広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ポストに目?

2020-12-08 22:46:44 | 秋田の季節・風景
秋田市北部の拠点「土崎(つちざき)」地区。
市民の呼び方も、秋田市役所の公式な呼称(学校名含む)も、JRの駅名も「土崎」。「土崎神明社」もある。
でも、秋田市に合併する前の自治体名は「土崎港(つちざきみなと)町」、今の住所も「土崎港○○」。それ以外で「土崎港」を称するのは、イオン土崎港店(1979年にジャスコ土崎港店として開業)くらいかも。
男鹿市でも「船川港船川」と、港が付いたり付かなかったりがあるけれど、おもしろい。
軽く調べると、土崎港町ができたのは、1889(明治22)年。神明社や小学校はそれ以前からあった。ということは、「土崎」のほうが先で、町の名前で初めて「港」が付いたのだろうか。
【9日追記】「土崎湊」は、それ以前から港湾の名称としては使われていたのだと思う。地名としては「土崎」で使い分けていたのかな。あと、土崎には土崎姓のお宅も多くはないがいらっしゃる。


今回は郵便局の話。
国道7号(臨海バイパス)の東を並走する旧国道沿い、土崎港中央三丁目に「土崎郵便局」がある。2019年までは集配も行っていた大きい局で、バス停名にもなっているから、知名度は高い。
1872(明治5)年に「土崎湊郵便取扱所」として誕生。秋田中央郵便局の前身と同日。
1904年に「湊」が取れて「土崎郵便局」になったそうで、町名には遠慮せずに改名したことになる。

別に「土崎港郵便局」があるのは、ご存知だろうか。いつできたのかは分からない。【18日追記】いただいたコメントによれば、ルーツは1903年開局で、土崎で2番目に古い郵便局とのこと。
土崎郵便局から直線で南東に700メートル、道のりでも1キロほど。互いにいちばん近い郵便局ということになるのではないだろうか。
新国道のイオン土崎港店向かいの小路を入って、かつて秋田市電の線路だった道路と交わる手前。土崎港中央二丁目。

土崎郵便局は、(1958年から?)1984年までは土崎港南二丁目にあったとのこと。1974年の地形図を見ると、今のイオン近くの新国道沿いに地図記号がある。
一方、土崎港郵便局は存在しないようで、さらに旧国道の神明社・土崎駅へ曲がる交差点付近に、郵便局の記号。1985年の地形図では現状通り。
2つの郵便局が、ほぼ同時期に入れ替わるように移転したことになるのかも。

なお、ほかには「土崎東郵便局」と「土崎港北簡易郵便局」も存在する。簡易郵便局のほうは「つちざきみなときた」ではなく「つちざきこうほく」。
秋田市の地名では「土崎港北(~みなときた)」と「港北(こうほく)」が存在する。簡易郵便局は所在地からして後者を指すと考えられるが、よくあるように頭に所在エリア名(管轄する上位の郵便局名?)の「土崎」を付けたのだと思う。「土崎/港北」という区切りになるが、分かりづらい。


そんな土崎港郵便局。
左が電車通り、字が書かれた塀は嶺梅院裏手の墓地
名前がまぎらわしいほかは、ごく普通の、よくある特定郵便局の趣なのだが、先日、前を通ると、視線を感じた?!
ポストに目がある!!
土崎地区では標準的な「郵便差出箱10号」。見忘れたけど銘板があって(現行製品は省略)、サビもあるので、初期のもの。ポスト番号「011802」、1日2回取り集め。【追記】2021年3月5日に見ると、ポストが同型の新しいものに替わっていた。
誰かが入れかけたハガキが引っかかってる
前面下の赤い部分に、ラミネート加工した紙に描いた、左目を閉じてウインクした目、白い雲のようなまゆ毛、白いあごひげが貼られている。
街頭設置のポストならば、誰かのいたずらかと思いかけるだろうが、場所柄、郵便局による装飾か。でも、どうして顔? 季節的に予想は付くけれど、これでは物足りないのでは?


場所が変わって、新国道を南へ。秋田中央郵便局も近い、「秋田新国道郵便局」。

以前からの中央郵便局エリアで標準的な「郵便差出箱13号」。ここは2016年頃に、13号から13号へ交換されている。ポスト番号「010106」、1日2回取集。
ここでも、
ポストに目!
まゆ、目、あごひげの構成は同じだが、土崎港局とはどれも形が違う。目は両方開き、ひげの中に口がある。
さらに、向かって右のひさしには、赤い帽子。ポストのサイズからすれば、極端に小さいけど。
これなら何の顔か分かりやすい。サンタクロースの顔である。
 
土崎港局も、サンタのつもりならば帽子が必要では?

(もともとはコカ・コーラの影響らしいが)サンタクロースの色といえば赤。赤といえばポスト。だからポストをサンタクロースにしちゃおうという、郵便局の遊び心だろう。
2局を知ってから、このほか秋田市内の3特定郵便局のポストを確認したが、装飾はなかった。でも、ほかにもやっている局がありそう。【以下に追記します】
実施している郵便局 土崎港、秋田新国道、秋田手形、秋田外旭川、秋田寺内、秋田将軍野、土崎東、土崎【以上、12月14日まで確認。秋田市北部に多い傾向】、飯島、秋田中央

○実施していない郵便局 秋田通町、秋田保戸野、秋田菅野、秋田中通六、秋田駅前、秋田楢山、秋田牛島、秋田茨島、秋田旭南、秋田八橋、秋田中央【遅れて実施したらしい】、秋田大町、秋田川尻、秋田屋敷田、秋田広面、秋田新藤田、秋田泉、土崎港北簡易、飯島駅前簡易、新屋、新屋駅前


調べると、少なくとも2017年から日本郵便が実施している「郵便局サンタ47(フォーティー・セブン)」という催しの一環もしくはその延長のようだが、詳細は不明。
ネット上では2018年の兵庫県川西市では、複数の郵便局が競い合うかのように、発泡スチロールや布を使って、ポストをサンタに仕立てていた。
2019年には、東京都多摩市や山口県岩国市などで確認。ラミネートした紙を使うのが主で、今年の土崎港局と同じ目もあった。
それが今年も続いて、拡大している。ポストの側面に貼ったもの、最小の14号では鍵穴と干渉するためか、ボディから目をはみ出させて貼ったものや、帽子の白い部分に「年賀状はお早めに!」等の宣伝文を入れたものも。【9日追記・福島県いわき市の内郷宮郵便局では4面全部を顔にして報道されていた。1日から25日に実施】

今年2020年に見られる多くは、新国道局と同じと思われるパーツを使用。ただし、目が閉じたりハートだったり、口ひげから歯が出ていたりマスクを付けたりといった、バリエーションがある。
同一パーツでも、貼る位置や向きでも印象が違う。帽子は、下のまゆ毛のすぐ上に傾けて貼った局があったが、そのほうがいいかも。

つまり、ポストをサンタにすることは日本郵便として認めていて、各郵便局の判断で行っているのだろう。そして、パーツの画像データも全国共通で流通していて、必要に応じて使えるのだろう。

秋田市内のサンタポストの続きはこちら
翌2021年のサンタポスト



そんな楽しい話題の一方。
土崎郵便局よりも北、土崎港中央五丁目の旧国道のさらに東の裏道(サイカチの木がある通り)。

こんなところに14号ながらポストがあるのが意外。
ポスト番号011811、1日1回取集
顔じゃなく、白い紙が天面にある
「ポスト撤去のご案内」
「投函されている通数が少ないことから」「12月上旬頃」に撤去=廃止するそうだ。
黄色いラベルには「年賀状は「12/15(火)」から引受開始です!!」とあるが、その時にはこのポストはもうないだろう。

ここばかりでなく、同じ町内の旧国道の14号にも告知があった。
さらに北の土崎港北七丁目の、マックスバリュ港北店裏口の角にあった10号ポストは、11月頃に撤去済み。
また、秋田市東部・広面字赤沼の太平山三吉神社里宮のそばの13号も、12月撤去予定。
これら4ポストはいずれも、元は酒屋さん、たばこ屋さんなど切手類を販売していた店だったお宅らしき敷地に設置されている。今は営業を縮小もしくは廃業して、ポスト設置が、そちらの負担だったという側面もありそう。
でも、ここ数年で取り集め回数が削減されたり、ポスト更新時に小型化されたり、郵便を取り巻く事情が厳しいのも確か。ポストが過剰気味な市街地では、削減は今後もありそう。

【13日追記】一方、以前取り上げた、寺内三千刈の極端に近い間隔で設置された2つのポストは、現時点では撤去告知がないので、存続する模様。単に「利用が少ないから撤去」だけではなさそう。
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秋田駅大屋根/びゅうプラザ

2020-12-03 00:02:45 | 秋田の季節・風景
あっという間に12月。
秋田市は初雪は11月10日に観測(今年から目視でなく自動観測に変わったそうだ)。市街地の積雪はまだ。初霜・初氷は長崎市でも観測済みなのに、秋田市はまだ【5日にやっと観測。初霜は史上2番目、初氷は3番目の遅さ】。でも、寒いことは寒い。
秋田駅東口からうっすら積雪した太平山。手前左は宮城交通の高速バス

自由通路ぽぽろーど末端、フォンテAKITA2階出入口前。右側の風除けは未設置【12月中旬には設置された。この記事最後】
フォンテが設置する、恒例のクリスマスツリー。何度か取り上げたように、秋田公立美術大学の学生がデザインしたり、年が明けて寒中になっても設置され続けたり、毎年趣向を凝らして(?)くれる。
おそらく今年は、初めての白いツリー。夜は青っぽくライトアップされるはず【9日追記・ピンクと青のグラデーションみたいなライトアップだった】。新型コロナウイルス対応で大学とコラボというわけにはいかないのか、その表示や話題はない。ツリーがやや小さい気もするけれど、雪国らしくて悪くない。

ところで、上の写真でツリーの奥。ぽぽろーどが終わって地上に下りると、高いアーケードが西方向・仲小路へ続く。
右は秋田ビューホテル・西武秋田店
ここは、イベントで使わる時は「大屋根下」と告知されるが、一般市民には浸透していない。ぽぽろーどと同一視する人が多いかもしれないし、なんて呼べばいいのか分からない人も多いはず。
2011年の記事(この記事後半)で指摘したように、ここを会場に毎年秋に秋田県が主催する「あきたエコ&リサイクルフェスティバル」では、会場名を「買物広場大屋根「ビッグルーフ」」と呼称していた。ビッグルーフなど他では聞いたことがない。
同フェスティバルも、2015年からは「買物広場大屋根下」と称していたが、20回目となるはずだった2020年は、例によって中止。
【2022年1月3日補足・大屋根は2000年11月30日に完成。秋田駅西口活性化事業協同組合が国と市の補助を受けて総事業費14億円で造ったもので、延長165メートル、高さ約21メートル。】

12月2日付秋田魁新報などで、唐突に報道されたことがあった。
大屋根下に名前が付いたという。

管理する秋田駅西口活性化事業協同組合(フォンテや西武・ビューホテルの管理会社など5社で組織)が命名。2000年11月完成、全長約165メートル。
「これまで通りに決まった名称がなく「大屋根下」「ぽぽろーど大屋根下」などさまざまな呼ばれ方をしていた。」「通りに店を構える店主らからは、「通りの名前がないので店の場所を説明しづらい」などの声」があって、命名。

実は上の写真に、その名前の表示が写っているのですが…
左右の柱にある。拡大↓
「秋田駅前大屋根通り」
背景はふきのとうと秋田蕗。
ふきのとうは秋田県花であること、秋田蕗は、秋田音頭で傘の代わりになると歌われることに、アーケードのイメージを重ねたとのこと。

表示は、東西両端の左右の柱に設置。魁では12月1日に貼られたとあるが、朝日新聞秋田版では11月30日としている。
写真と反対の西端(new金座街ビル横)では、もっと低い位置、柱の地際の石の部分のすぐ上の白部分に設置。西側は、ぽぽろーどから来た人の視線を考えて位置を変えたのだろう。にしても、ちょっと目立たないかな。

ネーミングとしては悪くないと思うけど、「西口」を入れたほうがよかったかも。「秋田駅西口大屋根通り」とか。秋田に限らず、大きな駅に初めて降り立った人は、線路をはさんでどっちがどっちか迷うこうとは多いから。
20年名無しで来た後に、うまく定着するかな。
【追記】2021年1月1日には、西武入口付近の、大屋根の途中の柱にも同じ表記があるのに気付いた。



秋田駅中央改札口付近。
自由通路の天井耐震補強工事が進んでいる。うち第2期工事が、今年5月~12月にかけて、中央改札口隣接の東西(みどりの窓口~トイレ、新幹線ホームの上辺り)で行われていた(直近の記事)。先週初め頃までは、まだ工事中だったはずだけど、
西側で工事完了。屋根が木目調になった部分、手前は未着工
きゅうくつだった仮壁・仮天井がなくなって、こんなにも広かったのかと感じた。

改札東側はまだ囲いが残っているが、まもなく終わることだろう。3期は、2021年5月~12月に、西側トピコ・スタバ前。段差と動く歩道がある。※実際には、東口側の当初4期とされていた側が、先に着工した
※工事で置き場がなくなっていた秋田犬バルーンはその後、年末までに復活した。



そして、この付近で、仮壁とほぼ同時に、姿を消したものがある。
向かい側(左はトイレ・ATM、右はみどりの窓口)
JR東日本の旅行センター(旅行代理店)「びゅうプラザ秋田駅」が、11月30日で営業終了した。
※隣のみどりの窓口は別組織なので、引き続き営業しています。

さかのぼれば、国鉄時代の1971年7月15日に日本旅行と提携して開業した「秋田駅旅行センター」までさかのぼるはず。49年間。
最近では、待合室拡大に連動して、自由通路の向かい側から2016年12月に移転して、わずか4年間。
ネット予約できる商品のパンフレットが置いてあった
コロナ流行以前から、JTBなども含めて、旅行代理店の実店舗は縮小傾向。
JR東日本は、以前からネット予約を拡充するとともに、小さい駅からびゅうプラザを閉鎖して、それが大きい駅へも波及していた。
秋田駅が秋田県内最後、秋田支社管内でも弘前駅が3月末で閉店したので、最後のびゅうプラザだった。
11月下旬。仮柱の中で最後の営業中
エリア内で最盛期には180店のびゅうプラザがあったそうだが、残りは22。
残るびゅうプラザも、2022年3月までに全店舗が閉店予定。

テレビ朝日のドラマ「さすらい刑事旅情編」のうち、1991年~1994年の4~6シリーズでは、鉄道警察隊丸の内分駐所の責任者・高杉俊介警部(宇津井健)の娘・高杉幸子(渡辺美奈代)が、東京駅のびゅうプラザ社員だったのも、過去の話。


びゅうプラザの代わりとして、「JR東日本 駅たびコンシェルジュ」なるものが、24駅(新宿駅は2店で、計25)に開業。
10月2日付のリリースによれば「お客さまに安心してご旅行を楽しんでいただくため、駅にお客さまとの接点となる拠点」を設け、「シニア層や訪日旅行者へのご案内を中心」に行うらしい。まったく販売をしないわけでもなさそうだが、びゅうプラザ時代よりは縮小するのか。

駅たびコンシェルジュは、2021年春から順次開業。
その先陣を切るのが、川崎駅と、なんと秋田駅!
びゅうプラザ川崎駅は12月中旬の閉店で、~コンシェルジュは「春以降」としているので、秋田駅が~コンシェルジュ1号店になりそう。
営業終了のご案内の下には、新店舗の予告も
というわけで、じきに改修工事に入って、びゅうプラザ跡がそれになるのでしょう。
【3日補足】最終的には、東北では6県の各県庁所在地駅に設置される予定。青森県は新青森駅ではなく青森駅(現行のびゅうプラザも、新青森駅は閉店済み)。
シャッターが上がって、後片付け中?
その後の状況はこの記事後半。
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喫茶 研究室?!

2020-11-11 20:39:01 | 秋田の季節・風景
秋田駅の北、千秋公園の東に「崖下の研究室」があった。

今「地方独立行政法人秋田県立病院機構 秋田県立循環器・脳脊髄センター」が建つ場所の横~裏面は、崖状になっていて、崖下にはいくつかの民家やアパートがある。
その1つ、民家のような建物に「秋田県成人病医療センター研究室」という表札が出ていた。
(再掲)「秋田県成人病医療センター研究室」

循環器・脳脊髄センターの場所には、かつては「秋田県立脳血管研究センター」と、県直営でなく財団法人が運営する「秋田県成人病医療センター」があった。
新センター設立に先立ち、秋田県成人病医療センターは2015年3月で廃止・解散されているのに、2020年になっても、空き家のようではあるが、その名を冠した表札が残っていた。

2019年秋には、窓の1つが開けっ放しにされており、これでは中が荒れ、建物が傷んでしまうと、余計な心配をした。解散した財団法人に連絡するすべはないから、関係が強かったと思われる秋田県庁へ報告したのだが無視され、なぜかさらにもう1枚の窓も開いてしまい(意趣返し?)、なぜか冬になると2枚とも閉まった。
そんな雑な扱いをされた建物。新しいとは言えないし、いずれ解体されると予想した。あるいは放置され続け、“危険な空き家”になるか。

2020年9月までは研究室の名を掲げた空き家のままだったはず。その後、10月初め。
工事中!
以前はピンク色だった正面の外壁が、きれいな白色に変わっていた。建物内では大工さんたちが細かな作業をしていた。解体工事ではない。
「~研究室」の表示板がついに消え、1階の道路に近い部分が、なんかおしゃれになっている!!

秋田県成人病医療センター研究室が、新たな用途で使われるようだ。びっくり。
中をうかがうと、正面と同じ雰囲気で改装されていた。カフェか、美容関係のサロンか、そんな気配。

11月に入って、工事が終わったようだ。


(再掲)空き研究室だった頃


外観で改装されたのは正面だけ。側面は以前のままで、開けっ放しにしていた窓もそのまま使用(反対面の窓は変わったかも)。
正面も、1階左奥にあった民家のような玄関ドアや、2階の大きい窓は変わっていない。
1階道路沿いの窓と、物置のドアのようだった引違い戸は交換された。その辺りが、この建物の新しい用途のメインになりそう。引き戸が、新たな出入口になるようで、いろいろ書いてある。

上には「      & Cafe」。
左側の文字がプラ板で隠されている。とりあえずはカフェになるようで、近いうちにさらに何かも兼業するのだろう。【末尾の追記参照】

小さい看板も、一部を隠して「喫茶コ」。
「コ」が名前らしい。「来週オープン」の手書きの紙も出ていた。
ということで、11月15日の週、秋田県成人病医療センター研究室が、新たな道を歩み始めるのだった。


崖の上なら、眺めのいいカフェになるに違いないけれど、崖下のここは区画整理の関係で車が前を通らなくなったから、落ち着くかも。高校生など若者がよく通るから、タピオカのテイクアウトもイケるかも(もう古い?)。
2階はどうなるのでしょう。
繁盛をお祈りします。


こうなるのであれば、1年前にもっと早く窓を閉めておけばよかったのに。改装工事で、補修や清掃の手間が増えたかもしれない。または今回手を付けなかった部分に、何らかのダメージが残っているかもしれない。
「コ」とは不思議な店名だけど、「喫茶研究室」でもよかったかも?!

【11日23時追記】コメントで貴重な情報を頂戴した。
ネット上に情報があり「秋田県内初となるカフェ併設薬局」になる。薬局部分は秋田市のふるさと納税活用のクラウドファンディングで資金調達中の模様。
隠れている文字は「Pharmacy」、「喫茶コ」は禅語の「喫茶去」や秋田弁の「~っこ」にちなむのではないかとのこと。
再出発後も医療に関わる用途に使われるとは、奇遇だ。(当ブログとしても、奇しくも2回連続で薬局の話題です。そのため#薬局タグを追加しました。)

【2021年1月26日追記】2021年1月から調剤薬局としても営業開始したことが、秋田魁新報地域面で報道された。
「ヨルモカ薬局 喫茶コ」という名だそうで、新聞によれば「夜も可」「喫茶にも来てね」の意味を込めた。
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市街地紅葉2020

2020-11-08 23:49:04 | 秋田の季節・風景
秋田はもう晩秋。平年よりは遅いような感じがしなくもない、秋田市内の紅葉・黄葉の風景。
7日午後は、青空が広がる時間もあった。
八橋運動公園のイチョウ
青空には、初秋のようなうろこ雲。
八橋運動公園けやき通り側
上の写真奥の建物は、喫茶店「異人館」。2016年も取り上げたように、外壁がツタで覆われている。
今年も紅葉

ほかの場所のツタ。
手形陸橋手形側のらせん階段
写真左、陸橋の下に、機器室のような箱が建っていて、その外壁にもツタ。

ほぼ全部のツルが真上に一直線に伸びている。タイルのマス目との組み合わせがおもしろい。
その一方、葉の大小、紅葉具合のグラデーションの違いもおもしろい。

次はこれ。
紅葉したツタがきれいに「+」形?
ここはやや早くて、今はもう散ってしまっている。
散った後に撮影
秋田駅西口の閉店した「ホテルハワイ駅前店」跡の空きビルの西面。
下から見上げる
坂になっていて、地際には立ち入れない【9日補足・立ち入れなくもないか?】のでよく分からないが、4階くらいまでツタが達している。
客室の上下左右の境の外壁に、等間隔に溝があって、ツタがそれ伝いに一直線に生長していた。
手形陸橋のように真上に伸びるのは、分かる(植物ホルモンのオーキシンの作用など)けど、真横にきれいに伸びるのは不思議。そんなに深い溝ではないし、上に行きたくなりそうなのに。
【9日追記】街中で見かける紅葉するブドウ科のツタには、大きく2種類あると思う。葉が小さく、壁や茎(ツル)に密着するのと、葉が大きく光沢があってせり出すようなのと。手形とホテルハワイは、いずれも前者。おそらくこれが、日本在来の「(種名としての)ツタ」。後者は、山野では見ない気がするので外来種や園芸種なのかも。そして後者は上にも左右にも面的に広がりやすく、前者が上に一途に伸びる傾向があるようにも思うから、種の特性なのかも(でも真横は珍しいのでは?)。なお、常緑の「キヅタ」というのもあるが、ウコギ科。
+というより漢数字の「十」
ホテルハワイ駅前店跡は、今年初めの話では、解体されてマンションになる。今年で見納めか。

話がそれますが、駅前店を見上げて気付いたこと。
広小路側・秋田ビューホテル前から南面
上の写真手前側の、てっぺんの出っ張った部分。
落書きがある
侵入して、てっぺんまで上って、落書きした者がいるようだ。ビューホテルから丸見えでしょう。


最後は、広面の秋田大学医学部附属病院前の街路樹・モミジバフウ。※モミジやカエデとは、葉の形が似ているだけで、縁は遠い植物。
11月初めではほぼ散っていることが多かったが、今年は、
まだ紅葉の盛り

散り始めてはいる

まだ緑がかった果実も

翌2021年のモミジバフウ
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保戸野新橋たもとの変化

2020-11-03 22:40:45 | 秋田の季節・風景
秋田市中央部・旭川に「保戸野新橋」が架かる。
千秋トンネル通りの鷹匠橋のすぐ上流、県立秋田北高校の近くなのだが、存在も、その名もマイナー。所在地は、右岸が保戸野八丁と保戸野中町の境界、左岸が千秋中島町と千秋矢留町の境。
これまで当ブログでは、たもとの道路形状がやや複雑なことによる道路標識のこと、千秋側のたもとの「鑑の松」とその向こうに見渡せる千秋公園・御隅櫓の光景などで、何度か登場している。

秋田市が管理する小さめの橋では、古くなったいくつかを、大規模に改修(一丁目橋は2018年度実施)している。
保戸野新橋が2020年度の対象になったようで、10月末から車両通行止めにして工事開始。楢山大回り線と秋田高校~御所野の路線バスも迂回運行。
その工事とは関係ない、保戸野側のたもと(=厳密には、橋自体とは無関係なわけですが…)が、今回の話題。

まずは現在の写真。
鷹匠橋から上流方向。新橋右が鑑の松、正面奥のイチョウとケヤキは保戸野街区公園

新橋上流・保戸野八丁寄りから

以前と光景が変わってしまった。
なくなったものがある。

(再掲)2010年

保戸野側たもと、下流側にあった、大きな1本(地際から3本に枝分かれしていた)のケヤキの木が伐採されてしまった!
10月23日頃のことだと思われる。

がらんとしてしまった
保戸野側たもとは、市道がほぼ「く」の字で橋に入るほか、川沿いの河川管理用通路(歩行者通路)も合わせれば「K」の字。それらの道から橋へは、わずかに上り坂になっていた。
そのうち、下流側の通路と道路にはさまれた一帯の、いちばん橋寄りの家が、ケヤキ伐採に先立って解体されて更地になっている。
ケヤキがあったはずの場所
切り株もすっかり撤去されてしまい、どこにあったのか分からなくなっていた。

今まで、てっきり河川管理用通路や道路の一角、つまり公共の土地にケヤキが生えていたのだと思いこんでいた。
しかし、この状況を見ると違うようだ。通路・道路だった部分の舗装は手つかず。
Googleマップストリートビューで確認
明らかに民地内にあったのだった!

最初、伐採に気付いた時は、橋の工事のせいで? と疑ってしまったが、そうではなかった。工事どうしがバッティングしないよう、日程の調整はしたかもしれないが。

河川管理通路下流側から。けっこうきつい坂だ

市道下流側から
解体された白いお宅は、民家ながら、少なくともここ10年弱は、生地屋さんか何かの小さな店もやっていた。家自体は昔からあった気がするが、建て替わっているのかもしれない。
家をはさんでケヤキと反対(下流側)には庭があって、けっこうな樹木があって、ボーダーコリーがいたこともあった。
私有地だからどうこう言えないが、みんななくなってしまった。場所的に、この跡には家を建てるしかないでしょう。あと、若干、見通しが良くなって通行しやすくはなったが、上流方向はカーブもあるし狭いし、引き続き歩行者も車両も、注意して譲り合って通行を。
【12月17日追記】その後、やはり家が建ちそうな工事が始まった。【2021年6月7日追記】さらにその後、気がつけば家が3軒できていた。

あまり気に留めていなかったが、なくなったケヤキは大きかった。樹齢としては鑑の松(300~400年?)には及ばないだろうけど、100年は越えていたのでは。

在りし日のケヤキの写真を再掲する。
(再掲)2008年

(再掲)2010年対岸から
この10年ほどでも、生長して、樹冠が大きくなったのではないだろうか。
(再掲)2017年7月増水時
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泉外旭川駅工事2020.10

2020-11-02 00:32:10 | 秋田の季節・風景
約4か月ぶりに、来春開業の泉外旭川駅の工事状況。
計画通りかは知らないけれど、着々と進んでいる。
前回で床はできていたホームは、9月中頃にかけて屋根がついた。上り側がやや早く進み、今は下りもできた模様。
自転車道から上り側
下り【11月1日訂正】上り側には、西風除けなのだろうか、波打った黒い網の鉄板らしきものが背面に設置。でも風よけなら穴がないほうがいいのでは? 西日よけ?
通過列車内から下り側
下り側は風除けはない。線路向かいの西側には、常緑樹(住宅の騒音対策?)が植えられているので、代用できるためか。
上下とも、すでに、列車接近表示器らしきものが吊り下げられている。その他、駅名標、照明、標識類などはまだ。

屋根はホーム全体ではなく、2~3両分程度のみ。上下とも、地下通路出入口の近くということだろう、土崎寄りに設置。
下り。先頭側にちょっとだけ屋根

さて、先週気付いたのだが、下りホームの先に新たに設置されたものがあった。
線路右側


黒くて四角い信号機が、右を向いて設置されている。
道路の交通信号機では、設置しても使わない場合は、「工事中」の黄色いカバーをかけることが多い。鉄道の信号機では、バツ印をつけるか、向きを変えることになっていたかと思う。

外旭川側の遊歩道から見てみると、
ジョギングコース800m付近
外旭川側を向いて点灯していない。

灯火が縦だけでなく横方向にも、計7個並ぶ「中継信号機」。すべて白(肌色)で点灯して、その並び方(縦/横/斜め)で示すもの。わりと見かける。
中継信号機は、カーブなどで本来の信号機が見えない時、その手前に設置されて、本来の信号機と同じ内容を示すもの(表示方法は違う)。交通信号における、(点滅式もあるがそうではない3灯式の)予告灯/予告信号と同じ役割。

泉外旭川駅は、行き違い設備などがない、線路上の停留所のような駅なので、専用の出発信号機がない。下りホームは秋田貨物駅の構内に位置するので、秋田貨物駅の出発信号機に従うことになるが、ホームの先に左カーブがあるため見えないから、中継信号機が新設されるようだ。

上りホームには、今のところ信号機は見つけられなかった。
上りでは、泉踏切の先、秋田工業高校のカーブの手前にある、第一閉塞信号に従うことになる思われ、やはり中継信号がないと見えない気がする。今後設置されるのか?



外旭川側自転車道・駅の北側から
上の写真、左が上りホーム、離れて右に下りホーム。その間の白い枠組みが、地下通路の出入口になりそう。

駅前広場の整備を見ておく。まず、ごぶさただった外旭川側。上の写真から少し左を見ると、

自転車道のすぐ際・アンダーパスを埋めた部分に、建物(通路出入口)ができつつある。泉側は4か月前でこの程度の状態だったから、外旭川側のほうが遅い。
かつてアンダーパスの下り口だった場所から
建物が横に長いように見える。
駅前広場もまだ形が見えにくい。
線路側を背に
泉側と比べると、道路が狭い。ここに送迎の車や路線バスも入るとなると苦しいのでは。


泉側。
出入口の建物はかなりできている
白い壁になった。ガラスが多く、一見、小さめのコンビニに見える。

線路を背に
こちらは5月の時点で、道路の形が見えてきていた。今もあまり変わっていない。

例年なら12月中頃にダイヤ改正内容が発表されるから、開業日もその時に明らかになるかもしれない。→その後、3月13日開業と決まり、ダイヤも発表された。

【追記】11月25日には、下り側の中継信号機が正面を向いていた。点灯しているかは未確認。点灯している。
12月31日には、下りホーム上で、車掌用の中継信号に相当する「レピーター(出発反応標識)」も点灯していた。また、中継信号機は、さらに先の出発信号の少し手前にもあった(たぶん以前から)ので、第1中継、第2中継となるのだろう。

続きはこちら
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解体進むABS旧社屋

2020-10-24 23:53:26 | 秋田の季節・風景
今年春に、山王大通り沿いから秋田駅前(中通)へ移転した、テレビ・ラジオ局、秋田放送(ABS)。
その旧社屋について6月初めに記事にした。その時点では、内部の片付けのみで、外観は表示も含めて移転前と変わらない姿だった。
(再掲)移転直後のABS旧社屋

6月上旬、裏側・南側から。建て増しされた建物には赤で「ABS」
その後、梅雨以降、囲われて本格的な解体に入った。内部にアスベストが使われているようだし、頑丈でもあるせいか、進捗はゆっくり。
10月上旬、正面
左奥の建て増し棟は、白かった外壁がはがされたものの、形はそのまま。
往時は、正面側からは見えなかった。グレーの新しいアンテナの根本が見えるようになった。
それを隠していた、60年前からあると思われる正面の建物と、その上にあった赤白のアンテナは姿を消し、その西側部分(正面よりは新しい?)が解体されつつあった。
2週間後、10月中旬。
古い棟の解体が進んでいる。
そして、新しいほうのアンテナも、上から解体されつつあった。

地デジ化で設置されたはずだから、まだ20年経っていないはず。どうするかと思っていたが、この大きさだし、しょせん鉄(?)の塊だろうから、解体するしかないでしょうな。

さらに1週間後、現在
建物よりもアンテナの解体が進んだ。
残りこれだけ

アンテナの残骸? 建物の鉄骨といっしょに処分されるのか

山王大通り向かい西北側から。がらんとした

(再掲)以前

在りし日のアンテナ。
裏面西側から



【2024年2月27日追記】解体後、更地のままで経過していた2024年2月27日、秋田魁新報が「イオン東北 山王に新店舗」を報道。現地に建築計画がすでに掲示されていて、イオン東北株式会社は「出店予定であることは事実」と認めているが、詳細は検討中として明らかにしていない。
地上2階建ての「イオンスタイル秋田山王(仮称)」、予定工事期間は2024年3月19日から2025年3月19日。【2024年5月21日補足・イオン東北のニュースリリースでは、店舗名は「(仮称)イオンスタイル山王」と「秋田」が抜けた。】

イオンスタイルは、全国的には、イオンスタイル御所野など総合スーパーの店舗ブランド(屋号)だが、日本中で秋田市だけはマックスバリュを転換した平屋建て食品スーパーのイオンスタイルも存在(茨島と広面【補足・2024年4月に岩手県にも同タイプのイオンスタイルができた】)も存在し、客には分かりにくいことになってしまっている。山王はどちらになるか不明。
【2024年4月21日追記】4月16日付秋田魁新報で、「2025年春のオープン予定であること」を報道。「専門店のテナントも出店する方向で計画」とあるものの「食品を中心に売り場を構え」ともあるので、やはりマックスバリュ級の店になるのだろう。
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和洋高校ほぼ解体

2020-10-16 00:11:09 | 秋田の季節・風景
秋田県民会館と秋田市文化会館の機能を統合し、秋田市街地・千秋公園ふもとの県民会館を解体した跡地に、新しい文化施設が建設中。(正式名称「あきた芸術劇場」、愛称未定。2021年12月竣工、2022年6月オープン予定。)
その新施設の関係者駐車場とするため、隣接する私立秋田和洋女子高等学校の校舎が建つ土地が使われることになった。
和洋高校は、近くの同校多目的グラウンドの土地に新校舎を建設し、今春移転。同時に、男女共学化されて秋田令和高等学校と改称。
(再掲)2017年広小路から。左が和洋、右が県民会館
空になった和洋高校校舎は、解体が始まり、夏以降本格化した。
その影響で、西側の通町からの風景が変わったことを以前取り上げた。
今回は校舎解体そのものについて。

場所。
広小路に面した、千秋公園のお堀は、中土橋(という道路)をはさんで、東がハスの咲く大手門の堀、西が昔はボートがあったりコブハクチョウがいたりした穴門の堀。
穴門の堀は、広小路から北方向・秋田中央警察署の裏面の「古川堀端通り」沿いにも続き、L字型。
Googleマップ航空写真より。旧校舎も「令和」にされている
その古川堀端通りの対岸、Lの縦部分ほぼいっぱいに、和洋の校舎が建っていた。裏手はすぐ県民会館で、南北に細長い敷地。
その北辺は「佐竹小路」に面しており、校門・正面玄関はそちら側。北側に少しだけ飛び出た棟があり、校舎はお堀と逆向きのL字型。1966年頃にできたらしい(後述のモニュメントの制作年)、4階建て。

校舎の長い辺は120メートルほど。お堀向きの西面はほとんどの窓が小さいので廊下だったのだろう。
2018年10月。北寄り一部を堀越しに
↑校舎に継ぎ目があり、全体が同時に建設されたわけではなさそう。ごく一部だけ窓が大きく壁が出っ張っている。

反対の県民会館向きは、高低差がある土手に面しており、(県民会館側は建物裏面であり)一般人が近くで見ることは不可能。広小路からはわずかに見ることができたが、ベランダ(バルコニー)があり、こちらが教室と思われる。防犯上は良さそうだが、風通しや日当たりはどうだったのだろう。
再掲)2013年。南面にもベランダが回りこんでいた

Googleマップストリートビューで確認すると、2012年10月では、校舎外壁でまさに工事が始まったばかりらしき風景が写されていた。2015年8月と比較すれば、耐震補強材設置、屋上のフェンス撤去などが行われている。外壁の色も少し違うかも。当時は移転解体する話(新設計画そのものが2013年に浮上)などなく、当分使い続けるつもりだったのだろう。

2020年3月。南から
解体工事は、高校側が発注した形のようだ。佐竹小路に面した正門側は、厳重に高い囲いが設置され見られない。お堀側は、外壁が足場と防音シートで覆われた。
8月初め。タワークレーンは新施設のもの
解体は佐竹小路・正面側から着手。
8月中旬。奥の北側が解体され、足場が低くなった
解体済み箇所は足場が撤去され、今までは見られなかった光景が姿を現した(そして通町からの風景も変わった)。
10月初め。平野政吉美術館と新施設の鉄骨が見える

解体はどんどん進み。
10月初め。南側の隅がわずかに残るのみ

現在。ほんとに最後の最後
上の2つの写真。建物が少なくなったわけだが、屋上にあったアンテナのようなものがなくなっている。
10年前にブログ「二〇世紀ひみつ基地」の「天地を結ぶアンテナ・和洋女子高モニュメント(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-706.html)」で知ったのだが、彫刻家・秋田大学教授の阿部米蔵氏(2011年没)が、旧校舎竣工時に作った作品「三愛のモニュマン」とのこと。
これがどうなったか。取り外して移設なり保管なりされると思っていたのだが、最後まで残って姿を消した。工程上、解体と同時に取り外したほうがやりやすくて、そうしたのだと思いたいところ。

2021年初めの校舎跡地の様子など。
開館時には、和洋高校敷地跡の堀沿いに遊歩道ができた
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ぴったりポスト/廃止後も道順板

2020-10-08 00:03:27 | 秋田の季節・風景
先月の徐行標識に続いて、才八橋周辺、楢山地区東の橋や川以外の話題。才八橋のすぐ南側、道路がかなり狭くカーブが多い一帯から2題。

以前、少し珍しい郵便ポストの記事の中で、秋田市内では10本あるかどうかの「郵便差出箱11号」を取り上げた。投函口が1つで、箱が大きい(脚が短い)現行型。
その1つが、この狭い道の狭い建物際に横向きで設置されていた。
(再掲)民地のすき間に絶妙に収まっている
昔はお店だったお宅だろうか。横向きなのは、デッドスペースを生じさせず、かつ側面の回収扉を開閉できるためだと考えられるが、ポスト背面の隣の塀との位置関係などが絶妙。
そのポスト、2019年9月のGoogleストリートビューで存在を確認できるが、今はなくなっていた!(家はあるかどうかは確認しなかった)

そこから南へ100メートルほどの道路向かい側。かつて走っていた小型バスが曲がっていた丁字路(実は十字路?)辺りに、
新しいポストが!
いちばん小さい「郵便差出箱14号」。
秋田市内の他の11号も交換が進んでおり、投函される郵便物が減ってしまった現状では、妥当なサイズだろう。ここでは、それに加えて、以前設置していた家の都合もあって、新たにこちらが場所を提供することになったようだ。「ポストマップ」サイトには2020年4月に登録。

向かって左に、ポストが設置された敷地のブロック塀、右には隣の家の板塀があり、2つの塀に挟まれてぴたっと収まっている。14号は扉が前面にあるので、この設置ができる。
脚が埋めこまれた土台は新しいが、道路より1段高い。それなのにポストの脚は短縮されず通常のようなので、投函口が標準よりは高くなっているはず。

この状況を見れば、設置場所を提供したお宅のブロック塀の右端を、ポストの幅分だけ撤去したと思うでしょう。
Googleストリートビューを見ると、
2015年8月
そうではなく、以前から同じ幅だけすき間があった! 勝手口みたいなのだろうか。
なお、さかのぼった限り、塀は変わっていないが、この土地には2012年10月には民家が建っていて、2015年8月までに家がなくなって、今のお庭に変わっていた。

以前のポストも絶妙な置き方だったけど、新しいほうもなかなか。
郵便局の人が、たまたまこのすき間を発見して「こここそポストを設置する場所だ!」となったのか、それとも前のポストの家の人などに「どこかにポストを設置できる場所はないでしょうか?」と当たって紹介されたのか。どちらにしても、(側面扉でない)小さなポストを設置するためにあったような、運命的なすき間だ。



もう1つは、その丁字路。
背後が才八橋。駅から来たバスは、ここを左折していた
上写真右のカーブミラーに注目。
緑色赤枠の矢形の看板がくくりつけられている
文字はほぼ消えているが、「秋田中央」とか見覚えのある車輪の社章…

そう。路線バスが走っていた当時、運行中に道を間違えないように案内する看板だ。
秋田では、市営バス時代から、本数が少なかったり、道がこみ入った箇所に、このような看板が見られた。
中央交通移管後に、中央交通仕様のものに交換されたようだが、同様の泉山王環状線では違う形状のものが設置されていた。
(再掲)泉山王環状線にあった矢印

緑の看板を見ると、「秋田中央交通」のほかにも、文字の痕跡がある。

縦書きで、手書きっぽい角ゴシック体で「中央交←秋田←手形山←大学病」と読める。
裏側は、

やはり文字が薄れ、下に痕跡があり、表面とは逆向き。「中央交」は見当たらず、最初が「秋田駅(駅の字も確認できる)」、最後が「大学病」。
板を固定する針金がサビて、カーブミラーの支柱にサビを移してしまっている

元は別の表示板だったことになり、下が途切れているから、もともとはもっと縦に長い板だったのを、転用時に切断している。
元の板が手形山経由大学病院線の経路を、裏表で往復で示しているらしいが、どの場面で使われていたが、想像できない。
「中央交(通)」があるから、市営バス時代ではなさそうだが、単に「中央交通」とは? 昔なら、長崎屋バスターミナルの場所を指していた可能性があるが、移管後は「大川反車庫」が一般的だろう。
手形山団地線は、移管前は市営バスの独壇場で、中央交通は入らなかったエリアのはずだし…【下の追記に正解が】

時代はともかく、設置場所も思いつかない。
裏表で往復だから、弘南バスのように車体側面などに掛ける「サボ(サイドボード)」のようにも見えるが、秋田で使われたことはあっただろうか。
謎の板。
【13日追記】コメントをいただき解決。「手形山」は「手形山崎」ではないかとのこと。それならば、以前から中央交通が運行している、三吉神社入口経由(かつては谷内佐渡も通っていた、今の赤沼線、太平線など)の経路と一致する。また、1980年より前の車両では、側面は幕でなくサボを使っていた(設置枠があった。後に方向幕を追加設置)とのこと。
「手形山」を「手形山団地」と決めつけてしまったことで、辻褄が合わなくなっていたのだった!
つまり、昔の中央交通で、車体側面の表示板として使っていた板が、数十年ストックされて転用されたことになる。(以上追記)


路線は2018年9月で廃止され、撤去を忘れられ、2年経っても放置。立つ鳥跡を濁さず、撤退する路線跡を濁さずではないでしょうか。
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交通安全運動表示/標識交換

2020-09-30 00:01:22 | 秋田の季節・風景
9月21日から30日まで、秋の全国交通安全運動。
秋田市内に設置されている、秋田県警の道路情報表示装置では、その告知がされていた。
毎度恒例(直近では緊急事態宣言中)の山王大通り東進向き、県庁第二庁舎向かい側の表示機。
「秋の全国交通安全運動実施中!」
相変わらずの、ヘタ文字と、たまにきれいな文字(「運動」?)の混在表示。
紹介していなかったが、これまでも交通安全運動中はこんなのが出ていたはず。

「秋田の道路は歩行者ファースト」
これは全部ヘタ字かな。「フ」が数字の「7」みたいで、それに1本足して「ス」にしたような形。

歩行者ファーストについては、以前に比べると若干改善したものの、まだまだ。
警察署の真ん前の横断歩道を歩行者が渡ろうとしていても、(充分に安全に停止できる状況なのに)停まらないんだもの…(そしてそのことを警察署に伝えたのに、別段対策されていない。)

次の画面は、ちょっとユニーク。今までもあったかもしれないが、初めて見た。
「あぶねがらながら運転やめでけれ」
運転中にいきなり見せられると、混乱しそう。
これもいつものことだけど、行間隔が詰まっていて、下が1行空いてしまっているのも、その原因。
さらに、これは秋田弁の標語。

といっても秋田弁(に限らず広域方言だと思うけど)独特の単語は「けれ」だけ、あとは清音を濁音にした程度。
でも、これは秋田県(県警でなく知事部局)主催「令和2年度交通安全作品コンクール「あきた弁川柳」最優秀賞」に輝いた、大仙市の人の作品だった。
コンクールの公式発表では「あぶねがら “ながら運転“ やめでけれ」表記で、訳は「あぶないから “ながら運転“は やめてくれ」としている。

作者の表記を尊重するべきかもしれないが、この表示では、ひらがなばかりで視認性・可読性が悪い。
ダブルクォーテーションマークを省いてしまっているくらいだから、いっそ「危ねがら」にすればいいのに。部分的に色を変えることもできよう。


山王大通りの表示機は、新しいタイプ。国道13号卸町付近、西進向き開橋手前などには、古くてドット数(ドット密度?)が少ない旧機種もある。両者で文字は同じだが、配置や文面は異なる場合もあった。
交通安全運動中は、
「秋の交通安全運動実施中!」
「全国」を抜いて、4文字×3行にぴったり収めた。
では次の画面は?
「あぶねがら~」は文字が多すぎるし、「秋田の道路は歩行者ファースト」でも1文字余ってしまう。
「あぶねがら ながら運転 」
五・七で1画面、残る下五を次の画面で、
「やめで  けれ!」
そう来たか!

「あぶねがら ながら運転 」は改行と余白が不自然。やっぱり「危ねがら」にすれば収まるのに、と思いかけたが、ふと“縦読み”すると、
「あらら」
右は「がが」だし、次の「ねな」も文字の形が似ていてちょっとおもしろい。
もしかして、狙ってこうしてるの?




先日、道路標識「自転車及び歩行者専用」と「歩行者専用」の違いを知った。
(通行が許可された)車両の徐行と、歩行者の通行位置が両規制で違っており、同じ道路(の同じ時間帯)に対して、この2つの標識を設置するということは、危険であり得ないのだった。
ところが、秋田市内で2か所、そのような場所があることを前から指摘していた。

そのうち、みずほ銀行秋田支店宝くじ売り場横の仲小路西端。同じ向きの左右に、この2つの標識が設置されていた。
(再掲)
それが今は、
あらら
標準サイズの歩行者専用だった向かって左も、小型の自転車及び歩行者専用に代わっていた! 当然「自転車を除く」の補助標識は撤去。そう言えば、8月初めに気が付いていたのを忘れてしまっていたかも…
もう1つの高陽地区の例を2020年5月にアップした時に、みずほ銀行横を改めて撮影して掲載したから、今年春では未交換だった。いずれにしても、ごく最近、交換されている。
(再掲)在りし日の歩行者専用

現在
支柱は変わっていない。以前の標識の跡と汚れが残り、棒に対して標識が小さくて、ちょっと変。
交換された自転車歩行者専用標識は、見るからに新しくはない。裏を見ると、
「H21」=2009年
以前の標識には、裏面のシールがなかったので、道路管理者である秋田市設置かもと推測した。
しかし、交換後にはシールが貼ってあり、このような中古品のストックを回して設置できるということは、県警管轄だったのか。

ここの矛盾は解消した。
それにしても、少なくとも9年もおかしな状態で放置され続けたのが、なぜ、このタイミングで交換されたのか。
場所柄、車がぶつかって壊れたということはなさそうなので、警察関係者か部外者か知らないが、誰かが「これはおかしい」と気付いて、警察の知るところとなり、交換されたのだろう。
でも、そもそも警察が規制の意味(=警察庁の示した基準)を理解せずに矛盾した標識を設置したのが原因。しかも、ここは秋田中央警察署に近く、県警本部も遠くない。毎日、何十人もの警察官が通り、目にしているはずなのに、何年も誰も疑問に感じなかった(もしくは報告しなかった)というのは、疑問。
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男鹿線無人駅ホーム工事

2020-09-27 00:30:16 | 秋田の季節・風景
1週間前。秋田市の奥羽本線・上飯島駅を久々に利用した。
青空、ススキ、下りホーム

踏切を挟んで対角線に配置された(過去の記事)、上下どちらのホームにも、工事看板が立っていた。
「ホーム改良工事をしています」
役所発注の道路などの工事看板にそっくり(秋田県庁は杉枠で囲うのが基本で違うけど)だけど、発注者は東日本旅客鉄道株式会社秋田支社設備部。施工者も第一建設工業だからJR東日本系列。

11月17日までの工事とあるが、この時点では、工事の気配はなかった。
「ホーム改良」とある。特に上り側では、上屋や待合室などが新しくなって何年も経っていないのに、上下同時に何をするのか…
下の青白反転部分に注目。「出戸浜外7駅乗降場改良他工事」とある。

2駅隣の男鹿線・出戸浜駅が出てきた戸惑ったが、役所の工事看板でもこんなことがある。
道路の白線引きとか、下水道工事とか、複数箇所の同一内容工事をまとめて発注する場合、1か所だけ場所を示して「○○他」と表記することが珍しくない。


以下、推測だけど自信はあります。
「出戸浜外7駅」ということは、上飯島とあと6駅の計8駅。
上二田、二田、天王、船越、脇本、羽立を入れれば、8駅。
これは、秋田-男鹿間を走る、(運転系統としての)男鹿線の無人駅と一致する。※来春開業の泉外旭川駅も含まれるが、建設中なので除外できる。

さらに、JR東日本労働組合のサイトで見た情報も重ねると、見えてくる。
来春、男鹿線に蓄電池式電車EV-E801系が増備される(これは確定事項)。
以前ちょっとだけ触れたが、労働組合報によれば、その時に「中編成ワンマン運転」を開始するという。男鹿線の場合、(2両編成を2本つないだ)4両編成でのワンマンを新たに行う。それに必要な工事だと推測する。
労働組合報には、中編成ワンマン導入に伴う駅側工事として、「ホーム高上げ(※原文ママ)」と停止位置移設をやるとある。車体側にカメラがあるので、ホームのミラーをどうするかは未定らしい。
※「ホーム高上げ」という業界用語があるわけでもないようなので、「ホーム嵩上げ(かさあげ)」の誤りでは? どちらにしても、ホームを少し高くして、乗降しやすくするのでしょう。
工事後は路面のツギハギはなくなりそう

中編成ワンマンは、今春のダイヤ改正から、東北本線の黒磯~新白河で5両編成で開始済み。水戸支社、千葉支社等でも導入計画があるようだ。
中編成ワンマンというのは、JR東日本独自の呼称なのだろうか。その名の通り、これまでは1~2両編成(=短編成)でしかやらなかったワンマン運転を、3~6両編成でも行うもの。それだけでなく、これまでは車内に運賃箱を置き、無人駅では車内で運転士が行っていた運賃収受(きっぷ回収や定期券確認を含む)を廃止。駅側に運賃箱を置く、つまり無人駅だから無人状態で運賃を支払わせることになる。
長くなった分、ミラーでの車内外の確認は限界があるので、カメラとモニターを使用。


ネット上では、中編成ワンマンを指して「都市型ワンマン」と呼ぶ人がいるが、ちょっと違うと思う。ここで、ワンマン運転の種類を、まとめておく。呼び名は勝手に付けたものです。
・車内収受型ワンマン
バスと同じ、昔ながらのワンマン。
車内に運賃箱(多くが自動両替機付き)。無人駅では前のドアだけ開き、車内で運転士が運賃、きっぷ類の確認をする。
客を後ろの車両から前まで歩かせるのも難しいし、利用実態からホームドアなどの設備投資も限定されるので、必然的に短編成。

・都市型ワンマン
運賃箱なし。無人駅でも全部のドアが開く。
運賃収受は駅で行うが、そもそも全駅に駅員がいるか、無人駅にも自動券売機、自動改札機、自動精算機、連絡用インターホンが完備され、運賃取りこぼし・不正乗車対策がしっかりしている。
ホームドアなど本格的な安全対策もされる場合も多く、各地の地下鉄・新交通システムや東急で行われている。
全ドア開とホームドアにより、編成が長くなっても対応できる。
静岡鉄道などは、2両編成で都市型ワンマンを実施しており、「都市型でも短編成」のケースもある。

・信用乗車(信用降車)方式ワンマン
車内に運賃箱なし。無人駅でも全部のドアが開く。
無人駅に運賃箱(回収箱)があり、それにきっぷや現金を投入する。定期券等は提示する必要なし。
JR九州では10年以上前から実施。おそらく(安全確認の面から)2両までのはず。

以上、JR東日本が導入している中編成ワンマンは、「都市型」とは言い難く、「信用乗車方式で短くない」型といったところ。
【29日補足・都市型ワンマンの最大の特徴は、「駅側の設備が充実していること」と、それによって「確実に運賃収受ができる(不正乗車防止策が万全)」ことだと思う。JR東日本の中編成ワンマンでは、そのどちらも満たさない。】
【30日追記】もしくは別の分け方で、無人駅では、車内で運賃を支払う/車内で運賃を扱わない の点にのみ着目すれば、2つに分けられ、都市型と信用乗車型はどちらも後者なので同一とみなすことはできる。


男鹿線の中編成ワンマン化で気になるのは、まず車内外の安全確保。カメラの性能と運転士の目が頼りになるが、夜間、積雪・吹雪・凍結の時はどうか。

それと、運賃の取りこぼし・不正乗車対策。
駅設置の運賃箱はきっぷ回収箱を頑丈にした程度のもののはず(東日本のものは不明だがJR九州はそう)で、両替はできない。いくら説明を書いたとしても、支払い方が分からない人も出そう。悪意はないが、タダ乗り(後日支払い)せざるを得ないことも起きる。
ましてや悪意がある者は… 男鹿線沿線にそんな不届き者はいないと思いたいところではありますが。
「運賃ほ脱(逋脱)」と称するそうだが、労働組合報には、
「運賃ほ脱対策として強固な運賃箱と駅防犯カメラを土崎駅・男鹿駅以外の駅に整備する。」とあった。追分駅は、早朝・夜は無人(券売機停止・自動改札機開放・精算機なし)になるので、対策するのだろう。
これって「運賃ほ脱対策」だろうか?
箱を強固にしたら、みんなが運賃を払うという理屈になり、おかしい。これは「運賃箱泥棒対策」では?
あとは言葉の問題だが、ほ脱対策なら「防犯カメラ」というより「監視カメラ」が適切だろう(対外的には使いたくない言葉ではあろうけれど)。
【28日補足・上飯島駅では、防犯カメラ自体は既にホーム上に設置されていて、おそらく他の無人駅でも同様。このことからも、新設されるカメラは運賃箱を重点的に映すカメラ=ほ脱対策の監視カメラということだと思う。】
現在の上飯島駅の「きっぷ入箱」
↑まさかこれこのままじゃないでしょうけど、これに毛の生えたようなのになりそう。

また、無人駅から「乗る時」は、乗車前にきっぷを入手できれば、双方が楽。
しかし、昨年、多くの無人駅の簡易式自動券売機が廃止され、磁気式乗車駅証明書発行機に改造されている。
中編成ワンマン導入でも「簡易券売機を増設する考えはない。」。

例えば追分駅は、遅い時間も県立大学の学生などの乗降が少なくない。
無人時でも稼働する券売機があってもいいのではないか。終日無人の上飯島駅の上りホームには券売機があるというのに。
土崎、追分、男鹿くらいには、自動精算機を導入してもいいかもしれない。


あとは、いよいよSuica導入?!
楽だし、両替できなくて支払えない事例は激減、不正もある程度は減るかも。
でも、労働組合報には、Suicaは一切出てこない。

客がどうこういう立場や段階ではないにせよ、頼りない労働組合だ。
ワンマン反対などと言うのは時代錯誤だから受け入れるのは妥当だが、提示されたことにはいそうですかと従うばかりのような。
自分たちの安全運行確保、客の不満と不安解消・サービス向上のために「より確実な運賃ほ脱対策」「Suicaの早期導入」ぐらいは申し入れたらどうなんでしょう。【27日追記・乗客の不公平感(正直者が馬鹿を見る)解消、JR東日本に対する信頼向上につながるよう、労使一丸となって努めていただきたいのです。】


ところで、奥羽本線の701系や、五能線の新車では、従来どおりの車内収受方式のワンマンを続けるようだ。となると、奥羽本線と男鹿線直通両方が走る上飯島駅(と早朝・夜の追分駅)では、2種のワンマンが共存する。
おそらく、奥羽本線の列車も、この2駅に限り信用乗車方式にして、混乱させないようにするかもしれない。【28日補足・だとしたら、車内での案内が若干ややこしくなるか。】
秋田蕗マークの縦書き駅名標と福島から309キロポスト

11月にはEV-E801系が増備された
その後の上飯島駅の状況
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鷹巣駅前・の~そん

2020-09-25 00:01:04 | 秋田の季節・風景
秋田県内陸北部、北秋田市鷹巣(たかのす)。
2005年の平成の大合併前までは北秋田郡鷹巣町で、北秋田市の中心地(地図上では北寄り)。
1956年からは横手市とともに気象通報所が設置されていて、アメダス導入前は、テレビの気象情報の県内各地の気温は、秋田、横手、鷹巣の3地点だけが伝えられていた。

JR奥羽本線の駅名は「ノ」が入る「鷹ノ巣」。
地名では「の」は表記しないのに、駅名では表記されるのは、一ノ関や三ノ宮と同じパターン。どれも明治開業の駅のようで、大昔はそうする事情・理由があったのか、地元を無視して決めつけたのか。
JR鷹ノ巣駅
東能代駅と雰囲気も規模も似ている。ただし、現在は、駅業務子会社委託(駅長不在)、指定席券売機(通常タイプ)設置、キオスクなしで、東能代駅の管理下。
上の写真のように、駅の裏側などに針葉樹林があるのが目を引く。鉄道防風林だそう。街中では珍しい。

JR鷹ノ巣駅の隣には、鷹巣駅がある。
右がJR鷹ノ巣駅
第三セクター鉄道、秋田内陸縦貫鉄道・秋田内陸線の駅。
JR駅とホームは連続しているが、窓口や改札口は分離。時間によっては、外に出なくても乗り換えられる乗換改札が開くのかな。いちおう線路もつながってはいるが、列車乗り入れは手作業で30分かかり、近年は行われていない。

国鉄阿仁合線を3セク化したのだから、元は1つの駅。3セク転換時に「鷹巣」に表記変更された。
転換間もない頃の本で、その理由は、「3セクの出資者の1つである鷹巣町に配慮して、町名と同じ表記に変えたのではないか」との推測を読んだ。
地名と駅名で読みは同じで表記が違うのはまぎらわしいが、事業者が違うとは言え同じ場所にある駅で表記が違うのもまた、まぎらわしい。けど、大きな問題ではないということか。


鷹ノ巣駅で降りて、駅前を歩くのは、3~4回は経験している。能代と大館という市にはさまれた、「町」にしては、にぎわっている印象だった。
駅正面から、ほぼまっすぐなアーケード商店街(「たかのす銀座通り商店街」かな?)が続く。昔ながらの低いアーケードだけど、きれいに維持されている。秋田市では管理ができないという理由でなくなっているのに。
「路線バス乗り継ぎ旅」の一行は、ここにある喫茶店で時間をつぶしている(新旧出演者どちらもだったか?)。
駅寄りのアーケード
今回は土曜昼前なので閉めているだけなのかもしれないが、シャッターを下ろした店は多かった。空き地もあった。人通りは少ない。

駅前のバス停は、アーケードのいちばん駅側に設置。
バス停名はノなし「鷹巣駅前」表記
秋北バスには「鷹巣車庫」があるが、北秋田市内、旧森吉町にある「米内沢(よないざわ)営業所」の下部組織の位置付け。
写真右の一般路線バスと空港リムジンバス用のバス停は、ローマ字・英語併記のちゃんとした表示板。同じ色分けの四角い板は、次のバス停までの徒歩の消費カロリー、車とバスのCO2排出量、距離。大館市内で表示していると聞いたが、ここにもあった。
左のバス停は、市街地循環バス。バス停名はパソコン印字だが、その下にリボン型にキティちゃんが描かれている。分かりづらいが、左上、アーケード天井から下げられた「ようこそ北秋田市へ!」にもいる。理由がよく分からないが、2018年からハローキティが「北秋田市ふるさと大使」を務めている。
ちなみに北秋田市ふるさと大使は、もう1人いる。
俳優・高橋克典氏。父親が鷹巣出身で、ご本人がテレビで発言しているのも何度か聞いた。
奥が鷹ノ巣駅
駅から遠ざかると、少し新しそうなデザインのアーケードになる。

さて、このアーケード商店街にあるのが、しんこ餅を買った「の~そん」。ローソンではない。
「ナニコレ珍百景」でも取り上げられ、わりと知られている。

要は農産物直売所。
JAは関与せず、駅前の反対側・綴子地区の人たちが作った組織が運営しているみたいだ。
そこそこ長い年月、鷹ノ巣駅前で営業しているはずで、少なくとも3度移転しているようだ。ネット上の古い情報では違う場所・写真が残っている。
現在(少なくとも2018年6月以降)は、駅を背に右側、最初の信号を越えた先のブロック。
以前は別のお店だった跡に入った雰囲気がある。
の~そん店舗
間口は広くなく、店舗入口や看板が引っこんでいるため、見落としそう。営業中はアーケードにのぼり旗が出るようだ。
店内も広くはなく、地元の農産物や手作りのお菓子・惣菜類のほか、地元の複数の菓子店の商品もひと通り置いてあった。入数や箱などはバリエーションが少ないが、駅にキオスクない分、軽くお菓子をお土産にした時は助かる。

鷹巣ではいちばん有名だと思われる「晩梅(ばんばい)」のチョコケーキ「ル・デセール」、地名にちなむチーズまんじゅう「笑内(おかしない)」などはあった。
初めて知ったのが、
黒まんじゅう
すぐ近くにある「山田まんじゅう店」の小さめのまんじゅう。透明パックに無造作に入って3個税抜210円。1個108kcal。消費期限は購入当日だった。
滑らかなこしあんで、とてもおいしい。
上小阿仁の山吹まんじゅう、銀山温泉の亀まんぢう、郡山の薄皮饅頭と並ぶと思う。鷹巣土産でル・デセールばかりお持ちになる人がいるけれど、これもお願いしたい(消費期限に注意)。

【10月16日追記】もう1つ鷹巣名物を忘れていた。やはり駅近くにある菓子店の「バナナボード」。同コンセプトの商品を全県的に売るたけや製パンのは「バナナボート」だが、こちらは「ボー“ド”」。の~そんで売っているという情報もあったが、この時はなかったと思う。

「の~そん」について。
レシートでは「鷹巣産直センター の~そん」とあった(ロゴでなく活字で)。
今の店舗入口の看板は「産直センター のーそん」。のぼり旗は「産地直売 の~そん」。
表記ゆれが多い。「の~そん」部分については、ひらがなで、チルダ「~」のようだ。看板が長音記号「ー」なのが例外。

ローソンと農村を掛けた命名なのだろうと、察しはつく。ローソンが存在しなければ、あり得ない店名だろう。かつての店舗は、水色のラインが入るなどローソンを意識したデザインだったようだ。
そんなことを踏まえると頭に浮かんだのが「♪参ってます 過疎化の農村」。

1992年からフジテレビで放送された、元々あるフレーズや歌詞のパロディを募る「タモリのボキャブラ天国」の、初期のネタである。
これの元が、ローソンのCMのジングル「???(忘れた)ます あなたのローソン」。
でも、秋田県(青森県も)にローソンが進出したのは、1997年。ボキャ天放送時は進出前で、ローソンのテレビCMは流れなかったし、自分を含めてその名前すら知らない人が多かったと思う。このネタで、初めてローソンという音を認識したかもしれない。
もしかしたら、の~そんの命名にも、このネタが影響を与えているかも。

ローソン公式サイトの「ローソンの歴史」などによれば、
1979年12月に「「あいてます♪♪あなたのローソン」テレビCM、ラジオCM開始」。
国内1号店は1975年オープンなので、かなり初期。「あいて(開いて)ます」だと「空いてます」とも取れ、イメージが良くなさそうだけど、当時は24時間でいつでも開いていることを優先して伝えたかったのか。
その後、どう変遷したかは分からないが、1991年に「 「マチのほっとステーション」をコーポレートスローガンに」している。ボキャ天当時は、変わっていたようだ。
なお、2013年に「マチの健康ステーション」になったが、最近はまた戻ったとか。


秋田県庁の以前のサイト内に、1999年の「直売所一覧(http://www.pref.akita.jp/tyosei/partnership/tyokubaiitirann.htm)」というのがあった。
よく分からないが「開始年」があって、昭和50年代以前のものもあるから、それがその直売所の開始年っぽい。
「鷹巣産直センター「のーそん」」は「H11」、1999年オープンか?


さて、鷹巣駅周辺には、コンビニはあるにはあるが、分かりにくいし、とても近いというわけではない。の~そんのほうが近い。セブン、ファミマがあって、ローソンがいちばん遠い。
また、しんこ餅の記事の通り、スーパーは駅から1.3キロほどの所に、交差点の対角線に大きなショッピングセンターが2つある。大館の「いとく」と、イオン東北(旧マックスバリュ東北)の「ザ・ビッグ」。
両者とも、以前は商店街に店があったのを、幹線道路沿いに移転したようだ。
郊外移転とも言えるが(健康で天気が良ければ)歩ける距離であり、路線バスが敷地内へ乗り入れるなど、そこそこ便利そう。移転で駅前が衰退したのは事実かもしれないが、秋田市より便利かも?

なお、ザ・ビッグは、元は同和鉱業系列のスーパー「同友」。それがマックスバリュ東北に吸収され、マックスバリュブランドに。さらにそれが現在地に移転して(移転直後はマックスバリュ店舗)、後【27日遅く・2011年10月】にザ・ビッグに転換という経緯だそう。
店舗名は「たかのす店」でひらがな書きなのが特徴的。青森県の「マックスバリュ新おおわに店」を連想したが、大鰐も元同友。同友時代の表記を継承しているようだ。
【27日追記・画像追加】WAON POINTの履歴より
Smart WAONサイトの履歴に登録されている店舗名は、転換から10年近く経つのにまだ「マックスバリュたかのす」だった。イオン東北運営のマックスバリュ店舗で実施する、月木日5倍デーは、ザ・ビッグ店舗では実施しないのだが、その変の対応は大丈夫なんでしょうね。(以上追記)

商店街から両ショッピングセンターへ、まっすぐに向かう道が国道102号。商店街寄りでは、家が建てこみ、歩道も狭かった(他の小さい道を歩いたほうが安全そう)。そのためだろう。道路標識には、
補助標識「いたわりの路!」
分かるような分からないような補助標識。速度制限標識の「規制理由」を示しているととらえていいのか。

秋田市下新城笠岡には「学童の路」というのがあった。
(再掲)
「路」という表記、角ゴシック体なのが珍しかった。
「いたわりの路!」も同じコンセプトだろうが、エクスクラメーションマークが入ること、ナール書体・反射材入りの本格的な板なのが特徴的。


最後に鷹ノ巣駅前に戻って。ずっと前、簡単に紹介していたもの。
(再掲)ポストの上
鷹巣はギネス世界記録の「綴子大太鼓」がある。そのオブジェをポストの上に載せたわけだが、小さい10号ポストに合わせたこの大きさでは、太鼓じゃなく「鼓(つづみ)」だ。
JRの駅を出た右側、観光案内所との間にあったが、今は…
今も健在
ただ、時とともに、
金属の皮部分の輝きも、胴の色も薄くなってしまった
ポスト本体に銘板があった。
山崎産業 納入平成11年11月
1999年。
ネットには、1995年撮影らしき、10号の前世代である朱色の1号角型ポストの上に、同じ太鼓が載っている画像があった。太鼓そのものは、先代ポストから移設された感じ。
秋田市ではこの世代のポストの更新も進んでいる。ここはどうなるか。

【10月3日追記】鷹ノ巣駅と鷹巣の間に観光案内所ができたのは2014年9月。
それ以前は「えきなかショップ 7 to 7」という、売店と麺類などの軽食堂があったそうだ。JRと北秋田市が協議して開店し、マタギの里観光開発(株)運営。
ホーム側からも利用でき、鷹巣駅周辺で貴重な店だったはずだが、2012年7月27日開店・2014年7月閉店の2年で終わってしまったようだ。
さらにそれ以前は、JR直営の「ハンバーガーショップ」があったとのこと。
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東能代駅周辺

2020-09-23 00:01:11 | 秋田の季節・風景
駅の中、徒歩圏内の農産物直売所「みょうが館」に続いて、最後に東能代駅周辺の風景。

能代市の市街地は、東能代駅から五能線で1駅、米代川の河口に近い「能代」駅周辺。
だから東能代駅は何もない場所にある、という先入観があった。過去に1度、一瞬だけ駅の外に出た時もそう感じた。今回、初めて、少しだけ歩くと、そこまで何もないわけでないと思った。
東能代駅舎
出入口はこの南側だけ。自由通路などもなし。
駅の中はそこそこ大きい駅だが、駅舎はこの通り小さい。乗務員基地である東能代運輸区は、線路の北側にある。

駅前から南方向
イチョウ並木の県道150号が、片側2車線で国道7号までまっすぐ伸びる。北海道っぽさがある。

駅からすぐ、旧羽州街道と交わる交差点は、地図サイトでは「東能代駅前」という名称になっている(のを後で知った)。
でも、現地の信号機周辺に主要地点の案内標識はなかったはず。
Googleストリートビューで確認すると、信号が交換されており、前の信号機時代には、東能代駅から向かってくる(南進)側にだけ、それらしき板が設置されていたが、その時点で既に文字が消えて判読不可能。
秋田市(県道と市道)でよく見られる、昔は名前があったのに、いつの間にか無名交差点になるという事例が、ここでも起きていた。秋田県は交差点名に消極的。「東能代駅前」も、いずれ無名交差点になってしまいそう。


進んで、国道7号に突き当たる手前。
秋北バス「東局前」バス停
「局」って何の局?
並んで、新しそうな予約式乗合タクシーの停留所があった。
その名称は、
「東能代郵便局前」
向かい側に建物も写っている。なお、ATMは休日は稼働しない。↑郵便局の左隣は黄金色の田んぼ。
田舎のバス停は「郵便局前」「学校前」みたいな個別の呼称がないこともあるが、このように局の種類を略すこともたまにある。
と思いつつ、2019年10月のストリートビューを見ると、秋北バスのバス停の表示板が今と違い「東能代局前」と書かれ、「郵便」を略。その時点で板が折れていたので、交換され、「能代」まで略されたのか。

県道と国道の丁字路は「東能代駅入口」交差点。国土交通省管轄だけに、これは英字入りの明瞭なものが、3方向に設置されていた。
国道西側から。左が駅方向
国道だから100メートルごとにキロポストが設置されている。国道7号は新潟市が起点だから、交差点の手前で…
新潟から333.4キロ
ちなみに秋田市中央部では270キロくらい

ということは、100メートル西へ進むと、
ゾロ目の333.3Km(奥が駅入口交差点方向)
ここの反対方向では、
「みょうが館」と書かれた屋根が右奥に見える
みょうが館は333.2キロ付近。


駅方向へ戻って、東能代駅前交差点から、ちょっとだけ旧羽州街道へ。お店はちらほらとはあるようだ。交差点の西すぐに。
古びた秋北バスの「東能代」バス停

薄れた赤い部分に「秋北バス」
この「ワンマンカー」と書かれたのが、昔の標準の秋北バスのバス停か。
本社がある大館市街地では、色使いは同じでスーラ書体の新しい表示板があったが、古いのもまだ残っているようだ。
(再掲)スーラで中央交通のと似ているが、ローマ字と英語と両方を併記していて偉い
東局前は、パソコン印字を貼り付けたお手軽版。
旧羽州街道をバスが1時間に1~2本程度走っていて、能代市街地と二ツ井などを結んでいるようだ。

東能代バス停の写真の左に、電柱広告の地名が写っている。「機織轌ノ目」。
大字がなしで「字機織轌ノ目」が正式なようだ。なかなか難読ではないでしょうか。
秋田の人は報道などでたまに聞くので知っているかもしれないが、「はたおりそりのめ」。

読みだけでなく由来も気になるが、軽く調べた限り分からない。
おそらく「機織」「轌ノ目」に分かれるのだろう。

「轌」は、日本で作られた漢字=国字。雪の車でソリとは分かりやすい。
秋田市金足黒川には小字「轌町」というのもある。字は違うが、由利本荘市には「雪車町」もある。
雪国ならではの地名だろう。沿岸部の秋田市や能代市は積雪は多くはないけれど。

ちなみに、東能代駅の所在地は別で「鰄渕」。これも難読かつ不思議。
読みは「かいらげぶち」。【24日訂正】「~ぶち」でなく濁らない「かいらげふち」が正しいようです。→国道の交差点について

秋北バスのバス停には「機織轌ノ目」というのもあるらしいが、場所は不明。
東能代駅前交差点の県道側には、予約式タクシーの「東能代」停留所があった。


「東能代」というのは、能代駅に対して東側という、駅名のみの呼称だと思っていた。
しかし実際には、バス停名や郵便局名にも使われているのだった。
「西弘前」同様、地名よりも駅名が広く使われているということだろう。駅は鉄道事業者だけのものではなく、地域の人のよりどころでもある。

東能代の駅前には、バス停はないのかと見回すと、向かって右側にあった。
秋北バスと乗合タクシー
秋北バスは「ワンマンカー」入り板にパソコンで「~駅」、タクシーは「~駅前」。
予約式タクシーの表示板には、正面から見たタクシーらしきイラストが描かれている。これって「自動車専用」などの道路標識の自動車の絵の屋根に、行灯を付け足したもの?
秋北バスの路線を把握できていないのだが、旧道の東能代からここまで乗り入れて来る路線とそうでない路線があるみたい。

以上、東能代3部作でした。
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GV試運転/話せる券売機

2020-09-19 22:52:02 | 秋田の季節・風景
秋田県北部・能代市の奥羽本線と五能線の東能代駅にて。
五能線が使う3番線にいたのは、
光線が厳しいですが新車両GV-E400系気動車!
秋田地区向け第一陣3両が7月に納車。その後、報道公開(秋田と弘前でやったらしい)や高崎支社に貸し出して、向こうで訓練運転(?【22日補足・八高線は、新しい踏切制御システムの試験だそうだ。新形式だから、将来の導入を見据えた乗務員訓練も兼ねていそうだけど。】)も行われた。9月始めには、第二陣として1両だけ納車された。
五能線などでは今年12月にも営業運転が始まる予定で、もちろん、秋田支社でも乗務員訓練が行われている。東能代駅では、留置線によく停まっていると聞いていたが、幸運にもホームに入っているところに遭遇できた。五能線の営業列車がない時間帯である14時前の15分ほどのことだった。
1番線に始発秋田行き701系。右側はリゾートしらかみ・くまげら編成風の待合室

最初の写真では、行き先表示が「試運転」だったが、その前は、
「ワンマン 東能代」!
最初見た時がこれだったので、一瞬、予定を大幅に繰り上げて営業運転が始まったのかと思ってしまった。
側面も
表示間違いというよりは、ワンマン運転の訓練や、ワンマン機器が正しく作動するかの確認を行っていたのではないだろうか。この時間帯は2・3番線を営業列車は使っておらず、乗客もいないので、誤乗の危険も少ない。
反対側
日本語とローマ字が同時に表示されているが、「Higashi-Noshiro」はスクロール。

秋田用車両をちゃんと見るのは初めて。新潟で見た時と同じく、とらえどころがないような不思議なデザインだけど、悪くなく、わりとカッコイイと思った。

試運転していたのは、第一陣の片運転台2両1組・17番の車。
両先頭車の向かって左の屋根上に出っ張りが見える。新潟用にはなかった装備で、NTTドコモの衛星電話アンテナ(の台座)。運用される津軽線で、鉄道無線が通じない区間があるためで、花輪線などにも装備されている。
あとは、
分かりにくいですが、左端乗務員室ドアのガラスの上や、右の映りこみ
「T217」という編成番号が付与されている。気動車で編成番号は珍しいかな。

帯の部分にあるフタがちゃんと閉まってないのでは?
新潟で見た時と同じく、停車中はアイドリングもなく無音。爆音であるはずの発車時は、1番線の701系(ドアが閉じて、うるさい空調稼働中)の車内にいたので、音は聞こえなかった。

翌2021年に乗車した時の記事


東能代駅の改札口外側周辺のことも。
改札外
左のガラス扉の向こうが、改札口とキオスク(NewDays KIOSK)。キオスクは大館の鶏めしや、コーヒーもあるようだ。
なお、駅の外にはコンビニも、その他食べ物が手に入る店も、ほぼない。強いて挙げれば、徒歩10分ほどのJAの産直「みょうが館」(餅やごはん類がおいしいので、後日)。

上の写真の外、【20日訂正】右手前に自動券売機。近距離用が1台と、
これが1台
一見、よくある指定席券売機だけど、やや専有面積が広い。表示もごちゃごちゃ。(右上には黄色い“吊るす虫よけ”があるけど、もっと外側に吊るしたほうがいいのでは…)
「話せる指定席券売機」と書いてある。

東能代駅では、今年・2020年6月にみどりの窓口を廃止、代わりに7月から「話せる指定席券売機」が稼働しているのだった。※きっぷを売る窓口が廃止されただけで、引き続き改札口などに駅員はいます。
「話せる指定席券売機」とは、通常の指定席券売機に、オペレーターとの対話機能を付加したもの。上の写真で券売機本体の右側にある台に、申込書や証明書を置かせてカメラで読み取って、通常の指定席券売機では扱えないきっぷも発売するというもの。外国語の自動翻訳での対話もできる。
JR東日本全体では、3月に運転再開した水戸支社常磐線5駅で導入済み。続く2例目・6駅目が東能代だそう。東日本以外の他社では、同型で名称が違う券売機を導入している。

ところで、昔「もしもし券売機Kaeruくん」というのがあった。【20日追記】その名の通り、これも対話型で様々なきっぷを取り扱える機種。
2005年に導入され、秋田支社では2006年辺りからみどりの窓口廃止の代替として、次々に設置(土崎、追分、八郎潟、男鹿、等々)された。しかし、評判が悪く、2012年までに全廃され、通常の指定席券売機に替わっている。
両者の違いは、Kaeruくんは、必ずオペレーターを介さないと何も買えないのに対し、話せる券売機は、通常の券売機としての使い方もできて、必要な時だけオペレーターを呼び出せること。

画面は、秋田駅などの通常の指定席券売機のものと同一ではないが違和感なし。五能線起点駅だけに「リゾートしらかみ」指定席ボタンが独立しているのはさすがなのと、右下に…
右下にオペレーター呼び出しボタン
左の受話器を取ってもいいのかな。別にマイク(画面の右上の白い部分のスリット)もあるから、受話器を取らなくてもいいのか? 今のご時世、(受話器を)持つこと、しゃべることが敬遠されがちで、その点はどうだろう。JRさんなら消毒はやっているとは思いますが。
横のポスターには「お客さまを正解へと導きます」とか書いてあるけど、きっぷを買うのに“正解”って…

東能代駅の周辺や他の駅の話など、続く
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まだあった徐行

2020-09-18 00:02:23 | 秋田の季節・風景
才八橋の近くの話。
楢山地区の東に当たるが、よそ者はここが楢山であることを忘れがち。2つの線路と太平川で分断され、さらに金照寺山と一つ森公園の丘に挟まれて隠れた場所。
楢山だから秋田市役所の地域区分では「中央地区」。学区は築山小、秋田南中(城南中も選択可?)が指定されている。ここは2つの中学校より小学校のほうが遠く(築山小は金照寺山の真裏)、通学が大変そう。
【19日補足】警察署は、奥羽本線が境になるようで、ここらは秋田東警察署城東交番エリアの西端。秋田中央警察署楢山交番ではない。

楢山かまくら」という伝統行事もあるし、狭くて曲がりくねった古そうな道路があるので、古くから人が住んでいたはず。
そして、おそらく昭和40~50年代に宅地開発され、人口が増えたはず。隣接する横森地区(こっちは東部地区)の宅地化と同時進行かもしれない。
それなのに、道路整備がされなかった(スプロール現象に該当するかも)ため、1つしかルートがない、狭くて歩道がない道を、車が行き交っている。今は横山金足線へ回ることも可能で、昔よりはマシなのかもしれないが。
道路新設や拡張をするにしても、その土地がないし、そうするまで人口は増えていないということか。

左が奥羽本線、右が一つ森公園、奥が才八橋方向
才八橋を渡って、一つ森公園の下辺りまでが特にこちゃこちゃした道。上の写真の奥のほう。
一つ森公園のふもとまで来ると、道路はいくぶん見通しが良くなる。一つ森公園斜面側にはわりと広い歩道が付くが、その分、車道の幅は狭いままでセンターラインはない。
山と線路に挟まれていることもあって、多少はカーブがある。
そのカーブの手前。右は線路向こうの金照寺山ふもと

徐行標識!
忘れていた。ここにも「徐行(英字なし)」があった。確認済みの中では、いちばん交通量が多い道路に設置された「徐行」だと思う。
レアな標識とは言うけれど、実は(秋田市内には)けっこうあるのかも。

上写真は、才八橋から南進する側で、この1枚だけ。逆方向では、
やはり1枚だけ(左側奥の電信柱)。奥の大きな建物は市民市場向かいのNTTだ

南進側で、30km/h制限の標識と一緒に設置されていることから、公安委員会(警察)設置と考えられる。裏面のシール等なし。
例によって古いもので、日当たりの関係か北進側が色あせている。南進側は、30キロ制限よりはずっと鮮やか。古い標識でたまにあるが、板面には縦方向に「……」という模様のようなものがある。

南北とも、下の補助標識は「事故多し」。
ちょっと珍しいが、警察庁が認める「規制理由」を示すものだろう。
それはいいけれど、これも例によって「規制区間」がない。
警察庁「交通規制基準」では、徐行には規制区間の補助標識を必ず設置するよう求めているが、秋田市内で確認済みのものは、県警設置分も、秋田市設置の新しいものも、いずれもない。
1方向に2枚設置して「ここから」「ここまで」とするのが本来だが、規制の区間がおおむね30メートル未満の場合は、1枚で「ここから○○m」でいいとしている。

ここの場合、常識的に見て、このカーブを通過する時だけ徐行ということだろう。
そして「30キロ制限」と「徐行」がいっしょなのも、混乱する運転者がいるかもしれない。
というか、ここを通る車を10台以上見たが、厳密な「徐行」をした車は1台もなかった。※徐行とは「車両等が直ちに停止することができるような速度で進行すること」で「時速4、5キロぐらい」。
でも、交通違反うんぬん以前に、“真の徐行”まで速度を落としたら、後続車に追突されてしまいそう。

「徐行」じゃない、注意喚起を検討してもいいのかもしれない。

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