自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
哲学・ビジネス・雑記・洒落物など等

脳の微量の電気信号

2006-10-27 00:31:43 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

 これさえあれば、「人間の脳と脳同士のコミュニケーション」がきっと近い将来可能になる。

 人間の神経系統とインターネットをつなぎ合わせることで、個の脳を主体として、もう一つの別世界を自由にサーフィンすることができるようになる。

 人間は封建制から産業革命を果たしたとき、土地から労働力(体)が解放され、自由に移動し、職業を選択することが可能になった。

 そして都市が発達することで、さながら都市そのものが今ではサイボーグ化している。

 精神と体は不可分な関係と今までは思われてきた。しかし、土地と体も不可分な関係と当時は思われたことだろう。ここにはテクノロジーがどこまで発展するかという可能性、人間の好奇心による挑戦が科学によってブレークスルー(イノベーション)することによって科学のそのものの常識を超えてきたという視点が欠けている。

 あまり良い世界、良い社会にはならないかもしれない。しかし、脳の研究者やサイボーグの研究者らの思考は止まらない。消費者は消費という行為に従順でしかない。テクノロジーの進歩に人間の精神が追いついていない。人間の失敗を補完し、補正し、また拘束する上で、現状では最も有効な制度である法律を密かに整備しておく必要がある。それは、時間軸の上で法律が現実を超えることは不可能だからだ。法律は単なる想定からでは生まれない。事態が起こって初めて整備される。

・・・・・・・・・・・・・・・・・と「攻殻機動隊」を見ながらここまで妄想してしまった。


ある経済学博士

2006-10-18 01:25:12 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

あるバングラデシュ人はヴァンダービルト大学で博士号を得た。

彼は2006年度の今年、ある賞を受賞した。ノーべル・・・賞だ。しかも経済学賞ではない。平和賞である。

その人の名は、ムハマド・ユヌス氏。グラミン銀行総裁である。彼の問題意識はこうだった。彼は大学で計量経済学を学んでいたが、果たしてこの経世済民であるはずの学問が現実の途上諸国でどれほど役立っているのか疑念を持つ。

彼は母国バングラデシュに帰国すると2年後に大飢饉に遭遇する。貧しい家庭を訪問して歩くと竹細工の製作・販売で生計を立てている女性グループと出会い材料費の3000円をポケットマネーで貸すことにした。

彼女らは非常に喜んだ。無担保、無利子の3000円に。

これがきっかけでMicro Credit(小額融資)を思いつく。そして今のグラミン銀行があるのだ。

 今日大学の金融機関論という講義で金融・金融システムに詳しい(それもそのはず教授は元日銀マン)教授からこの方の存在を聞いた。

 「昔の日本の農業金融に近いと思う」とおしゃっていたが、これは興味深く調べる価値がありそうな話だと思った。

 関連して、今日の講義では公的金融機関がテーマだっただけにいろいろな話がきけた。ODA、国際協力銀行、JICAの話も出てきた。財投の入り口である郵貯・簡保の金が財務省・国会を通り、出口の政策金融機関へと向かうという説明を受けた。

 小泉元首相はまずこの入り口である郵政3事業(ちなみにそれるが教授は、郵便は民営化をするべきではないとした)を民営化するために2005年国民に問うた。これは個別のテーマに対する国民投票が日本の憲法にはなかったから仕方ない。

 そしてうまくいった(総選挙で圧勝した)ために出口の政策金融機関にまで改革に着手し、統合・民営化がきまった。何かがうまくいくとさらに力学が働き弾みがつく。  

 市場を通さない資金調達のために潰れるという危機感を持たず、郵貯・簡保・年金基金の金が投入され、いざ貯金者・年金納入者に返せなくなったら税金で補えばよいという考えがこの金融部門には跋扈していたからだ。

 ちなみにある途上国の決済システムをつくるために出向というかたちで国際協力銀行にいった経験をその教授は持っていて、この業界はドロドロだ、ということを教わった。

 ODA(オフィシャル・デヴェロプメント・アシスタンシー)、政府開発援助というと途上国を支援するための重要な機関、日本というGDP世界第二位の国が途上国を支援するための重要機関というように思っている人が多いと思う。

 だがどろどろ、実情は。

 プロジェクトベースで融資されるが、日本のODAプロジェクトで返済してもらった事業など超珍しいというか、ないに等しい。これも問題だ。

 そのプロジェクトは国の決済システム構築プロジェクトだった。まずハードPCとそれに組み込むソフトが必要になる。そのためにレントシーキングが蔓延するのだ。特に商社、どこから聞いたのか知らないが、わけの分からない業者が接触(接待の連絡)してきたそうだ。

 また最初は対象国もやる気満々で望むらしいが、2年も経つと賄賂付けで英語はうまくなるが、悪い方向へ悪い方向へと流れてしまうらしい。

 ルワンダ銀行総裁として乗り込んだ服部正也氏の本を読んだことがあるだけに全部ではないだろうが、実態を自分の脚を使って把握しないと、より歪んだ状態が定着してしまうことに注意が必要だ。開発独裁、共産圏、社会主義政権から資本主義、民主主義政権へ移行して間もないような国ではより気をつけなくてはならない。不幸になるのはその国の食べるにも苦労する農村部、地方の人々だ。

 日本のODAは日本の国内企業の利権になっている。(再度全プロジェクトがそうとは言わない)。途中で誰かのポケットにもいくらか入っているか、接待を受けて美味しい思いをしている人がいるとおもったほうが良い。

 このグラミン銀行総裁ムハマド・ユヌス氏は、「貧しさは不幸」だと感じたままに力になれないかと純粋な問題意識からはじめたと思うが、歴史に名を刻んだ。こうした英知をなんとかさらに途上国各国に広めることができないかと思う。


Rent Seeking 利権追求 公私混同は許されない

2006-10-17 00:50:42 | 歴史・思想・哲学

 先進国、途上国問わず問題になっている今ホットな経済テーマだ。タイのタクシン政権が崩壊した理由もまさにこれ。

 福島県知事の辞職もこれ。規制で守られた部分の権益を手に入れれば、市場活動を通じて事業を行うよりも莫大な利益が得られるため、その権益を追求して利益をあげようとする活動を指す。

中国で今起きていることもまさにこれ。

 鄧小平が78年に改革・解放政策を実行に移してから28年、幾度もの行政機構改革、党政分離などを主張・実行しようとするも何らかの抵抗につまずきうまくいかなかった。ウェーバーの述べた官僚制を目指したことに間違いはなかった。改革は、特に経済改革は斬新的と言われるも、急激に効果が効果が表れた。だが、政治・行政機構改革を後にしたがために改革の効果が表れたころには既に、中国の人口と広大な土地の規模を考えれば、市場導入や機構改革によってその構造は縮小されていた。そして、格差解消を党主導で是正しようと考えても、逆に党の市場介入は腐敗の温床となり、格差を広げる力に寄与している。

 朱鎔基元首相も三大改革(国有企業・金融・行政改革)を掲げ、汚職・腐敗と戦った。彼は国計委(国家計画委員会後は国家発展計画委員会)の権限を削減し、権力基盤だった国経貿委(国家経済貿易委員会)に権限を移動させ、自身が統治しやすいように改革していった。これは中国ではまず官僚組織を自分の下に置かなければ、正しい理念、問題を解決するための意識を持ち、それを実現するための戦略を策定しても実行不可能な現実を分かっていたからだ。

 胡錦涛総書記、温家宝首相が真に清廉ならば、腐敗の温床となっている党の市場介入(許認可権限の濫用、公私混同)を徹底的に取り締まる必要がある。もし、そのために地方の権限が邪魔になるならばもう一度中央集権を強化させることも考える必要がある。

 

 


改善から改造へ

2006-10-11 10:25:32 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

これは今北純一さんという方がおしゃっていること。

現在は、欧州系コンサルティングCVA(コーポレート・バリュー・アソシエイツ)という会社のマネージング・ディレクターで、95年にフランスから国家功績勲章を受章している方。

・今までの延長線上での修正(⇒改善)では通用しません。世に起きている変化に対応していくには改造が必要ではありませんか?

・競合がああした、こうしたからうちも・・・、そういった目の前の対処ではなくて、もう一度、顧客が何を求めているのか、ひょっとしたら現状において市場に、お客様に提供しているもので押し付けになっているものはありませんか。

・全課、全部門の人が集結して、顧客が何を必要と、欲しているのか、再考することが求められてるのではありませんか?

こういうことをいっている。まさしくその通り。

自分の現時点の戦略の定義

戦略とは、まず顧客を意識することが前提⇒ドメインの設定。そしてミッション・ビジョン・意志・イシューを持ったうえで、どうそれを実現するか(解決するか)のシナリオ。それが戦略。


『嫌われ松子の一生 上・下』

2006-10-07 17:01:38 | 小説

山田宗樹『嫌われ松子の一生 上』『下』(幻冬舎文庫)を読み終える。

 主人公の川尻松子は、優秀な成績で小・中学校を卒業し、大学を出て中学校の先生になる。しかし、引率でいった修学旅行中、宿泊先で売店の売上がなくなるという問題が起こった。夕食中、トイレという理由で席を立ったということで容疑が松子のクラスの男子生徒にかかる。

 事実そうだったのだが、松子が問い詰めるも本人は認めず、松子は自分が盗んだことにしてしまい、しかも数千円(時代背景が敗戦・終戦前後の設定のため、今の貨幣価値とはかなり違う)足りなかったため、同部屋だった教員の財布から返すつもりで黙って抜き取って宿泊先側に返金してしまう。

 これが原因で松子の一生は転落していくという話。読む人によっては「①この松子って女は性悪で最悪だな、こういう人生になるのも当たり前」、また別の人によっては「この松子は純粋で人より真面目な奴、人間らしい、ただ珍しいぐらいにツキがなく可哀想な女だったんだな」という二つにわかれる感想を持つように思う。自分は後者だった。松子が何度か騙されるシーンがあるが、こんな経験がある人も実際にいるのではないかとリアルに感じた。

 人間らしさが描写された作品。


市場対国家あるいは大きな政府小さな政府

2006-10-06 10:42:54 | 歴史・思想・哲学

 この議論の前提として忘れてはならないのが、誰(主体)が何(客体)を持って市場参加となりうるのか。実はこの部分の議論が今まで乱暴に、素通りされてきたのではないか。

 こう指摘するのが、稲葉振一郎・立岩真也 『所有と国家のゆくえ』(NHK出版)である。二人とも専門は社会学。

 確かに、つまり所有の問題である。

 このブログのテーマにもなっているが、何が自己で何が他者か、という問いにも関わりがある所有の問題。

 中国の抱えている問題の理解を深めるために読み始めたのだが、中国は今その問題が表面化している真っ最中だ。

 BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ、ゴールドマンサックスの人が言いだした言葉では南アフリカは含まない)の中でも断トツな経済成長(改革・解放以降年率9%)を遂げている中国にとっては所有の問題はまさに避けて通れない、政策の中心的問題なのだ。

 中国では徴税制度が整っていない、税務職員不足のために徴税率がものすごく悪い。そもそも、なぜ我々は税金を納めなければならないのか、という問いに今の中国の政治体制でうまく答えることができるのか。

 共産党幹部の汚職・企業との癒着の問題もそう。私有財産と公共財の境界が曖昧だから起こっている問題。

 農地の問題(三農問題)もそう。集団所有ですすめられてきた農地改革、農業生産性の向上、この問題の解決となるカギは所有制をどのような枠組みで認めれるか。

 先進国でも今は自明として財産権は機能しているが、この先も機能し続けるかは不透明。その問題に離陸したばかりの中国が挑んでいる。


カルロス・ルイス・サフォン『風の影』

2006-10-04 23:55:41 | 小説

カルロス・ルイス・サフォン『風の影 上』『風の影 下』(集英社文庫)を読み終えた。

 今年の7月に刊行された新しい作品である。サフォンはスペイン人でハリウッド映画の脚本なども手掛けている。

 Promotionをせず、クチコミで広がってスペイン原書は空前のヒットを飛ばし、ついに日本へも上陸した。

 37カ国で翻訳出版され、フランスでは2005年に最優秀外国文学賞という賞を受賞し、この本の火がつき始めた当時、ドイツ外相ジョシカ・フィッシャーという人が、この本を絶賛して、これが広宣の役割も果たしたのか、どうかは知らないが、瞬く間にカオス理論のごとく日本ももれずに世界中を駆け抜けた。

 少年ダニエルと作家のカラックスが物語の主人公として並行的に、話は展開されていく。

 この物語はかなり、いろいろなテーマが盛り込まれている。途中は、ちょっとやりすぎでは、と思ったが、終盤は心が徐々に温まっていった。

 友情、親子愛、恋愛、憎悪、近親相姦、名作の引用、駄洒落、宗教、戦争、内戦、共産主義、富める者と貧しい者、先人たちの知恵、性の欲望、金銭の欲望などなど。

 最後には、きっちりまとめ上げられて、どんな読者の心も多少は温めてくれるだろう。

『風の影』、「忘れられた本の墓場」、これらからは、どんなイメージが浮かびますか?