広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

穴から竿燈/蕗廃止

2020-07-22 23:49:59 | 秋田の季節・風景
以前の続き、秋田駅周辺から2題。
まず、先日の駅自由通路天井耐震補強工事
最初に、前回、曲がり角の鏡に人のシルエットが描かれたのが、設置された鏡の半分ほどとしたのは間違いでした。正しくは、西側・待合室付近の2枚だけでした。
2枚とも通路南側を、東に向かって進む方向で、なぜ、その2枚だけなのかは分からない。もっと人の往来が激しい箇所もあるのに。【この直後に変化があった。下の続きの記事参照。】

前回、1期工事が済んだ場所にある、置き竿燈は、2期工事が始まってもそのままだとした。
(再掲)現在の2期工区東側
改めて、竿燈の下のほうを見ると、
角度を変えて

穴から竿燈!
仮壁に小さく四角い穴を開けて、竿とひもを出していた。
作業時にひっかけてしまったのか、壁紙が少しはがれている。

照明があって、その柱に竿とひもを結びつけて固定しているのだが、そのまま仮壁で覆ったようだ。
(再掲)1期工事完了後・2期着工前

続きはこちら



もう1つ。自由通路を西側へ進んで、アーケード・大屋根下と買物広場バス停(バス待機場所)の間の斜面。
左隅は地下駐輪場下り口、その左がフォンテ・セブン-イレブン
過去に何度か紹介した、ここにあったものがなくなっている。

(再掲)2016年春
【23日追記・関係ないが、斜面右側、タイル張りの部分にある石のベンチ(オブジェ?)の位置が、以前よりわずかな距離だけ斜面際に移動している。イベントブースが置かれることもある場所だから、ジャマだったのか。】

もともとは現状と同じ姿だったが、2015年頃、一角が花壇風にされて、秋田蕗(アキタブキ)が植えられた。
アクリル板とむしろで囲われるなど、大事にされていたように見える一方、秋田蕗にしては小さかったし、少雨と暑さでチリチリに枯れてしまった時もあった。
6月中旬撮影。土が露出し、小さなフキがぽつぽつと残るが

1か月後の現在。草が侵略し土が隠れ、フキは減った
冬にはすべて刈り取られて土がむき出しになっていたこともあったが、現在は仕切りも撤去され、以前と同じように周りの草と同化してしまっている。
秋田蕗植栽をやめたことになろう。

ぽつぽつとフキの小さな葉が残っているということは、土は入れ替えずに根が残っているわけで、今後、ど根性で復活する可能性はあるものの、これまでの生育状況では難しそう。
旅行客も多く通る場所で、秋田ならではのものを見てもらおうという趣向はとてもいいと思うが、うまく育たなくてやめたのだろうか。ここがなくなると、市街地でホンモノの秋田蕗を見られる場所はないと思う。
昔、自由通路ができる前は、駅前交番の西(西口バス乗り場の向かい)辺りに秋田蕗が植えられていて、それは立派に茂っていたように記憶している。土など環境が違ったのか…
例えば、大きな鉢植えを本場・仁井田で栽培してもらって、各所に運んで展示するなんていうのはいかがでしょうか(弘前市はリンゴでそれをやっている)【23日追記・でもこんな大きな“草”の鉢植えだと、折れたり倒れたりしやすそうで、リンゴより扱いにくいかも】。
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レア標識2枚発見

2020-07-21 23:39:32 | 秋田の季節・風景
昨2019年、秋田市内で“伝説の道路標識”もしくは“幻の道路標識”を発見した
全国で1000本ほどしかなく、うち140本は東京都内にあるという、規制標識の1つ。

「徐行」標識である。
昨年見つけたものは、2017年に登場した「SLOW」の英字併記の新しいタイプ。
手形山の狭い道に、道路管理者である秋田市が1枚だけ、2017年(あるいは2017年度)に設置したものであった。
厳密には、徐行区間の長さが分かるよう、補助標識なども設置しなければならないが、なかった。全国的にあいまいにされることが多いようだ。

その後、秋田県庁正庁舎【2021年4月11日訂正】本庁舎正面にも「徐行」があるのに気付いた。以前は旧タイプで、2017年夏から2018年夏の間にSLOW入りに更新された(設置年シールなし)が、公道ではないから参考まで。


秋田の公道上で、手形山のほかに徐行標識ってあるのだろうか、ないかもしれないと漠然と思っていた。先週、車両基地へ新型気動車を見に行った時のこと…
秋田市牛島、牛島小学校前の「牛島学園通り」から、交わる住宅街の道路を見通すと、
「徐行」じゃありません?
よく見ると、
奥(写真左下)にも「徐行」!
SLOWなしで、色あせた古い「徐行」が2つもあった!!

近くへ行ってみた。
大通りから60メートルほどの酒屋さんの角に1枚。
裏が見えている三角の標識は、交わる道向けの「止まれ」
【22日補足・酒店前の止まれは、丁字路突き当りの正面に設置された形。交わる道から来ると、真正面に止まれが見える。さらに停止線よりだいぶ手前右側の電柱にも設置されている。柱の設置位置の都合で珍しい設置法になったと思われるが、道路の規模にしては厳重。でも標識は古い。】
そこから製菓工場を過ぎて90メートルの曲がり角、民家の前に1枚。写真撮影がはばかられるほど、民家の玄関の真ん前。酒屋の前のものより退色が激しい。

どちらの徐行にも、補助標識はなく、裏面の管理用や設置年のシールもなし。
反対方向や交わる道など、確認した限りでは、このほかには「徐行」はなかった。
したがって、公安委員会(秋田県警)、道路管理者(秋田市)のどちらが設置したのかは分からない。でも「止まれ」と設置方法や色あせ具合が同じだから、県警っぽい雰囲気がする。
どこにでもありそうな生活道路のたたずまい
ここでも、徐行区間の定義があいまいにされてしまっているから、徐行しなければならない理由が分からない。
道路の環境を見てみる。
この通りには、何本かの細い道が交わっているが、行き止まりが多い。葉脈のような配置。いずれも交わる道側に「止まれ」が設置。
※「徐行」標識は、優先道路と交わる道であることを示す(設置された側が非優先)意図でも設置されるが、その場合は「前方優先道路」の補助標識が必須だし、ここでは交わる道側が「止まれ」なのだから、その意味で設置されているのではないことになる。

そして、2枚目の徐行から100メートル強直進すると、猿田川に突き当たる。
したがって、この道路を抜け道として使う車は、少なそう。※川より手前にある、行き止まりでない道へ曲がれば、橋を渡るなど抜けることは可能。

道幅は広くはないが、極端に狭いとか極端に交通量が多いというほどではない。小学校の近くではあるが、多くの児童が通る主要通学路ではないと思う。1本隣を並行する道も、この道と同じような環境なのに徐行ではない。やはり、この道の一部だけ、片方向だけに設置される理由が見当たらない。

強いて挙げれば、この道の一部が、1982年頃に秋田市が定めたジョギングコースになっている。
牛島小学校のほうから来て、2枚の徐行の間でこの道に出て、大通りへ出るコース。
逆方向。電柱の裏向きが「徐行」、突き当りが学園通り
酒店前の「徐行」の少し大通り寄り(写真や走者の視点では先)に「500m」地点の薄れた表示板がある。民家の敷地から生えている。
ジョギングコース中では比較的通行量が多い道なので、大通りから入ってくる車への注意喚起のために徐行規制をしたのかとも思うが、だったら大通りに入ってすぐの所にも(そして逆向きにも)設置するべきだろう。本来はあったのかもしれないけど。
結局、分からない。


ところで、「徐行」とはどのくらいの速度で通ればいいのか。
道路交通法では「車両等が直ちに停止することができるような速度で進行すること」とされている。1978年の警察庁課長の国会発言では「時速4、5キロぐらい」と例示したとのこと。
この道路の状態からして、標識がなければそこまで減速する車はいないだろう。標識があっても同じかも…

最近、全国的に「ゾーン30」が増えている。
秋田県警でもそうだが、秋田市内では、路面標示と小さな標識を設置しただけの、“お手軽ゾーン30”がほとんどのように思えてならない。
実は、この道路と並行する道は、ゾーン30に指定されていた。そちらのほうが牛島小学校に近いので、牛島小周辺がゾーン30に指定され、この道はギリギリ範囲外なのだろう。
でも、ゾーン30なら時速30キロ出せる。こっちの道(の一部区間、片方向のみ)のほうが、いっそう減速して通行しなければならないことになる。

ほかにも、住宅地などどこかに、幻の標識「徐行」がひっそりとたたずんでいるのかもしれない。→以前から存在を知っていて忘れていた「徐行」があった
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鏡に追加/East i@秋田駅

2020-07-20 23:42:05 | 秋田の季節・風景
秋田駅から2題。
6月末の続きで、秋田駅自由通路の天井耐震補強工事。
現在実施中の2期工区のうち、中央改札口より西側が先行していた。先々週辺りから、東側でも始まった。
中央改札口前から東方向
中央改札口正面は1期で工事済みなので、その両側に仮設の柱と天井ができたことになる。
1期エリアの常設竿燈【続きの記事参照】やなまはげ類はそのまま置かれる模様。

囲いの中は西側と変わらないが、東側は店舗がなく、通行人もやや少ないので、余裕がある。

前回、仮の柱に鏡が設置されていることを取り上げた。柱の陰から出てきた人どうしが、出会い頭にぶつからないためのカーブミラー。東側でも設置された。
そして、おそらく先週後半だと思うが、西側の鏡の一部に変化があった(東側でも実施)
西側の柱と鏡
鏡の隅に、びっくりしている人のシルエットが描かれた。基準がよく分からないが全部でなく、半数くらいの鏡で実施。【22日訂正】人が描かれたのは、西側の隣り合う2枚だけのようだ。工事現場内へ出入りする戸をはさんだ2か所だが、人の行き来が特別に多い場所でもなく、なぜここだけなのか分からない。鏡そのものは東側にも設置された。

鏡だけだとその目的が分からない人もいるから、これがあれば鏡の効果は上がるだろう。それでも、分からない人は分からないだろうし、そもそも鏡など眼中にない人もいるでしょうけれど…

天井工事2期の続きはこちら。 鏡のシルエットの続きはこちら



金曜の昼、たまたま東口にいたら…
秋田新幹線ホームに!
「East i(イーストアイ)」こと、E926形「電気・軌道総合試験車」が12番線に入っていた。
線路や架線に異常がないか、走行しながら検査する車両。東海道山陽新幹線の「ドクターイエロー」のJR東日本版。
JR東日本ならではの事情として、山形と秋田のミニ新幹線区間の検査も行うので、ミニ新幹線対応の車両なのが特徴。初代秋田新幹線の車両であったE3系をベースにしている。
Weロードから
2010年8月に秋田駅に来た時取り上げ、その後2013年に上野駅で遭遇、その後もどこかで一瞬見た気もするけれど、それ以来。
フル規格新幹線区間は頻繁に走行するが、在来線扱いのミニ新幹線区間では年に4回だけ検査を行うそうで、偶然見られたのはラッキー。

ところで、「こまち」からE3系がなくなった後も、廃車や改造されなかった2編成は秋田所属のまま「やまびこ」「なすの」用として使われ、時々検査で秋田まで来ていた。それも、2019年春に仙台に転属しているので、今はもう秋田へE3系は来ていないと思われる。
E3系の面影がある(シルエットは同じ)East iを秋田で見ると懐かしい。

山形新幹線のE3系は、後継E8系が2024年に登場予定。このEast iも、E3系グループの中ではいちばん古くなっているから、いずれ代替されるのか。


それにしても、新幹線ホームがある秋田駅東口側の南方向の線路際には、いろいろな建物ができた。悪いことではないが、線路が遠くなってしまった。明確に立ち入り禁止はされていない部分も多いが、常識的にのこのこ入るべきではないし、複雑な形状のフェンス越しの撮影は難しいので、あきらめた。
駐車場とフェンスと草越し
ホームの停止位置は、E3系とE6系で異なる。以前、こまちからE3系が撤退しても、East i(と検査を受けに来る残ったE3系)のために停止位置標識は残すかなと予想した。
今回は突然の遭遇で頭が回らなかった。写真を見ると、おそらくE6系よりやや先(車止め寄り)で停まっている。

次の次に来る時には「ザ・ガーデン」の看板は「ナイス」に替わっている?
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消えた枯れ木と柳

2020-07-16 23:55:26 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部を流れる旭川。
上流側から一丁目橋。水位は平常

アレがなくなった!
2018年5月に、一丁目橋右岸・大町側の橋の下に、大きな枯れ木があるのに気付いた。
(再掲)2018年5月
流木が引っかかったのではなく、橋のたもとの岸(護岸の上)に生えていたキリの木が枯れ、川の中へ向かって倒れたようだった。その時点では、木の根本は岸にくっついていた。

その後、何度かの増水にも耐え、一丁目橋の工事もあった。
工事と前後して、根本部分が岸から離れて流木状態になって、岸辺に置かれた状態になっていた。
(再掲)2019年3月
2019年中の増水でも流されることはなく、若干位置と向きを変えた程度で、一丁目橋の下に留まっていた。

2020年6月時点でもそのままだったのを確認。おそらく7月初めでも。
先週、警報が出る大雨になって、旭川は増水した(避難レベルではない)。なくなったのに気付いたのは、その後。

増水時についに流されたのかと、川沿いの土手長町通りを少々下ってみたが、見当たらなかった。もっと下流、秋田運河や秋田港まで流れたのか… とすれば船舶はご注意。
あるいは増水と関係なく、その前後の時期に、重い腰を上げて撤去作業が行われたのだろうか。
下流側から
2年間以上にわたって放置されていたものがなくなり、やっとすっきりした。

なお、今年5月に五丁目橋付近に流れ着いた枝が葉を茂らせていた(2代目)が、それも現在は枝ごとなくなっている。



川沿いの県道28号・土手長町通りの歩道には、シダレヤナギが街路樹として植えられ、独特の景観。
そのうち、三丁目橋~四丁目橋の区間では、2016年にほとんどの柳が伐採されていた。
(再掲)2016年
その後、現在は、
四丁目橋から上流・三丁目橋方向
相変わらずどころか、2016年の写真で手前に写っている細めの柳も、さらになくなってしまっている。
下流・五丁目橋方向
下流方向も空き気味。

秋田県としては再度植えるつもりがないということだろうか。景観維持よりもコストなどで植えられない事情があるのかもしれない。だとすれば、土部分を埋めて歩道空間を広げたほうが、道路として適切ではないだろうか。その費用もないのか。
県庁所在地中心部の大通りがこれでは、味気なく寂しい。
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県河川カメラ

2020-07-08 23:48:34 | 秋田の季節・風景
梅雨後半になり、西のほうでは今年も災害が発生している。今のところ秋田ではほどほどの梅雨だけど、いつどうなってもおかしくない。その備えに関係した話題。

今は川の水位などの情報を、ネット、ケーブルテレビ、テレビのデータ放送などで、誰でもほぼリアルタイムで取得できるようになった。
ただ、河川管理者別に公開方法が違ったり、公的なサイトでも複数が存在したり、知らない人は戸惑う。最近は大河川の支流が氾濫することも多いが、一級河川の本流は国土交通省直轄(各河川事務所)なのに対し、その支流は都道府県へ委託されるという原則からして、分かりづらい。
以前、「国土交通省 川の防災情報(http://www.river.go.jp/kawabou/ipTopGaikyo.do)」が、直轄と県管理を一括して見られていいと紹介していた

今年春から、秋田県管理の河川で、新たな情報提供がされるようになった。一部の水位観測所にカメラが設置され、画像が公開されている。
国交省直轄河川では以前からカメラがあり、テレビのニュースに流用される場合もある。秋田では、雄物川の新屋水門などに設置されていて、川の防災情報サイトからも見られる。
今回設置された秋田県のカメラは、今のところ川の防災情報には存在すら掲載されていないので、「秋田県河川砂防情報システム(http://sabo.pref.akita.jp/kasensabo/index.html)」から見るしかない模様。

これは2020年4月24日から運用されている「簡易型河川監視カメラ」。36河川47か所に設置されていて、今年度中にさらに9基設置予定。
秋田市の雄物川水系では、新城川、草生津川、旭川、太平川、猿田川、岩見川、新波川に1基ずつ。
旭川では、保戸野川反橋右岸の観測所に設置された。
現地の表示や県のサイトでは「中島」観測所とされているが、以前(2つ上のリンク)触れたように、テキトーな秋田県の体制のせいか、この上流にも別の「中島」観測所が存在するというおかしな状態。
そのため、国の川の防災情報サイトでは、下流にあるほうを「中島(指定)」観測所という名称にして区別している。それでも分かりづらいし、そもそもそこは中島じゃないのですが…
保戸野川反橋から下流方向。ピンクのタチアオイの向こうの白い箱が中島(指定)観測所

秋田県河川砂防情報システムより作成
5分間隔で静止画を送信していて、サイトでは最新のものと、それ以前の毎時00分の画像を24時間前までさかのぼって公開。
国交省の本流のカメラとは、画像の感じが違う。解像度もそうだけど、だいぶ広角でゆがんでいて、夜は水が分からないほど真っ暗になってしまう。あと画像内に、常に黒く(濃いグレー)塗りつぶされた部分がある。他の観測所も含めて同じ。
「簡易型」なせいもあるだろうし、川や河川敷の幅が狭く、流域に家が建てこんでいるという支流ならではの事情があるようだ。塗りつぶしは、建物の窓を隠して配慮しているようだ。この解像度では、窓の中が見えることよりも、24時間公開では、夜に家に灯りが点くかどうか=在不在もしくは起きているかどうかまで分かってしまうほうが怖そう。何かの拍子にカメラが動いてしまったら、ズレるだろうから、定期的な確認をしないとね。
【11日補足】国交省の本流のカメラは、リモコン操作で向き・画角を自在に変えることができる(その分、いつも同じ方向の画像を見られるとは限らない)。秋田県のものは、カメラの見た目や画像に塗りつぶし部分があることからしても、リモコン操作はできなそう。
橋から撮影
中島(指定)観測所本体の下流側のコンクリート柱にカメラが取り付けられ、上流方向を撮影している。公開画像では、左手前の箱が観測所で、緑の川反橋がすっぽり写る。対岸の橋両側の民家の窓のほか、奥のライオンズマンションの一部も目隠しされる。【9日追記・画面左端・こちら岸にギリギリ写りこんでいる、マンションと民家の一部も目隠し。】
カメラの下付近から一般的な画角で撮影
カメラが付けられた柱は、以前からあって、データ送信をするであろうアンテナが付いていた。以前、タケコプターのような風を測定しそうなものが2つ設置されていたのは、なくなった。
柱には南向きにソーラーパネルも設置された。
この装置は太陽電池稼働で、画像を無線送信するとのこと。今回、アンテナの増設または交換があったのかは不明。

カメラには「VIVOTEK」
最近、低価格監視カメラとして増えてきているのか、筒型で手動で向きを変えられそうなもの。台湾の「ビボテック」というメーカー。
秋田県警の交差点カメラに似ているが、それは「NSS」製だった。

※同じく秋田市内の県管理河川・猿田川のカメラや水位観測所について
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秋田駅自由通路天井2期工事

2020-06-30 00:25:16 | 秋田の季節・風景
秋田駅東西自由通路の天井耐震補強が、2020年から2022年にかけて4期に分けて行われている。中央改札口前の1期は今春終了
5月から12月まで、2期として1期の東西両側を行うことになっていた。
現時点では、東側は未着工(床にテープで印は付いている)で、西側のみ工事中。
中央改札口東側から西方向
1期とほぼ同じように、白い壁と柱が仮設された。
西側動く歩道前から中央改札口方向
上の2つの写真が両端なので、みどりの窓口/待合室~トイレ~階段&動く歩道の手前の区間が工事中。

この場所には、秋田犬バルーンが置かれていたが、1期工事中は一部はしぼんだままで置きっぱなしにされていた。現在は全部撤去された。
また、秋田杉のテーブル付きベンチは、東側へ移動。オブジェのような木製ベンチはまだそのままだが、いずれ移動しそう。びゅうプラザ前などに昔からあるベンチは、仮の柱と柱の間でそのままで、使用可能。

仮囲いされた自由通路は、1期と雰囲気は同じだが、微妙に違いがあった。
(再掲)1期の仮囲い

2期の仮囲い
柱の角を目立たせる色が、緑と白の縞から黄色に変わっていて、さらに、
右手前
角に縦長の鏡が取り付けられた部分が多い。
平面ながら広角で見えるミラーのようだ。柱の陰から人が現れてぶつかるのを防止するために違いない。場所柄人の行き来が多く、1期は通る時に気をつかったものだが、これならいくぶん安心できる。【この鏡にちょっとした変化が。末尾の続き参照】
関係ないけど、ここのトイレの出入り口、そして男性用の内部の曲がり角にも鏡などがあればいいと、いつも思う。

入口が隠れる店舗などは、柱に存在を示す表示板が設置されたが、それがないものもある。

上の写真、コインロッカー室は、あったかどうか。いずれ分かりづらくなった。
さらに、その右側の柱のすぐ右にまた柱があるが、その間の凹みに黒く見えているのが、タッチパネルでスマホと連動するイノベーション自販機。看板がなく、完全に埋没してしまっている。元々冷遇気味の自販機だったが、これでは売り上げが見こめないのでは?
なお、このさらに右には、1期の記事で触れた、クリーンエネルギー発電用だったディスプレイが壁に掛けられているが、それもそのまま。

そして、上の写真右手前に「エスカレーター 仮囲いの陰にございます。」とある。エスカレーター?
コインロッカー室を背に。鏡に右から来る人が写っている
仮囲いの陰にあったのは、エスカレーターというより「動く歩道」では?
【30日追記】動く歩道のことを「水平型エスカレーター」とも称するそうだし、ここの場合、階段数段分の段差もある。広義ではエスカレーターなのでしょう。
【7月2日追記】秋田市役所の資料では、駅のこれを「トラベーター(動く歩道)」と称しているものがあった。三菱電機製のようで、商品名「三菱トラベーター」をそのまま使っている。


ところで、上から2枚目の動く歩道西側の写真を見て気付いたこと。
手前の照明の柱に、縦書き4行のプレートが設置されている。昔(おそらく駅ができた23年前)からあったと思うが、内容は知らなかった。
「注意事項」
明確にそうだとは書いてないが、内容からして動く歩道の注意書きだった。エスカレーター・動く歩道では常識的な内容4項目だが、どれも終助詞「こと」で終わっている。
この手の説明書き、しかも大昔はいざ知らず20年前で「~こと」は、キツイというか冷たい感じがする。簡潔ではあるものの、犯罪行為の禁止事項じゃないのだから。
【7月2日追記・文字について】1990年代後半なら、まだ写真植字機の文字も一般的だったから写研「ゴナ」かと思ったが、モリサワ「新ゴ」だ。下のエスカレーター付近の注意書きも別のモリサワ書体だった。どちらも写植でもパソコンでも使える書体なので、どちらかは不明。

あと、設置場所が動く歩道に対して手前すぎると思うし、2台の中央部に設置しても、右側は降りる人側だから意味がない。【7月2日補足・反対側では、ちょうど乗り口のところに照明があって、そこに設置されている。=上の仮囲いの写真にも少し写りこんでいる。】
それに「走らない」よりも「歩かない」ほうが、タテマエ上は適切だろう。
さらに欲を言えば、「降りた後、その場で立ち止まらないこと」もほしい。秋田では数少ない動く歩道で不慣れなためか、そうする人がたまにいる(特に東向き)。後ろの人がつかえて危険。
これはJR東日本じゃなく秋田市設置だろうか。ここは、来年の3期で工事されるはずだけど、一考を。
※この表示板や動く歩道の設置位置等の詳細は、この記事後半。

2期工事の続きはこちら
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泉外旭川駅工事2020.6

2020-06-26 00:20:03 | 秋田の季節・風景
1か月ぶりに、秋田市の奥羽本線に2021年春開業予定の「泉外旭川」駅の工事状況。
前回はホームの床板はできつつあり、泉側の駅前広場ではホームへつながる地下通路出入り口となるであろう箱が地中にセットされていた。それらの続き。
6月上旬泉側駅前。奥が下りホーム
箱の周りがすべて埋められた。
上の写真の反対側から。下りる階段が見える
そして6月中旬には、
その上に鉄骨が組まれた


ホーム。床板に続き、両端の柵、線路側の縁の滑り止めと点字ブロックも、6月中旬までに設置済み。列車を停めてドアを開けば、問題なく乗降できてしまえそうな状態になった。
一方、線路と反対側に設置されるであろう柵とか壁、屋根は未設置。
変わった工事手順のように感じるけど、こんなもんなのだろうか。
1995年末開業の井川さくら駅では、開業半年を切っても、ホームが足場で覆われていたような気がする。井川さくらは地下通路も新規建設だったのに対し、泉外旭川は既存地下道の転用だし、工事スペースに余裕がある等々、条件は違うだろうけど。

上り列車後部から、上りホーム。奥が土崎方向
長さは5~6両分程度だろうか。まっすぐなホーム。
ホーム左側の鉄板が敷いてある部分は、工事車両の通路。上りの線路と平行に太陽光発電所の横を通り、天徳寺地下道の途中から出入りする。

下り列車先頭から、下りホーム。奥が土崎方向
下りホームは、線路が右に緩くカーブしたところからホームが始まって、途中からまっすぐになるようだ。
ホームの手前左に信号機が3つあるのは、この先の秋田貨物駅の場内信号機。泉外旭川駅開業に伴ってこの信号機を移動させるとなると、いろいろ大変そうだから、このままだろう。
上り側では、ホームより手前に貨物駅の出発信号機がある。そんな環境から、運転上の位置づけとしては、上飯島駅同様、自駅の場内信号機・出発信号機がない停留所のような扱いになるのだろう。【26日補足】つまり本線の線路途中にホームを造って、ただ停まるだけの駅が停留所。ここの場合、一部分が貨物駅の構内と重複するという、変わった形になるのかも。とすれば、東海道本線の静岡貨物駅と東静岡駅の関係も同じようだ。東静岡の上り列車は、貨物駅の場内信号機に従って発車する(出発相当信号機)そうだ。

この時は、上下ホームの間で工事が行われていた。
ホームの外側(線路と反対側)の地面の上に列車見張員がいて、列車は減速せずに警笛を鳴らして通過した。
下りホーム通過中。見張員が黄色い旗を挙げている
ホーム縁の滑り止めの幅が広いような、点字ブロックがだいぶ内側にあるような、ホームが狭いような気もする。

下りホームが終わると、今度は左にカーブして、貨物駅を通過。
下りホーム停車中には、貨物駅の出発信号機が見えないことになりそう。こういう場合って、どうするんだろう。中継信号機を付けるとか?

今後は、上下線が離れて広くなっている、ホームとホームの間の部分の工事が進むのだろうが、どういうふうになるのか、まだ想像が付かない。
外旭川側の駅前広場は、ここ1月見ていないので不明。
続きはいずれまた
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赤れんが“風”通り?

2020-06-25 00:21:13 | 秋田の季節・風景
コメント欄でも話が出ていた、秋田市中心部の「赤れんが館通り」の話。
大町三丁目三番地に、明治末築の秋田銀行の店舗だった「秋田市立赤れんが郷土館」がある。※「れんが」はひらがな書きが正当。

その前のバスも通る市道の愛称が「赤れんが館通り」。
1991年に秋田市によって決定・命名され、正式な区間は「日銀前交差点~横町通り桐タンスの川島前交差点」で、つまり大町三、四、五丁目。地図サイト等では、それより広い区間にされて誤っている場合がある。
竿燈大通りを越えた大町二丁目方向と合わせて、「大町通り」と通称することもあるが、それはあくまで通称。

その赤れんが館通りのうち、大町三丁目と四丁目の区間で、5月頃から道路工事が行われ、先週くらいで終わった。
この区間は、以前は両側とも歩道がなかったが、2000年代頃だろうか、東側を縁石で区切って歩道が設けられている。歩行者の安全確保のほか、夜に運転代行車の客待ち停車が多いことも問題視されたのかもしれない。
五丁目の区間では道幅がやや狭くなるからか、両側とも歩道なしのまま。五丁目側のほうが飲食店が多いこともあるが、昼は納品車、夜は客待ち代行車が今も多い。

今回の工事では、まず車道を片側交互通行にして全面舗装し直した後、歩道も再舗装。
ライフライン工事で掘ったわけでも、バリアフリー工事でもなく、ただ舗装をきれいにしただけの工事だったのだが…
工事完了後の赤れんが郷土館前
手前の歩道が「赤い」のに気付くかと思う。
僕も最初は、工事前は赤くなかった気がしていたが、
(再掲)2016年の四丁目側
以前も歩道は赤く(ワインレッドとか呼ばれる色?)て、最近はかなり色あせていたのだった。
今回は赤くなっただけでなく、
大町四丁目下りバス停付近

北端の日銀前交差点【25日追記・ここの縁石はやけに傷んでいるが、今回は手付かず】
レンガ敷きになった?!
のではない
レンガの目地を模した線を入れて、レンガっぽく見せているのだ。

工事の途中を見ることができた。工程は三丁目区間を南から北へ行った後、四丁目区間を南から北へ。
6月中旬。四丁目と三丁目の境
上の写真では、奥の三丁目側はレンガ風になっていて、手前四丁目側は普通にアスファルト舗装されただけ。まず、この状態にしてから、レンガっぽく仕上げるのだ。
工事南端・キプロスビル
沿道の建物や電柱類を養生して、赤いペンキみたいなのを塗布というか散布していた。
最近は、スクールゾーン、バスレーン、危険箇所などで、路面を着色することも多い。白線を引くように、熱を使った手押しの機械でやるのかと思っていた。
この後、目地を入れる。これはバス車内から一瞬見ただけだったが、手順としては、最初に白い線を入れて、その後黒くするようで、作業する人は路面にひざを付けて、けっこう細かい作業のように見えた。
ただ、一連のれんが模様入れ作業は、そんなに時間がかかるわけではないようで、1区間1~2日で終わってしまうようだ。

「赤れんが館通り」だから「れんが風路面」にしたのだろう。
そして、実際にレンガやタイル、ブロックを敷くよりは、コストが安いに違いない。秋田市内のタイル敷きの歩道(県道、市道とも)では、施工不良なのか車が出入りして重量に耐えきれなかったのか、ガタガタになっているものが少なくない。タイルが外れてなくなってしまい、足を取られてつまずきかねない場合もある。
秋田市道では2012年に仲小路の東寄りにタイルを敷いたが、車が通ってすぐにガタガタになり、2015年にタイル風舗装に工事し直した事例があった。仲小路では、目地っぽい線が溝状に凹んでいるので、今回のとは工法は違いそうだが、意図は同じだろう。
ガスの栓(?)のフタ
上のような場所で本物のタイル類を使う(敷く)場合、凹凸とサイズ調整が難しく、小さく加工したタイルは経年で外れやすくなることもありそう。今回の手法なら、比較的楽だろう。
だから、合理的なやり方だと思う。
だけど、そもそも赤れんが館通りだからといって、道路を赤れんがにする必要性があるのかと言えば、ないように思えてならない。目地の線を引くのにどのくらいかかるのかにもよるだろうけど。


そして歩道がない、西側。ここも、以前から路側帯部分が赤くて薄れていた。
手前が三丁目、奥が四丁目。幅や車線・歩道がズレているのが分かる
こちら側も(手順としては東側完了後に)鮮やかに赤くなったが、レンガ模様にはならず。赤れんが館の前なのに赤れんがじゃないというのも、ちぐはぐなような…
上の写真で工事は終わったことになっていたようだ(工事看板がなくなっていて、撮影しそびれた)が、実はまだ終わっていなかった。路肩の白線がない。
上の写真と反対、手前が四丁目
現在は白線も引かれた。以前と同じく、外側に破線がある「駐停車禁止路側帯」。車は入れないが、自転車など軽車両は通行することができる。そうか、目地を入れると、その上に白線を引くことになって、おかしくなるから、やめておいたのかな。

あと、歩道がある側に、点字ブロックがなくていいのだろうか。以前もなかったが、この状態ならあっても問題ないと思うし、あったほうがいいのでは?
2020年度末に、もう1か所、同様の舗装がされた。
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続・市の花さつき

2020-06-21 22:39:49 | 秋田の季節・風景
秋田市の花 さつきの続き。まずは、このサツキ。
大きく白い花、部分的にピンク
我が家のじいさんの形見の鉢植え。この形(大株から分けたはず)になって30年ほど経つはずだけど、そこそこ手入れするだけで、枝ぶりは別としても毎年きれいに咲いてくれる。
サツキにしては大きな花で、花弁に部分的に色が入る。めしべ・おしべの軸もピンクになることがある。もっとピンクの部分が多い(朱色?)花が咲くこともあるようだが、うちの木は毎年ピンクが少なめ?
このサツキは品種名は「秋田錦」と聞いている。

前回の通り、サツキは秋田に来た佐竹の殿様が大事にしたとされるが、その成果の1つがこれなのでしょう。他にもいくつも品種があって、秋田錦を含む代表的な5種を「秋田五銘花」と呼ぶ。
大仙市にある秋田県立農業科学館では、23品種53鉢のサツキを育成しているとのこと。

ネットで「秋田錦」だけで検索すると、秋田にある「錦」を冠するラーメン屋や飲食店、牛肉のブランド「秋田錦牛」、あとは横手市増田の今はない日本酒「秋田錦」などが先に表示されてしまう。
秋田のサツキなど、すっかり寂れてしまったようだ。
20日の秋田魁新報に出ていた秋田市広面で趣味でサツキ200鉢を栽培し、花の時期に公開しているという人も、80歳。
秋田のサツキを知ってもらい、後世に残す努力が必要かもしれない。秋田市でも、街路樹だけでなく盆栽も育てるとか。


以下、街なかの普通のサツキを中心に。
保戸野学園通り
千秋トンネル通りの西側続き、秋田大学教育文化学部附属中学校横の市道。
街路樹として、ケヤキと、防音目的だというカイヅカイブキ(関連記事)とともに、ツツジが植えられている。例によって一部分だけ代わりにサツキが植えられている。
千秋トンネルほど形良くはないが、花はたくさん
ケヤキのすき間からスポットライトのように日光が当たると美しい。

そのさらに西、泉の「ハミングロード」の南端に当たる、保戸野千代田町。
遊歩道両辺にずらりとツツジが並ぶ
これだけ並ぶと見事。並木はケヤキだから、秋田市の木と秋田市の花のそろい踏み。

南大通り西端、五丁目橋交差点付近。
シランと消火栓とサツキ
南大通り西側はサツキが多いが、あまり大きな木ではない。品種か環境か管理か。

秋田駅近く、商工中金秋田支店の前。
鉢(コンクリート製プランター)植えのサツキ

秋田駅東側、アルヴェ前~市営駐輪場一帯。「花のある美しい街」の鉢があったが、
その一部にもサツキ

ちょっと枝ぶりがイマイチ?
盆栽になるくらいだから、こういう容器栽培にも向くようだ。ツツジでは見たことないかな。

ホテルドーミーイン秋田の玄関。
上の白い花(正確には葉)はヤマボウシ
下は四角く刈り込まれた笹のようなものだが、一部だけがサツキ。花がないと区別つかない。

再び南大通り。

向かい側はサツキがぽつぽつ見えるが、こちら側はぽつんと1本。しかも小さい。
形は悪くないから、手入れはされているかもしれない。そしてその花。
花弁が細い!
色も朱色っぽく、珍しい品種かも。

以下はイラストの「市の花さつき」。南大通りには、
こんな地図が設置
秋田市中央部各所で見かける地図だが、設置時期や途中で更新されることもあるのか、微妙に異なるものもある。これは新しめ?
この地図の上部にも、道標と同じ、ピンクのサツキのイラストが描かれる(裏面・車道向きにもある)。
小塚ゴシックで「秋田市の花「さつき」」

土手長町通り、広小路西交差点の旭川沿い。
「WELCOME TO AKITA」の巨大な地図付きオブジェ?
前回、部分写真を掲載した秋田駅西口のぽぽろーど下と県庁前にも同じものがある。その中央には、
濃い緑地に白抜きで「市の花さつき」
「き」が格好悪い、細・中・中太どれかの「DFP丸ゴシック体」だ。
前回のいとくの札に、地色は似ているが、フォントも違うし、イラストはこちらのほうがつぶれがなく鮮明。劣化コピーせず、道標や小型地図のピンク色の絵と同じ原画から起こしているのだろう。

早くも夏至。今年改めて存在と美しさに気付かされたサツキもそろそろ終わりで、葉が茂る目立たない低木に戻る。

夏至の21日17時前後には、部分日食があり、日本海側は晴天【22日追記・14日に梅雨入りしているが】で観測日和だった。2012年の日食では、木漏れ日や“立体駐車場の床の穴漏れ日”で観測を楽しめた。今回も挑戦したが、朝8時前後だった2012年と比べて、日がより傾いていたせいか、木漏れ日がぼやけたり、立駐は穴漏れ日そのものが見えなかった。
秋田で見られる次の日食は、10年後2030年6月1日。かなり欠けることになっているが、だいぶ先ですな。
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市の花さつき

2020-06-18 00:26:12 | 秋田の季節・風景
旧暦5月・皐月は、今年は6月21日からだそうだが、秋田市内ではサツキの花が盛り~散り始めで美しい。
いつもツツジとサツキの違いが分からなくなってしまう(2009年のツツジの記事)が、広義ではサツキもツツジに含まれる。葉が小さく開花が遅いものがサツキ。【18日追記】葉には、ツツジのほうが毛が多く、サツキは光沢があるという違いもある。

千秋トンネルの手形側の車歩道の間の植え込みでは、
きれいに咲いている
ティッシュペーパーの箱のようにきれいな直方体に剪定されたサツキが満開。
写真の“箱”では、赤と紫2種類が混ざって咲いている。

秋田市の「市の花」は「さつき」。
秋田市ホームページ(ページ番号1001676)によれば、市の木けやきより6年早く、1962年に「秋田藩初代藩主佐竹義宣が国替えの際に水戸からさつきを持ってきて愛育したことから、また高尚、優雅な樹姿であることから」選定。千秋トンネルは市道だが、市の花だからこそ、しっかりと剪定していることもあろう。

秋田市内の街路樹や公園にケヤキが多いように、サツキも多いかと言えば、そうでもない。
冒頭の千秋トンネル通りの写真でも、向かい側は花が咲いていないが、それは花が既に終わったツツジのはず(でもここのツツジは珍しい花が咲く個体もあって悪くはない)。
八橋の秋田テレビ本社前に秋田市章がデザインされた柵状のものがあって、植え込みを覆っていたけれど、
ツツジのようだ(5月下旬撮影)

八橋運動公園の山王大通り沿いでは、
こんもり大きなツツジ(5月下旬撮影)
ただ、場所によっては、ツツジとサツキが混在。
右の未開花で葉が小さいのがサツキ(5月下旬撮影)

市立保戸野小学校正門周辺の沿道には、ツツジが植えられている。花を終えたツツジに混ざって、
ぽつんとサツキが夕日を浴びて輝く
【18日追記】混植されているのは、意図的なのか偶然(苗発注時や作業時の間違い)なのか不明。葉は明らかに違うから、プロが見れば分かるはずだけど。

ほかにも、ここ数十年で植えられたはずの街路樹や街区公園では、ツツジが圧倒的多数。見ごたえがある千秋公園もツツジ。市の花というわりには、サツキの存在感が薄いのでは?
ただ、これは事情があるのかもしれない。保戸野小のサツキの写真でなんとなく分かるかと思うが、周りのサツキより樹が小さい。民間管理のサツキでも、小さすぎて、草刈り機で除草する時にいっしょに刈られてしまうのではと心配になるものがある。
千秋トンネルのように大きなサツキがあるのは、品種や管理方法によるのかもしれないが、サツキは本来あまり大きくならないのかもしれない。【18日追記】積雪への順応性も違うのかも。
だから、盆栽にされるのかもしれないし、今、市内の民家のお庭を拝見すると、小さくこんもりと赤い花を付けたサツキがあちこちで目立つ。小さく楽しむのがサツキと言えそう。


さて、手形と広面の境付近にある、スーパーマーケット「いとく秋田東店」。
駐車スペースと店舗際の自転車置き場兼通路の仕切りとして、
サツキの植え込み
この店は2009年10月オープン(もうそんなに経つか)だから、その時に植えたのだと思うが、それにしてはスカスカで樹形もイマイチだし、雑草も… やっぱりこういう場合はツツジのほうがいいのかな。
その植え込みに、
「市の花さつき」の札が!
そんなに長くない植え込みの中に、3枚刺さっていた。

この札、ほかのどこかで見た記憶がある。公園とか??
いとくは大館市が本社だから、わざわざこんな札を作るとは考えにくい【18日補足・いとくでは、同時期に秋田市内に複数の店舗を新しく開店させたが、他店にはこのような植え込み自体がないと思う。】。秋田市が作って配ったのではないだろうか。
「市の花さつき」は平成丸ゴシック体(写研が作って、例外的に唯一パソコンで使えるフォント)のようだ。

このサツキのシルエットのイラストにも見覚えがある。
(再掲)
秋田駅など市街地数か所に設置された、大きな地図に、同じ色合いで大きなイラストがあった。「市の花さつき」の書体は違うようだし、絵は元は同じながら微妙に違うのだが、後述。

さらに、市中心部各所に1997~1999年に設置された、道標(2018年に追加設置分にはなし)のてっぺん。
文字なしで白地に赤
道標と地図は、イラスト部分は同一のようだ。ここで植え込みの札と比較。
植え込みの札
両者で輪郭は同一。しかし、札のほうが、花弁の一部が欠けていたり、細部がつぶれたのかおしべが2本しかなくなってしまったりして、全体にぼやけた絵になってしまっている。
ということで、やはり秋田市役所が関わったもので、先に道標や地図用の絵があって、それを転用したものの、技術的な問題か何かで“劣化コピー”されてしまったのではないだろうか。

あと、秋田市のサツキといえば、市営バスのバス停。
1994年度に更新された、2代目バス接近表示のステンレスボディのポールにピンク色のサツキが描かれていた。あれも、これと同一では?
その後登場した、バスロケもどきポールや、バス停の上屋の壁にもサツキが描かれた。
旧国道「帝石前」上りの上屋
このタイプの上屋は、各所にそこそこある。
先日少し触れた、宝くじ・公営交通事業協会からもらった3つの上屋は屋根だけだが、このタイプは壁もあって雪国向き。秋田市交通局が独自で選定したのだろう。
そのサツキ。壁が広いから大きい
これは地図や札とはぜんぜん違った!
葉があるし、花の向きも違う。【18日追記】比べると絵のタッチも似てはいない。どちらも単色のシルエットということで、似ているように錯覚してしまっていた。花だけを描き、おしべを飛び出させた道標の絵のほうが、サツキらしさがストレートに伝わると思う。

ただ、花も葉も同じ色で描いてしまっているし、文字もないから、サツキであることが伝わりづらい。僕も、2代目バスロケを最初に見た時、「ハイビスカス? どうして??」と一瞬、悩んだ。今は民間バス会社のものだから、知らない人にはなおさらかも。
確証も根拠もないが、2代目バスロケは、「(当時の)秋田高専の教員がデザインした」と聞いたような気がする。このサツキの絵もその先生が描いたのかもしれない(というまったくの憶測)。
【18日追記】サツキのイラストを最初に採用したのは、交通局だと思われる。それにヒントを得て、数年後に建設部・都市整備部が案内表示を作ることになった時、まねしたのではないだろうか。いずれも秋田市役所の組織なのだから、交通局の絵を融通してもらってもよかったような気もするが、交通局は公営企業だし、そろそろ廃止の話も出た頃だろうから、後々問題にならないよう、改めて別に絵を作ったのかもしれない。


市営バスではもう1つ。1985年導入の貸切車両には、1台ごとに公募で「○○号」の愛称が付けられた。その中に「さつき号」もあった。
※1985年導入があきたふき号、さつき号、こまち号、おばこ号、まごころ号、けやき号、かんとう号、ふれあい号。1986年の追加導入がわかば号、やどめ号。さらに二階建てみはらし号、中二階建て(スーパーハイデッカー)わかくさ号。

さらに、まったく別デザインで、現在は新規作成はないと思われる、水道局のマンホール蓋タバコの袋にも、サツキが描かれていた。
市の花さつきの続き
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秋田に赤シーサーバス?!

2020-06-16 00:25:58 | 秋田の季節・風景
秋田市南部地域、農村部の旧道沿いにあるモノのお話。
あえて場所は明記しませんが、周囲の写真で分かるかと思います。写真は今年早春に公道上から撮影しています。
もし実際に訪れる場合は、交差点とカーブがあり、そこそこ車も通るので、事故と近隣への迷惑にならないよう、配慮をお願いします。また、私有地へは立ち入らないでください。
右手前は田んぼ
かつて「村」の中心地だったことがしのばれるように、地域の拠点の施設がいくつか建つ。新しい建物になったものも。
上の写真左側に、赤い車がお尻を向けて写っている。
最初に気付いたのは2018年。キッチンカー、キャンピングカー、あるいは幼稚園バスみたいなのが駐車しているのかと思った。
近づくと,
ナンバープレートがない
周りに軽ワゴンなどが何台かあり、それもナンバープレートがないものもある。廃車体だ。

赤い車の窓ガラスには「ノンステップバス」と、一般路線バスの車とそっくりな表記もある。
側面後部には「01-0083」という社番のような数字。さらにその下に雑に消されているが、
「大阪市交通局」!

大阪市営バスの廃車が、はるばる来たらしい。
大阪市バスについては、たしか民営化か何かされた程度の知識しかなく、こんな小型バスがあったとは知らなかった。
そして、この小型バスそのものも、初めて見た車。
外国製バスの流用であった日野ポンチョの初代モデルと雰囲気は似ているが、ちょっと違うかも。

塗装は赤を基調に、後部と(よく見えないが)前部は黄色くて、手がきの模様のようなしっぽのようなものも描かれている。落書きじゃなさそうだけど、何?

道路上からはこれ以上見られないので、観察は以上。
ネットで調べたら、いろいろ分かった。

まず、大阪市交通局のバス事業は、2018年に「大阪シティバス(もともとは交通局の外郭団体)」へ移管されていた。
赤い小型バスは、交通局時代、2000年から2013年まで、市内各地(住宅地も繁華街もあったようだ)で運行されていた100円均一のコミュニティバスの車両。その名も「赤バス」。

車種はボルボ系のスウェーデン製「オムニノーバ・マルチライダー」。定員25~27名なので、中型免許で運転可能。
Wikipediaによれば日本では日産ディーゼルが発売し、全国で10ちょっとの事業者が導入。
大阪市交通局は70台も導入したそうだが、故障が多かったとのこと。後に製造元が倒産したこともあり、後継は日野ポンチョを真っ赤ではない塗装で導入。
大阪のマルチライダーは2012年頃から廃車が始まり、2013年の赤バス自体の廃止時までに全車が引退。一部は別の土地で走っている車もあるとのこと。
そうして引退・放出されたうちの1台が、秋田へ流れてきたことになる。

この局番「01-0083」号車は、2001年導入で「なにわ200あ83」ナンバーだった。「大正ループ」という路線専属だったらしい。
赤だけでない独特の塗装は「シーサーバス」だから。見えない正面にはシーサーの顔が描かれているはず。
大阪市大正区は、沖縄出身者が多いそうで、「大阪市大正区の区制80周年と沖縄本土復帰40周年を記念」し、「大阪市立泉尾工業高校ファッション工学科」の生徒がデザインし、大正ループ2台のうち1台に塗装し、2012年12月24日から赤バス廃止時まで運行された。(同校ホームページ等より)

したがって、たった1台だけ、3か月ほどしか営業運転しなかったデザインの車が、秋田にある。

なお、現役時には、「出入口」表示の右に円形のロゴマークがあったのが消え(痕跡あり)、「リアウインドウ下に「お出かけには赤バスをご利用ください」と書かれていたのも消えている。にしては、「大阪市交通局」の消し方が雑で、そのおかげでここまで分かった。


秋田市営バスも「赤バス」と呼ばれた。
※実際には、中央交通と競合しているエリアにおける区別のための呼び名というのが実態だと思う。市営バスしか走っていない地区では赤バスなどと呼ばなかった。単に「バス」といえば市営バスだった。
置かれている場所の前も、かつては市営バスが走っていた。これも縁なのか。
秋田で走らせるつもりだったのか、単なる廃車体として持ってきたのか。
お尻向きながら道路からよく見える位置であること、実はフェンスをはさんだ隣が子どもが訪れる施設であることを踏まえれば、もしかしたら「見てもらいたくて」置いたようにも思えるのだが…

【2024年8月9日追記・撤去?】Googleマップストリートビューの2024年5月撮影の画像では、この敷地の建物や車の並びが変わっていて、少なくとも道路から認識できる位置に赤バスは見えなくなった。
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2代目流木/限定謎看板

2020-06-04 00:00:26 | 秋田の季節・風景
続かないと思っていた以前の記事に、続きがあったのを2題。どちらも秋田市中通で、秋田県庁が関わること。

2018年5月下旬の大雨で旭川が増水し、木の枝が流されて、秋田市中央部の川の中にちらほらと引っかかった。
五丁目橋たもとでは、幹とも言えそうな大きな枝が引っかかり、枯れずに葉を茂らせていた。
(再掲)
国土交通大臣から委託されて川を管理する秋田県では、知っているのか知らないのか放置し続け、冬を越し、2019年春には新しい葉を出していた。
2019年7月末~8月始め頃に、草刈りなどが行われ、その時にやっと撤去されていた

2020年5月中旬に気がついた。
また葉が出た枝が!

水中は枯れ、地上に出た枝は緑の葉
以前より数十センチ上流寄りだし、以前と違ってシダレヤナギのようだから、前回とは別物。
最近は、天候が落ち着いて極端な増水はなかったはず。そう言えば、土手長町通りの街路樹のシダレヤナギの手入れ(県道だからこれも県管理)が行われていた。流木と言うより、道路から落ちたのかも。
2代目ど根性流木となるか? ※その後、2020年7月には枝ごとなくなってしまっていた。

なお、2018年のリンク先の記事で取り上げた、一丁目橋の下に落ちた枯れ木は、まだそのまま。※2020年7月についになくなった



旧・秋田県立秋田東高等学校跡地は、秋田県立図書館分館「あきた文学資料館」と、秋田県立明徳館高等学校のグラウンドと駐車場として使われている。
その駐車場は、場所柄、部外者の無断駐車が多いようで、それを禁ずる看板が設置されているのだが、黒文字の中に不規則に赤文字が混ざる不思議なものだった。
(再掲)

前回取り上げなかったが、こういうのも、
これは平成角ゴシック体の太いやつか
赤文字混在だが、駐車許可証、車、移動、レッカー、手数料、請求が赤で、まだ分かる色分け。
以上2枚は常設。
早春の約1か月間限定で、もう1枚出るのを発見。
でーんとふさぐように置かれた
縦書きで文字が大きい。
HG創英角ポップ体で「ここの駐車場は、確定申告の駐車場ではありません。」

知らないとどうして確定申告が出てくるのか分からないことでしょう。以下の事情。
確定申告期間中は、専用の相談・受付会場が各地に設けられる。秋田市では「秋田県労働会館(フォーラムアキタ)」というのが、毎年会場になる。数年前までは秋田南税務署分の会場で、秋田北税務署分はポートタワーセリオンで行っていたが、現在はフォーラムアキタが南北の合同会場。
そのフォーラムアキタのすぐ裏手が、この駐車場。駐めちゃおうという来場者がいるのは想像が付く。

で、この赤文字がまた不規則。「の車確申車はせ」で意味不明。黒文字を拾っても「ここ駐場は、定告の駐場でありまん。」。
分からなくて気持ち悪い。その気持ち悪さで、薄気味悪く思わせて、無断駐車をやめさせようという魂胆なのだろうか?
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ランララジンジン/旧局舎

2020-06-01 00:40:02 | 秋田の季節・風景
今日は「電波の日」だそうで多少関連した話題を。
「ランララジンジン、オホホホ」に覚えがあるでしょうか? 秋田県民は知っている人が多いと思う。

(ラジオを聞かないのでごく最近は知らないけれど【1日追記・今も流れているとのこと】)秋田放送(ABS)のラジオで時々流れる男女のコーラスの歌の歌詞。
ラジオをほとんど聞かない僕でも覚えている。少なくとも昭和末期には流れていて、番組と番組の間など、CMの穴埋めのように使われていたと思う。
この曲は、ABSのオリジナルソングだと思っていた。

ところが最近、ネットをさまよっていて、そうではないことを知った!
某所で1970年代というエフエム大阪(1970年開局)の放送の録音を聞くことができ、その中で流れていた。
FM局だからステレオで、ABSで流れていたものより長いが、ABSで流れていたのと同一と思われる箇所があるので、この音源から抜き出したのだろう(もしかしたらABSでもフルバージョンが流れていたのかもしれない)。
前奏~後奏も合わせて、ジャスト60秒。
歌詞を記させてもらう。
男女)ランララジンジン オホホホ(4回繰り返し)

女)ランランラジオは歌い出す
男)ジンジンラジオに泣けてくる
女)オホホホラジオと笑い出す
男女)ラジオラジオ

女)ランララジンジン オホホホ
男)ラジオワー(?)
女)ランララジンジン オホホホ
男)ラジオルー(?)
女)ランララジンジン オホホホ
男)ラジオ
女)ランララジンジン オホホホ
男)ラージオラー

ABSで聞き覚えがあるのは、最後の「ランララジンジンオホホホ」を繰り返す女声に、男声が「ラジオ」と合いの手を入れるような部分。【1日補足・そこだけだど「ランララジンジンオホホホ」が意味不明だったが、それより前の部分を聞けば、由来が明確になるのだった。】
FM大阪のものは、冒頭に4月21日の「放送広告の日」の告知ナレーションが重なっていた。なお、1993年からは「民放の日」になった。

ABSオリジナルでないことは確定した。そう言えば「ABS」とも「秋田」ともひとことも言っていない。
では、この歌の正体は?
FM大阪で「放送広告の日」告知と重ねたのは、同局の独自の判断かもしれない。でも、FM局で流れたということは、周波数帯を問わず(民放)ラジオ局共通のキャンペーンソングだったのだろうか。
JASRACの登録を当たってみたが、なさそう。
ツイッターを検索してみると、ごくわずかにヒット。秋田の人と栃木の人ばかり。【1日追記・たまに「リンリン」とか「オオオオオ」と聞き違え? 覚え違え? ている人もおられる。】
栃木放送(AM局)でも流していた(いる?)そうだ。秋田でも栃木でも、それぞれの局のオリジナル曲だと思いこんでいる人がほとんど。
一方、それ以外の土地では一切投稿がなかった。
個人的にはなかなかインパクトのある歌だと思うから、今は放送されないとしても、思い出に残っていたり、ふと頭に浮かぶ人もいそうなものなのに。広くは放送されなかった曲なのか?

改めて歌を聞いたら、アニメ「山ねずみロッキーチャック」の主題歌に、雰囲気や男声コーラスがちょっと似ていると思った。年代はほぼ重なりそうな1973年の作品で、「ミッチーとチャタラーズ」が歌っている(正体は堀江美都子さんと杉並児童合唱団のOB3人だそう)。
【1日追記】八木山ベニーランドのCMソングも、どことなく似ている気がする。同時代だろうし、「ヤンヤンヤヤ」と音を繰り返しているし、曲調もどこか???

多少は古臭いけれど、今、流しても悪くないのではないだろうか。あるいはアレンジ・再録音して。



ついでなので、4月に秋田駅前に移転した秋田放送の、山王七丁目の旧局舎の現状。
当初は「ラジオ東北」というラジオ局で、大町にあった秋田魁新報社にあり、テレビ放送を始めた1960年3月25日に山王に移転(当時は住居表示実施前だったから違う地名だったはず)。社名は1961年に秋田放送に改称。
60年間山王にいて、建物は増築されているが、全面的な改築はされなかったようだ。ラジオ東北時代からの建物も残っていることになる。
山王大通りに面する車庫の壁の表示もボロボロ
4~5月中に何度か通ってみたが、曜日を問わずいつも何らかの作業がされていた。中の物を出しているようだが、今のところ外観は稼働時と変わっていない。
山王大通りに面した駐車場の奥にある横長の2階建ての建物が、1960年当時からある建物のようだ。その左側に玄関がある。その上付近の番組宣伝の看板は、3月以前のまま。
真向かいの「文化会館・八橋球場前」上りバス停付近から
旧局舎にはアンテナが2本ある。
赤白のが前からあって、やや奥にあるグレーのは地デジ化で設置されたはず。
アンテナが重なる位置

新旧アンテナ
紅白塗装は昔は高さ60メートル以上の煙突などで義務付けられていたかと思ったが、これはそんなに高くないのでは?
グレーのほうは北東向き・八橋球場方向の面に、縦書きで「ABS」のロゴ。まだ古くはないであろうアンテナだけど、移設するわけにもいかないでしょうからね。
新局舎にも似た雰囲気のアンテナが設置されたが、それにはロゴは入らなかった。

敷地の東辺には、細い市道がある。そちらへ。

正面の建物の裏・北側には、広い駐車場と3階建て(?)の建物。壁面には薄れた赤で「ABS」。こちらにも玄関があって、ひさしには筆文字で「秋田放送」。
この建物は後で建て増しされたようで、過去の航空写真を調べると、1975年にはまだなく雑然とした場所だったのが、1979年には工事中もしくは完成していた。

ところでグレーのアンテナ。これまで生え際を意識しておらず、赤白や新局舎のように建物の上に立っているかと思ったら、
増築部分との接続部の地面から生えていた
考えてみれば、こんな大きくて重いものを既存の建物の上には立てられないか。

山王大通り向かい側(北西)から
旧局舎の向こうのベージュ色の建物は秋田市文化会館。
2021年度中に県民会館跡地の新施設ができれば、廃止されることになっている。数年後には、ABS跡とともに風景が変わっていることだろうが、それぞれどう使うのだろうか。
間のガストなどに立ち退きいただき、ABS跡地と一体的にとらえれば、新たな活用法があったりするのかも。【跡地の活用については、下記リンクの続きの記事末尾参照

【1日追記】新局舎移転後も、ランララジンジンは流れているそうだが、時報の音は変わったそうだ。以前はカウントダウンが鳩時計のような音だった【13日補足・ニッポン放送とABSと、全国で2局だけが使っていた音とのこと】のが、普通になった。

旧社屋解体の様子
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秋田スズキの昔の名

2020-05-27 00:30:26 | 秋田の季節・風景
【27日タイトル変更】アップ当初は「秋田スズキの前」でしたが、よく分からないと思うので変更しました。
秋田市を南北に貫く県道56号線の一部区間は「新国道」と呼ばれる(過去の関連記事)。
かつては田んぼの中に秋田市電と並んで伸びていたそうだが、モータリゼーションとともに、沿道に店が(+その裏手には住宅が)建ち並んだ。
新国道の秋田中央郵便局~「野村」交差点辺りは特に店が多い。今は飲食店やコンビニはじめいろいろな業種があるが、昔はそれほどでもなくカーディーラーばかりだったような気がする。後に移転したり、さらに郊外に別店舗を作ったりした店も多いが、今なお多い。

中央郵便局側、いとくなどがある新国道モール(ここも前は秋田いすゞだった)の北隣。
いとく側から。奥が土崎方向
「スズキアリーナ秋田」。秋田の代理店「株式会社秋田スズキ」の本社もある。
この店は建て替えて新しくなったばかり。昨2019年12月21日プレオープン、今年4月にグランドオープン。
以前はどうだったか。
2017年8月撮影Googleストリートビューより。上の写真と同じ方向
分散していた建物がまとまったり、展示スペースがきれいになったりしたものの、建物の位置はほぼ変わらず、通り過ぎただけでは気付かないかも。

2017年8月ストリートビューより。北側から
かつては建物が2つに分かれていて、その間から裏へ車が出入りしていたようだ。

上のストリートビューから、もうちょっと北側に行くと、小さな交差点がある。
交差点越しに
↑同じ位置から、昨年末の写真↓
2019年12月。北側角に建物が建っている
小さい交差点の角に小さめの3階建ての建物があった。今はそれが解体されてスズキの駐車場の一部になっている。建て替え工事中は、この建物が仮店舗として使われていた。

旧スズキアリーナとは独立したように見えるこの建物も、秋田スズキのもの。仮店舗になる直前は、ひと気はなさそうだったが「セニアカー」の展示がひっそりと行われていた。
新国道に対して斜めに建つ
※違うカメラで違う日に撮ったので、だいぶ色が違いますね。
「仮店舗営業中」とあるがプレオープン直前で引っ越し済み

解体に入る直前
さて、ガラスの「仮店舗営業中」の真上の壁に、なにか文字が見える。



筆文字で「株式会社 秋田日光モータース」。
そうだった!
株式会社秋田スズキは、以前はそういう会社名だった。かつての表示を撤去した跡が残っていたようだ。仮店舗時代もそれ以前も、隠されることなく見えていた。

同社公式サイトの沿革によれば、秋田日光モータースは秋田市大工町【末尾の追記参照】で1954年創業、翌年株式会社化。
1957年に保戸野寺の腰(保戸野字寺ノ腰)に移転。さらに1966年に現在地に移転。
1995年6月に株式会社秋田スズキに改称している。
以前の2か所ともこの近くのはず。なお、スズキ(当時は鈴木自動車工業)の秋田県総代理店になったのは1959年。

ということは、この建物が1966年にできて、約30年後に日光モータースの表示が外され、約25年後まで跡が残っていたのか。
窓のアルミサッシは後で替えたのだろうか。正面の窓下に茶色タイルが張ってあるのは、その頃の建物っぽい意匠。
こんなにはっきり読める状態で、よく残っていたと思うが、解体されてついに消えてしまった。

新国道沿いに残る他のディーラーでも、ここ何年かで建て替えが複数あった。
その他のビルでも、このような古い建物はかなり少なくなっていることだろう。


秋田スズキといえば、広告宣伝が特徴的。
今は新聞広告やテレビCMに社長など従業員が登場するし、昔は「『乗物でしあわせ運ぶ』秋田日光モータース」のフレーズをよく耳にした。秋田スズキになった今も、「乗物でしあわせ運ぶ」をモットーというか目標にしているようだ(この漢字表記や送りがなはホームページに従った)。
ネットによれば、かつては自前で専属の小型飛行機(エアロスバルFA200)を所有し、飛びながら広告音声を流す「宣伝飛行(過去の関連記事)」を行っていたそうで、昔もいろいろやっていたようだ。
あと「日光」の由来って、何なんでしょう。【下の追記参照】

【27日追記】
コメント欄を仲立ちにして、秋田スズキの専務様より、直々に由来を教えていただいた。
上記の通り、スズキとの代理店契約は創業5年後なので、当初は「「日産バイク」と「光自転車」の代理店だったようで、それぞれの頭文字から「日光」モータースとした」とのこと。なるほど。
ちなみに「光自転車」は1970年代にナショナル自転車工業(現・パナソニック サイクルテック)に継承(吸収)されている。

あと、秋田スズキの船舶部門「マリン販売部」は、今も「秋田日光マリン」のブランドのようだ。
それと、創業地が大工町であるが、具体的には今の保戸野通町、ひらのや書店の向かいにあったそうだ。


※本文中写真にも写っている、スズキの北側にある、新国道の小さな交差点の2021年の変化
コメント (5)
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泉外旭川駅工事2020.5

2020-05-25 00:19:25 | 秋田の季節・風景
2021年春開業予定の、秋田市の奥羽本線「泉外旭川」駅。2019年11月に続く工事状況。

まず駅本体。機関区跡などがあるため上下線が離れている場所に駅ができる。
外旭川地区側の上り線では、「秋田機関区」や「秋田運転支所」だった建物(現在の用途不明)の線路際部分が解体(減築)されていた。
4月中旬、通過する列車後部から撮影。左が謎の建物、奥が土崎方向
緊急事態宣言&ゴールデンウイークをはさんで工事が進んでおり、何もなかった場所が今は…
上の写真とは逆・土崎側から
基礎と床だけのようだが、いちおうはホームの形ができあがっていた!
秋田寄り。ここが端?

泉地区側・下り線。
こちらは基礎だけで床はまだ
撮影時は工事がお休みで、列車見張員もおらず、列車は減速せずに通過していた【26日補足・この時点では速度規制標識もないようなので、休工に関わらず、まだ減速する段階ではないのだと思う】。上の写真は絶妙のタイミングで撮影できた。
上の写真で線路の向こう側に重機がいて、土などが積み上がっている。市道菅野地下道を転用する地下通路を埋めているのか。


次は駅前。上記の通り、菅野地下道を埋め立てたり再活用したりして、地下通路とアクセス道路・駅前広場を造っている。
外旭川側。奥左右が歩行者自転車道と線路
上の写真ガードレールの左側が、かつての地下道につながる下り坂。白い仮囲いのところまでは地面と同じレベルまで埋め立てられ、道路になると思われる。
なお、右側は小さな公園(正式な街区公園ではない?)だが、自転車道側にあった3本のケヤキなどが伐採された。
前方へ進んで線路近く。まずは昨年末の状況。
2019年12月末
地下道のアクセス路はほぼすっぽり土で埋められ、地下道本体の出入り口の前だけは埋められていなかった。
現在。向こうに上りホームが見える
いったん埋めた土を掘り直して、鉄骨を入れてまた埋めようとしているのか。ここに地下通路への下り口ができるのだろう。


泉側。
2019年12月初め
泉側は、かつては鉄道用地がもっと広く、そこが住宅地に変わった。その名残りで、地下道がとぎれとぎれというか、掘割のところどころに天井があるような造りだった。以前はソメイヨシノなどが何本かあったがなくなった。
泉側では地下道の上を、車も通る生活道路が2本通っていたが、工事により線路際1本は通行止め、外側(バス通り寄り)1本は歩行者のみ通行可能にされた。
1月上旬。地下道の壁を撤去して穴を広げて、順次、鉄骨を入れて、
埋め立てるかと思いきや、
2月上旬。地中に足場が組まれた

現在
仮囲いがなくなって見やすくなって、地下道跡の穴の中に箱状のものができた状態。


地上に出っ張り。向こうに下りホーム
この箱が、地下通路本体のようだ。すき間は後で埋めるのでしょうね。

泉側でも、周囲の道路から地下道へ下りる坂道は埋められた。
背後が線路
すっかり埋められただけでなく、未舗装なものの路盤ががっしり固められ、既に人も車も通行可能(休工日だから?)。
歩道スペースも区分済み。緩くカーブし、真っ平らではなく線路側がわずかに高い。
泉ハイタウン線バス通りの押しボタン信号付近から。左はスーパードラッグアサヒの裏面
かつては狭い地下道への下り坂だったところが、今は少し広めの普通の道路同然になっていて、驚いた。
これを見ると、この先に新しい駅ができ、そこにつながるのだとイメージでき、現実味を覚えた(外旭川側はまだそこまで進んでいなくて、ちょっと想像が難しい)。
ということは押しボタン信号は普通の信号になるのだろう。【2021年3月5日訂正・押しボタン式のままのようです。】

ところで、新駅から来てバス通りに突き当たった向かい側の泉北三丁目(↑上の写真の背後)に、2021年度中に交番ができる計画。今、空き家らしき事務所がある辺りか?
新国道沿い(実際には横に入ってすぐ)にある、秋田中央警察署幸町交番が、ここに移転する。築40年超の現交番の老朽化と、駅ができて人の流れが増えることへの対応とのこと。管轄地域は変わらないが、交番の名称がどうなるかは不明。

工事の続きはまたいつか
コメント (2)
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