広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

まだあった徐行

2020-09-18 00:02:23 | 秋田の季節・風景
才八橋の近くの話。
楢山地区の東に当たるが、よそ者はここが楢山であることを忘れがち。2つの線路と太平川で分断され、さらに金照寺山と一つ森公園の丘に挟まれて隠れた場所。
楢山だから秋田市役所の地域区分では「中央地区」。学区は築山小、秋田南中(城南中も選択可?)が指定されている。ここは2つの中学校より小学校のほうが遠く(築山小は金照寺山の真裏)、通学が大変そう。
【19日補足】警察署は、奥羽本線が境になるようで、ここらは秋田東警察署城東交番エリアの西端。秋田中央警察署楢山交番ではない。

楢山かまくら」という伝統行事もあるし、狭くて曲がりくねった古そうな道路があるので、古くから人が住んでいたはず。
そして、おそらく昭和40~50年代に宅地開発され、人口が増えたはず。隣接する横森地区(こっちは東部地区)の宅地化と同時進行かもしれない。
それなのに、道路整備がされなかった(スプロール現象に該当するかも)ため、1つしかルートがない、狭くて歩道がない道を、車が行き交っている。今は横山金足線へ回ることも可能で、昔よりはマシなのかもしれないが。
道路新設や拡張をするにしても、その土地がないし、そうするまで人口は増えていないということか。

左が奥羽本線、右が一つ森公園、奥が才八橋方向
才八橋を渡って、一つ森公園の下辺りまでが特にこちゃこちゃした道。上の写真の奥のほう。
一つ森公園のふもとまで来ると、道路はいくぶん見通しが良くなる。一つ森公園斜面側にはわりと広い歩道が付くが、その分、車道の幅は狭いままでセンターラインはない。
山と線路に挟まれていることもあって、多少はカーブがある。
そのカーブの手前。右は線路向こうの金照寺山ふもと

徐行標識!
忘れていた。ここにも「徐行(英字なし)」があった。確認済みの中では、いちばん交通量が多い道路に設置された「徐行」だと思う。
レアな標識とは言うけれど、実は(秋田市内には)けっこうあるのかも。

上写真は、才八橋から南進する側で、この1枚だけ。逆方向では、
やはり1枚だけ(左側奥の電信柱)。奥の大きな建物は市民市場向かいのNTTだ

南進側で、30km/h制限の標識と一緒に設置されていることから、公安委員会(警察)設置と考えられる。裏面のシール等なし。
例によって古いもので、日当たりの関係か北進側が色あせている。南進側は、30キロ制限よりはずっと鮮やか。古い標識でたまにあるが、板面には縦方向に「……」という模様のようなものがある。

南北とも、下の補助標識は「事故多し」。
ちょっと珍しいが、警察庁が認める「規制理由」を示すものだろう。
それはいいけれど、これも例によって「規制区間」がない。
警察庁「交通規制基準」では、徐行には規制区間の補助標識を必ず設置するよう求めているが、秋田市内で確認済みのものは、県警設置分も、秋田市設置の新しいものも、いずれもない。
1方向に2枚設置して「ここから」「ここまで」とするのが本来だが、規制の区間がおおむね30メートル未満の場合は、1枚で「ここから○○m」でいいとしている。

ここの場合、常識的に見て、このカーブを通過する時だけ徐行ということだろう。
そして「30キロ制限」と「徐行」がいっしょなのも、混乱する運転者がいるかもしれない。
というか、ここを通る車を10台以上見たが、厳密な「徐行」をした車は1台もなかった。※徐行とは「車両等が直ちに停止することができるような速度で進行すること」で「時速4、5キロぐらい」。
でも、交通違反うんぬん以前に、“真の徐行”まで速度を落としたら、後続車に追突されてしまいそう。

「徐行」じゃない、注意喚起を検討してもいいのかもしれない。

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豪華なゴミ置き場

2020-09-04 00:30:38 | 秋田の季節・風景
「箱文字」とか「チャンネル文字」と呼ばれるものがある。建物の外壁などで、企業や施設の名称を表示するのによく使われる、金属製などの立体的な文字。
看板を出すよりもしゃれていてスタイリッシュなことが多いものの、費用はかかるし、経年で部分的にズレたり落ちたりするとみっともない。


秋田市内のこんなところに、箱文字が使われていた。
小さいけれど凝った造り

近くにはこんなのも(同じものが2つ)

1文字10センチ四方ほどの、銀色の太めのきれいな明朝体の箱文字でその名称が表示されているが、見ての通り、
「ゴミ集積所」
【4日補足】書体は、写研製「石井太明朝体」ではないだろうか。写植用書体(「文字」カテゴリー参照)なので、パソコンでは使えない。
「ゴミ集積所」

ただのごみ置き場。
それにこんな立派な箱文字を使うとは!

まず、集積所にしては構造からして立派。
後ろに一部写っているように、これは集合住宅のごみ置き場。公営住宅、社宅、分譲マンションなどでは、建物本体と統一感のあるごみ置き場が造られることが多い。折りたたみ式を設置するのは、ほとんどが戸建住宅の町内会。
とはいえ、特に最初に紹介したのは、鉄筋コンクリート造かのような丈夫な造りで、屋根にドーム状の物体があるなどデザイン性が高い。もう1つのほうはシンプルだが、裏側にも同じ扉があって、おそらく住民は道路に出ずとも、敷地内からごみを出すことができる。なかなか豪華なごみ置き場、しかも箱文字表示付き。
この裏面も同じ構造で、箱文字はない

このごみ置き場があるのは「秋田県職員矢留公舎」。県の職員住宅。
建築時期もデザインも異なる複数の棟からなり、集積所も複数あるが、うち3つだけがこのような箱文字付きごみ置き場のようだ。矢留以外の公舎にはあるだろうか?
「秋田県職員矢留公舎 n-nn」という、所在地と建物名の表示は、金属板。その文字よりも「ゴミ集積所」のほうが若干大きいと思う。
矢留公舎のほかの集積所は、以前は木枠に網を張ったもの、ここ5年ほどの間で金属製の檻状のものに交換されている。いずれも、ごくシンプルなもので、表示もない。

この3つのごみ集積所は、もしかしたらバブル期に建てられたかもしれない。ましてや県庁、こんなところに税金を無駄遣い(と言わざるを得ないと思う)したのだろう。
だとしても、ここがごみ置き場であるという表示をこんなに大きく目立たせる必要があったのか、理解に苦しむ。
あと、県庁の業務は家庭ごみには直接関わらないものの、役所として「ゴミ」表記は適切ではないとも思う。公的にはゴミは「ごみ」とひらがな表記するものだ。バブルで浮かれていたのか?

一度作ってしまったもの。今さら撤去するのもまたおかしい。
文字は光り輝き、込み入った画と画の間などに汚れも溜まっていない
集積所の壁は、経年で汚れてしまっているが、箱文字はピカピカ。部分的な欠落も生じていない。大切にはされているようだ。

かつて、市内の某民間商業施設では、客の目に触れる箱文字が、こんな状態で放置されていた。※後に修理されました。
(再掲)
これに比べれば、みっともなくなくていい。だけど、「コミ集積所」などとなった時は、修理するのでしょうか…
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旧大島商会 その後

2020-09-03 00:37:01 | 秋田の季節・風景
2018年12月の続き。
秋田市中央部、歓楽街・川反の南一帯で、南大通り・(大町)五丁目橋からドン・キホーテ横・山王五丁目交差点へ抜ける「都市計画道路川尻広面線」が造られつつある。うち、五丁目橋から寺町にかけての「横町」は、既存の一方通行の道路が拡幅される。
その区間には、1901(明治34)年に秋田初の百貨店として造られ、秋田県内最古のレンガ造の建物である、国登録有形文化財「旧大島商会」が残っていた。

道路拡張で解体もあり得る事態になったが、所有者が秋田市へ(「建物を」ということでしょう)寄贈。秋田市は、大町一丁目の市有地へ移築して活用することにした。というところまでが2年弱前の話だった。その後。

移築決定後、営業していた生花店が退去・移転。
2019年8月。看板などなくなってすっきりした姿
改めて見ると、小さい。幅9メートル、奥行き7メートル。
営業当時は、向かって右・西面に隣接してプレハブが建っていたのがなくなったので、これまで隠れていた面が姿を現した。
レンガがやや汚れている?
鉄の扉と、レンガが出っ張った柱のようなものが特徴的。

写真はないが、左面もほぼ同じ。2階の鉄の扉がなく、レンガは正面並みにきれい。隠れていた右面は、あまり手入れしていなかったのだろう。

2020年3月
徐々に解体が進んだ。


移転先は、通町の通りから南へ入った、だるままつりの星辻神社の並び。かつて秋田魁新報社本社があった裏側の一角で、サンパティオ大町の裏。
ここしばらく通っていなくて、現在。
こんなに形になっていた!
通らなかった間に、想像以上に工事が進んでいた。

「建築工事の表示」看板は、「まちなか観光案内拠点整備工事」で昨年8月3日から今年10月3日まで。
「構造・規模」欄には、移転前後両方書いてくれていて「木造2階建(大町6-5-7) RC造2階建(大町1-2)」。ということは、以前は木造、移築後は鉄筋コンクリート造で、それにレンガを貼ったような造りなのかな。
ということで、レンガはまだ見当たらなかった。三匹の子豚の家じゃないので、レンガをただ積み上げる単純な構造ではなく、その前の段階なのだろう。

シート越しのシルエットやサイズ感は、移築前と変わらないと思う。場所的にはうまく収まって、ちょうどいいスケール感かな。
北・通町、星辻神社側から
この位置だと、正面が東向きだから、北向きだった移築前から時計回りに90度回転したことになる。
この土地は傾斜があって、道路から遠い奥のほうが高い。その対応はよく分からないが、とりあえず正面は低い道路面と同じレベル。【4日追記・建物が建てられている部分は、道路と同じ高さまで掘り下げられているようだ。そのため後方とは段ができていて、コンクリートの塀のような仕切りがあった。】
敷地と比べるとだいぶ小さい建物なので、どう配置するかと思っていた。中央にどーんかと思ったら、向かって左・南に寄せた位置【3日追記・前は後方へ引っこませるのではなく、道路際2~3メートルってところ?】。後ろも余っていそう。
左はロンド
したがって、南隣は著名なジャズ喫茶「ジャズスポット ロンド」、さらに南隣は秋田の手作り製品を集めた店「秋田贔屓(あきたびいき)【4日追記・8月いっぱいで営業を終了していた!】」、そして地ビール醸造やビアレストランなどの「あくら」の入口。
秋田贔屓が入る和風商家の建物は、わりと最近まで、あくらと同経営の「高堂酒店」の店舗として使われていて、大島商会より少し古い1887年頃築。また、ロンドやあくらも、同じ頃建てた蔵を改装しているそうだ。
というわけで、明治期の建物が連なる一角になりそうで、いいかも。
あくら側から。左奥の青いシートが工事現場

裏の大町通り側から見る。以前「さきがけ大町センター」があった、サンパティオ南隣の駐車場の真後ろに当たる。
奥の高い建物は旭川対岸の秋田中央警察署
右の大きい蔵があくら、その向こう側がロンド。こちら側とは1段低い位置に、大島商会が移設されようとしている。

この市有地には地元商店街による商業施設建設の計画もあったが、どうなっているか。
大島商会が観光案内施設として使われるのなら、大町通りのサンパティオやねぶり流し館と行き来できれば便利だが、段差対応や私有地をまたぐルートを確保する必要がある。どうなるか。

横町通りに大島商会があった頃

現在
横町~寺町のほうは、店が多い五丁目橋寄りは手つかずだが、寺町寄りは移転・建て替えはかなり進み、道路が造られようとしている。→2023年の状況

移築の続き
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期間限定 通町の“背景”

2020-08-31 20:47:41 | 秋田の季節・風景
江戸時代から城下のメインストリートとして栄えてきた、秋田市の「通町(とおりまち)」。
住居表示実施により、現在は保戸野通町と大町一丁目の境の道路になっているが、通称としての通町は、道路沿い両側。
「通町」の定義としては、狭義では通町橋を東端に、「せきや」近くの菊谷小路と交わる交差点まで300メートル。ちょうど県道233号と重なる(県道は北へ曲がる)。
広義では、そこから市道に変わって200メートル西、「大工町」だった部分も含めて、みその通りとの交差点(六道の辻)まで。これだと、保戸野通町・大町一丁目のエリアと一致する。
「通町通り」と呼ぶこともなくはないが、語呂がいまいち…

通町は、20年強前に道路拡幅が行われ(↑広義の区間)、風景が様変わりした。それに比べれば近年の変化は少ない。
ところが、気が付いたら、通町の“背景”が様変わりしていた。変わることは予測していたが、このように変わるとは予想外。
※変化前はあまりいい写真がありません。予測していたのならば撮っておけばよかったのに…
佐野薬局付近から東方向で比べる。
2013年3月

現在
通町橋の対岸は、変形十字路(四差路)なので突き当り。その向こうの“背景”が違っている。
以前は見えなかった、お寺の屋根に丸窓が開いたような独特の建物が見えるようになった。
丸窓越しに向こう側の丸窓も、上に駅前のアルスも見えている
千秋公園の下にある、前の秋田県立美術館・平野政吉美術館の建物である。
メイン展示である「秋田の行事」を展示するために設計された、1967年から使われた建物。耐震性能や老朽化の対応をどうするかでモメて、美術館は2013年に広小路向かいの、日赤病院などの跡地「エリアなかいち」内に移転した。
その後、空いた旧美術館の建物をどうするかで、またモメた。移転前では、補修するのは現実的でないから、なかいちへ移転するという話だった。つまり解体されるはずだった。それがいつの間にか、旧美術館を補修して他用途に使うという話が強くなった。
結局、県から秋田市へ移管の上、2021年3月に「秋田市文化創造交流館(仮称)」としてオープンすることになり、現在、建物周辺(外構など)や内部の改装が施工中。
かなり特徴的な建物であり、価値がありそうなのは否定しない(そのわりには、県外から来た人などは安藤忠雄の現・美術館の建物のほうに惹かれるようだが)。文化創造交流館とやらが、市街地の活性化にはなるかもしれない。
ただ、歴史ある建物を次々と壊す秋田において、どうしてこれだけがこんなに大事に残されるのか、大金をかけてまで残す価値があったのか、そもそも美術館を移転する必要があったのか、いろいろと考えてしまう。


なぜ、旧美術館が見えるようになったか。
2013年の写真を拡大
秋田県民会館(上の写真で緑っぽい高い建物)と秋田和洋女子高等学校(手前のピンクがかった横長の建物)がなくなったから。
以前の繰り返しになるが、新しい文化施設(あきた芸術劇場)建設とその駐車場とするため、県民会館と隣接する高校が解体された。
県民会館は昨年までに解体済みで、今春、秋田令和高校となり近隣へ移転した和洋高校校舎の解体がされた今年夏(たぶん8月から)、県民会館向かいにある旧美術館が姿を現した。旧美術館敷地のメタセコイアの木も伐られてしまい、それも見通しを良くしたはず。
8月中旬。左側の校舎がまだ残っていた。屋根には芸術劇場工事のクレーンの影

たしかに、旧美術館と通町は道路・通町橋越しにほぼ一直線。佐野薬局付近までだと500メートルほど。
Googleマップ航空写真に加筆。左の黄色い★が佐野薬局付近
地面に高低差があり、建物もけっこう高かった県民会館、さらについたてのように横(南北)に長かった和洋が、見通しをさえぎっていたのだった。

航空写真の通り、旧美術館の屋根と通町の通りは、完全に直角な位置関係ではないから、通町でも場所によって見え方が変わる。
また、通町橋寄りでは近すぎて手前の建物に隠れるし、全体に南側・大町一丁目側では、南側の建物に隠れて見えない。
西に進んで、
せきや向かい・通町二区バス停付近

右が隠れる
ここから西・大工町側では、北側であってもほぼ見えなくなる。

今まで、旧美術館をこれほど「真横」からきれいに眺めることは、通町以外の場所でもできなかったと思う。
それに、芸術劇場ができると、再びさえぎられると思われる。あと何か月だろうか、限定の貴重な光景。
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手形押ボタン通り

2020-08-27 00:01:38 | 秋田の季節・風景
手形陸橋東側、秋田市手形地区を抜ける県道28号線の続き。前回最後に、この通りに「多い」ものがあるとした。
地理院地図に加筆
↑左右の黄色い道が県道28号、その南側(かつ「十七流」表記付近より西側)が区画整理エリアなので、広めに掲載します。「NYNY」はパチンコ屋、「いとく」はスーパー。
上の地形図に、赤で西側から1から6までの番号を振ったのがその存在。
いとく前のカーブから西方向。奥の手形陸橋下の山崎町交差点まで800メートル
上の写真には、1~5が写っている。
信号機がずらりと並ぶのにお気づきだろうか。それだけなら、竿燈大通りとその裏通りなど各地にある。
ここがすごいのは、連続する6つの信号すべてが、押しボタン式(警察用語では送りがななしの「押ボタン式」が正式らしい)ということ。
「押しボタン式信号が6連続」なんて、全国的にほかにあるだろうか(誰か調べてほしい!)。【2022年8月27日追記・広島県呉市の国道31号に、850メートルほどに押ボタン信号が6つ連続する区間があるとのコメントをいただいた。】

さらにその6つ+両端2交差点の間隔の狭さ。
両端の押しボタン式でない「手形山崎町」と「広面小南(ひろおもてしょうみなみ。広面小学校の南側という意味らしい)」両交差点の間は1170メートル。その間に6つあるから、平均167メートル間隔。地図上で計測すると、
[手形山崎町]150m[1]110m[2]100m[3]120m[4]190m[5]380m[6]120m[広面小南]
1~5は特に密接していて520メートルに5つなので、平均130メートル。
「1キロに6つの押しボタン信号」とは、日本記録だったりして?!(誰か調べてほしい!!)

なお、6か所とも、脇道用の車両用感応式信号などがない、歩行者用信号と押しボタンが1組ずつ設置される、オーソドックスな押しボタン式信号。また、この区間に、信号機なしの横断歩道はない。
ちなみに、この区間のバス停は、手形東町・若葉町・野崎・赤沼入口・三吉神社入口と5つ(それでもやや多めで、最近の幹線道路に比べて間隔が短い)。
ラーメン屋は(当然間隔はまちまちだが)6つよりは多いよう(9店?)で、さすが激戦区。


横断歩道の設置間隔について。
法令では決まっておらず、要はケースバイケースなのだが、警察庁「交通規制基準」には示されている。
「横断歩道の間隔は、市街地においては、おおむね100メートル以上、非市街地においては、おおむね200メートル以上とする。ただし、通学・通園児、高齢者、身体障害者等の横断する場所や商店街等で歩行者の横断が特に多い場所においては、設置間隔を短縮することができる。」
ここは100メートル以上が適用できるであろうから、基準範囲内でしょう。
信号機の設置間隔については、特に基準はなさそう。



ところで、千秋トンネル通りの元秋田銀行保戸野出張所前(鷹匠橋西側)、あるいは外旭川アンパス通りの野村交差点東側の押しボタン式信号を横断したことがあるだろうか。
ボタンを押してもなかなか青にならず、とても待たされる場合がある。

なぜなら、すぐ隣にある通常の交差点の信号機のサイクルと連動しているから。
ボタンが押されると、隣の交差点(菊谷小路北端、野村)の同方向と同じタイミングまで待って、信号が変わる。交差点間で車両が詰まってしまわないためだと思われる。

手形の6連続押しボタンでは連動などせず、めいめいにボタンに応じてすぐ変わるようだ。
車両がつかえることはない、もしくはラッシュ時などは元から渋滞気味でつかえても差し支えないという判断なのだろう。連動させると費用がかかるだろうし、待ち時間が長いと信号無視で渡られるおそれもあるだろうし。
※ただし、この区間に限らず、誰かが渡り終えて歩行者用信号が赤になった直後にボタンを押した場合は、ただちに反応せず、一定の間隔(数十秒)を置いてから青に変わる「遅延タイマー」は設定されているのが一般的。


手形のこの通りに、押しボタン信号が連続する理由は?
・交わる道から流入する車はさほど多くないので、押しボタンでない通常の信号機を設置するほどではない。
・一方、県道の交通量が多く、横断歩行者も一定数いる場所なので、信号機なしの横断歩道では無理・危険。
・以前は西側(3・4間のパチンコ店付近以西)が3車線で、時間で進行方向が変わるリバーシブルレーンであったので、特に危険。
・一直線の道路に、あえて信号機を多く設けることで、運転者に緊張感を持たせ、スピードの出しすぎを抑止する。
といったところか。
3番の押しボタン信号を西側から
上の写真の少し東(奥)側から手前方向がリバーシブルレーンだったはず。手持ちぶさたなゲート状の物体には、車線数や走行可否を示す標識類が設置されていたはず。

密接している西側は、地図を見ると分かるように、北方向の小道はどれも秋田大学方面につながっているので、特に大学生の横断が多いと感じる。
ここで押しボタン信号の数を減らしてしまうと、横断歩道以外で横断したり、常にボタンが押されっ放しになったりしてしまうのかもしれない。数を増やして、うまく分散させているのかも。
2013年3月撮影。西から6番、その奥が広面小南。北都銀行広面支店は今はない
間隔が広い東側は、スーパーのいとく(5と6の間)があり、その来店者などの横断者も多そう。しかし、いとくの真ん前には信号がない。道路がカーブしているので、信号や横断歩道を設置しづらいのだろう。その結果、信号でないところを横断する人がいる。カーブだし、駐車場に出入りする車もあるし、危ない。

とりあえずは、6連続押しボタン式信号でも、問題はないのではないだろうか。
市街地に横断歩行者がいて当然。歩行者は面倒がったり遠慮したりせずボタンを押して渡り、運転者はゆとりを持った運転をお願いしたい。


さて、この通りは、子どもの頃から車でたまに通る程度。どこに何があったなど細部は記憶になく、昔はちょっと違う雰囲気で、気がついたら現状になっていた。
今は電線が地中化され、歩道はブロック敷きで融雪装置があり、街路灯や信号柱は茶色で統一されている。いつ、そうなったのか?

ここは、三吉神社前の旧道のバイパス的位置付けではあるが、道路そのものはそこそこ古い(今の広面小南交差点まで)。1971年の地形図では、現在と変わらなそうな線形。
その後、1991年に手形陸橋の第1段階の拡幅・リバーシブルレーン開始があり、その前後だろうか広面小南交差点以東(横金線交差、谷内佐渡方向)がバイパス化された。
1990年代中頃辺りは、もっとごちゃごちゃした街で、横型の普通の信号機だったような気がする。

そんな時、参考になるのが、設置された信号機の製造年月。
この区間では、制御器や押しボタン箱も含めて、近年交換されてしまったものもあるが、電球式の信号も残っており、それは道路改良時に新規設置されたままの可能性が高い。
※事故や故障による早期交換、あるいは在庫品や転用品の可能性(後述)もあり、断定はできない。

電球式が多く、位置的に銘板が確認しやすい、歩行者信号機を調査。
ここの歩行者用は、上や下から見た断面が三角形=背面が2面の、小糸工業(現・コイト電工)製のものが多いので、一括で設置されたかと思いきや…
太い数字が製造年。細いのは製造番号の一部
現存する電球式だけで2001年12月、2002年12月、2003年8月製と、近接ながら3回に分けて製造されていた(図中「S63」は別。後述)。2002年製と2003年製が向き合うものもあった。
製造年月が同じでも、製造番号が飛び飛びになっているのは気になるが、西・手形山崎町寄りのほうが新しい。
東側はLED式に交換済み(昨年交換されたばかりのものも)だが、さらに東の広面小南交差点には、同じ形状で「平成6年4月」製=1994年とだいぶ古いのが残っている。【2024年9月21日追記・横金線を越えてさらに東の「秋田大学付属病院」交差点は1987年11月製だった。】
したがって、東から西へ進んだ融雪設置など工事の進捗に合わせて、段階的に信号機が発注・設置されたと考えられる。

LED化は、6番5番は歩行者用・車両用とも完了。4番は車両用だけがLED化(おそらく中古転用品)。
※LED化と同時に、背中合わせ両面設置だった車両用は、警察庁の指針に従って、1方向に付き1台の片面設置になった。
冒頭と同じく5番から1番方向。手前2つがLEDの片面設置
5番は新品の低コストLED片面で「押ボタン式」表示板も新品。4番が転用LED片面、以降は電球式両面。

西側が未更新なわけで、これは、単純に少し新しい信号機だから後回しというだけかもしれない。でも、それよりも、区画整理に連動して、県道の歩道も改良されるようなので、その時まで待って取り換えるつもりではないだろうか。
あるいは、区画整理の結果、流入する道路の位置や幅が変わり、信号機・横断歩道の位置そのものが変わるということも、なくはないかもしれない。
※広面小南に古いのが残っているのは、忘れているのかも【27日補足・あるいは気まぐれで未交換】。秋田県警では珍しくない。まあ、機能としては問題ないでしょう。


この区間の歩行者用信号機12台。
LED化前をストリートビューで確認したものも含めて、上記のように小糸工業製が多く、9台あり、いずれも吊り下げ式。
小糸の吊り下げ
残り3つ、4番の北、5番の南、6番の北は別タイプだった。5、6は交換済みなので4だけ現存。
4番を東から。右側がそれ

交換済み2つも含めて、以下のような状況だった。

吊り下げでない、上下からアームで取り付ける一般的な設置方法(抱えこみ設置)。信号機自体も小糸製ではない形状。信号柱は、背が低くて飾りがない。
1番と2番でも、同じような信号柱だが、柱自体が少し違い、信号機も小糸の吊り下げ。
したがって、東寄りの初期施工区間の、低い柱だけ、違っていることになる。

この低い柱は、歩行者用信号機と押しボタン箱のためだけの柱なので、細い柱の頂部に歩行者用信号機を串刺しする「自立式歩灯」にしても良さそうな環境だが、秋田県警はそれを好まない。40年近く前、今の竿燈大通りが電線地中化された当初はあったのだが、いつの間にか通常設置に変えられ、秋田市街地には皆無。

4番北の信号機は、昭和63年1月、京三製作所製。交換済みの2台は形状は同じだったが、製造時期やOEMなどでメーカーは異なる可能性がある。
道路整備時期と比べて古いし、京三製新品は秋田市内には多くない。どこかの中古品で、元は普通のグレーだったボディを茶色に塗り直していると思われる。

やはり2000年代前半に整備された南大通りでも、中通総合病院入口の押しボタン信号の片方が類似した環境で、同様の手法(平成7年日本信号製で緑塗装)が取られている。
ボディの色落ちは進んでいるものの、機能は問題がなさそうだから構わないけど、新品を発注すれば良さそうなのに、何かの制約があったのか、節約したのか?
【31日追記】今年春(昨年度末)、交換された旧国道の歩行者用信号機でも、他は新品なのにアームが違う1か所だけ転用品(ここは京三だった)だった。今でもなお、違うアームの少量注文はしづらいのかな。


“手形通り”は“押しボタン信号通り”で、今後は南側の区画整理に伴う、歩道再整備(+信号機交換)に注目。
2021年始の強風によるここの信号機への影響
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手形通り? の南側

2020-08-24 17:12:18 | 秋田の季節・風景
秋田駅の北東すぐが、秋田大学の本部などがある手形(てがた)地区。おおむね奥羽本線の東側、旭川の南側、広面(ひろおもて)地区との間。秋田市の区分としては「東部」エリアになる。

今、“手形のメインストリート”と言えば、県道28号と認識する市民が多いと思う。秋田駅西口側・広小路から手形陸橋で線路を越えると、ほぼ真東かつほぼ一直線に手形を横切る。
陸橋の下、「手形山崎町」交差点から一直線に800メートル、いとく秋田東店前で北東に角度を変えて500メートル強で横山金足線(県道41号)と交わる。
今回は扱わないが、さらに東で太平川に突き当たって北へ向きを変え、幅が狭くなって太平山~河辺の岩見三内へ向かう。
手形陸橋から東方向、手前の交差点が手形山崎町
交通量は多く、大学病院方面(手形山団地経由を除く)の路線バスが通る。かつては途中までリバーシブルレーン(中央線変移)が行われていた。

太平山三吉神社(里宮。過去の記事)や秋田大学医学部と附属病院も近いが、いずれも県道28号には面しておらず、所在地も手形ではない。
神社前の狭い道は「赤沼街道(神社の所在地が広面字赤沼)」と言われるそうだが、あまり一般的ではないと思う。そのバイパスに相当するのが、陸橋から続く県道28号なのだろう。
沿道にはスーパーやパチンコ店もあるが、多いのは個人経営の店。飲食店が多く、“商店街”と呼べるものではない。秋田大学に近いので、学生目当ての店も多いものの、21世紀始めには居酒屋が多かったのが今は激減し、代わりにラーメン店が増えたと、数年前の魁が伝えていた。コンビニはできても、長続きしない感じ。


ここに関して悩むのが、会話でこの道路を指す時、どう呼べばいいのか。
メインの道路なら「○○通り」など名称・愛称が与えられてもいい。秋田市都市整備部では、国道・県道も対象にした「市民に親しまれる道路愛称」を公募しているが、ここは今のところ対象外。同様に新国道も対象外だが、新国道という暗黙の了解が形成されている。

ネット上では、自然発生的な呼称だと思われる「手形通り」や「手形の通り」が散見され、ある程度は浸透していそう。
僕は使う気になれない。秋田大学前の道路などと誤解される可能性が捨てきれないから。
「三吉神社の通り」でも通じそうだが、厳密にはそれだと旧道のほうだから、個人的には気に入らない。
「手形陸橋の通り」と呼ぶのが無難と考え、それで足りている。
※「手形陸橋の通り」では、反対の線路西側も含まれてしまう可能性はある。しかし、そちらには市民に親しまれる~で1983年に「大手門通り」が命名されている(ほとんど浸透しておらず、親しまれていはいないけど)し、「脳研(秋田県立循環器・脳脊髄センター)の通り」と呼ぶのはわりとある。道路の線形からしても、陸橋とはつながっているが区分してとられることが多いと思う。不安なら「手形陸橋の手形側の通り」と呼べば確実。

命名するとしたら、「手形大通り」だとやや大きすぎて、やはり「手形通り」で決まりかな? 「三吉神社通り」もあるか…


2013年3月撮影。いとくの向かい側の西寄りから西方向
さて、現在、この通りの南側、手形山崎町交差点からいとくの少し西・「野崎」バス停付近まで(道路沿いで500メートル強)の一帯で、「秋田駅東第三地区土地区画整理事業」が行われている。
上の7年前の写真では、向かい側(左)奥方向ずっと。
2018年12月。野崎バス停付近。右はパチンコ屋
じっくり歩いたことは少ないが、昔は農村であったことを連想させる、カーブした道路や広い敷地の家も残る中に、アパートや住宅街が形成された(道路沿いには店が少々)一帯と認識していた。
2019年5月。奥の建物が並ぶ左右が県道・野崎付近、左奥の煙突が秋大
区画整理とはそういうものだけど、そこをほとんど更地にして、道路(県道の250メートル南を並行するのが大きめ【24日追記・その道路が新たに建設中のアンダーパスを経て、駅北西・旧脳研裏下の区画整理エリアとつながる。】)と家屋を新たに配置し直すようだ。
数十年前、田んぼだった頃に計画的にやっていれば、もっと安く上がっただろうに。人口減少を見越せば、今さら必要なのかという気がしてしまう。よそ者としては。
現在。2013年の写真よりさらに西で撮影(信号やパチンコ屋は変わらず)。
見事な更地だった野崎バス停付近では、たいぶ家が建ってきた。パチンコ屋はどうなる?
以前を知る人が久しぶりに来たら、驚き、以前何があったか思い出すのに苦労するに違いない。
Googleマップ航空写真に加筆
上の航空写真で、黄色い線の下・左が、大まかな区画整理エリア(さらに下まで続く)。
撮影時点では、県道沿いは未着工だが、内側は着工済みのようで空き地がある。
この時点で写っている民家らしき建物は、今は多くがなくなっているのだろうか。


県道沿いの手形山崎町寄りには、古くからあったであろうお店がいくつか営業を続けていたが、それも今年2020年に入った頃から閉店・解体する店が出てきた。「総合文具百科いせまつ」「おしゃれと暮らしのファッション島田屋」などがなくなった。【25日追記】いただいたコメントの通り、両店とも近くの仮店舗で営業を続けているとのことで、廃業ではなく区画整理に伴う改築になる。
2020年1月。閉店直後のいせまつ

2軒隣の島田屋は初売り中

現在。右の寿司屋の先が、いせまつや島田屋だった
この県道自体は、区画整理と直接の関係はなさそうだが、秋田市発注で区画整理に伴う歩道改良工事が施工中(上写真左側の工事看板)。多少変化しそう。

地元の人、秋大の卒業生の人などには、道路の片側だけほぼ全部という変則的な形で、思い出となじみのある風景が変わってしまうことになる。
ところで、この区間の道路に異様に多いものがある(ラーメン屋とか店じゃないです)。もしかしたら、全国的に見ても珍しいかもしれない。続きの記事にて
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エフエム秋田やっと復活

2020-08-17 00:09:36 | 秋田の季節・風景
秋田市八橋にある、エフエム秋田局舎正面の壁面の社名表示が、経年で部分的に取れて「 フエ 秋田」となって、長年手つかずだった。
再掲)2015年撮影

2020年6月頃、外壁に足場が組まれ工事が始まった。
(再掲)

そして現在。
外壁の色が変わった!
外壁全面の再塗装工事だった。
これまで小豆色のような色から、水色に一新。玄関周りの正面側・ひさし下の1階は手つかずで小豆色。【26日追記・その後、8月下旬には1階部分の工事が始まった。続き参照。】
正面以外も水色

「フエ秋田」だった位置には、白い帯が入って、そこに、新しくくっきり「AFMエフエム秋田」。
ひさしの左側に足場の部品がまだ置かれている
やっと「エフエム秋田」が復活した。
文字の色は変わったが、大きさも変わり小さくなった。長さというか幅は半分ほどになった。
 
工法は従来と同じく、レンガ風の凹凸のある壁面に、文字を貼り付けているようだ。また何十年かすれば、フエ秋田化しまうかも…


ところで、エフエム秋田の社屋は、大通りであるけやき通りの北側に続く道路(秋田テレビ本社前)には面していない。そこから曲がってすぐの細い道に面している。
そのため、南・けやき通り側から来ると、局舎正面やその表示が見えるものの、北側から来ると、分からない。存在を見落としてしまうかもしれない。
その対応ということだと思う。以前はこうなっていた。
2018年7月撮影Googleストリートビューより
局舎の裏の隣、つまり北西側には、けやき通りに面して「タイヤ館」がある。
その駐車場越しに局舎の裏面の西角がちらりと見ることができ、そこに縦書きで「FM秋田」の表示があった。
プラタナスの街路樹で視界が遮られるかもしれないが、これにより、いちおう北側からでもこれがエフエム秋田の建物であることは伝わっていた。
【17日補足】エフエム秋田開局当時は、局舎後方(北側)の道路は未完成だったはず。裏側から来る人のことは想定していなかったのではないだろうか。
現在
工事後は、裏面には何も書かれていない。
JR貨物のコンテナはタイヤ館のものでしょうね

エフエム秋田は今年で開局35周年。
正面表示を小さくし、裏に何も書かなくても分かるほど、存在と場所が浸透したということだろう。ひょっとしたら屋外広告物の許可申請手数料節約かもしれないけど。

※この直後、正面1階の玄関周りに足場が組まれたので、続く。【追記】9月28日時点では囲いがなくなり、玄関周りも他と同じ白・水色になっていた。
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秋田 和田

2020-08-14 22:46:29 | 秋田の季節・風景
秋田駅からJR奥羽本線上り(いわゆる“奥羽南線”側)に2駅だけ乗車。短距離で秋田市内ではあるが、個人的には乗る機会が少ない方面であり、さらに初めて降りる駅。指定席券売機で往復乗車券を購入。
ゆき券
券面左下の数字(券番?)「60006」は、これを発券した券売機が、その日に扱った6件目のきっぷという意味だと思う(1件目はメンテナンス用で、5件目かも?)。
秋田駅には指定席券売機が4台並ぶ。このFC1号機は、うち唯一のクレジットカード専用機なので、少なめかもしれないが、単純に4倍すれば、午前10時頃で30件ほどしかきっぷが売れていないことになると思う。新型コロナウイルスのため、それだけ(少なくとも)長距離客が減っているということか。

自分で画面で確認して買ったのに、券面を見て、一瞬どきっとしてしまった。
「秋田→秋田」に見えてしまったから。
※秋田発秋田行きの乗車券も、大回りして重複しない経路ならば、(窓口で)購入することはできる。

もちろん「秋田→和田」。秋田駅から和田(わだ)駅まで。
のぎへんの漢字+田は共通ながら、つくりは火と口で区別付きそうなものだけど、一瞬だけなら見間違う。
秋田中央交通では一時期、秋田駅(西口)-和田駅前の路線バスを運行していたのだが、その行き先表示は「わだ駅」とひらがなにしていた。
(再掲)2018年10月で廃止された横山経由わだ線=路線名もひらがなだった
それは、Wikipediaによれば秋田と和田の誤認を防ぐためだったそうだ。「要出典」っぽいけど、この乗車券を見れば、改めて納得できる(そして中央交通としては気が利いている)。


新庄行き各駅停車は、適度な間隔をおいて座れる程度の乗車率。この時間はいつもこのぐらいかもしれないが、お盆にしては旅行客風の人は3人(いずれも一人旅)ほどしかいない。地元の人はいつも並みのようで、全体の乗車率は緊急事態宣言中のゴールデンウイーク、あるいはその前の年度代わり頃よりは、多いと思う。

秋田-和田は13.3キロ、12~13分、240円。
間には四ツ小屋駅(2年前の記事)だけ。和田の次は、秘境駅とも言われる大張野駅(10年前の記事)。
大張野まで秋田市内だが、和田と大張野は旧・河辺町(2005年1月まで)。

和田は、河辺地区の中心地なのだが、これまで国道13号などで通過するばかりで、駅も町なかもなじみが薄かった。今回も、行ったわりには急ぎ足でざっと見ただけに終わってしまったのだけど、簡単に記録しておきます。
和田駅は明治時代開業。元は2面3線だったが、今は秋田新幹線(標準軌)の通過線ができたため、乗降できるホームは2面2線。
上りが主に停まる2番線。向かいが1番線でその向こう側(柵)が標準軌
停止位置目標やワンマンミラーは、両ホームとも上下両側向きに設置されている。

駅舎は橋上駅舎。
券売機はなく、窓口で購入できる簡易委託駅。秋田地区の慣例として、降車客のきっぷは委託の人が集札し、ワンマンでもすべてのドアが開く。
乗車時の改札や案内はなし。改札口の隣に10人弱座れる待合室、1階にもベンチなどがあるが、いずれも乗り遅れやホーム間違いには注意。

駅の建物も町も国道13号も北側にある。
跨線橋と並んで南北自由通路があり、まずは南側を見ると、
水田の中に道路が伸びるだけ
秋田では珍しくはないが、見事な田んぼ。奥のほうに集落があり、雄物川支流の岩見川が流れている。渡った先が「七曲臨空港工業団地」。
北側へ降りると、
なかなか立派で新しい駅舎
合併直前の2003年にできた橋上駅舎。2011年までキオスクもあった。
駅舎に向かって右側は「ふれあい交流館かわべ」という施設。元は河辺町の施設だったので、今は秋田市管轄らしいが、入らなかったし、秋田市役所のホームページには名前と所在地ぐらいしか掲載されておらず、よく分からない施設。

駅前には高雄【11月25日訂正】高尾タクシーが待機。
かつては中央交通の路線バス(上記わだ線や国際教養大線)が乗り入れていたが、現在は秋田市マイタウン・バス南部線のみ。御所野のイオンモール~和田駅~岩見温泉の路線が、平日7往復・土日4往復と、その他予約式路線。
【19日追記】国際教養大線は2019年春まで和田駅乗り入れ。以降は四ツ小屋駅に変更された。以前は、和田駅で教養大の学生らしき人が乗降していたのを見たことがあった。おそらく、この変更により和田駅の利用者や売り上げが、多少なりとも減ったのではないだろうか。
【11月25日追記】新型コロナウイルス感染症による国際教養大のオンライン授業実施のため、2020年春以降、四ツ小屋駅発着の路線バスは運休中。運行再開後は、再び和田駅発着になるという情報もある。
【12月11日追記】2021年1月9日から、駅裏の南側に「和田駅前」停留所を設置し、教養大との間を運行することが告知された。再び中央交通が河辺・和田に来るようになり、和田駅の利用者と売り上げも増えることだろう。

駅舎を左に駅前の光景
駅舎に向かって右(上の写真で奥左)側には、「秋田市河辺生産物直売所・農産物直売所フレッシュランドまごころ」。お盆の花が次々に売れていた。
その向こうに見えている、似たような形の屋根は、線路からも見える秋田市立河辺体育館。

和田駅前には、それ以外には店もなさそうだし、左右方向の道路もない。
上の写真で直売所の右手前の民家前から右方向に伸びる、広くはない道が、和田駅のアクセス道路。これが県道175号で、和田駅前から国道13号まで約400メートルの短い路線。

県道を進む。駅前にもあったが、すぐにバス停。
「和田駅入口」
秋田市内で、一般路線バスが廃止され、マイタウンバス化された路線では、廃止前のバス停ポールを譲り受けて(?)継続使用することがある(外旭川笹岡)。
ここもそのようだが、おそらくマイタウンバスと教養大線が共存していた時期は、2社で共用していたのだろう。それが、中央交通撤退後もそのままで中央交通の名と社章が残っている。
「バスで行こう」の部分に、マイタウンバスを受託する「高雄【11月25日訂正】高尾ハイヤー(企業名はタクシーじゃないのか)」。バス停名はパソコン作成で上張りされていて、角ゴシック体の斜め字。

昔のストリートビューでは向かい合って両側にポールがあったようだが、現在は和田駅に向かう側にしかなかったと思う。しかも時刻表が入っていなかった。駅が終点でなく、先まで行く路線もあるのだから、時刻表がないのはマズいのでは?

路上からは見えない位置の裏面を拝見すると、
こちらは原型の手書き文字

小さな十字路があって、その辺りが和田のメインストリートあるいは中心部のようだ。道は見通しが利かず、全貌は分かりづらい。会社や店はちらほらとはあるが、民家や空き地も多くて、思っていたよりも寂れているというのが、率直な印象。

駅を背に左、西へ曲がる。
振り返って和田郵便局など。右が駅方向
上の写真奥に、小高い丘がある。駅から見ると右。
「和田公園」だそうで、眺めがいいようだ。太平山三吉神社もあるらしい。

郵便局の斜め向かいの奥まった所が、旧河辺町役場だった、
「秋田市河辺市民サービスセンター」
他の各市民サービスセンター同様、愛称が付けられているのだが、道路からは表示が見えなかった。ここは「カワベリア」。
正面上に秋田市章が設置されているが、若草色ではなく、外壁と同じキツネ色で溶けこんでしまっている。
この裏などに消防や図書館など公共施設がまとまっている。まとまっているわりにはバラけた配置というか、道路のカーブや裏手に梵字川が流れているせいなのか、初めてだと分かりづらい。
金融機関やマックスバリュ、薬王堂、駐在所(秋田東警察署)などもある。

と、この程度の和田訪問でした。
これで、秋田市内の旅客駅で乗降した経験がないのは、羽越本線・桂根駅だけになった。別に狙っているわけではないが、桂根は停車本数が少ないから難しい。あと、クルーズ船来航時だけの秋田港駅、来春開業の泉外旭川駅もあるか。
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秋田駅芝生広場/通路窓

2020-08-13 00:38:36 | 秋田の季節・風景
最近の秋田駅(改札外)から。
5月の連休に完成直前であることを少し触れた、「芝生広場」が通称で、「秋田駅西口駅前広場」が正式名称らしい場所。8月1日に供用が開始された。
西口の自由通路・ぽぽろーどより南側、以前平面駐車場だった部分を、天然芝にして、憩いの場やイベント会場として使おうという、ある意味大胆な事業。
駐車場は、JR東日本管理の誰でも駐められる時間貸し有料だったものを、立体駐車場が拡充されたとして、廃止。秋田市が芝生にしたもの。

ぽぽろーど下から2019年9月。左が立駐、正面がJR秋田支社跡にできつつあった秋田放送
上の写真は、平面駐車場営業終了直後。

平面駐車場の西辺は、ケヤキ並木の歩道。かつては人工のせせらぎ(水路)があったのが、いつの間にか廃止。ケヤキはムクドリが大集合する時があり、その対策か、不格好に剪定(と呼んでいいのか?)されることがあった。
芝生化後も、ケヤキ並木と歩道は存続。路面のタイルが張り替えられ、黒いテーブルと椅子が設置された。オブジェや記念碑もあったが移設して存続。
北西角から
駐車場時代は、中央通り側と駅を行き来する歩行者は、駐車場を横切りにくかった。秋田支社(現ABS)前、立駐前を通るか、この西辺の歩道を通るかだった。立駐前経由は出入りする車に注意が必要、西辺経由では信号待ちが長い傾向があった。
芝生化後は、芝生の中を斜めに突っ切る通路ができたので、信号待ちは必要だが、ショートカットできる。
自由通路から。左が中央通り
この2枚↑↓は雨上がりなので特に緑が鮮やか。
少し角度を変えて ※ガラスの網が写りこんでいます
平面駐車場時代は、駐車場の出入り口と、駐車せず送迎で乗降させる場所が、近接した上狭かった。現在は、乗降専用となり、拡張されてカーブが緩やかになった。
上の写真左側、東辺の駅舎寄りでは、芝でなく「ジャノヒゲ」という植物もしくはその仲間が植えられている。

これまでのところ、天気のいい日は、椅子でも芝生上でも、くつろいでいる人をちらほら見かける。まあ、悪くないかなとは思う。
不安なのは、今の鮮やかで均一な芝の状態を維持し続けられるか。机や椅子も、雨ざらし雪ざらし、フンざらしで傷まないか…
ジャノヒゲも、エリアなかいちのほか店舗などでも、近年ちらほら植えられているが、踏まれるせいか積雪のせいか【14日追記・元気なさそうだったり、ゴミにまみれたりしていることが少なくなく】、(少なくとも秋田では)グラウンドカバーにはあまりふさわしくないようにも見えるけど。

【14日追記】敷かれた芝は、西洋芝の寒地型の1つ「ケンタッキーブルーグラス(和名・ナガハグサ)」とのこと。日本芝や西洋芝・暖地型は冬は枯れるが、これは冬も緑だという。


話変わって、自由通路ぽぽろーどの東寄り部分。
何度か撮影した写真を紹介しているように、通路沿い両側に新幹線ホームなどを見下ろせる窓があり、子どもを中心に人気のスポット。
(再掲)東側はホームの上でない部分も同じ構造
ただ、子どもにとっては、窓がやや高い位置。そして、出窓ではないけれど、壁と窓下辺との間に、50センチくらいだろうか、金属製の平らなスペースがある(柱の都合?)ので、余計に窓が“遠く”にある。その結果…
そこに乗っかる子が

ここで転落事故があったのをご記憶だろうか。2006年8月27日のことだったそうだ。
窓(新幹線が見づらい北側)から子どもが落ちて負傷した。どういう落ち方だったのか知らないが、ケガで済んで幸運と言うべきだろう。この下は線路、2万ボルトが流れる架線、舗装路面などなのだから。
【13日追記】たぶん思い出した。窓の外のすぐ下に管理用のキャットウォーク的な通路があって、地面でなくそこに落ちたため、軽症で済んだということだったような。
それを受けて、管理する秋田市では、窓にストッパーを付けて開口を少なくし、「上がらないで」の注意書きを設置するなど対策を行った。

その後、経年で注意書き(ラベルライターで印字したもの)がはがれたり薄れたりした。上の写真の通り、ストッパーは機能しているようだから、よほどスリムでない限り落ちることはないだろうけど。また、窓下の壁には通路の手すりが2本並行して設置されているのだが、窓へ上り下りする時、その手すりに足(たいてい土足)をかける場合もあり、衛生面でも問題があると思っていた。

10年以上経ち転落事故を知らない人が増えているのに、注意書きもなければ、上がってしまうのをやめさせる根拠は薄くなってしまう。
そこで、数年前、秋田市に注意書きを新たに設置してはどうかと提案し、それを受けて、以前よりちゃんとしたラベル(大人向けと全ひらがなの2種)を、全部の窓に貼ってくれた。現在も明瞭に判読できる。

それなのに、ジイさんに連れられた2人の子が、上ってしまっている。神経を疑う。(そういえば2006年の事故も、ジイさんが引率していたような…)
しかも土足で。
転落は別として、新型コロナウイルス流行下、不特定多数が素手で触れる場所である手すりに、土足をこすりつけるとは(上の写真はつい先日撮影)。神経を疑う。
※ただ、この手すりを手すりとして使う人って、ほとんどいないのも事実。ごみ箱やクリスマスツリーをくっつけて置くくらいだし。でも、手すりなのであり、そのことは見れば分かるだろうに。
やめてくださいと声をかける気にはなれなかったが、なんとも。
【13日補足】現状では、注意書きと多くの人たちの良識のおかげで、ここに上がる人はほとんどいない。背が低い子は、おんぶ・抱っこ・肩車などしてもらって見ている。このジジ+孫で久々に目撃した。

公共の場所において、こんなことをさせてしまうような構造にしたのが間違い、つまり“欠陥“と言えるかもしれない。
20年少し前の設計やデザインの技術をもってすれば、工夫の余地があったようにも思える。今からでも、なんとか改善できないものか。
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牛島マルダイのポスト

2020-08-09 23:54:49 | 秋田の季節・風景
秋田市内で5店舗を展開する「スーパーマーケットチェーン マルダイ(以下、マルダイ)」がある。※県外には、いくつかのマルダイというスーパーがあるが、無関係。
秋田市南部、羽後牛島の北東側、国道13号と旧羽州街道が近接する辺りに、西洋のお城のような外観の同社「牛島店」がある。
1986年にオープンしたそうで、秋田市「市民が選ぶ都市景観賞」を受賞している。受賞時は「マルダイ新牛島店」の名。なぜなら、当時は踏切を渡った、今の国際タクシーのところに初代「牛島店」があって、後にそれが閉店・統合されたからだそうだ。
現・牛島店には、秋田銀行のATMコーナーがあるが、それは今も「マルダイ新牛島店」の名称。
マルダイ牛島店は、道路に面して広い駐車場があって、その奥にお城が建つ。お城の形はともかく、配置としては当時としては時代を先取りしたスーパーだったはず。

マルダイ牛島店には、郵便ポストが設置されている。※「郵便受け」ではなく、郵便物を出すほうの「郵便差出箱」のことです。
建物際にポスト
スーパーは人が集まる場所だから、ポストがあるのは珍しくはない。
道路際ではなく、店の建物のほうに設置されているが、それも普通。スーパーに用がなくて、投函だけする人は面倒だろうけど。
でも、ここの場合、設置位置がちょっと変わっている。
上の写真で、左奥の銀色のサッシが店舗の出入り口。その右手前に、もう1つ黒い枠のドアがあるが、店内には通じていない。そのドアの横にポストがある。
黒い枠のドア
ポストの上の微妙に高い位置には、郵便受けもあり「マルダイ」と表示。ドアのガラスには「MARUDAI Co.,Ltd. Head Office」。
そうだった。マルダイの本社も牛島店と同じ建物に入っているのだった。その玄関のようだ。

右があきぎんATM
ポストは、店舗入口と少し距離を置いて背を向け、本社に出入りする人が使いやすそうな位置と向き。これでは、来店客を相手にしていないように見えてしまう。

Googleストリートビューを見てみた。
2012年10月撮影
今と色などが微妙に違う。
そうだった。牛島店は数年前(2016年11月)にリニューアルされている。上のストリートビューでは、左右両端の赤い枠が店舗出入り口。
リニューアル時に、赤が銀色になって、左側の小さい出入り口を廃止、右側1つになった。
そして、リニューアル前と今とで、ポストの位置が違う。上画像では、右の出入り口の左側(Googleロゴの「g」の上)に、右向きで設置されている。
現在は、同じ向きのまま、右隣の本社出入り口の左側へ移設されたことになる。

はっきりとは分からないが、店舗玄関は色だけでなく、構造も変更された感じがするので、ポストが干渉してしまって、移設を余儀なくされたのか。あるいは、収集時に客を邪魔してしまうようなこともあったのかも。
以前も今も、右を向いている理由は、収集(取集)作業のためで間違いない。ポストは向かって左側に扉があるので、正面向き設置では左面と壁が近くて、扉を開けられず集められなくなってしまうから。
同じ理由で、ポストが横を向いているケースは、わりとある。昔の丸ポストは、扉の向き(頭の向き?)を変更できる設計だったのだが。

でも、マルダイ本社関係者以外の郵便を出す人にとっては、ほんの数歩ながら余計に歩かされ、用もない本社玄関に近付かされ、少々抵抗感を覚える配置かもしれない。
もう少し前もしくは左前に脚を埋めれば、正面向きに問題なく設置できそうに見える。それでも客の動線に影響なさそうだし、多少デッドスペースが増えるもののこんな半円形の柱の前なんて、大した使いみちもないのでは?
些細なことだけど、移設時に、もう少し配慮してくれても良かったと思う。
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竿燈2020

2020-08-06 22:12:42 | 秋田の季節・風景
いつもならば、梅雨が明け、竿燈まつり(昨2019年)最終日の秋田市。
今年は、まだ梅雨が明けず、新型コロナウイルス感染症のため竿燈は中止(中止は戦時中以来)。
最近は、アブラゼミが鳴き、暑く、日差しは少ないものの夏っぽいとは思うけれど、いつもの年ならばと考えると、物足りない。
(国は認めないが)東京などで感染第2波が起きているのを思えば、(竿燈以外の全国各地も含めて)夏祭りを中止したのは、妥当な判断だった。

竿燈が取りやめになったのは、8月の4日間のまつりだけではない。
竿燈参加団体を取りまとめる組織・秋田市竿燈会(市役所やまつり実行委員会とは別)では、各団体に対し、コロナ感染症が終息するまで、竿燈の練習を自粛することも求めている。
その結果、町内の練習=技術継承が止まるのはもちろん、学校単位で参加する所では、卒業年次の人が最後に何もできずに終わってしまうようなことになる。あるいは、昔ながらの町内ごとに地元で竿燈を揚げたり、病院や高齢者施設などへ出向いて見てもらうようなことも、できない。
秋田県内では新規感染者がほぼなく、流行していないのだから、少し緩和してもいいようにも感じる。

そんな状況でも、竿燈に出ている町内の地元では、せめて雰囲気だけでもいつも並みにということか、こんな光景が見られる。
川反五丁目

八日町
各町内竿燈会の練習拠点や詰め所となる、神社や町内会館などに、いつも同じように(2009年の記事)提灯などを飾り付けている。ただし、まったく飾っていない町内も少なくない。

町内の道路や各家庭にも提灯を下げる所も。
室町・グラジオラスと

柳町・自販機と(提灯の向きが揃ってないのが惜しい)

柳町・これは竿の切れ端?

竿燈の実物は、竹を組んで、提灯を取り付ける作業が必要になるが、いくつかの町内では、今年も組み上げて、特別に設置(立てて固定)しているようだ。
秋田大学でも、医学部附属病院の玄関ホールに飾ったことが、7月30日の魁で報道された。それによれば、「秋田大学竿燈会には学生も所属するが、9割は教職員。」。じゃあ、秋大竿燈会は学校竿燈というより職場竿燈に近いのか。県立大や国際教養大のほうが、学生の竿燈が盛んなようだ。※秋大は附属特別支援学校も竿燈に出ているが、残り「1割」に含むのか(大学本体と別の竿燈会扱いの可能性がある)は不明。


さて、夜のまつり会場になるはずの竿燈大通り。
日本銀行秋田支店前交差点付近から二丁目橋方向
中央分離帯の観覧席も、そのほかも何もない、平常の光景。上の写真に人も車も少ないのは、いつものことであり、タイミングのせいもある。
なお、例年、東北電力がまつり直前に会場周辺の電気設備の点検を行っているが、それは今年も実施された。

そのほか、昼の会場となる秋田駅前にかけての中心市街地には、竿燈らしいものはまったく確認できなかった。
まつりがないのだから、それで適切かもしれないが、各町内と比べると寂しい。

ねぷたまつりが中止になった弘前では、「伝統復活事業「#城下の美風」」と銘打って、土手町などの通りや各施設・家庭に、小さなねぷたを飾り付け(昭和まであった風習だそう)るなどしている。弘南鉄道大鰐線の車内にも金魚ねぷたが下がっている。
竿燈の一部町内の対応に通じるものだが、秋田でも街全体でこんなことができたかもしれない。

夜空に揺れる竿燈を次に見られるのは、いつになるだろう。

【7日追記】翌7日は立秋。立秋時点で梅雨が明けていないと「梅雨明けなし」とされるそうで、今年の東北北部はその可能性が高くなった(今後の検討で、それ以前に明けていたとされる可能性もなくはない)。また、秋田市内で新型コロナウイルス感染者が8人発生。いろいろとある夏。

また、7日付秋田魁新報地域面では、市内のある町内竿燈会では、子どもだけが町内で竿燈を揚げる催しを1晩だけ、ぶっつけ本番で行ったことが報道された。衣装は正式なもので、提灯にはろうそくが灯っていた。
市竿燈会は、練習さえ自粛を求めたのだから、子どもであっても、地元であっても、今は竿燈を揚げることなどできないと思っていた。報道されたのだから、自粛要請を受け入れずに“強行”したというわけでもないだろう。
市竿燈会の決定内容を詳しく知らないが、そういうことが実施できるのであれば、本文中で触れた大学卒業年度の人や福祉施設入所者向けくらいなら、やれるのではないだろうか。各団体でより慎重に判断しているとか、練習なしでは事故の危険があるといったことはあるだろうけど。

※2021年も中止、2022年に3年ぶりに開催された。
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産業会館跡地に謎の物体

2020-08-05 00:42:09 | 秋田の季節・風景
昨2019年、20年以上空き地だった、秋田市中央部の「旧産業会館跡地」に、久しぶりに建物が建った
と言っても、仮設のプレハブ。
千秋公園下の秋田県民会館跡地に建設中(2021年末竣工・年度末開館予定【9月15日追記】新型コロナウイルスにより工事が遅れ、2022年6月オープン予定に変更された)の、県と秋田市の複合新文化施設建設工事の現地事務所。
今年の春頃、少し変化があって、それが謎。
竿燈大通りから

土手長町歩道橋から

(再掲)昨年撮影
歩道橋からの写真を比べると、昨年は、敷地内の建物沿いに仮囲いが設置され、囲われていない部分は駐車場のようだった。
現在は、仮囲いが敷地いっぱいまで拡張され、敷地の一部に赤い鉄骨で組まれた構造物が新たにできた。既存の2階建てのプレハブよりも少し背が高い。
竿燈大通りからの写真では、左側の信号機の背後に位置し、真っ白な正方形に近い板で覆われている。

今年春に気付いた時は、鉄骨を組んでいたから、工事の進行に伴い、プレハブを増築するのかと思っていた。その後、壁ができる気配がなく、西面に目隠しのような白い板が付いただけ。南北面は鉄骨むき出しのまま。
素人には意味不明な物体。
向かい側土手長町通りから

歩道橋からズームして、北面を拝見。
う~ん
それでもよく分からないけれど、こんな↓感じ?

4層構造+屋根の構造のようだが、地面には床がない。地面に置かれた車輪がついたオレンジ色のものは、レンタルのニッケンのシールがあり、昇降しそうな感じ。
2層目と3層目は、構造はほぼ同じ。鉄骨枠のやや内側に、フロアの下から上まで、ガラス状のものが張られている。ガラス面は垂直でなく、竿燈大通り側から見て「\」のように傾斜している。
ガラスは、2層目では透明で、向こう側の自販機が見えているのに対し、3層目は鏡面のようでこちら側が写っている。
4層目は、腰よりやや高い位置までガラスがあり、金属の手すりもある。ビル内などにある、転落防止の柵と同じもののように見える。

上の写真右側(フレーム外)が白い板だが、その間に足場が組まれている。上の画像では、3層目以上は覆われていて見えないが、赤い○で囲った部分、2層目では覆いがなく、2層目の床と高さが一致する足場が接続しているのが確認できる。
拡大
驚くのは、2層目の「床」だと思われる部分の幅の狭さ。鉄骨全体の幅(南北方向)に対して、極端に狭い。人1人が通れるくらいのようだが、ガラスがあるからどうなのか?
一方、反対側、既存プレハブは2階建てなわけで、この物体のフロアとは一致しない。しかし、プレハブとの間にも足場が組まれていて、はしごもある。おそらくそこを伝って、人が出入りするのだろう。でも、この幅では?

反対の南面は、既存プレハブに隠れてほとんど見えないのだが、また違う造り。
土手長町通りから
木質っぽい横方向のルーバー状のもので覆われた部分がある。おそらくそこが3層目。
その上の4層目は、北側からと同じく、ガラスの柵が見える。
竿燈大通りに向いた西面の白い板は、日除けなのか、目立つ場所だから目隠しなのか。気にし出すと目についてしまい、映像を投影するスクリーンとして使えそう、広告なり絵なりかいたらどうか、などと考えたり…

人が常時滞在する場所ではなさそう。何かの作業を行う場所なのか? ほんとうにまったく分からない物体。何なのでしょう?????

【8日追記】コメントで教えていただき、正体が判明。これは「試験施工用のモックアップ」とのこと。
図面からいきなり実物を建てるのではなく、事前に同じ材料で試しに作ってみて確認するためのもの。
それを踏まえて、新施設の完成予想図を見ると、正面側の外観が傾斜したガラス風になっていて、この謎だった物体の2~3フロアとかなり似た見た目だ。今後に注目。

【2021年4月10日追記】その後、本体の工事が本格化した2021年春までには、このモックアップは撤去された。
コメント (2)
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鏡にさらに追加/動く歩道の表示

2020-07-24 23:58:41 | 秋田の季節・風景
前回取り上げたばかりの、秋田駅自由通路天井耐震補強工事ですが。
前回、その前回に取り上げたカーブミラーの人のシルエットが、もっと多いと思っていたら2枚の鏡にしか描かれていなかったとの訂正をした。
今週中頃の時点では、たしかにそうだったのだが、24日に通ると…
今まで描かれていなかった鏡にも
おそらく西側・東側ともすべてのミラーに、シルエットが描かれていた。
シルエットの人の前が、メイン通路方向を向くよう、左右向きそれぞれのバージョンがある。
それだけでなく、新たなシルエットも登場して、2種類になった(ほぼ1つ置きに配置?)。
(再掲)前からあったデザイン(右向き版)
ただびっくりしているだけだった。
新たなデザイン(左向き版)
今度のはスマホを持ってびっくりしている。
歩きスマホしている人は鏡は見ていないだろうから、歩きスマホしている人が飛び出てこないか鏡で確認しろということか。


この機会に2期最初の記事後半の続きも。
2期工区の西隣にある、動く歩道(ここでは三菱トラベーター)。
そこに、「注意事項」と第する、今となっては(設置当時の20数年前でも)キツく冷たい注意書きがあった。
(再掲)
この動く歩道は両方向がくっついて並んでいて、左側通行。その中央に並ぶ照明の柱に、注意書きが設置されている。その位置を確認。
西側から東方向
東向きにはこの1枚だけ。動く歩道に乗り口手前の柱に設置されている。乗る前に見るべき注意事項だが、手前すぎる感じもする。

反対側。
東から西へ
こちらは、乗り口の直後。こっちはもう少し手前でもいいかも。さらに、乗った状態で通過する、その次の柱にも設置されている。
そのまま進んで、西で降りると、
逆光で恐縮です
降りた先、最初の柱にも!
つまり、西から乗る時に見た注意事項の裏側に背中合わせで設置されている。

東から行く人は、3回も注意事項を見せられる。しかも降りてからも。
4枚作ったものの、内容をあまり考えずに、適当に取り付けたような、やっつけ仕事的なものを感じる。


最後に、今気付いたのだけど、乗り口にある車椅子インターホンの横の縦長の金属の柱みたいなのに注目。
逆走側の「通れません」はいいとして、乗り口側は「↑上り専用」「↓下り専用」。
つまり、東進側を「上り」、西進側を「下り」と表記している。
たしかに、この動く歩道には階段数段分の高低差があって、その上り下りと一致してはいる。前々回触れたように、今回の工事の仮壁では動く歩道でなく「エスカレーター」と表示していた。
でも、設置管理者である秋田市では「動く歩道(トラベーター)」と表記することが多いし、実際の製品としてもトラベーターらしい。一般的には動く歩道は高低差がないから、上り下りで示すものではない。

個人的には上り下りは違和感があるが、そもそもそんな表示見ない人がほとんどだろうし、じゃあどう表示すればいいのかもよく分からない。
要は「進入禁止(逆方向)」かそうでないかを知らせる目的なのだろうけど。

工事の続きはこの記事中ほど。
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穴から竿燈/蕗廃止

2020-07-22 23:49:59 | 秋田の季節・風景
以前の続き、秋田駅周辺から2題。
まず、先日の駅自由通路天井耐震補強工事
最初に、前回、曲がり角の鏡に人のシルエットが描かれたのが、設置された鏡の半分ほどとしたのは間違いでした。正しくは、西側・待合室付近の2枚だけでした。
2枚とも通路南側を、東に向かって進む方向で、なぜ、その2枚だけなのかは分からない。もっと人の往来が激しい箇所もあるのに。【この直後に変化があった。下の続きの記事参照。】

前回、1期工事が済んだ場所にある、置き竿燈は、2期工事が始まってもそのままだとした。
(再掲)現在の2期工区東側
改めて、竿燈の下のほうを見ると、
角度を変えて

穴から竿燈!
仮壁に小さく四角い穴を開けて、竿とひもを出していた。
作業時にひっかけてしまったのか、壁紙が少しはがれている。

照明があって、その柱に竿とひもを結びつけて固定しているのだが、そのまま仮壁で覆ったようだ。
(再掲)1期工事完了後・2期着工前

続きはこちら



もう1つ。自由通路を西側へ進んで、アーケード・大屋根下と買物広場バス停(バス待機場所)の間の斜面。
左隅は地下駐輪場下り口、その左がフォンテ・セブン-イレブン
過去に何度か紹介した、ここにあったものがなくなっている。

(再掲)2016年春
【23日追記・関係ないが、斜面右側、タイル張りの部分にある石のベンチ(オブジェ?)の位置が、以前よりわずかな距離だけ斜面際に移動している。イベントブースが置かれることもある場所だから、ジャマだったのか。】

もともとは現状と同じ姿だったが、2015年頃、一角が花壇風にされて、秋田蕗(アキタブキ)が植えられた。
アクリル板とむしろで囲われるなど、大事にされていたように見える一方、秋田蕗にしては小さかったし、少雨と暑さでチリチリに枯れてしまった時もあった。
6月中旬撮影。土が露出し、小さなフキがぽつぽつと残るが

1か月後の現在。草が侵略し土が隠れ、フキは減った
冬にはすべて刈り取られて土がむき出しになっていたこともあったが、現在は仕切りも撤去され、以前と同じように周りの草と同化してしまっている。
秋田蕗植栽をやめたことになろう。

ぽつぽつとフキの小さな葉が残っているということは、土は入れ替えずに根が残っているわけで、今後、ど根性で復活する可能性はあるものの、これまでの生育状況では難しそう。
旅行客も多く通る場所で、秋田ならではのものを見てもらおうという趣向はとてもいいと思うが、うまく育たなくてやめたのだろうか。ここがなくなると、市街地でホンモノの秋田蕗を見られる場所はないと思う。
昔、自由通路ができる前は、駅前交番の西(西口バス乗り場の向かい)辺りに秋田蕗が植えられていて、それは立派に茂っていたように記憶している。土など環境が違ったのか…
例えば、大きな鉢植えを本場・仁井田で栽培してもらって、各所に運んで展示するなんていうのはいかがでしょうか(弘前市はリンゴでそれをやっている)【23日追記・でもこんな大きな“草”の鉢植えだと、折れたり倒れたりしやすそうで、リンゴより扱いにくいかも】。
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レア標識2枚発見

2020-07-21 23:39:32 | 秋田の季節・風景
昨2019年、秋田市内で“伝説の道路標識”もしくは“幻の道路標識”を発見した
全国で1000本ほどしかなく、うち140本は東京都内にあるという、規制標識の1つ。

「徐行」標識である。
昨年見つけたものは、2017年に登場した「SLOW」の英字併記の新しいタイプ。
手形山の狭い道に、道路管理者である秋田市が1枚だけ、2017年(あるいは2017年度)に設置したものであった。
厳密には、徐行区間の長さが分かるよう、補助標識なども設置しなければならないが、なかった。全国的にあいまいにされることが多いようだ。

その後、秋田県庁正庁舎【2021年4月11日訂正】本庁舎正面にも「徐行」があるのに気付いた。以前は旧タイプで、2017年夏から2018年夏の間にSLOW入りに更新された(設置年シールなし)が、公道ではないから参考まで。


秋田の公道上で、手形山のほかに徐行標識ってあるのだろうか、ないかもしれないと漠然と思っていた。先週、車両基地へ新型気動車を見に行った時のこと…
秋田市牛島、牛島小学校前の「牛島学園通り」から、交わる住宅街の道路を見通すと、
「徐行」じゃありません?
よく見ると、
奥(写真左下)にも「徐行」!
SLOWなしで、色あせた古い「徐行」が2つもあった!!

近くへ行ってみた。
大通りから60メートルほどの酒屋さんの角に1枚。
裏が見えている三角の標識は、交わる道向けの「止まれ」
【22日補足・酒店前の止まれは、丁字路突き当りの正面に設置された形。交わる道から来ると、真正面に止まれが見える。さらに停止線よりだいぶ手前右側の電柱にも設置されている。柱の設置位置の都合で珍しい設置法になったと思われるが、道路の規模にしては厳重。でも標識は古い。】
そこから製菓工場を過ぎて90メートルの曲がり角、民家の前に1枚。写真撮影がはばかられるほど、民家の玄関の真ん前。酒屋の前のものより退色が激しい。

どちらの徐行にも、補助標識はなく、裏面の管理用や設置年のシールもなし。
反対方向や交わる道など、確認した限りでは、このほかには「徐行」はなかった。
したがって、公安委員会(秋田県警)、道路管理者(秋田市)のどちらが設置したのかは分からない。でも「止まれ」と設置方法や色あせ具合が同じだから、県警っぽい雰囲気がする。
どこにでもありそうな生活道路のたたずまい
ここでも、徐行区間の定義があいまいにされてしまっているから、徐行しなければならない理由が分からない。
道路の環境を見てみる。
この通りには、何本かの細い道が交わっているが、行き止まりが多い。葉脈のような配置。いずれも交わる道側に「止まれ」が設置。
※「徐行」標識は、優先道路と交わる道であることを示す(設置された側が非優先)意図でも設置されるが、その場合は「前方優先道路」の補助標識が必須だし、ここでは交わる道側が「止まれ」なのだから、その意味で設置されているのではないことになる。

そして、2枚目の徐行から100メートル強直進すると、猿田川に突き当たる。
したがって、この道路を抜け道として使う車は、少なそう。※川より手前にある、行き止まりでない道へ曲がれば、橋を渡るなど抜けることは可能。

道幅は広くはないが、極端に狭いとか極端に交通量が多いというほどではない。小学校の近くではあるが、多くの児童が通る主要通学路ではないと思う。1本隣を並行する道も、この道と同じような環境なのに徐行ではない。やはり、この道の一部だけ、片方向だけに設置される理由が見当たらない。

強いて挙げれば、この道の一部が、1982年頃に秋田市が定めたジョギングコースになっている。
牛島小学校のほうから来て、2枚の徐行の間でこの道に出て、大通りへ出るコース。
逆方向。電柱の裏向きが「徐行」、突き当りが学園通り
酒店前の「徐行」の少し大通り寄り(写真や走者の視点では先)に「500m」地点の薄れた表示板がある。民家の敷地から生えている。
ジョギングコース中では比較的通行量が多い道なので、大通りから入ってくる車への注意喚起のために徐行規制をしたのかとも思うが、だったら大通りに入ってすぐの所にも(そして逆向きにも)設置するべきだろう。本来はあったのかもしれないけど。
結局、分からない。


ところで、「徐行」とはどのくらいの速度で通ればいいのか。
道路交通法では「車両等が直ちに停止することができるような速度で進行すること」とされている。1978年の警察庁課長の国会発言では「時速4、5キロぐらい」と例示したとのこと。
この道路の状態からして、標識がなければそこまで減速する車はいないだろう。標識があっても同じかも…

最近、全国的に「ゾーン30」が増えている。
秋田県警でもそうだが、秋田市内では、路面標示と小さな標識を設置しただけの、“お手軽ゾーン30”がほとんどのように思えてならない。
実は、この道路と並行する道は、ゾーン30に指定されていた。そちらのほうが牛島小学校に近いので、牛島小周辺がゾーン30に指定され、この道はギリギリ範囲外なのだろう。
でも、ゾーン30なら時速30キロ出せる。こっちの道(の一部区間、片方向のみ)のほうが、いっそう減速して通行しなければならないことになる。

ほかにも、住宅地などどこかに、幻の標識「徐行」がひっそりとたたずんでいるのかもしれない。→以前から存在を知っていて忘れていた「徐行」があった
コメント (10)
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