自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
哲学・ビジネス・雑記・洒落物など等

グラン・トリノ

2009-09-27 02:00:51 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

クリントイーストウッドは、硫黄島からの手紙や本作品『グラントリノ』などアジアを意識する作品を生んでいる。

この作品を観ていて彼は、自身の死を意識したのではないか。そう感じた。

戦争の悲惨さ、生と死。この作品は、とてもよかった。

物欲にしか興味のない自分のアホな息子・その子(孫)たちよりも徐々に隣に住む隣人と仲が良くなり、心を開くようになるウォルターの感情の流れがいい。


アフリカ

2009-09-23 14:43:30 | 国際・政治・社会・経済

日本の関わりとアフリカ諸国に類似する問題(クーリエジャポン・10月号 講談社刊参考)

・日本は、西欧諸国のように植民地化していたようなことがないこと

・中国のような見返りを要求するような援助はしていないこと。

・日本は毎年ODAやPKO活動を通じて4000億円~から5000億円の援助をしていること。

これはアフリカ人一人当たり4000円ほどに達すること

・しかし、日本国内で行われる報道のうちアフリカに関する報道は、0.3%であること(慶応大学メディア研究所)。

・援助対象は「持続的な発展活動」につながる対象であるべきこと。

ただ援助をするだけでは、援助依存になってしまい、逆に成長を阻害する要因になってしまう。役に立つ援助は、たとえば、水道開発をするための労働賃金に充当するといった具合だ。学校建設などでもいい。"援助ではなく貿易を"、これは新パン・アフリカ主義と呼ばれる運動の標語。

・資本蓄積・知識の知識が不可欠であること。そのためには、教育が受けられる環境を

整ええる必要があること。

・資源貧乏な状況が多く、独裁政権が生まれやすく、利権が搾取されやすい。

・世界のエイズ患者の6割は、アフリカ人であること。

・サハラ以南の8カ国は、石油高騰の恩恵があること。

・3分の1の国で内戦や武力紛争があること。

・金融・通信技術は期待されているが、現状ネットにアクセスできるアフリカ人は、全体の1%に満たないこと。一方で、80%の人は携帯電話で通信することができるとのこと(チーター世代とよばれる複数の言語を話すデジタル世代の若者より)。

・携帯電話を一部地域(タンザニア・ウガンダ・南アフリカの一部地域)で支給し、教育や小口金融が広がっていること。


セグメント

2009-09-13 22:38:17 | 国際・政治・社会・経済

ファーストリテ~とジルサンダー。デザインは日本で、それを中国へ持って行き、ばかでかい工場で、大量生産。異なるのは色。そして、主に日本へ商品として戻し、販売するというビジネス。

購入者のターゲット層は、若者から祖父・祖母世代まで。低価格がポイント。

そこにきて、高級ブランドのジルサンダーと協力関係に。ターゲットを拡張するとなると、ビームスやアローズ、ファイブフォックスなどとも競合関係となる。

柳井氏としては、売上1兆円をずっと目標にしている。利益率の高さは、中国で生産する仕組みを成功させて多くの人が知るところ。

ジルサンダーと協力して設計したものも中国で作るのか。それともブランド品は利益率が高いので、複雑な生産も可能な別の場所で生産するのかなどなど。

興味深い。


休暇

2009-09-12 21:50:06 | 映画

原作:吉村昭『蛍』収録の短編。

小林薫ほか出演。

刑務官役で、死刑囚最後に見送る、支え役を行う役。今回の映画の設定では、支え役は、死刑執行後、帰宅が許され、一週間の休暇が与えられる。

並行して、結婚したばかりで、休暇を利用して、ささやかな新婚旅行を行う。

相手は、すでに子供のいて再婚となる大塚寧々。

本当は、支え役からは、新婚ということが配慮され、指名からも外れていた。しかし、小林演じる主人公は、自ら引き受ける。

<感じたこと>

淡々と日常を送る限り、死について思うこと、考えることは非常に限られている。生きているいうことは、必ず、養老孟司氏も言っているように誰もが「100%死ぬ」にも関わらず。もちろん、事故に合ったり、起こしてしまったり、病を患ったりといった場合には、嫌でもそのことを意識することになるのだが。しかし、そうでもなければ、死を意識するということは非常にまれだ。このことをどうとらえるのか。生と死は分かれているのではなく、ひとつなのだ。言語や文字という記号によって生(せい)と死(し)というようにそれぞれ呼び方は違うが。

記述した以外に死を意識すること。事故も例外ではないが、他人から殺された、他人を殺した(死なせてしまった=ここでは事故を意味する)といった場合も意識することになるだろう。

これには、死刑という存在があるからだろうか。それとも亡くなった周囲の悲しみ(これは殺した側も殺された側も両方を指す)を意識するからだろうか。

「死の迎え方」がやはり重要なのだろうか。よりよく生きるということにつながるのだろうか。

平均寿命という概念が人生を無為にしている要因の一つかもしれないとも考える。本当は70~80年生きられるなんてことは誰もわからないのに。

医者や警察官、この映画の主人公の職業である刑務官は、一般会社員と死に対するとらえ方は、異なるような気がするが、どうなのだろうか。

今思うことは、死について考えることは、生きることについて考えるのと同じとまでは言い過ぎかもしれないが、似たようなものではないか。

映画を観ていてそう感じた。


仏陀

2009-09-09 23:07:28 | 語録

猛獣は怖れるに足りないが、悪友は実に怖ろしい。
なぜなら猛獣は私たちの体を害するだけだが、悪友は心までも傷つける。

もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、おもいを落ちつけて、共に歩め。

もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。  愚かな者を道づれとするな。独りで行くほうがよい。

孤独で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。
林の中にいる象のように。


映画

2009-09-09 21:27:48 | 映画

確かにいい映画ともいえくなくもないわね。

でもどんな娯楽も基本的には一過性のものだし

またそうあるべきだわ。

始まりも終わりもなく

ただ観客を魅了したまま手放そうとしない映画なんて

それがどんなに素晴らしく思えたとしても害にしかならない。

攻殻機動隊『 タチコマの家出 映画監督の夢 』


東南角部屋二階の女

2009-09-06 12:11:45 | 映画

邦画。本内容の映画は、他の国では作れない日本の映画。

親の借金の保証人になっていて借金を返すことに疲れ、自分が住んでいるアパートを壊し(土地は隣にすむ祖父の名義)、その土地を売ろうとしている会社を辞めた男、資本主義の競争に嫌気がさし、最初の男と同じ会社を同時期にやめ、彼女から部屋を追い出された男、広告写真用の料理をつくる仕事をしている女性、更新料を払う時期になり迷っていたところ、最初の男性とお見合いをしたことをきっかけにアパートに住むことに。

三人は同じアパートに住むことになる。

この三人、居酒屋を営む藤子さんと最初の男の祖父の感情の動きを読むのがとても面白い映画です。(日本語という複雑な言語がなせる技でもある気がした)

最初の男は、アパートを壊して土地を売ろうとするが、アパートに住むことになったほか二人との出会いをきっかけに、自分のやろうとしていることがわからなくなり、アパートの土地を売ることに迷いが生じ始める。

この映画のメインメッセージは、「それぞれが異なる事情を持ち、考え方も違うことは当然だが、わかろうとすることが大事」ということだろう。

この映画の出演者の心の動きをわかろうと追っていくことが面白い。

そういう映画、外国の映画にはあまりないことにこの映画で気づいた。