広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

和洋高校ほぼ解体

2020-10-16 00:11:09 | 秋田の季節・風景
秋田県民会館と秋田市文化会館の機能を統合し、秋田市街地・千秋公園ふもとの県民会館を解体した跡地に、新しい文化施設が建設中。(正式名称「あきた芸術劇場」、愛称未定。2021年12月竣工、2022年6月オープン予定。)
その新施設の関係者駐車場とするため、隣接する私立秋田和洋女子高等学校の校舎が建つ土地が使われることになった。
和洋高校は、近くの同校多目的グラウンドの土地に新校舎を建設し、今春移転。同時に、男女共学化されて秋田令和高等学校と改称。
(再掲)2017年広小路から。左が和洋、右が県民会館
空になった和洋高校校舎は、解体が始まり、夏以降本格化した。
その影響で、西側の通町からの風景が変わったことを以前取り上げた。
今回は校舎解体そのものについて。

場所。
広小路に面した、千秋公園のお堀は、中土橋(という道路)をはさんで、東がハスの咲く大手門の堀、西が昔はボートがあったりコブハクチョウがいたりした穴門の堀。
穴門の堀は、広小路から北方向・秋田中央警察署の裏面の「古川堀端通り」沿いにも続き、L字型。
Googleマップ航空写真より。旧校舎も「令和」にされている
その古川堀端通りの対岸、Lの縦部分ほぼいっぱいに、和洋の校舎が建っていた。裏手はすぐ県民会館で、南北に細長い敷地。
その北辺は「佐竹小路」に面しており、校門・正面玄関はそちら側。北側に少しだけ飛び出た棟があり、校舎はお堀と逆向きのL字型。1966年頃にできたらしい(後述のモニュメントの制作年)、4階建て。

校舎の長い辺は120メートルほど。お堀向きの西面はほとんどの窓が小さいので廊下だったのだろう。
2018年10月。北寄り一部を堀越しに
↑校舎に継ぎ目があり、全体が同時に建設されたわけではなさそう。ごく一部だけ窓が大きく壁が出っ張っている。

反対の県民会館向きは、高低差がある土手に面しており、(県民会館側は建物裏面であり)一般人が近くで見ることは不可能。広小路からはわずかに見ることができたが、ベランダ(バルコニー)があり、こちらが教室と思われる。防犯上は良さそうだが、風通しや日当たりはどうだったのだろう。
再掲)2013年。南面にもベランダが回りこんでいた

Googleマップストリートビューで確認すると、2012年10月では、校舎外壁でまさに工事が始まったばかりらしき風景が写されていた。2015年8月と比較すれば、耐震補強材設置、屋上のフェンス撤去などが行われている。外壁の色も少し違うかも。当時は移転解体する話(新設計画そのものが2013年に浮上)などなく、当分使い続けるつもりだったのだろう。

2020年3月。南から
解体工事は、高校側が発注した形のようだ。佐竹小路に面した正門側は、厳重に高い囲いが設置され見られない。お堀側は、外壁が足場と防音シートで覆われた。
8月初め。タワークレーンは新施設のもの
解体は佐竹小路・正面側から着手。
8月中旬。奥の北側が解体され、足場が低くなった
解体済み箇所は足場が撤去され、今までは見られなかった光景が姿を現した(そして通町からの風景も変わった)。
10月初め。平野政吉美術館と新施設の鉄骨が見える

解体はどんどん進み。
10月初め。南側の隅がわずかに残るのみ

現在。ほんとに最後の最後
上の2つの写真。建物が少なくなったわけだが、屋上にあったアンテナのようなものがなくなっている。
10年前にブログ「二〇世紀ひみつ基地」の「天地を結ぶアンテナ・和洋女子高モニュメント(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-706.html)」で知ったのだが、彫刻家・秋田大学教授の阿部米蔵氏(2011年没)が、旧校舎竣工時に作った作品「三愛のモニュマン」とのこと。
これがどうなったか。取り外して移設なり保管なりされると思っていたのだが、最後まで残って姿を消した。工程上、解体と同時に取り外したほうがやりやすくて、そうしたのだと思いたいところ。

2021年初めの校舎跡地の様子など。
開館時には、和洋高校敷地跡の堀沿いに遊歩道ができた
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ぴったりポスト/廃止後も道順板

2020-10-08 00:03:27 | 秋田の季節・風景
先月の徐行標識に続いて、才八橋周辺、楢山地区東の橋や川以外の話題。才八橋のすぐ南側、道路がかなり狭くカーブが多い一帯から2題。

以前、少し珍しい郵便ポストの記事の中で、秋田市内では10本あるかどうかの「郵便差出箱11号」を取り上げた。投函口が1つで、箱が大きい(脚が短い)現行型。
その1つが、この狭い道の狭い建物際に横向きで設置されていた。
(再掲)民地のすき間に絶妙に収まっている
昔はお店だったお宅だろうか。横向きなのは、デッドスペースを生じさせず、かつ側面の回収扉を開閉できるためだと考えられるが、ポスト背面の隣の塀との位置関係などが絶妙。
そのポスト、2019年9月のGoogleストリートビューで存在を確認できるが、今はなくなっていた!(家はあるかどうかは確認しなかった)

そこから南へ100メートルほどの道路向かい側。かつて走っていた小型バスが曲がっていた丁字路(実は十字路?)辺りに、
新しいポストが!
いちばん小さい「郵便差出箱14号」。
秋田市内の他の11号も交換が進んでおり、投函される郵便物が減ってしまった現状では、妥当なサイズだろう。ここでは、それに加えて、以前設置していた家の都合もあって、新たにこちらが場所を提供することになったようだ。「ポストマップ」サイトには2020年4月に登録。

向かって左に、ポストが設置された敷地のブロック塀、右には隣の家の板塀があり、2つの塀に挟まれてぴたっと収まっている。14号は扉が前面にあるので、この設置ができる。
脚が埋めこまれた土台は新しいが、道路より1段高い。それなのにポストの脚は短縮されず通常のようなので、投函口が標準よりは高くなっているはず。

この状況を見れば、設置場所を提供したお宅のブロック塀の右端を、ポストの幅分だけ撤去したと思うでしょう。
Googleストリートビューを見ると、
2015年8月
そうではなく、以前から同じ幅だけすき間があった! 勝手口みたいなのだろうか。
なお、さかのぼった限り、塀は変わっていないが、この土地には2012年10月には民家が建っていて、2015年8月までに家がなくなって、今のお庭に変わっていた。

以前のポストも絶妙な置き方だったけど、新しいほうもなかなか。
郵便局の人が、たまたまこのすき間を発見して「こここそポストを設置する場所だ!」となったのか、それとも前のポストの家の人などに「どこかにポストを設置できる場所はないでしょうか?」と当たって紹介されたのか。どちらにしても、(側面扉でない)小さなポストを設置するためにあったような、運命的なすき間だ。



もう1つは、その丁字路。
背後が才八橋。駅から来たバスは、ここを左折していた
上写真右のカーブミラーに注目。
緑色赤枠の矢形の看板がくくりつけられている
文字はほぼ消えているが、「秋田中央」とか見覚えのある車輪の社章…

そう。路線バスが走っていた当時、運行中に道を間違えないように案内する看板だ。
秋田では、市営バス時代から、本数が少なかったり、道がこみ入った箇所に、このような看板が見られた。
中央交通移管後に、中央交通仕様のものに交換されたようだが、同様の泉山王環状線では違う形状のものが設置されていた。
(再掲)泉山王環状線にあった矢印

緑の看板を見ると、「秋田中央交通」のほかにも、文字の痕跡がある。

縦書きで、手書きっぽい角ゴシック体で「中央交←秋田←手形山←大学病」と読める。
裏側は、

やはり文字が薄れ、下に痕跡があり、表面とは逆向き。「中央交」は見当たらず、最初が「秋田駅(駅の字も確認できる)」、最後が「大学病」。
板を固定する針金がサビて、カーブミラーの支柱にサビを移してしまっている

元は別の表示板だったことになり、下が途切れているから、もともとはもっと縦に長い板だったのを、転用時に切断している。
元の板が手形山経由大学病院線の経路を、裏表で往復で示しているらしいが、どの場面で使われていたが、想像できない。
「中央交(通)」があるから、市営バス時代ではなさそうだが、単に「中央交通」とは? 昔なら、長崎屋バスターミナルの場所を指していた可能性があるが、移管後は「大川反車庫」が一般的だろう。
手形山団地線は、移管前は市営バスの独壇場で、中央交通は入らなかったエリアのはずだし…【下の追記に正解が】

時代はともかく、設置場所も思いつかない。
裏表で往復だから、弘南バスのように車体側面などに掛ける「サボ(サイドボード)」のようにも見えるが、秋田で使われたことはあっただろうか。
謎の板。
【13日追記】コメントをいただき解決。「手形山」は「手形山崎」ではないかとのこと。それならば、以前から中央交通が運行している、三吉神社入口経由(かつては谷内佐渡も通っていた、今の赤沼線、太平線など)の経路と一致する。また、1980年より前の車両では、側面は幕でなくサボを使っていた(設置枠があった。後に方向幕を追加設置)とのこと。
「手形山」を「手形山団地」と決めつけてしまったことで、辻褄が合わなくなっていたのだった!
つまり、昔の中央交通で、車体側面の表示板として使っていた板が、数十年ストックされて転用されたことになる。(以上追記)


路線は2018年9月で廃止され、撤去を忘れられ、2年経っても放置。立つ鳥跡を濁さず、撤退する路線跡を濁さずではないでしょうか。
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交通安全運動表示/標識交換

2020-09-30 00:01:22 | 秋田の季節・風景
9月21日から30日まで、秋の全国交通安全運動。
秋田市内に設置されている、秋田県警の道路情報表示装置では、その告知がされていた。
毎度恒例(直近では緊急事態宣言中)の山王大通り東進向き、県庁第二庁舎向かい側の表示機。
「秋の全国交通安全運動実施中!」
相変わらずの、ヘタ文字と、たまにきれいな文字(「運動」?)の混在表示。
紹介していなかったが、これまでも交通安全運動中はこんなのが出ていたはず。

「秋田の道路は歩行者ファースト」
これは全部ヘタ字かな。「フ」が数字の「7」みたいで、それに1本足して「ス」にしたような形。

歩行者ファーストについては、以前に比べると若干改善したものの、まだまだ。
警察署の真ん前の横断歩道を歩行者が渡ろうとしていても、(充分に安全に停止できる状況なのに)停まらないんだもの…(そしてそのことを警察署に伝えたのに、別段対策されていない。)

次の画面は、ちょっとユニーク。今までもあったかもしれないが、初めて見た。
「あぶねがらながら運転やめでけれ」
運転中にいきなり見せられると、混乱しそう。
これもいつものことだけど、行間隔が詰まっていて、下が1行空いてしまっているのも、その原因。
さらに、これは秋田弁の標語。

といっても秋田弁(に限らず広域方言だと思うけど)独特の単語は「けれ」だけ、あとは清音を濁音にした程度。
でも、これは秋田県(県警でなく知事部局)主催「令和2年度交通安全作品コンクール「あきた弁川柳」最優秀賞」に輝いた、大仙市の人の作品だった。
コンクールの公式発表では「あぶねがら “ながら運転“ やめでけれ」表記で、訳は「あぶないから “ながら運転“は やめてくれ」としている。

作者の表記を尊重するべきかもしれないが、この表示では、ひらがなばかりで視認性・可読性が悪い。
ダブルクォーテーションマークを省いてしまっているくらいだから、いっそ「危ねがら」にすればいいのに。部分的に色を変えることもできよう。


山王大通りの表示機は、新しいタイプ。国道13号卸町付近、西進向き開橋手前などには、古くてドット数(ドット密度?)が少ない旧機種もある。両者で文字は同じだが、配置や文面は異なる場合もあった。
交通安全運動中は、
「秋の交通安全運動実施中!」
「全国」を抜いて、4文字×3行にぴったり収めた。
では次の画面は?
「あぶねがら~」は文字が多すぎるし、「秋田の道路は歩行者ファースト」でも1文字余ってしまう。
「あぶねがら ながら運転 」
五・七で1画面、残る下五を次の画面で、
「やめで  けれ!」
そう来たか!

「あぶねがら ながら運転 」は改行と余白が不自然。やっぱり「危ねがら」にすれば収まるのに、と思いかけたが、ふと“縦読み”すると、
「あらら」
右は「がが」だし、次の「ねな」も文字の形が似ていてちょっとおもしろい。
もしかして、狙ってこうしてるの?




先日、道路標識「自転車及び歩行者専用」と「歩行者専用」の違いを知った。
(通行が許可された)車両の徐行と、歩行者の通行位置が両規制で違っており、同じ道路(の同じ時間帯)に対して、この2つの標識を設置するということは、危険であり得ないのだった。
ところが、秋田市内で2か所、そのような場所があることを前から指摘していた。

そのうち、みずほ銀行秋田支店宝くじ売り場横の仲小路西端。同じ向きの左右に、この2つの標識が設置されていた。
(再掲)
それが今は、
あらら
標準サイズの歩行者専用だった向かって左も、小型の自転車及び歩行者専用に代わっていた! 当然「自転車を除く」の補助標識は撤去。そう言えば、8月初めに気が付いていたのを忘れてしまっていたかも…
もう1つの高陽地区の例を2020年5月にアップした時に、みずほ銀行横を改めて撮影して掲載したから、今年春では未交換だった。いずれにしても、ごく最近、交換されている。
(再掲)在りし日の歩行者専用

現在
支柱は変わっていない。以前の標識の跡と汚れが残り、棒に対して標識が小さくて、ちょっと変。
交換された自転車歩行者専用標識は、見るからに新しくはない。裏を見ると、
「H21」=2009年
以前の標識には、裏面のシールがなかったので、道路管理者である秋田市設置かもと推測した。
しかし、交換後にはシールが貼ってあり、このような中古品のストックを回して設置できるということは、県警管轄だったのか。

ここの矛盾は解消した。
それにしても、少なくとも9年もおかしな状態で放置され続けたのが、なぜ、このタイミングで交換されたのか。
場所柄、車がぶつかって壊れたということはなさそうなので、警察関係者か部外者か知らないが、誰かが「これはおかしい」と気付いて、警察の知るところとなり、交換されたのだろう。
でも、そもそも警察が規制の意味(=警察庁の示した基準)を理解せずに矛盾した標識を設置したのが原因。しかも、ここは秋田中央警察署に近く、県警本部も遠くない。毎日、何十人もの警察官が通り、目にしているはずなのに、何年も誰も疑問に感じなかった(もしくは報告しなかった)というのは、疑問。
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男鹿線無人駅ホーム工事

2020-09-27 00:30:16 | 秋田の季節・風景
1週間前。秋田市の奥羽本線・上飯島駅を久々に利用した。
青空、ススキ、下りホーム

踏切を挟んで対角線に配置された(過去の記事)、上下どちらのホームにも、工事看板が立っていた。
「ホーム改良工事をしています」
役所発注の道路などの工事看板にそっくり(秋田県庁は杉枠で囲うのが基本で違うけど)だけど、発注者は東日本旅客鉄道株式会社秋田支社設備部。施工者も第一建設工業だからJR東日本系列。

11月17日までの工事とあるが、この時点では、工事の気配はなかった。
「ホーム改良」とある。特に上り側では、上屋や待合室などが新しくなって何年も経っていないのに、上下同時に何をするのか…
下の青白反転部分に注目。「出戸浜外7駅乗降場改良他工事」とある。

2駅隣の男鹿線・出戸浜駅が出てきた戸惑ったが、役所の工事看板でもこんなことがある。
道路の白線引きとか、下水道工事とか、複数箇所の同一内容工事をまとめて発注する場合、1か所だけ場所を示して「○○他」と表記することが珍しくない。


以下、推測だけど自信はあります。
「出戸浜外7駅」ということは、上飯島とあと6駅の計8駅。
上二田、二田、天王、船越、脇本、羽立を入れれば、8駅。
これは、秋田-男鹿間を走る、(運転系統としての)男鹿線の無人駅と一致する。※来春開業の泉外旭川駅も含まれるが、建設中なので除外できる。

さらに、JR東日本労働組合のサイトで見た情報も重ねると、見えてくる。
来春、男鹿線に蓄電池式電車EV-E801系が増備される(これは確定事項)。
以前ちょっとだけ触れたが、労働組合報によれば、その時に「中編成ワンマン運転」を開始するという。男鹿線の場合、(2両編成を2本つないだ)4両編成でのワンマンを新たに行う。それに必要な工事だと推測する。
労働組合報には、中編成ワンマン導入に伴う駅側工事として、「ホーム高上げ(※原文ママ)」と停止位置移設をやるとある。車体側にカメラがあるので、ホームのミラーをどうするかは未定らしい。
※「ホーム高上げ」という業界用語があるわけでもないようなので、「ホーム嵩上げ(かさあげ)」の誤りでは? どちらにしても、ホームを少し高くして、乗降しやすくするのでしょう。
工事後は路面のツギハギはなくなりそう

中編成ワンマンは、今春のダイヤ改正から、東北本線の黒磯~新白河で5両編成で開始済み。水戸支社、千葉支社等でも導入計画があるようだ。
中編成ワンマンというのは、JR東日本独自の呼称なのだろうか。その名の通り、これまでは1~2両編成(=短編成)でしかやらなかったワンマン運転を、3~6両編成でも行うもの。それだけでなく、これまでは車内に運賃箱を置き、無人駅では車内で運転士が行っていた運賃収受(きっぷ回収や定期券確認を含む)を廃止。駅側に運賃箱を置く、つまり無人駅だから無人状態で運賃を支払わせることになる。
長くなった分、ミラーでの車内外の確認は限界があるので、カメラとモニターを使用。


ネット上では、中編成ワンマンを指して「都市型ワンマン」と呼ぶ人がいるが、ちょっと違うと思う。ここで、ワンマン運転の種類を、まとめておく。呼び名は勝手に付けたものです。
・車内収受型ワンマン
バスと同じ、昔ながらのワンマン。
車内に運賃箱(多くが自動両替機付き)。無人駅では前のドアだけ開き、車内で運転士が運賃、きっぷ類の確認をする。
客を後ろの車両から前まで歩かせるのも難しいし、利用実態からホームドアなどの設備投資も限定されるので、必然的に短編成。

・都市型ワンマン
運賃箱なし。無人駅でも全部のドアが開く。
運賃収受は駅で行うが、そもそも全駅に駅員がいるか、無人駅にも自動券売機、自動改札機、自動精算機、連絡用インターホンが完備され、運賃取りこぼし・不正乗車対策がしっかりしている。
ホームドアなど本格的な安全対策もされる場合も多く、各地の地下鉄・新交通システムや東急で行われている。
全ドア開とホームドアにより、編成が長くなっても対応できる。
静岡鉄道などは、2両編成で都市型ワンマンを実施しており、「都市型でも短編成」のケースもある。

・信用乗車(信用降車)方式ワンマン
車内に運賃箱なし。無人駅でも全部のドアが開く。
無人駅に運賃箱(回収箱)があり、それにきっぷや現金を投入する。定期券等は提示する必要なし。
JR九州では10年以上前から実施。おそらく(安全確認の面から)2両までのはず。

以上、JR東日本が導入している中編成ワンマンは、「都市型」とは言い難く、「信用乗車方式で短くない」型といったところ。
【29日補足・都市型ワンマンの最大の特徴は、「駅側の設備が充実していること」と、それによって「確実に運賃収受ができる(不正乗車防止策が万全)」ことだと思う。JR東日本の中編成ワンマンでは、そのどちらも満たさない。】
【30日追記】もしくは別の分け方で、無人駅では、車内で運賃を支払う/車内で運賃を扱わない の点にのみ着目すれば、2つに分けられ、都市型と信用乗車型はどちらも後者なので同一とみなすことはできる。


男鹿線の中編成ワンマン化で気になるのは、まず車内外の安全確保。カメラの性能と運転士の目が頼りになるが、夜間、積雪・吹雪・凍結の時はどうか。

それと、運賃の取りこぼし・不正乗車対策。
駅設置の運賃箱はきっぷ回収箱を頑丈にした程度のもののはず(東日本のものは不明だがJR九州はそう)で、両替はできない。いくら説明を書いたとしても、支払い方が分からない人も出そう。悪意はないが、タダ乗り(後日支払い)せざるを得ないことも起きる。
ましてや悪意がある者は… 男鹿線沿線にそんな不届き者はいないと思いたいところではありますが。
「運賃ほ脱(逋脱)」と称するそうだが、労働組合報には、
「運賃ほ脱対策として強固な運賃箱と駅防犯カメラを土崎駅・男鹿駅以外の駅に整備する。」とあった。追分駅は、早朝・夜は無人(券売機停止・自動改札機開放・精算機なし)になるので、対策するのだろう。
これって「運賃ほ脱対策」だろうか?
箱を強固にしたら、みんなが運賃を払うという理屈になり、おかしい。これは「運賃箱泥棒対策」では?
あとは言葉の問題だが、ほ脱対策なら「防犯カメラ」というより「監視カメラ」が適切だろう(対外的には使いたくない言葉ではあろうけれど)。
【28日補足・上飯島駅では、防犯カメラ自体は既にホーム上に設置されていて、おそらく他の無人駅でも同様。このことからも、新設されるカメラは運賃箱を重点的に映すカメラ=ほ脱対策の監視カメラということだと思う。】
現在の上飯島駅の「きっぷ入箱」
↑まさかこれこのままじゃないでしょうけど、これに毛の生えたようなのになりそう。

また、無人駅から「乗る時」は、乗車前にきっぷを入手できれば、双方が楽。
しかし、昨年、多くの無人駅の簡易式自動券売機が廃止され、磁気式乗車駅証明書発行機に改造されている。
中編成ワンマン導入でも「簡易券売機を増設する考えはない。」。

例えば追分駅は、遅い時間も県立大学の学生などの乗降が少なくない。
無人時でも稼働する券売機があってもいいのではないか。終日無人の上飯島駅の上りホームには券売機があるというのに。
土崎、追分、男鹿くらいには、自動精算機を導入してもいいかもしれない。


あとは、いよいよSuica導入?!
楽だし、両替できなくて支払えない事例は激減、不正もある程度は減るかも。
でも、労働組合報には、Suicaは一切出てこない。

客がどうこういう立場や段階ではないにせよ、頼りない労働組合だ。
ワンマン反対などと言うのは時代錯誤だから受け入れるのは妥当だが、提示されたことにはいそうですかと従うばかりのような。
自分たちの安全運行確保、客の不満と不安解消・サービス向上のために「より確実な運賃ほ脱対策」「Suicaの早期導入」ぐらいは申し入れたらどうなんでしょう。【27日追記・乗客の不公平感(正直者が馬鹿を見る)解消、JR東日本に対する信頼向上につながるよう、労使一丸となって努めていただきたいのです。】


ところで、奥羽本線の701系や、五能線の新車では、従来どおりの車内収受方式のワンマンを続けるようだ。となると、奥羽本線と男鹿線直通両方が走る上飯島駅(と早朝・夜の追分駅)では、2種のワンマンが共存する。
おそらく、奥羽本線の列車も、この2駅に限り信用乗車方式にして、混乱させないようにするかもしれない。【28日補足・だとしたら、車内での案内が若干ややこしくなるか。】
秋田蕗マークの縦書き駅名標と福島から309キロポスト

11月にはEV-E801系が増備された
その後の上飯島駅の状況
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鷹巣駅前・の~そん

2020-09-25 00:01:04 | 秋田の季節・風景
秋田県内陸北部、北秋田市鷹巣(たかのす)。
2005年の平成の大合併前までは北秋田郡鷹巣町で、北秋田市の中心地(地図上では北寄り)。
1956年からは横手市とともに気象通報所が設置されていて、アメダス導入前は、テレビの気象情報の県内各地の気温は、秋田、横手、鷹巣の3地点だけが伝えられていた。

JR奥羽本線の駅名は「ノ」が入る「鷹ノ巣」。
地名では「の」は表記しないのに、駅名では表記されるのは、一ノ関や三ノ宮と同じパターン。どれも明治開業の駅のようで、大昔はそうする事情・理由があったのか、地元を無視して決めつけたのか。
JR鷹ノ巣駅
東能代駅と雰囲気も規模も似ている。ただし、現在は、駅業務子会社委託(駅長不在)、指定席券売機(通常タイプ)設置、キオスクなしで、東能代駅の管理下。
上の写真のように、駅の裏側などに針葉樹林があるのが目を引く。鉄道防風林だそう。街中では珍しい。

JR鷹ノ巣駅の隣には、鷹巣駅がある。
右がJR鷹ノ巣駅
第三セクター鉄道、秋田内陸縦貫鉄道・秋田内陸線の駅。
JR駅とホームは連続しているが、窓口や改札口は分離。時間によっては、外に出なくても乗り換えられる乗換改札が開くのかな。いちおう線路もつながってはいるが、列車乗り入れは手作業で30分かかり、近年は行われていない。

国鉄阿仁合線を3セク化したのだから、元は1つの駅。3セク転換時に「鷹巣」に表記変更された。
転換間もない頃の本で、その理由は、「3セクの出資者の1つである鷹巣町に配慮して、町名と同じ表記に変えたのではないか」との推測を読んだ。
地名と駅名で読みは同じで表記が違うのはまぎらわしいが、事業者が違うとは言え同じ場所にある駅で表記が違うのもまた、まぎらわしい。けど、大きな問題ではないということか。


鷹ノ巣駅で降りて、駅前を歩くのは、3~4回は経験している。能代と大館という市にはさまれた、「町」にしては、にぎわっている印象だった。
駅正面から、ほぼまっすぐなアーケード商店街(「たかのす銀座通り商店街」かな?)が続く。昔ながらの低いアーケードだけど、きれいに維持されている。秋田市では管理ができないという理由でなくなっているのに。
「路線バス乗り継ぎ旅」の一行は、ここにある喫茶店で時間をつぶしている(新旧出演者どちらもだったか?)。
駅寄りのアーケード
今回は土曜昼前なので閉めているだけなのかもしれないが、シャッターを下ろした店は多かった。空き地もあった。人通りは少ない。

駅前のバス停は、アーケードのいちばん駅側に設置。
バス停名はノなし「鷹巣駅前」表記
秋北バスには「鷹巣車庫」があるが、北秋田市内、旧森吉町にある「米内沢(よないざわ)営業所」の下部組織の位置付け。
写真右の一般路線バスと空港リムジンバス用のバス停は、ローマ字・英語併記のちゃんとした表示板。同じ色分けの四角い板は、次のバス停までの徒歩の消費カロリー、車とバスのCO2排出量、距離。大館市内で表示していると聞いたが、ここにもあった。
左のバス停は、市街地循環バス。バス停名はパソコン印字だが、その下にリボン型にキティちゃんが描かれている。分かりづらいが、左上、アーケード天井から下げられた「ようこそ北秋田市へ!」にもいる。理由がよく分からないが、2018年からハローキティが「北秋田市ふるさと大使」を務めている。
ちなみに北秋田市ふるさと大使は、もう1人いる。
俳優・高橋克典氏。父親が鷹巣出身で、ご本人がテレビで発言しているのも何度か聞いた。
奥が鷹ノ巣駅
駅から遠ざかると、少し新しそうなデザインのアーケードになる。

さて、このアーケード商店街にあるのが、しんこ餅を買った「の~そん」。ローソンではない。
「ナニコレ珍百景」でも取り上げられ、わりと知られている。

要は農産物直売所。
JAは関与せず、駅前の反対側・綴子地区の人たちが作った組織が運営しているみたいだ。
そこそこ長い年月、鷹ノ巣駅前で営業しているはずで、少なくとも3度移転しているようだ。ネット上の古い情報では違う場所・写真が残っている。
現在(少なくとも2018年6月以降)は、駅を背に右側、最初の信号を越えた先のブロック。
以前は別のお店だった跡に入った雰囲気がある。
の~そん店舗
間口は広くなく、店舗入口や看板が引っこんでいるため、見落としそう。営業中はアーケードにのぼり旗が出るようだ。
店内も広くはなく、地元の農産物や手作りのお菓子・惣菜類のほか、地元の複数の菓子店の商品もひと通り置いてあった。入数や箱などはバリエーションが少ないが、駅にキオスクない分、軽くお菓子をお土産にした時は助かる。

鷹巣ではいちばん有名だと思われる「晩梅(ばんばい)」のチョコケーキ「ル・デセール」、地名にちなむチーズまんじゅう「笑内(おかしない)」などはあった。
初めて知ったのが、
黒まんじゅう
すぐ近くにある「山田まんじゅう店」の小さめのまんじゅう。透明パックに無造作に入って3個税抜210円。1個108kcal。消費期限は購入当日だった。
滑らかなこしあんで、とてもおいしい。
上小阿仁の山吹まんじゅう、銀山温泉の亀まんぢう、郡山の薄皮饅頭と並ぶと思う。鷹巣土産でル・デセールばかりお持ちになる人がいるけれど、これもお願いしたい(消費期限に注意)。

【10月16日追記】もう1つ鷹巣名物を忘れていた。やはり駅近くにある菓子店の「バナナボード」。同コンセプトの商品を全県的に売るたけや製パンのは「バナナボート」だが、こちらは「ボー“ド”」。の~そんで売っているという情報もあったが、この時はなかったと思う。

「の~そん」について。
レシートでは「鷹巣産直センター の~そん」とあった(ロゴでなく活字で)。
今の店舗入口の看板は「産直センター のーそん」。のぼり旗は「産地直売 の~そん」。
表記ゆれが多い。「の~そん」部分については、ひらがなで、チルダ「~」のようだ。看板が長音記号「ー」なのが例外。

ローソンと農村を掛けた命名なのだろうと、察しはつく。ローソンが存在しなければ、あり得ない店名だろう。かつての店舗は、水色のラインが入るなどローソンを意識したデザインだったようだ。
そんなことを踏まえると頭に浮かんだのが「♪参ってます 過疎化の農村」。

1992年からフジテレビで放送された、元々あるフレーズや歌詞のパロディを募る「タモリのボキャブラ天国」の、初期のネタである。
これの元が、ローソンのCMのジングル「???(忘れた)ます あなたのローソン」。
でも、秋田県(青森県も)にローソンが進出したのは、1997年。ボキャ天放送時は進出前で、ローソンのテレビCMは流れなかったし、自分を含めてその名前すら知らない人が多かったと思う。このネタで、初めてローソンという音を認識したかもしれない。
もしかしたら、の~そんの命名にも、このネタが影響を与えているかも。

ローソン公式サイトの「ローソンの歴史」などによれば、
1979年12月に「「あいてます♪♪あなたのローソン」テレビCM、ラジオCM開始」。
国内1号店は1975年オープンなので、かなり初期。「あいて(開いて)ます」だと「空いてます」とも取れ、イメージが良くなさそうだけど、当時は24時間でいつでも開いていることを優先して伝えたかったのか。
その後、どう変遷したかは分からないが、1991年に「 「マチのほっとステーション」をコーポレートスローガンに」している。ボキャ天当時は、変わっていたようだ。
なお、2013年に「マチの健康ステーション」になったが、最近はまた戻ったとか。


秋田県庁の以前のサイト内に、1999年の「直売所一覧(http://www.pref.akita.jp/tyosei/partnership/tyokubaiitirann.htm)」というのがあった。
よく分からないが「開始年」があって、昭和50年代以前のものもあるから、それがその直売所の開始年っぽい。
「鷹巣産直センター「のーそん」」は「H11」、1999年オープンか?


さて、鷹巣駅周辺には、コンビニはあるにはあるが、分かりにくいし、とても近いというわけではない。の~そんのほうが近い。セブン、ファミマがあって、ローソンがいちばん遠い。
また、しんこ餅の記事の通り、スーパーは駅から1.3キロほどの所に、交差点の対角線に大きなショッピングセンターが2つある。大館の「いとく」と、イオン東北(旧マックスバリュ東北)の「ザ・ビッグ」。
両者とも、以前は商店街に店があったのを、幹線道路沿いに移転したようだ。
郊外移転とも言えるが(健康で天気が良ければ)歩ける距離であり、路線バスが敷地内へ乗り入れるなど、そこそこ便利そう。移転で駅前が衰退したのは事実かもしれないが、秋田市より便利かも?

なお、ザ・ビッグは、元は同和鉱業系列のスーパー「同友」。それがマックスバリュ東北に吸収され、マックスバリュブランドに。さらにそれが現在地に移転して(移転直後はマックスバリュ店舗)、後【27日遅く・2011年10月】にザ・ビッグに転換という経緯だそう。
店舗名は「たかのす店」でひらがな書きなのが特徴的。青森県の「マックスバリュ新おおわに店」を連想したが、大鰐も元同友。同友時代の表記を継承しているようだ。
【27日追記・画像追加】WAON POINTの履歴より
Smart WAONサイトの履歴に登録されている店舗名は、転換から10年近く経つのにまだ「マックスバリュたかのす」だった。イオン東北運営のマックスバリュ店舗で実施する、月木日5倍デーは、ザ・ビッグ店舗では実施しないのだが、その変の対応は大丈夫なんでしょうね。(以上追記)

商店街から両ショッピングセンターへ、まっすぐに向かう道が国道102号。商店街寄りでは、家が建てこみ、歩道も狭かった(他の小さい道を歩いたほうが安全そう)。そのためだろう。道路標識には、
補助標識「いたわりの路!」
分かるような分からないような補助標識。速度制限標識の「規制理由」を示しているととらえていいのか。

秋田市下新城笠岡には「学童の路」というのがあった。
(再掲)
「路」という表記、角ゴシック体なのが珍しかった。
「いたわりの路!」も同じコンセプトだろうが、エクスクラメーションマークが入ること、ナール書体・反射材入りの本格的な板なのが特徴的。


最後に鷹ノ巣駅前に戻って。ずっと前、簡単に紹介していたもの。
(再掲)ポストの上
鷹巣はギネス世界記録の「綴子大太鼓」がある。そのオブジェをポストの上に載せたわけだが、小さい10号ポストに合わせたこの大きさでは、太鼓じゃなく「鼓(つづみ)」だ。
JRの駅を出た右側、観光案内所との間にあったが、今は…
今も健在
ただ、時とともに、
金属の皮部分の輝きも、胴の色も薄くなってしまった
ポスト本体に銘板があった。
山崎産業 納入平成11年11月
1999年。
ネットには、1995年撮影らしき、10号の前世代である朱色の1号角型ポストの上に、同じ太鼓が載っている画像があった。太鼓そのものは、先代ポストから移設された感じ。
秋田市ではこの世代のポストの更新も進んでいる。ここはどうなるか。

【10月3日追記】鷹ノ巣駅と鷹巣の間に観光案内所ができたのは2014年9月。
それ以前は「えきなかショップ 7 to 7」という、売店と麺類などの軽食堂があったそうだ。JRと北秋田市が協議して開店し、マタギの里観光開発(株)運営。
ホーム側からも利用でき、鷹巣駅周辺で貴重な店だったはずだが、2012年7月27日開店・2014年7月閉店の2年で終わってしまったようだ。
さらにそれ以前は、JR直営の「ハンバーガーショップ」があったとのこと。
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東能代駅周辺

2020-09-23 00:01:11 | 秋田の季節・風景
駅の中、徒歩圏内の農産物直売所「みょうが館」に続いて、最後に東能代駅周辺の風景。

能代市の市街地は、東能代駅から五能線で1駅、米代川の河口に近い「能代」駅周辺。
だから東能代駅は何もない場所にある、という先入観があった。過去に1度、一瞬だけ駅の外に出た時もそう感じた。今回、初めて、少しだけ歩くと、そこまで何もないわけでないと思った。
東能代駅舎
出入口はこの南側だけ。自由通路などもなし。
駅の中はそこそこ大きい駅だが、駅舎はこの通り小さい。乗務員基地である東能代運輸区は、線路の北側にある。

駅前から南方向
イチョウ並木の県道150号が、片側2車線で国道7号までまっすぐ伸びる。北海道っぽさがある。

駅からすぐ、旧羽州街道と交わる交差点は、地図サイトでは「東能代駅前」という名称になっている(のを後で知った)。
でも、現地の信号機周辺に主要地点の案内標識はなかったはず。
Googleストリートビューで確認すると、信号が交換されており、前の信号機時代には、東能代駅から向かってくる(南進)側にだけ、それらしき板が設置されていたが、その時点で既に文字が消えて判読不可能。
秋田市(県道と市道)でよく見られる、昔は名前があったのに、いつの間にか無名交差点になるという事例が、ここでも起きていた。秋田県は交差点名に消極的。「東能代駅前」も、いずれ無名交差点になってしまいそう。


進んで、国道7号に突き当たる手前。
秋北バス「東局前」バス停
「局」って何の局?
並んで、新しそうな予約式乗合タクシーの停留所があった。
その名称は、
「東能代郵便局前」
向かい側に建物も写っている。なお、ATMは休日は稼働しない。↑郵便局の左隣は黄金色の田んぼ。
田舎のバス停は「郵便局前」「学校前」みたいな個別の呼称がないこともあるが、このように局の種類を略すこともたまにある。
と思いつつ、2019年10月のストリートビューを見ると、秋北バスのバス停の表示板が今と違い「東能代局前」と書かれ、「郵便」を略。その時点で板が折れていたので、交換され、「能代」まで略されたのか。

県道と国道の丁字路は「東能代駅入口」交差点。国土交通省管轄だけに、これは英字入りの明瞭なものが、3方向に設置されていた。
国道西側から。左が駅方向
国道だから100メートルごとにキロポストが設置されている。国道7号は新潟市が起点だから、交差点の手前で…
新潟から333.4キロ
ちなみに秋田市中央部では270キロくらい

ということは、100メートル西へ進むと、
ゾロ目の333.3Km(奥が駅入口交差点方向)
ここの反対方向では、
「みょうが館」と書かれた屋根が右奥に見える
みょうが館は333.2キロ付近。


駅方向へ戻って、東能代駅前交差点から、ちょっとだけ旧羽州街道へ。お店はちらほらとはあるようだ。交差点の西すぐに。
古びた秋北バスの「東能代」バス停

薄れた赤い部分に「秋北バス」
この「ワンマンカー」と書かれたのが、昔の標準の秋北バスのバス停か。
本社がある大館市街地では、色使いは同じでスーラ書体の新しい表示板があったが、古いのもまだ残っているようだ。
(再掲)スーラで中央交通のと似ているが、ローマ字と英語と両方を併記していて偉い
東局前は、パソコン印字を貼り付けたお手軽版。
旧羽州街道をバスが1時間に1~2本程度走っていて、能代市街地と二ツ井などを結んでいるようだ。

東能代バス停の写真の左に、電柱広告の地名が写っている。「機織轌ノ目」。
大字がなしで「字機織轌ノ目」が正式なようだ。なかなか難読ではないでしょうか。
秋田の人は報道などでたまに聞くので知っているかもしれないが、「はたおりそりのめ」。

読みだけでなく由来も気になるが、軽く調べた限り分からない。
おそらく「機織」「轌ノ目」に分かれるのだろう。

「轌」は、日本で作られた漢字=国字。雪の車でソリとは分かりやすい。
秋田市金足黒川には小字「轌町」というのもある。字は違うが、由利本荘市には「雪車町」もある。
雪国ならではの地名だろう。沿岸部の秋田市や能代市は積雪は多くはないけれど。

ちなみに、東能代駅の所在地は別で「鰄渕」。これも難読かつ不思議。
読みは「かいらげぶち」。【24日訂正】「~ぶち」でなく濁らない「かいらげふち」が正しいようです。→国道の交差点について

秋北バスのバス停には「機織轌ノ目」というのもあるらしいが、場所は不明。
東能代駅前交差点の県道側には、予約式タクシーの「東能代」停留所があった。


「東能代」というのは、能代駅に対して東側という、駅名のみの呼称だと思っていた。
しかし実際には、バス停名や郵便局名にも使われているのだった。
「西弘前」同様、地名よりも駅名が広く使われているということだろう。駅は鉄道事業者だけのものではなく、地域の人のよりどころでもある。

東能代の駅前には、バス停はないのかと見回すと、向かって右側にあった。
秋北バスと乗合タクシー
秋北バスは「ワンマンカー」入り板にパソコンで「~駅」、タクシーは「~駅前」。
予約式タクシーの表示板には、正面から見たタクシーらしきイラストが描かれている。これって「自動車専用」などの道路標識の自動車の絵の屋根に、行灯を付け足したもの?
秋北バスの路線を把握できていないのだが、旧道の東能代からここまで乗り入れて来る路線とそうでない路線があるみたい。

以上、東能代3部作でした。
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GV試運転/話せる券売機

2020-09-19 22:52:02 | 秋田の季節・風景
秋田県北部・能代市の奥羽本線と五能線の東能代駅にて。
五能線が使う3番線にいたのは、
光線が厳しいですが新車両GV-E400系気動車!
秋田地区向け第一陣3両が7月に納車。その後、報道公開(秋田と弘前でやったらしい)や高崎支社に貸し出して、向こうで訓練運転(?【22日補足・八高線は、新しい踏切制御システムの試験だそうだ。新形式だから、将来の導入を見据えた乗務員訓練も兼ねていそうだけど。】)も行われた。9月始めには、第二陣として1両だけ納車された。
五能線などでは今年12月にも営業運転が始まる予定で、もちろん、秋田支社でも乗務員訓練が行われている。東能代駅では、留置線によく停まっていると聞いていたが、幸運にもホームに入っているところに遭遇できた。五能線の営業列車がない時間帯である14時前の15分ほどのことだった。
1番線に始発秋田行き701系。右側はリゾートしらかみ・くまげら編成風の待合室

最初の写真では、行き先表示が「試運転」だったが、その前は、
「ワンマン 東能代」!
最初見た時がこれだったので、一瞬、予定を大幅に繰り上げて営業運転が始まったのかと思ってしまった。
側面も
表示間違いというよりは、ワンマン運転の訓練や、ワンマン機器が正しく作動するかの確認を行っていたのではないだろうか。この時間帯は2・3番線を営業列車は使っておらず、乗客もいないので、誤乗の危険も少ない。
反対側
日本語とローマ字が同時に表示されているが、「Higashi-Noshiro」はスクロール。

秋田用車両をちゃんと見るのは初めて。新潟で見た時と同じく、とらえどころがないような不思議なデザインだけど、悪くなく、わりとカッコイイと思った。

試運転していたのは、第一陣の片運転台2両1組・17番の車。
両先頭車の向かって左の屋根上に出っ張りが見える。新潟用にはなかった装備で、NTTドコモの衛星電話アンテナ(の台座)。運用される津軽線で、鉄道無線が通じない区間があるためで、花輪線などにも装備されている。
あとは、
分かりにくいですが、左端乗務員室ドアのガラスの上や、右の映りこみ
「T217」という編成番号が付与されている。気動車で編成番号は珍しいかな。

帯の部分にあるフタがちゃんと閉まってないのでは?
新潟で見た時と同じく、停車中はアイドリングもなく無音。爆音であるはずの発車時は、1番線の701系(ドアが閉じて、うるさい空調稼働中)の車内にいたので、音は聞こえなかった。

翌2021年に乗車した時の記事


東能代駅の改札口外側周辺のことも。
改札外
左のガラス扉の向こうが、改札口とキオスク(NewDays KIOSK)。キオスクは大館の鶏めしや、コーヒーもあるようだ。
なお、駅の外にはコンビニも、その他食べ物が手に入る店も、ほぼない。強いて挙げれば、徒歩10分ほどのJAの産直「みょうが館」(餅やごはん類がおいしいので、後日)。

上の写真の外、【20日訂正】右手前に自動券売機。近距離用が1台と、
これが1台
一見、よくある指定席券売機だけど、やや専有面積が広い。表示もごちゃごちゃ。(右上には黄色い“吊るす虫よけ”があるけど、もっと外側に吊るしたほうがいいのでは…)
「話せる指定席券売機」と書いてある。

東能代駅では、今年・2020年6月にみどりの窓口を廃止、代わりに7月から「話せる指定席券売機」が稼働しているのだった。※きっぷを売る窓口が廃止されただけで、引き続き改札口などに駅員はいます。
「話せる指定席券売機」とは、通常の指定席券売機に、オペレーターとの対話機能を付加したもの。上の写真で券売機本体の右側にある台に、申込書や証明書を置かせてカメラで読み取って、通常の指定席券売機では扱えないきっぷも発売するというもの。外国語の自動翻訳での対話もできる。
JR東日本全体では、3月に運転再開した水戸支社常磐線5駅で導入済み。続く2例目・6駅目が東能代だそう。東日本以外の他社では、同型で名称が違う券売機を導入している。

ところで、昔「もしもし券売機Kaeruくん」というのがあった。【20日追記】その名の通り、これも対話型で様々なきっぷを取り扱える機種。
2005年に導入され、秋田支社では2006年辺りからみどりの窓口廃止の代替として、次々に設置(土崎、追分、八郎潟、男鹿、等々)された。しかし、評判が悪く、2012年までに全廃され、通常の指定席券売機に替わっている。
両者の違いは、Kaeruくんは、必ずオペレーターを介さないと何も買えないのに対し、話せる券売機は、通常の券売機としての使い方もできて、必要な時だけオペレーターを呼び出せること。

画面は、秋田駅などの通常の指定席券売機のものと同一ではないが違和感なし。五能線起点駅だけに「リゾートしらかみ」指定席ボタンが独立しているのはさすがなのと、右下に…
右下にオペレーター呼び出しボタン
左の受話器を取ってもいいのかな。別にマイク(画面の右上の白い部分のスリット)もあるから、受話器を取らなくてもいいのか? 今のご時世、(受話器を)持つこと、しゃべることが敬遠されがちで、その点はどうだろう。JRさんなら消毒はやっているとは思いますが。
横のポスターには「お客さまを正解へと導きます」とか書いてあるけど、きっぷを買うのに“正解”って…

東能代駅の周辺や他の駅の話など、続く
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まだあった徐行

2020-09-18 00:02:23 | 秋田の季節・風景
才八橋の近くの話。
楢山地区の東に当たるが、よそ者はここが楢山であることを忘れがち。2つの線路と太平川で分断され、さらに金照寺山と一つ森公園の丘に挟まれて隠れた場所。
楢山だから秋田市役所の地域区分では「中央地区」。学区は築山小、秋田南中(城南中も選択可?)が指定されている。ここは2つの中学校より小学校のほうが遠く(築山小は金照寺山の真裏)、通学が大変そう。
【19日補足】警察署は、奥羽本線が境になるようで、ここらは秋田東警察署城東交番エリアの西端。秋田中央警察署楢山交番ではない。

楢山かまくら」という伝統行事もあるし、狭くて曲がりくねった古そうな道路があるので、古くから人が住んでいたはず。
そして、おそらく昭和40~50年代に宅地開発され、人口が増えたはず。隣接する横森地区(こっちは東部地区)の宅地化と同時進行かもしれない。
それなのに、道路整備がされなかった(スプロール現象に該当するかも)ため、1つしかルートがない、狭くて歩道がない道を、車が行き交っている。今は横山金足線へ回ることも可能で、昔よりはマシなのかもしれないが。
道路新設や拡張をするにしても、その土地がないし、そうするまで人口は増えていないということか。

左が奥羽本線、右が一つ森公園、奥が才八橋方向
才八橋を渡って、一つ森公園の下辺りまでが特にこちゃこちゃした道。上の写真の奥のほう。
一つ森公園のふもとまで来ると、道路はいくぶん見通しが良くなる。一つ森公園斜面側にはわりと広い歩道が付くが、その分、車道の幅は狭いままでセンターラインはない。
山と線路に挟まれていることもあって、多少はカーブがある。
そのカーブの手前。右は線路向こうの金照寺山ふもと

徐行標識!
忘れていた。ここにも「徐行(英字なし)」があった。確認済みの中では、いちばん交通量が多い道路に設置された「徐行」だと思う。
レアな標識とは言うけれど、実は(秋田市内には)けっこうあるのかも。

上写真は、才八橋から南進する側で、この1枚だけ。逆方向では、
やはり1枚だけ(左側奥の電信柱)。奥の大きな建物は市民市場向かいのNTTだ

南進側で、30km/h制限の標識と一緒に設置されていることから、公安委員会(警察)設置と考えられる。裏面のシール等なし。
例によって古いもので、日当たりの関係か北進側が色あせている。南進側は、30キロ制限よりはずっと鮮やか。古い標識でたまにあるが、板面には縦方向に「……」という模様のようなものがある。

南北とも、下の補助標識は「事故多し」。
ちょっと珍しいが、警察庁が認める「規制理由」を示すものだろう。
それはいいけれど、これも例によって「規制区間」がない。
警察庁「交通規制基準」では、徐行には規制区間の補助標識を必ず設置するよう求めているが、秋田市内で確認済みのものは、県警設置分も、秋田市設置の新しいものも、いずれもない。
1方向に2枚設置して「ここから」「ここまで」とするのが本来だが、規制の区間がおおむね30メートル未満の場合は、1枚で「ここから○○m」でいいとしている。

ここの場合、常識的に見て、このカーブを通過する時だけ徐行ということだろう。
そして「30キロ制限」と「徐行」がいっしょなのも、混乱する運転者がいるかもしれない。
というか、ここを通る車を10台以上見たが、厳密な「徐行」をした車は1台もなかった。※徐行とは「車両等が直ちに停止することができるような速度で進行すること」で「時速4、5キロぐらい」。
でも、交通違反うんぬん以前に、“真の徐行”まで速度を落としたら、後続車に追突されてしまいそう。

「徐行」じゃない、注意喚起を検討してもいいのかもしれない。

※この近くの別の話題
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豪華なゴミ置き場

2020-09-04 00:30:38 | 秋田の季節・風景
「箱文字」とか「チャンネル文字」と呼ばれるものがある。建物の外壁などで、企業や施設の名称を表示するのによく使われる、金属製などの立体的な文字。
看板を出すよりもしゃれていてスタイリッシュなことが多いものの、費用はかかるし、経年で部分的にズレたり落ちたりするとみっともない。


秋田市内のこんなところに、箱文字が使われていた。
小さいけれど凝った造り

近くにはこんなのも(同じものが2つ)

1文字10センチ四方ほどの、銀色の太めのきれいな明朝体の箱文字でその名称が表示されているが、見ての通り、
「ゴミ集積所」
【4日補足】書体は、写研製「石井太明朝体」ではないだろうか。写植用書体(「文字」カテゴリー参照)なので、パソコンでは使えない。
「ゴミ集積所」

ただのごみ置き場。
それにこんな立派な箱文字を使うとは!

まず、集積所にしては構造からして立派。
後ろに一部写っているように、これは集合住宅のごみ置き場。公営住宅、社宅、分譲マンションなどでは、建物本体と統一感のあるごみ置き場が造られることが多い。折りたたみ式を設置するのは、ほとんどが戸建住宅の町内会。
とはいえ、特に最初に紹介したのは、鉄筋コンクリート造かのような丈夫な造りで、屋根にドーム状の物体があるなどデザイン性が高い。もう1つのほうはシンプルだが、裏側にも同じ扉があって、おそらく住民は道路に出ずとも、敷地内からごみを出すことができる。なかなか豪華なごみ置き場、しかも箱文字表示付き。
この裏面も同じ構造で、箱文字はない

このごみ置き場があるのは「秋田県職員矢留公舎」。県の職員住宅。
建築時期もデザインも異なる複数の棟からなり、集積所も複数あるが、うち3つだけがこのような箱文字付きごみ置き場のようだ。矢留以外の公舎にはあるだろうか?
「秋田県職員矢留公舎 n-nn」という、所在地と建物名の表示は、金属板。その文字よりも「ゴミ集積所」のほうが若干大きいと思う。
矢留公舎のほかの集積所は、以前は木枠に網を張ったもの、ここ5年ほどの間で金属製の檻状のものに交換されている。いずれも、ごくシンプルなもので、表示もない。

この3つのごみ集積所は、もしかしたらバブル期に建てられたかもしれない。ましてや県庁、こんなところに税金を無駄遣い(と言わざるを得ないと思う)したのだろう。
だとしても、ここがごみ置き場であるという表示をこんなに大きく目立たせる必要があったのか、理解に苦しむ。
あと、県庁の業務は家庭ごみには直接関わらないものの、役所として「ゴミ」表記は適切ではないとも思う。公的にはゴミは「ごみ」とひらがな表記するものだ。バブルで浮かれていたのか?

一度作ってしまったもの。今さら撤去するのもまたおかしい。
文字は光り輝き、込み入った画と画の間などに汚れも溜まっていない
集積所の壁は、経年で汚れてしまっているが、箱文字はピカピカ。部分的な欠落も生じていない。大切にはされているようだ。

かつて、市内の某民間商業施設では、客の目に触れる箱文字が、こんな状態で放置されていた。※後に修理されました。
(再掲)
これに比べれば、みっともなくなくていい。だけど、「コミ集積所」などとなった時は、修理するのでしょうか…
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旧大島商会 その後

2020-09-03 00:37:01 | 秋田の季節・風景
2018年12月の続き。
秋田市中央部、歓楽街・川反の南一帯で、南大通り・(大町)五丁目橋からドン・キホーテ横・山王五丁目交差点へ抜ける「都市計画道路川尻広面線」が造られつつある。うち、五丁目橋から寺町にかけての「横町」は、既存の一方通行の道路が拡幅される。
その区間には、1901(明治34)年に秋田初の百貨店として造られ、秋田県内最古のレンガ造の建物である、国登録有形文化財「旧大島商会」が残っていた。

道路拡張で解体もあり得る事態になったが、所有者が秋田市へ(「建物を」ということでしょう)寄贈。秋田市は、大町一丁目の市有地へ移築して活用することにした。というところまでが2年弱前の話だった。その後。

移築決定後、営業していた生花店が退去・移転。
2019年8月。看板などなくなってすっきりした姿
改めて見ると、小さい。幅9メートル、奥行き7メートル。
営業当時は、向かって右・西面に隣接してプレハブが建っていたのがなくなったので、これまで隠れていた面が姿を現した。
レンガがやや汚れている?
鉄の扉と、レンガが出っ張った柱のようなものが特徴的。

写真はないが、左面もほぼ同じ。2階の鉄の扉がなく、レンガは正面並みにきれい。隠れていた右面は、あまり手入れしていなかったのだろう。

2020年3月
徐々に解体が進んだ。


移転先は、通町の通りから南へ入った、だるままつりの星辻神社の並び。かつて秋田魁新報社本社があった裏側の一角で、サンパティオ大町の裏。
ここしばらく通っていなくて、現在。
こんなに形になっていた!
通らなかった間に、想像以上に工事が進んでいた。

「建築工事の表示」看板は、「まちなか観光案内拠点整備工事」で昨年8月3日から今年10月3日まで。
「構造・規模」欄には、移転前後両方書いてくれていて「木造2階建(大町6-5-7) RC造2階建(大町1-2)」。ということは、以前は木造、移築後は鉄筋コンクリート造で、それにレンガを貼ったような造りなのかな。
ということで、レンガはまだ見当たらなかった。三匹の子豚の家じゃないので、レンガをただ積み上げる単純な構造ではなく、その前の段階なのだろう。

シート越しのシルエットやサイズ感は、移築前と変わらないと思う。場所的にはうまく収まって、ちょうどいいスケール感かな。
北・通町、星辻神社側から
この位置だと、正面が東向きだから、北向きだった移築前から時計回りに90度回転したことになる。
この土地は傾斜があって、道路から遠い奥のほうが高い。その対応はよく分からないが、とりあえず正面は低い道路面と同じレベル。【4日追記・建物が建てられている部分は、道路と同じ高さまで掘り下げられているようだ。そのため後方とは段ができていて、コンクリートの塀のような仕切りがあった。】
敷地と比べるとだいぶ小さい建物なので、どう配置するかと思っていた。中央にどーんかと思ったら、向かって左・南に寄せた位置【3日追記・前は後方へ引っこませるのではなく、道路際2~3メートルってところ?】。後ろも余っていそう。
左はロンド
したがって、南隣は著名なジャズ喫茶「ジャズスポット ロンド」、さらに南隣は秋田の手作り製品を集めた店「秋田贔屓(あきたびいき)【4日追記・8月いっぱいで営業を終了していた!】」、そして地ビール醸造やビアレストランなどの「あくら」の入口。
秋田贔屓が入る和風商家の建物は、わりと最近まで、あくらと同経営の「高堂酒店」の店舗として使われていて、大島商会より少し古い1887年頃築。また、ロンドやあくらも、同じ頃建てた蔵を改装しているそうだ。
というわけで、明治期の建物が連なる一角になりそうで、いいかも。
あくら側から。左奥の青いシートが工事現場

裏の大町通り側から見る。以前「さきがけ大町センター」があった、サンパティオ南隣の駐車場の真後ろに当たる。
奥の高い建物は旭川対岸の秋田中央警察署
右の大きい蔵があくら、その向こう側がロンド。こちら側とは1段低い位置に、大島商会が移設されようとしている。

この市有地には地元商店街による商業施設建設の計画もあったが、どうなっているか。
大島商会が観光案内施設として使われるのなら、大町通りのサンパティオやねぶり流し館と行き来できれば便利だが、段差対応や私有地をまたぐルートを確保する必要がある。どうなるか。

横町通りに大島商会があった頃

現在
横町~寺町のほうは、店が多い五丁目橋寄りは手つかずだが、寺町寄りは移転・建て替えはかなり進み、道路が造られようとしている。→2023年の状況

移築の続き
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期間限定 通町の“背景”

2020-08-31 20:47:41 | 秋田の季節・風景
江戸時代から城下のメインストリートとして栄えてきた、秋田市の「通町(とおりまち)」。
住居表示実施により、現在は保戸野通町と大町一丁目の境の道路になっているが、通称としての通町は、道路沿い両側。
「通町」の定義としては、狭義では通町橋を東端に、「せきや」近くの菊谷小路と交わる交差点まで300メートル。ちょうど県道233号と重なる(県道は北へ曲がる)。
広義では、そこから市道に変わって200メートル西、「大工町」だった部分も含めて、みその通りとの交差点(六道の辻)まで。これだと、保戸野通町・大町一丁目のエリアと一致する。
「通町通り」と呼ぶこともなくはないが、語呂がいまいち…

通町は、20年強前に道路拡幅が行われ(↑広義の区間)、風景が様変わりした。それに比べれば近年の変化は少ない。
ところが、気が付いたら、通町の“背景”が様変わりしていた。変わることは予測していたが、このように変わるとは予想外。
※変化前はあまりいい写真がありません。予測していたのならば撮っておけばよかったのに…
佐野薬局付近から東方向で比べる。
2013年3月

現在
通町橋の対岸は、変形十字路(四差路)なので突き当り。その向こうの“背景”が違っている。
以前は見えなかった、お寺の屋根に丸窓が開いたような独特の建物が見えるようになった。
丸窓越しに向こう側の丸窓も、上に駅前のアルスも見えている
千秋公園の下にある、前の秋田県立美術館・平野政吉美術館の建物である。
メイン展示である「秋田の行事」を展示するために設計された、1967年から使われた建物。耐震性能や老朽化の対応をどうするかでモメて、美術館は2013年に広小路向かいの、日赤病院などの跡地「エリアなかいち」内に移転した。
その後、空いた旧美術館の建物をどうするかで、またモメた。移転前では、補修するのは現実的でないから、なかいちへ移転するという話だった。つまり解体されるはずだった。それがいつの間にか、旧美術館を補修して他用途に使うという話が強くなった。
結局、県から秋田市へ移管の上、2021年3月に「秋田市文化創造交流館(仮称)」としてオープンすることになり、現在、建物周辺(外構など)や内部の改装が施工中。
かなり特徴的な建物であり、価値がありそうなのは否定しない(そのわりには、県外から来た人などは安藤忠雄の現・美術館の建物のほうに惹かれるようだが)。文化創造交流館とやらが、市街地の活性化にはなるかもしれない。
ただ、歴史ある建物を次々と壊す秋田において、どうしてこれだけがこんなに大事に残されるのか、大金をかけてまで残す価値があったのか、そもそも美術館を移転する必要があったのか、いろいろと考えてしまう。


なぜ、旧美術館が見えるようになったか。
2013年の写真を拡大
秋田県民会館(上の写真で緑っぽい高い建物)と秋田和洋女子高等学校(手前のピンクがかった横長の建物)がなくなったから。
以前の繰り返しになるが、新しい文化施設(あきた芸術劇場)建設とその駐車場とするため、県民会館と隣接する高校が解体された。
県民会館は昨年までに解体済みで、今春、秋田令和高校となり近隣へ移転した和洋高校校舎の解体がされた今年夏(たぶん8月から)、県民会館向かいにある旧美術館が姿を現した。旧美術館敷地のメタセコイアの木も伐られてしまい、それも見通しを良くしたはず。
8月中旬。左側の校舎がまだ残っていた。屋根には芸術劇場工事のクレーンの影

たしかに、旧美術館と通町は道路・通町橋越しにほぼ一直線。佐野薬局付近までだと500メートルほど。
Googleマップ航空写真に加筆。左の黄色い★が佐野薬局付近
地面に高低差があり、建物もけっこう高かった県民会館、さらについたてのように横(南北)に長かった和洋が、見通しをさえぎっていたのだった。

航空写真の通り、旧美術館の屋根と通町の通りは、完全に直角な位置関係ではないから、通町でも場所によって見え方が変わる。
また、通町橋寄りでは近すぎて手前の建物に隠れるし、全体に南側・大町一丁目側では、南側の建物に隠れて見えない。
西に進んで、
せきや向かい・通町二区バス停付近

右が隠れる
ここから西・大工町側では、北側であってもほぼ見えなくなる。

今まで、旧美術館をこれほど「真横」からきれいに眺めることは、通町以外の場所でもできなかったと思う。
それに、芸術劇場ができると、再びさえぎられると思われる。あと何か月だろうか、限定の貴重な光景。
コメント (6)
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手形押ボタン通り

2020-08-27 00:01:38 | 秋田の季節・風景
手形陸橋東側、秋田市手形地区を抜ける県道28号線の続き。前回最後に、この通りに「多い」ものがあるとした。
地理院地図に加筆
↑左右の黄色い道が県道28号、その南側(かつ「十七流」表記付近より西側)が区画整理エリアなので、広めに掲載します。「NYNY」はパチンコ屋、「いとく」はスーパー。
上の地形図に、赤で西側から1から6までの番号を振ったのがその存在。
いとく前のカーブから西方向。奥の手形陸橋下の山崎町交差点まで800メートル
上の写真には、1~5が写っている。
信号機がずらりと並ぶのにお気づきだろうか。それだけなら、竿燈大通りとその裏通りなど各地にある。
ここがすごいのは、連続する6つの信号すべてが、押しボタン式(警察用語では送りがななしの「押ボタン式」が正式らしい)ということ。
「押しボタン式信号が6連続」なんて、全国的にほかにあるだろうか(誰か調べてほしい!)。【2022年8月27日追記・広島県呉市の国道31号に、850メートルほどに押ボタン信号が6つ連続する区間があるとのコメントをいただいた。】

さらにその6つ+両端2交差点の間隔の狭さ。
両端の押しボタン式でない「手形山崎町」と「広面小南(ひろおもてしょうみなみ。広面小学校の南側という意味らしい)」両交差点の間は1170メートル。その間に6つあるから、平均167メートル間隔。地図上で計測すると、
[手形山崎町]150m[1]110m[2]100m[3]120m[4]190m[5]380m[6]120m[広面小南]
1~5は特に密接していて520メートルに5つなので、平均130メートル。
「1キロに6つの押しボタン信号」とは、日本記録だったりして?!(誰か調べてほしい!!)

なお、6か所とも、脇道用の車両用感応式信号などがない、歩行者用信号と押しボタンが1組ずつ設置される、オーソドックスな押しボタン式信号。また、この区間に、信号機なしの横断歩道はない。
ちなみに、この区間のバス停は、手形東町・若葉町・野崎・赤沼入口・三吉神社入口と5つ(それでもやや多めで、最近の幹線道路に比べて間隔が短い)。
ラーメン屋は(当然間隔はまちまちだが)6つよりは多いよう(9店?)で、さすが激戦区。


横断歩道の設置間隔について。
法令では決まっておらず、要はケースバイケースなのだが、警察庁「交通規制基準」には示されている。
「横断歩道の間隔は、市街地においては、おおむね100メートル以上、非市街地においては、おおむね200メートル以上とする。ただし、通学・通園児、高齢者、身体障害者等の横断する場所や商店街等で歩行者の横断が特に多い場所においては、設置間隔を短縮することができる。」
ここは100メートル以上が適用できるであろうから、基準範囲内でしょう。
信号機の設置間隔については、特に基準はなさそう。



ところで、千秋トンネル通りの元秋田銀行保戸野出張所前(鷹匠橋西側)、あるいは外旭川アンパス通りの野村交差点東側の押しボタン式信号を横断したことがあるだろうか。
ボタンを押してもなかなか青にならず、とても待たされる場合がある。

なぜなら、すぐ隣にある通常の交差点の信号機のサイクルと連動しているから。
ボタンが押されると、隣の交差点(菊谷小路北端、野村)の同方向と同じタイミングまで待って、信号が変わる。交差点間で車両が詰まってしまわないためだと思われる。

手形の6連続押しボタンでは連動などせず、めいめいにボタンに応じてすぐ変わるようだ。
車両がつかえることはない、もしくはラッシュ時などは元から渋滞気味でつかえても差し支えないという判断なのだろう。連動させると費用がかかるだろうし、待ち時間が長いと信号無視で渡られるおそれもあるだろうし。
※ただし、この区間に限らず、誰かが渡り終えて歩行者用信号が赤になった直後にボタンを押した場合は、ただちに反応せず、一定の間隔(数十秒)を置いてから青に変わる「遅延タイマー」は設定されているのが一般的。


手形のこの通りに、押しボタン信号が連続する理由は?
・交わる道から流入する車はさほど多くないので、押しボタンでない通常の信号機を設置するほどではない。
・一方、県道の交通量が多く、横断歩行者も一定数いる場所なので、信号機なしの横断歩道では無理・危険。
・以前は西側(3・4間のパチンコ店付近以西)が3車線で、時間で進行方向が変わるリバーシブルレーンであったので、特に危険。
・一直線の道路に、あえて信号機を多く設けることで、運転者に緊張感を持たせ、スピードの出しすぎを抑止する。
といったところか。
3番の押しボタン信号を西側から
上の写真の少し東(奥)側から手前方向がリバーシブルレーンだったはず。手持ちぶさたなゲート状の物体には、車線数や走行可否を示す標識類が設置されていたはず。

密接している西側は、地図を見ると分かるように、北方向の小道はどれも秋田大学方面につながっているので、特に大学生の横断が多いと感じる。
ここで押しボタン信号の数を減らしてしまうと、横断歩道以外で横断したり、常にボタンが押されっ放しになったりしてしまうのかもしれない。数を増やして、うまく分散させているのかも。
2013年3月撮影。西から6番、その奥が広面小南。北都銀行広面支店は今はない
間隔が広い東側は、スーパーのいとく(5と6の間)があり、その来店者などの横断者も多そう。しかし、いとくの真ん前には信号がない。道路がカーブしているので、信号や横断歩道を設置しづらいのだろう。その結果、信号でないところを横断する人がいる。カーブだし、駐車場に出入りする車もあるし、危ない。

とりあえずは、6連続押しボタン式信号でも、問題はないのではないだろうか。
市街地に横断歩行者がいて当然。歩行者は面倒がったり遠慮したりせずボタンを押して渡り、運転者はゆとりを持った運転をお願いしたい。


さて、この通りは、子どもの頃から車でたまに通る程度。どこに何があったなど細部は記憶になく、昔はちょっと違う雰囲気で、気がついたら現状になっていた。
今は電線が地中化され、歩道はブロック敷きで融雪装置があり、街路灯や信号柱は茶色で統一されている。いつ、そうなったのか?

ここは、三吉神社前の旧道のバイパス的位置付けではあるが、道路そのものはそこそこ古い(今の広面小南交差点まで)。1971年の地形図では、現在と変わらなそうな線形。
その後、1991年に手形陸橋の第1段階の拡幅・リバーシブルレーン開始があり、その前後だろうか広面小南交差点以東(横金線交差、谷内佐渡方向)がバイパス化された。
1990年代中頃辺りは、もっとごちゃごちゃした街で、横型の普通の信号機だったような気がする。

そんな時、参考になるのが、設置された信号機の製造年月。
この区間では、制御器や押しボタン箱も含めて、近年交換されてしまったものもあるが、電球式の信号も残っており、それは道路改良時に新規設置されたままの可能性が高い。
※事故や故障による早期交換、あるいは在庫品や転用品の可能性(後述)もあり、断定はできない。

電球式が多く、位置的に銘板が確認しやすい、歩行者信号機を調査。
ここの歩行者用は、上や下から見た断面が三角形=背面が2面の、小糸工業(現・コイト電工)製のものが多いので、一括で設置されたかと思いきや…
太い数字が製造年。細いのは製造番号の一部
現存する電球式だけで2001年12月、2002年12月、2003年8月製と、近接ながら3回に分けて製造されていた(図中「S63」は別。後述)。2002年製と2003年製が向き合うものもあった。
製造年月が同じでも、製造番号が飛び飛びになっているのは気になるが、西・手形山崎町寄りのほうが新しい。
東側はLED式に交換済み(昨年交換されたばかりのものも)だが、さらに東の広面小南交差点には、同じ形状で「平成6年4月」製=1994年とだいぶ古いのが残っている。【2024年9月21日追記・横金線を越えてさらに東の「秋田大学付属病院」交差点は1987年11月製だった。】
したがって、東から西へ進んだ融雪設置など工事の進捗に合わせて、段階的に信号機が発注・設置されたと考えられる。

LED化は、6番5番は歩行者用・車両用とも完了。4番は車両用だけがLED化(おそらく中古転用品)。
※LED化と同時に、背中合わせ両面設置だった車両用は、警察庁の指針に従って、1方向に付き1台の片面設置になった。
冒頭と同じく5番から1番方向。手前2つがLEDの片面設置
5番は新品の低コストLED片面で「押ボタン式」表示板も新品。4番が転用LED片面、以降は電球式両面。

西側が未更新なわけで、これは、単純に少し新しい信号機だから後回しというだけかもしれない。でも、それよりも、区画整理に連動して、県道の歩道も改良されるようなので、その時まで待って取り換えるつもりではないだろうか。
あるいは、区画整理の結果、流入する道路の位置や幅が変わり、信号機・横断歩道の位置そのものが変わるということも、なくはないかもしれない。
※広面小南に古いのが残っているのは、忘れているのかも【27日補足・あるいは気まぐれで未交換】。秋田県警では珍しくない。まあ、機能としては問題ないでしょう。


この区間の歩行者用信号機12台。
LED化前をストリートビューで確認したものも含めて、上記のように小糸工業製が多く、9台あり、いずれも吊り下げ式。
小糸の吊り下げ
残り3つ、4番の北、5番の南、6番の北は別タイプだった。5、6は交換済みなので4だけ現存。
4番を東から。右側がそれ

交換済み2つも含めて、以下のような状況だった。

吊り下げでない、上下からアームで取り付ける一般的な設置方法(抱えこみ設置)。信号機自体も小糸製ではない形状。信号柱は、背が低くて飾りがない。
1番と2番でも、同じような信号柱だが、柱自体が少し違い、信号機も小糸の吊り下げ。
したがって、東寄りの初期施工区間の、低い柱だけ、違っていることになる。

この低い柱は、歩行者用信号機と押しボタン箱のためだけの柱なので、細い柱の頂部に歩行者用信号機を串刺しする「自立式歩灯」にしても良さそうな環境だが、秋田県警はそれを好まない。40年近く前、今の竿燈大通りが電線地中化された当初はあったのだが、いつの間にか通常設置に変えられ、秋田市街地には皆無。

4番北の信号機は、昭和63年1月、京三製作所製。交換済みの2台は形状は同じだったが、製造時期やOEMなどでメーカーは異なる可能性がある。
道路整備時期と比べて古いし、京三製新品は秋田市内には多くない。どこかの中古品で、元は普通のグレーだったボディを茶色に塗り直していると思われる。

やはり2000年代前半に整備された南大通りでも、中通総合病院入口の押しボタン信号の片方が類似した環境で、同様の手法(平成7年日本信号製で緑塗装)が取られている。
ボディの色落ちは進んでいるものの、機能は問題がなさそうだから構わないけど、新品を発注すれば良さそうなのに、何かの制約があったのか、節約したのか?
【31日追記】今年春(昨年度末)、交換された旧国道の歩行者用信号機でも、他は新品なのにアームが違う1か所だけ転用品(ここは京三だった)だった。今でもなお、違うアームの少量注文はしづらいのかな。


“手形通り”は“押しボタン信号通り”で、今後は南側の区画整理に伴う、歩道再整備(+信号機交換)に注目。
2021年始の強風によるここの信号機への影響
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手形通り? の南側

2020-08-24 17:12:18 | 秋田の季節・風景
秋田駅の北東すぐが、秋田大学の本部などがある手形(てがた)地区。おおむね奥羽本線の東側、旭川の南側、広面(ひろおもて)地区との間。秋田市の区分としては「東部」エリアになる。

今、“手形のメインストリート”と言えば、県道28号と認識する市民が多いと思う。秋田駅西口側・広小路から手形陸橋で線路を越えると、ほぼ真東かつほぼ一直線に手形を横切る。
陸橋の下、「手形山崎町」交差点から一直線に800メートル、いとく秋田東店前で北東に角度を変えて500メートル強で横山金足線(県道41号)と交わる。
今回は扱わないが、さらに東で太平川に突き当たって北へ向きを変え、幅が狭くなって太平山~河辺の岩見三内へ向かう。
手形陸橋から東方向、手前の交差点が手形山崎町
交通量は多く、大学病院方面(手形山団地経由を除く)の路線バスが通る。かつては途中までリバーシブルレーン(中央線変移)が行われていた。

太平山三吉神社(里宮。過去の記事)や秋田大学医学部と附属病院も近いが、いずれも県道28号には面しておらず、所在地も手形ではない。
神社前の狭い道は「赤沼街道(神社の所在地が広面字赤沼)」と言われるそうだが、あまり一般的ではないと思う。そのバイパスに相当するのが、陸橋から続く県道28号なのだろう。
沿道にはスーパーやパチンコ店もあるが、多いのは個人経営の店。飲食店が多く、“商店街”と呼べるものではない。秋田大学に近いので、学生目当ての店も多いものの、21世紀始めには居酒屋が多かったのが今は激減し、代わりにラーメン店が増えたと、数年前の魁が伝えていた。コンビニはできても、長続きしない感じ。


ここに関して悩むのが、会話でこの道路を指す時、どう呼べばいいのか。
メインの道路なら「○○通り」など名称・愛称が与えられてもいい。秋田市都市整備部では、国道・県道も対象にした「市民に親しまれる道路愛称」を公募しているが、ここは今のところ対象外。同様に新国道も対象外だが、新国道という暗黙の了解が形成されている。

ネット上では、自然発生的な呼称だと思われる「手形通り」や「手形の通り」が散見され、ある程度は浸透していそう。
僕は使う気になれない。秋田大学前の道路などと誤解される可能性が捨てきれないから。
「三吉神社の通り」でも通じそうだが、厳密にはそれだと旧道のほうだから、個人的には気に入らない。
「手形陸橋の通り」と呼ぶのが無難と考え、それで足りている。
※「手形陸橋の通り」では、反対の線路西側も含まれてしまう可能性はある。しかし、そちらには市民に親しまれる~で1983年に「大手門通り」が命名されている(ほとんど浸透しておらず、親しまれていはいないけど)し、「脳研(秋田県立循環器・脳脊髄センター)の通り」と呼ぶのはわりとある。道路の線形からしても、陸橋とはつながっているが区分してとられることが多いと思う。不安なら「手形陸橋の手形側の通り」と呼べば確実。

命名するとしたら、「手形大通り」だとやや大きすぎて、やはり「手形通り」で決まりかな? 「三吉神社通り」もあるか…


2013年3月撮影。いとくの向かい側の西寄りから西方向
さて、現在、この通りの南側、手形山崎町交差点からいとくの少し西・「野崎」バス停付近まで(道路沿いで500メートル強)の一帯で、「秋田駅東第三地区土地区画整理事業」が行われている。
上の7年前の写真では、向かい側(左)奥方向ずっと。
2018年12月。野崎バス停付近。右はパチンコ屋
じっくり歩いたことは少ないが、昔は農村であったことを連想させる、カーブした道路や広い敷地の家も残る中に、アパートや住宅街が形成された(道路沿いには店が少々)一帯と認識していた。
2019年5月。奥の建物が並ぶ左右が県道・野崎付近、左奥の煙突が秋大
区画整理とはそういうものだけど、そこをほとんど更地にして、道路(県道の250メートル南を並行するのが大きめ【24日追記・その道路が新たに建設中のアンダーパスを経て、駅北西・旧脳研裏下の区画整理エリアとつながる。】)と家屋を新たに配置し直すようだ。
数十年前、田んぼだった頃に計画的にやっていれば、もっと安く上がっただろうに。人口減少を見越せば、今さら必要なのかという気がしてしまう。よそ者としては。
現在。2013年の写真よりさらに西で撮影(信号やパチンコ屋は変わらず)。
見事な更地だった野崎バス停付近では、たいぶ家が建ってきた。パチンコ屋はどうなる?
以前を知る人が久しぶりに来たら、驚き、以前何があったか思い出すのに苦労するに違いない。
Googleマップ航空写真に加筆
上の航空写真で、黄色い線の下・左が、大まかな区画整理エリア(さらに下まで続く)。
撮影時点では、県道沿いは未着工だが、内側は着工済みのようで空き地がある。
この時点で写っている民家らしき建物は、今は多くがなくなっているのだろうか。


県道沿いの手形山崎町寄りには、古くからあったであろうお店がいくつか営業を続けていたが、それも今年2020年に入った頃から閉店・解体する店が出てきた。「総合文具百科いせまつ」「おしゃれと暮らしのファッション島田屋」などがなくなった。【25日追記】いただいたコメントの通り、両店とも近くの仮店舗で営業を続けているとのことで、廃業ではなく区画整理に伴う改築になる。
2020年1月。閉店直後のいせまつ

2軒隣の島田屋は初売り中

現在。右の寿司屋の先が、いせまつや島田屋だった
この県道自体は、区画整理と直接の関係はなさそうだが、秋田市発注で区画整理に伴う歩道改良工事が施工中(上写真左側の工事看板)。多少変化しそう。

地元の人、秋大の卒業生の人などには、道路の片側だけほぼ全部という変則的な形で、思い出となじみのある風景が変わってしまうことになる。
ところで、この区間の道路に異様に多いものがある(ラーメン屋とか店じゃないです)。もしかしたら、全国的に見ても珍しいかもしれない。続きの記事にて
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エフエム秋田やっと復活

2020-08-17 00:09:36 | 秋田の季節・風景
秋田市八橋にある、エフエム秋田局舎正面の壁面の社名表示が、経年で部分的に取れて「 フエ 秋田」となって、長年手つかずだった。
再掲)2015年撮影

2020年6月頃、外壁に足場が組まれ工事が始まった。
(再掲)

そして現在。
外壁の色が変わった!
外壁全面の再塗装工事だった。
これまで小豆色のような色から、水色に一新。玄関周りの正面側・ひさし下の1階は手つかずで小豆色。【26日追記・その後、8月下旬には1階部分の工事が始まった。続き参照。】
正面以外も水色

「フエ秋田」だった位置には、白い帯が入って、そこに、新しくくっきり「AFMエフエム秋田」。
ひさしの左側に足場の部品がまだ置かれている
やっと「エフエム秋田」が復活した。
文字の色は変わったが、大きさも変わり小さくなった。長さというか幅は半分ほどになった。
 
工法は従来と同じく、レンガ風の凹凸のある壁面に、文字を貼り付けているようだ。また何十年かすれば、フエ秋田化しまうかも…


ところで、エフエム秋田の社屋は、大通りであるけやき通りの北側に続く道路(秋田テレビ本社前)には面していない。そこから曲がってすぐの細い道に面している。
そのため、南・けやき通り側から来ると、局舎正面やその表示が見えるものの、北側から来ると、分からない。存在を見落としてしまうかもしれない。
その対応ということだと思う。以前はこうなっていた。
2018年7月撮影Googleストリートビューより
局舎の裏の隣、つまり北西側には、けやき通りに面して「タイヤ館」がある。
その駐車場越しに局舎の裏面の西角がちらりと見ることができ、そこに縦書きで「FM秋田」の表示があった。
プラタナスの街路樹で視界が遮られるかもしれないが、これにより、いちおう北側からでもこれがエフエム秋田の建物であることは伝わっていた。
【17日補足】エフエム秋田開局当時は、局舎後方(北側)の道路は未完成だったはず。裏側から来る人のことは想定していなかったのではないだろうか。
現在
工事後は、裏面には何も書かれていない。
JR貨物のコンテナはタイヤ館のものでしょうね

エフエム秋田は今年で開局35周年。
正面表示を小さくし、裏に何も書かなくても分かるほど、存在と場所が浸透したということだろう。ひょっとしたら屋外広告物の許可申請手数料節約かもしれないけど。

※この直後、正面1階の玄関周りに足場が組まれたので、続く。【追記】9月28日時点では囲いがなくなり、玄関周りも他と同じ白・水色になっていた。
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秋田 和田

2020-08-14 22:46:29 | 秋田の季節・風景
秋田駅からJR奥羽本線上り(いわゆる“奥羽南線”側)に2駅だけ乗車。短距離で秋田市内ではあるが、個人的には乗る機会が少ない方面であり、さらに初めて降りる駅。指定席券売機で往復乗車券を購入。
ゆき券
券面左下の数字(券番?)「60006」は、これを発券した券売機が、その日に扱った6件目のきっぷという意味だと思う(1件目はメンテナンス用で、5件目かも?)。
秋田駅には指定席券売機が4台並ぶ。このFC1号機は、うち唯一のクレジットカード専用機なので、少なめかもしれないが、単純に4倍すれば、午前10時頃で30件ほどしかきっぷが売れていないことになると思う。新型コロナウイルスのため、それだけ(少なくとも)長距離客が減っているということか。

自分で画面で確認して買ったのに、券面を見て、一瞬どきっとしてしまった。
「秋田→秋田」に見えてしまったから。
※秋田発秋田行きの乗車券も、大回りして重複しない経路ならば、(窓口で)購入することはできる。

もちろん「秋田→和田」。秋田駅から和田(わだ)駅まで。
のぎへんの漢字+田は共通ながら、つくりは火と口で区別付きそうなものだけど、一瞬だけなら見間違う。
秋田中央交通では一時期、秋田駅(西口)-和田駅前の路線バスを運行していたのだが、その行き先表示は「わだ駅」とひらがなにしていた。
(再掲)2018年10月で廃止された横山経由わだ線=路線名もひらがなだった
それは、Wikipediaによれば秋田と和田の誤認を防ぐためだったそうだ。「要出典」っぽいけど、この乗車券を見れば、改めて納得できる(そして中央交通としては気が利いている)。


新庄行き各駅停車は、適度な間隔をおいて座れる程度の乗車率。この時間はいつもこのぐらいかもしれないが、お盆にしては旅行客風の人は3人(いずれも一人旅)ほどしかいない。地元の人はいつも並みのようで、全体の乗車率は緊急事態宣言中のゴールデンウイーク、あるいはその前の年度代わり頃よりは、多いと思う。

秋田-和田は13.3キロ、12~13分、240円。
間には四ツ小屋駅(2年前の記事)だけ。和田の次は、秘境駅とも言われる大張野駅(10年前の記事)。
大張野まで秋田市内だが、和田と大張野は旧・河辺町(2005年1月まで)。

和田は、河辺地区の中心地なのだが、これまで国道13号などで通過するばかりで、駅も町なかもなじみが薄かった。今回も、行ったわりには急ぎ足でざっと見ただけに終わってしまったのだけど、簡単に記録しておきます。
和田駅は明治時代開業。元は2面3線だったが、今は秋田新幹線(標準軌)の通過線ができたため、乗降できるホームは2面2線。
上りが主に停まる2番線。向かいが1番線でその向こう側(柵)が標準軌
停止位置目標やワンマンミラーは、両ホームとも上下両側向きに設置されている。

駅舎は橋上駅舎。
券売機はなく、窓口で購入できる簡易委託駅。秋田地区の慣例として、降車客のきっぷは委託の人が集札し、ワンマンでもすべてのドアが開く。
乗車時の改札や案内はなし。改札口の隣に10人弱座れる待合室、1階にもベンチなどがあるが、いずれも乗り遅れやホーム間違いには注意。

駅の建物も町も国道13号も北側にある。
跨線橋と並んで南北自由通路があり、まずは南側を見ると、
水田の中に道路が伸びるだけ
秋田では珍しくはないが、見事な田んぼ。奥のほうに集落があり、雄物川支流の岩見川が流れている。渡った先が「七曲臨空港工業団地」。
北側へ降りると、
なかなか立派で新しい駅舎
合併直前の2003年にできた橋上駅舎。2011年までキオスクもあった。
駅舎に向かって右側は「ふれあい交流館かわべ」という施設。元は河辺町の施設だったので、今は秋田市管轄らしいが、入らなかったし、秋田市役所のホームページには名前と所在地ぐらいしか掲載されておらず、よく分からない施設。

駅前には高雄【11月25日訂正】高尾タクシーが待機。
かつては中央交通の路線バス(上記わだ線や国際教養大線)が乗り入れていたが、現在は秋田市マイタウン・バス南部線のみ。御所野のイオンモール~和田駅~岩見温泉の路線が、平日7往復・土日4往復と、その他予約式路線。
【19日追記】国際教養大線は2019年春まで和田駅乗り入れ。以降は四ツ小屋駅に変更された。以前は、和田駅で教養大の学生らしき人が乗降していたのを見たことがあった。おそらく、この変更により和田駅の利用者や売り上げが、多少なりとも減ったのではないだろうか。
【11月25日追記】新型コロナウイルス感染症による国際教養大のオンライン授業実施のため、2020年春以降、四ツ小屋駅発着の路線バスは運休中。運行再開後は、再び和田駅発着になるという情報もある。
【12月11日追記】2021年1月9日から、駅裏の南側に「和田駅前」停留所を設置し、教養大との間を運行することが告知された。再び中央交通が河辺・和田に来るようになり、和田駅の利用者と売り上げも増えることだろう。
【2024年11月5日追記】その和田駅~国際教養大のバスは、2025年3月で廃止とのこと。

駅舎を左に駅前の光景
駅舎に向かって右(上の写真で奥左)側には、「秋田市河辺生産物直売所・農産物直売所フレッシュランドまごころ」。お盆の花が次々に売れていた。
その向こうに見えている、似たような形の屋根は、線路からも見える秋田市立河辺体育館。

和田駅前には、それ以外には店もなさそうだし、左右方向の道路もない。
上の写真で直売所の右手前の民家前から右方向に伸びる、広くはない道が、和田駅のアクセス道路。これが県道175号で、和田駅前から国道13号まで約400メートルの短い路線。

県道を進む。駅前にもあったが、すぐにバス停。
「和田駅入口」
秋田市内で、一般路線バスが廃止され、マイタウンバス化された路線では、廃止前のバス停ポールを譲り受けて(?)継続使用することがある(外旭川笹岡)。
ここもそのようだが、おそらくマイタウンバスと教養大線が共存していた時期は、2社で共用していたのだろう。それが、中央交通撤退後もそのままで中央交通の名と社章が残っている。
「バスで行こう」の部分に、マイタウンバスを受託する「高雄【11月25日訂正】高尾ハイヤー(企業名はタクシーじゃないのか)」。バス停名はパソコン作成で上張りされていて、角ゴシック体の斜め字。

昔のストリートビューでは向かい合って両側にポールがあったようだが、現在は和田駅に向かう側にしかなかったと思う。しかも時刻表が入っていなかった。駅が終点でなく、先まで行く路線もあるのだから、時刻表がないのはマズいのでは?

路上からは見えない位置の裏面を拝見すると、
こちらは原型の手書き文字

小さな十字路があって、その辺りが和田のメインストリートあるいは中心部のようだ。道は見通しが利かず、全貌は分かりづらい。会社や店はちらほらとはあるが、民家や空き地も多くて、思っていたよりも寂れているというのが、率直な印象。

駅を背に左、西へ曲がる。
振り返って和田郵便局など。右が駅方向
上の写真奥に、小高い丘がある。駅から見ると右。
「和田公園」だそうで、眺めがいいようだ。太平山三吉神社もあるらしい。

郵便局の斜め向かいの奥まった所が、旧河辺町役場だった、
「秋田市河辺市民サービスセンター」
他の各市民サービスセンター同様、愛称が付けられているのだが、道路からは表示が見えなかった。ここは「カワベリア」。
正面上に秋田市章が設置されているが、若草色ではなく、外壁と同じキツネ色で溶けこんでしまっている。
この裏などに消防や図書館など公共施設がまとまっている。まとまっているわりにはバラけた配置というか、道路のカーブや裏手に梵字川が流れているせいなのか、初めてだと分かりづらい。
金融機関やマックスバリュ、薬王堂、駐在所(秋田東警察署)などもある。

と、この程度の和田訪問でした。
これで、秋田市内の旅客駅で乗降した経験がないのは、羽越本線・桂根駅だけになった。別に狙っているわけではないが、桂根は停車本数が少ないから難しい。あと、クルーズ船来航時だけの秋田港駅、来春開業の泉外旭川駅もあるか。
コメント (7)
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