秋田駅の東・広面字赤沼、手形山のふもと、秋田大学の本部と医学部の間に「太平山三吉(たいへいざんみよし)神社」が鎮座する。
秋田県内でも著名で大きな神社で、初詣、1月中旬の「梵天(ぼんでん)」祭、七五三等でにぎわう。
太平山をまつった山岳信仰の神社で、山頂に「奥宮」があって、広面にあるのは「里宮」の位置づけだが、一般に三吉神社といえばここを指す。【8日追記】市民には「みよしさん」と親しまれる。
なお、札幌市中心部に「三吉神社」があり、地元では親しまれているようだが、秋田の太平山三吉神社の分霊とのこと。
弘前の岩木山(いわきやま)神社も、一般に岩木山神社と呼ぶふもとの神社と別に、岩木山(いわきさん)山頂に「奥宮」があるそうだ。ふもとのほうに「里宮」など呼称があるのかは知らない。里宮の所在地としては岩木山神社より太平山三吉神社のほうが、ずっと街中。
今は人もまばらな里宮の社殿
屋根下左の赤いのが秋田銀行から奉納された梵天。隠れているが右にもあり、それは北都銀行奉納。
社殿の左(東)側には、緑色の風よけと思われるネットが張られている。この下が急な斜面になって開けていて、住宅地や大学病院の向こうに太平山がそびえる。
そのネットの前に、銀色のピカピカの小さな物体がある。
小さな鳥居と賽銭箱
神社のホームページでは「太平山遥拝所」という名称で、「霊峰太平山の秀影を遥かに仰ぎ、手を合わせる所です。」と説明。
太平山そのものを拝む場所である。鳥居の先がまさに太平山でふさわしい場所だけど、ネット越しに拝むことになる(夏場は撤去されるか?)。
横には「太平山奥宮のご案内」という、新しそうな看板。鳥居と賽銭箱も、一見新しそう。
ピカピカ
賽銭箱に円形のマークがあるが、太平山三吉神社の紋のようだ。
左下にはライオンズクラブのロゴがあり「秋田東ライオンズクラブ」「1981」とあったはず。1981年に寄贈されたものということか。看板よりはずっと古そう。
そして鳥居。
額には「奉納」。さらに、2本ある横棒のうち下の「貫」と呼ぶほうと、向かって左の柱に、それぞれ文字が彫られている。
貫は「祈交通作業安全」(実際は右から左方向へ)。
そして柱は、
「秋田市交通局職員有志一同」
改めて説明すると、2006年3月まで秋田市には「秋田市営バス」があり市内で多くの路線を運行し、1965年までは路面電車(市電)もあった。それらを運営していた公営企業が「秋田市交通局」。
今や名残りがだいぶ少なくなってしまった、秋田市交通局の名が、こんなところに残っていた。
交通事業者として「交通作業安全」を願うのは当然。
小田急バス(の中古の中央交通)の車内には、深大寺のだるまの交通安全シールが貼られていたし、弘南鉄道弘南線の運転席には、沿線の猿賀神社のお札があった。
公営企業たる交通局そのものなら、政教分離の点で問題だが、職員個人有志(あるいは互助会みたいなのかも)の寄付なら問題ない。(車両にも三吉神社のシールが貼られたものがあったとのコメントを以前いただいていた。それも職員が個人的に貼ったものかもしれない)
市営バスと三吉神社といえば、「初詣バス」があった。
平成初期頃までと記憶するが、大晦日の夜遅くに秋田市内各地(飯島、神田、新屋等)から三吉神社へ向かい、その人たちが初詣を終えたタイミングで戻るバスが特発されていた。
当時の三吉神社前は、普段は中央交通のほうが本数が多かったはず【8日補足・前を通る大学病院経由太平岩見三内、下北手宝川、松崎方面は移管前から中央交通路線。市営バスの大学病院行きはここを通らない手形山経由がメインだった】で、交通局とは縁が薄いかと思いきや、そんなつながりがあった。
中央交通さんは、神頼みしないのでしょうか?
秋田県内でも著名で大きな神社で、初詣、1月中旬の「梵天(ぼんでん)」祭、七五三等でにぎわう。
太平山をまつった山岳信仰の神社で、山頂に「奥宮」があって、広面にあるのは「里宮」の位置づけだが、一般に三吉神社といえばここを指す。【8日追記】市民には「みよしさん」と親しまれる。
なお、札幌市中心部に「三吉神社」があり、地元では親しまれているようだが、秋田の太平山三吉神社の分霊とのこと。
弘前の岩木山(いわきやま)神社も、一般に岩木山神社と呼ぶふもとの神社と別に、岩木山(いわきさん)山頂に「奥宮」があるそうだ。ふもとのほうに「里宮」など呼称があるのかは知らない。里宮の所在地としては岩木山神社より太平山三吉神社のほうが、ずっと街中。

屋根下左の赤いのが秋田銀行から奉納された梵天。隠れているが右にもあり、それは北都銀行奉納。
社殿の左(東)側には、緑色の風よけと思われるネットが張られている。この下が急な斜面になって開けていて、住宅地や大学病院の向こうに太平山がそびえる。
そのネットの前に、銀色のピカピカの小さな物体がある。

神社のホームページでは「太平山遥拝所」という名称で、「霊峰太平山の秀影を遥かに仰ぎ、手を合わせる所です。」と説明。
太平山そのものを拝む場所である。鳥居の先がまさに太平山でふさわしい場所だけど、ネット越しに拝むことになる(夏場は撤去されるか?)。
横には「太平山奥宮のご案内」という、新しそうな看板。鳥居と賽銭箱も、一見新しそう。

賽銭箱に円形のマークがあるが、太平山三吉神社の紋のようだ。
左下にはライオンズクラブのロゴがあり「秋田東ライオンズクラブ」「1981」とあったはず。1981年に寄贈されたものということか。看板よりはずっと古そう。
そして鳥居。
額には「奉納」。さらに、2本ある横棒のうち下の「貫」と呼ぶほうと、向かって左の柱に、それぞれ文字が彫られている。
貫は「祈交通作業安全」(実際は右から左方向へ)。
そして柱は、

改めて説明すると、2006年3月まで秋田市には「秋田市営バス」があり市内で多くの路線を運行し、1965年までは路面電車(市電)もあった。それらを運営していた公営企業が「秋田市交通局」。
今や名残りがだいぶ少なくなってしまった、秋田市交通局の名が、こんなところに残っていた。
交通事業者として「交通作業安全」を願うのは当然。
小田急バス(の中古の中央交通)の車内には、深大寺のだるまの交通安全シールが貼られていたし、弘南鉄道弘南線の運転席には、沿線の猿賀神社のお札があった。
公営企業たる交通局そのものなら、政教分離の点で問題だが、職員個人有志(あるいは互助会みたいなのかも)の寄付なら問題ない。(車両にも三吉神社のシールが貼られたものがあったとのコメントを以前いただいていた。それも職員が個人的に貼ったものかもしれない)
市営バスと三吉神社といえば、「初詣バス」があった。
平成初期頃までと記憶するが、大晦日の夜遅くに秋田市内各地(飯島、神田、新屋等)から三吉神社へ向かい、その人たちが初詣を終えたタイミングで戻るバスが特発されていた。
当時の三吉神社前は、普段は中央交通のほうが本数が多かったはず【8日補足・前を通る大学病院経由太平岩見三内、下北手宝川、松崎方面は移管前から中央交通路線。市営バスの大学病院行きはここを通らない手形山経由がメインだった】で、交通局とは縁が薄いかと思いきや、そんなつながりがあった。
中央交通さんは、神頼みしないのでしょうか?
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