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楢山かまくら

2011-02-15 20:49:39 | 秋田の季節・風景
旧暦の「小正月」と前後して、秋田県内各地でさまざまな行事が行われる。雪を使ったもの、火を使ったものなどどれも個性的。
※以下、由緒や起源等を大雑把にまとめており、間違いもあるかもしれません。詳細は詳しいサイトや資料をご覧ください。

その中で、もっとも知名度の高いのが「かまくら」だろう。
一般的に雪で作った「洞」自体のことを「かまくら」と呼ぶが、その中に水神様などをまつる伝統行事の「かまくら」としては、秋田県内陸南部、豪雪地帯の横手市で行われるものを指す。
横手では、かまくらを作るのに長けた「かまくら職人」がいて、先日、その指導を受けて秋田市の秋田大学に作られた。
同様の行事が新潟県にもあり「ほんやら洞」とか「鳥追い洞」と呼ぶそうだ。

一方、秋田県内には、少し違う「かまくら」もあり、県外などの知らない方は「これもかまくらなの?」と混乱しそう。
例えば、「火振り(ひぶり)かまくら」といって、炭俵(米俵を小さくした感じ)に火を着け、それに縄を結んで田んぼの中でぐるぐる回す「かまくら」が、仙北市角館(旧角館町)や秋田市仁井田地区で行われている。


さらに別のかまくらが、秋田市中心部にもある。
「楢山かまくら」と呼ばれるもので、話には聞いていたが見たことがなかったので、行ってみた。
開催場所はその名のとおり、秋田駅の南側「楢山(ならやま)地区」。

楢山というと、僕などは旭川沿いの有楽町や旭南地区に近いサティの北側辺り、楢山登町や楢山南中町をイメージしてしまうが、このまつりが行われるのは、楢山太田町。
南中町方面から行くと、羽越本線と奥羽本線を越えて太平川を渡った楢山地区の東の外れで、東通地区や横森地区と接している。狭い道が入り組んだ地域で、JRの車両基地(秋田車両センター)の近く。古くからの農家もあれば、アパートや新しい住宅もある。地形としては太平川と一つ森公園の山の北側の間。
秋田駅からは直線で1.5キロほどだが、線路・太平川・道の配置上、ちょっと行きづらい場所。
路線バスでは、秋田駅西口発の「築地経由」桜ガ丘・梨平行きまたは同経由ノースアジア大学・明桜高校行き(両線合わせて昼間は1時間に1本程度。小型バスで運行)で「一つ森公園入口」下車。180円。
地図で見ると、秋田駅東口発の「桜ガ丘線(明田・横森橋経由。一部は西口発)」の大平台三丁目行きも使えそう(西口発よりは本数が多い)。「横森二丁目」下車、徒歩300メートルほどのはず。東口発で170円、西口発で200円。
町内に入ると、曲がり角などに手作りの看板がいくつかあった
会場は「一つ森公園入口」バス停から山の方に入ったところ。道路の向かい側、川の方には、駐車場も確保されているようだ。

住宅の中を抜けると、少し高くなった広場と「なかよし会館」という2階建ての町内の集会所みたいなのがあった。振り返ると天気がよければ太平山が望めるはず。
山の斜面は杉林。たぶん一つ森公園の上の方に登って行かれるはずだが、体育館などがあるのは、園内の逆側なので遠そう。
なかよし会館前
奥が会館だけど、その手前にあるものにご注目。上の写真は裏側なので、反対に回りこむと、
これが楢山かまくら
楢山かまくらは、雪で壁を作って囲い、その上に木材やよしずでできた屋根をかけたもの。
屋根に雪が積もっていてよく見えなかったが、てっぺん付近には針葉樹の緑の葉も使われていたようだ。
横手のかまくらよりずっと大きくて広い。予想していたくらいの大きさだったが、考えてみればやっぱり大きい。

横手のかまくらでも、当初(400年くらい前)は雪で壁を作っていたらしいし、全国各地でこの時期に行われる「鳥追い行事」において、竹や茅などで作られる「鳥追い小屋(鳥小屋)」にも似ている。
この壁だけが雪でできた楢山かまくらのようなスタイルが、“オール雪製”のかまくらの原型といえるのかもしれない。

かまくらの前に説明書きが出ていたが、それをまとめると、
・昔、宮中で行われていた悪魔払いの行事「左義長」に起因すると思われる。 ※左義長とは、「どんと焼き」のこと
・楢山でいつから行われたかは不明。1911(明治44)年の行事中に火災が発生し、当時の警察から中止を命じられ、以降中断していたが、1975(昭和50)年に復活。
・悪魔払いから豊作祈願の行事に変わった。
・当初は男の子の行事であり、中で寝泊りするなどしていた。婦女子は中に立ち入ることが許されなかった。
・男子15歳の元服の儀式の意味合いもあった。
・子どもたちが「ホデギ棒」を持ち「木ボラ」を吹いて、「強い男の子を生むように」と地域内の初嫁の家などに押しかけていた。
・最終日には、屋根に使った藁を束ねて燃やして「ドンドン焼き」が行われ、火の用心を願った。
といった感じ。

現在は、男女関係なく、2月11日に集まって、餅つきしたり雪で楽しく遊びましょうといった感じの行事らしい。
12日付秋田魁新報地域(県央)面によれば、主催する「楢山かまくら保存会」の会員が「9日に同会の約30人が6時間ほどかけて完成」させたそうだ。
また、2004年からは、地元の市立築山(ちくざん)小学校4年生の「2分の1成人式」もここで行われている。(上記解説にもあるが、かつて元服の儀式が小正月に行われていて、その名残で成人の日が1月15日になったことにちなむのだろう)
かまくらは16日のどんと祭り(←新聞記事の表記のまま)の際に解体されるとのこと。

訪れたのは何もやってない日であり、誰もいなかった。
入口周辺
左側に今となっては珍しい箱ぞりが3台置かれていた。手前2台は新しそう。
そして右側。これって…
笹竹に短冊!
入口の両側に1本ずつ笹竹が立てられ、子どもたちの願いごとが書かれた短冊が下がっていた。(入口に机が置かれ、そこで記入した模様)
他の飾りこそないが、七夕の笹と同じだ。願いごとの内容も、七夕に書かれるものと同じ内容。
どういう起源なのか分からないが、真冬にしては意表をつかれた。

雪の壁が途切れていて、かまくら内部への入口がある。入口にはよしず(すだれ?)が下がっていたが、まき上げられていたので、中へ入ってみた。
内部。床も雪で靴のまま入れる。屋根はよしず
広いけれど、外見から予想するよりは狭い。それだけ雪の壁が厚いのだ。
屋根から光が入るが、薄暗い。
入口の対角線、いちばん奥が祭壇で、お供えや賽銭箱があった。
祭壇
まつられているのは、「水天宮」と「鎌倉権五郎大権現」。2つ一緒にまつられているんだ。
鎌倉権五郎は本名鎌倉景政、平安時代後期の武将で「後三年の役(今の秋田県三郷町が戦場)」で活躍した人。神奈川県鎌倉市にある神社でまつられている。
かまくらが「かまくら」と呼ばれるようになった由来は諸説あるが、その1つに「“鎌倉”権五郎がまつられるから」というのもあるそうだ。
祭壇には、鏡餅やミカンがあったが、右側の尺八の長いようなのが、昔吹き鳴らしたという「木ボラ」か?


住宅地化が進み、一方で少子高齢化も進む地域だと思われるが、古くからの行事を受け継ぐには苦労も多いと思う。
ここでしか見られない行事と言っていいだろうから、大切に受け継いで末永く続いてほしい。

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