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和洋高校ほぼ解体

2020-10-16 00:11:09 | 秋田の季節・風景
秋田県民会館と秋田市文化会館の機能を統合し、秋田市街地・千秋公園ふもとの県民会館を解体した跡地に、新しい文化施設が建設中。(正式名称「あきた芸術劇場」、愛称未定。2021年12月竣工、2022年6月オープン予定。)
その新施設の関係者駐車場とするため、隣接する私立秋田和洋女子高等学校の校舎が建つ土地が使われることになった。
和洋高校は、近くの同校多目的グラウンドの土地に新校舎を建設し、今春移転。同時に、男女共学化されて秋田令和高等学校と改称。
(再掲)2017年広小路から。左が和洋、右が県民会館
空になった和洋高校校舎は、解体が始まり、夏以降本格化した。
その影響で、西側の通町からの風景が変わったことを以前取り上げた。
今回は校舎解体そのものについて。

場所。
広小路に面した、千秋公園のお堀は、中土橋(という道路)をはさんで、東がハスの咲く大手門の堀、西が昔はボートがあったりコブハクチョウがいたりした穴門の堀。
穴門の堀は、広小路から北方向・秋田中央警察署の裏面の「古川堀端通り」沿いにも続き、L字型。
Googleマップ航空写真より。旧校舎も「令和」にされている
その古川堀端通りの対岸、Lの縦部分ほぼいっぱいに、和洋の校舎が建っていた。裏手はすぐ県民会館で、南北に細長い敷地。
その北辺は「佐竹小路」に面しており、校門・正面玄関はそちら側。北側に少しだけ飛び出た棟があり、校舎はお堀と逆向きのL字型。1966年頃にできたらしい(後述のモニュメントの制作年)、4階建て。

校舎の長い辺は120メートルほど。お堀向きの西面はほとんどの窓が小さいので廊下だったのだろう。
2018年10月。北寄り一部を堀越しに
↑校舎に継ぎ目があり、全体が同時に建設されたわけではなさそう。ごく一部だけ窓が大きく壁が出っ張っている。

反対の県民会館向きは、高低差がある土手に面しており、(県民会館側は建物裏面であり)一般人が近くで見ることは不可能。広小路からはわずかに見ることができたが、ベランダ(バルコニー)があり、こちらが教室と思われる。防犯上は良さそうだが、風通しや日当たりはどうだったのだろう。
再掲)2013年。南面にもベランダが回りこんでいた

Googleマップストリートビューで確認すると、2012年10月では、校舎外壁でまさに工事が始まったばかりらしき風景が写されていた。2015年8月と比較すれば、耐震補強材設置、屋上のフェンス撤去などが行われている。外壁の色も少し違うかも。当時は移転解体する話(新設計画そのものが2013年に浮上)などなく、当分使い続けるつもりだったのだろう。

2020年3月。南から
解体工事は、高校側が発注した形のようだ。佐竹小路に面した正門側は、厳重に高い囲いが設置され見られない。お堀側は、外壁が足場と防音シートで覆われた。
8月初め。タワークレーンは新施設のもの
解体は佐竹小路・正面側から着手。
8月中旬。奥の北側が解体され、足場が低くなった
解体済み箇所は足場が撤去され、今までは見られなかった光景が姿を現した(そして通町からの風景も変わった)。
10月初め。平野政吉美術館と新施設の鉄骨が見える

解体はどんどん進み。
10月初め。南側の隅がわずかに残るのみ

現在。ほんとに最後の最後
上の2つの写真。建物が少なくなったわけだが、屋上にあったアンテナのようなものがなくなっている。
10年前にブログ「二〇世紀ひみつ基地」の「天地を結ぶアンテナ・和洋女子高モニュメント(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-706.html)」で知ったのだが、彫刻家・秋田大学教授の阿部米蔵氏(2011年没)が、旧校舎竣工時に作った作品「三愛のモニュマン」とのこと。
これがどうなったか。取り外して移設なり保管なりされると思っていたのだが、最後まで残って姿を消した。工程上、解体と同時に取り外したほうがやりやすくて、そうしたのだと思いたいところ。

2021年初めの校舎跡地の様子など。
開館時には、和洋高校敷地跡の堀沿いに遊歩道ができた

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