礎にしたもの、ある特定地域に限定されたものから発達することができなくなる(絵所秀紀『開発の政治経済学』pp.173~174 )。従って、まず政府がやらなければならないのは、物権法の制定であり、中央政府はもちろんのこと、内陸地域までその厳格な運用を実施し、一方で、摘発センターなどを設置し、主席主導で取り締まりを強化することである。


『中国経済 小康社会への鍵 物権法の確立とバランスの取れた発展』⑨

2006-12-29 22:10:59 | 中国について

高野裕次 著

『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑨

<9.終わりに>

 中国の汚職・腐敗、格差是正のための西部大開発について述べてきた。卒業論文に手をつける前は、なぜ、急成長している中国に、日本がODA(=Official Developmen-t Asistance政府開発援助)を出す必要があるのか、理解できなかった。しかし、東部と西部では、まったく様相が異なることを知ったとき、東部だけ見ては中国が見えてこないことが分かった。

中国は、世界一位の外貨準備を持ち、貿易額は世界第三位で、GDPでは世界5位である。沿岸部に港湾や空港、道路や各種ライフラインなどのインフラを整備し、税制を優遇し、世界中から優良企業による直接投資を受け入れている。

調べる前は、これしか知らなかった。だが、西部地域は、アフリカ以下の所得で生活する農民が多く、戸籍や土地によって移動を制限され、公式統計で、いまだに2000万人以上も貧しい人々が存在することを知った。

この論文では、三農問題と腐敗や汚職、そして所有権特に物権法を通して考えれば、中国の問題の80%は知ることができると信じて『中国経済 小康社会への鍵 物権法の確立とバランスの取れた発展』をタイトルとした。

 深刻な環境問題や人民元改革、台湾との関係をどう位置付けるかという問題、日本や吉林省と隣接する北朝鮮などの外交問題については触れていない。それでもいまだ、工業化には程遠い内陸部に焦点を充てたことで、開発経済学の存在意義を再認識することができた。また、中国経済は、ホットなテーマで、ゼミ講義で扱った絵所秀紀著『開発の政治経済学』(1997年11月)に書かれていた様々な先人たちの仮説が当てはまり、その鋭い開発経済学者の視点に改めて驚くとともに中国経済についてさらに興味が沸いた。

 その意味では自己満足としての現状把握に止まってしまい、中国問題の根源である内陸部農民の所得増加策としての有効な打ち手を考えることまで至ることができなかった点、勉強不足を感じる限りである。これからも中国経済、特に内陸部の発展に注目しながら中国の理解、そのための「開発の政治経済学」の理解に努めたい。


『中国経済 小康社会への鍵 物権法の確立とバランスの取れた発展』⑩

2006-12-29 22:09:54 | 中国について

高野裕次 著

『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑩

<10.参考文献>

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・中嶋嶺雄『中国』(中公新書)1982年

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・大前研一『チャイナ・インパクト』(講談社)2002年3月

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・通商白書 2003、2005、2006年版

・国立社会保障人口問題研究所 『人口統計資料集』(2005年)

・住友商事株式会社 経済動向 北村豊著『レポート 胡錦涛政権の課題 汚職撲滅』2004年10月号

雑誌

・プレジデント2002・9月号 関満博『中国問題を解く鍵は、「過剰人口」と「戸籍制度」にあり』

インターネットHP

・関志雄 中国経済新論                                       ・(財)日中経済協会                                          ・現代中国経済 甲南大学  経済学部 教授 青木 浩治 経済学部 教授 藤川 清史情報教育研究センター                                          ・チャイナネット                                             ・日本貿易振興機構 ジェトロ 中国                                ・内閣府経済社会総合研究所 ディスカッション・ペーパーNo.170田中修『中国第11次5ヵ年計画の研究』2006年10月                                   ・21世紀中国総研                                          ・長生塾オフィシャル・ホームページ                                Q.76『中国についての考察』                                  Q.78『一人っ子政策の恐ろしさ』