狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「県民投票」、多数決は衆愚の温床である。

2018-10-27 13:10:20 | 辺野古訴訟

 

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 沖縄県は、県議会の多数決で「県民投票」実施条例を可決した。

二者択一による「辺野古移設」の「民意」を得る目論みである。

安全保障の必要性を論じることなく、「米軍基地」の賛否を問えば、大多数の県民は「反対」であろう。

従がって「県民投票」は、「米軍基地反対」の民意を表明するだろう。

多数決は民主主義の根幹をなす。

では、多数決で得た「県民投票」の民意は、尊重すべきか。

「民意」に従がうべきか。

多数決には、少数意見の暴走を食い止めるという期待が込められている。

これは多数決の神話であり、多数決は多数意見の暴走には何の歯止めも準備していない。

民主主義の根幹をなす選挙は多数決の典型だが、選挙はポピュリズムとの戦いである。

言葉を変えれば民主政治は衆愚政治との戦いである。

つまり、多数決が正しいというには、県民が愚かでないことが前提である。

そこで登場するのが新聞の役割である。

公正な県民の判断に寄与するために、新聞には公正な報道が求められている。

では、現在沖縄で行われる予定の「県民投票」に関し、沖縄2紙は公正な立場で報道しているか。

否である。

公正どころか偏向を通り越して捏造報道さえ罷り通っている。

沖縄の現状のように歪な言論空間を放置したまま、県民に多数決の県民投票を求めるのは衆愚政治の典型と言われても仕方が無い。

このようにして生まれた「民意」は衆愚の結晶であるからだ。

少し乱暴に結論付けると、こうなる。

多数決は衆愚の温床である。

個人では冷静な人が、群集心理で狂気に走ったりやヒトラー政権下の大衆の狂気をみると、多数意見が必ずしも正しいとは限らないことが分かる。 いや正しいどころか狂気に走ることさえある。

「狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。」 (ニーチェ)

「「狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。」」の画像検索結果

 

【追記】

参考:

【動画】沖縄の声】辺野古埋め立て承認の「撤回」をめぐる「民意」の意味/沖縄戦の噓をあばく[桜H30/10/24]- 長さ: 54 分。

 

 

 


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1 コメント

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Unknown (月光仮面)
2018-10-28 17:28:34
RBCニュース

2018/10/24 19:17 政治・経済 基地問題
石垣市議会「反対」に県民投票の会が声明

今月17日、石垣市議会が県民投票条例に反対する意見書を可決したことについて、辺野古県民投票の会が24日、議員との対話の場と、投票実施へ市長の協力を求める声明を出しました。

「(市議会の意見書は)県民投票の意義を十分に理解しないまま漫然と数の力で採択されたものといわざるを得ない。(石垣市長は)法令に基づき、沖縄県から委託された事務につき、誠実に管理・執行し、県民投票の実施に協力するよう強く求めるものである」(辺野古県民投票の会元山仁士郎代表)
県民投票の会は民主的な議論につながる投票の意義を議員に理解してもらうため対話したいと述べる一方、県から投票作業を委託された市町村は、法律上の執行義務を負うため石垣市でも投票は行われるだろうとの見通しを示しました。



素朴な疑問

≫県民投票の意義を十分に理解しないまま漫然と数の力で採択されたものといわざるを得ない。(石垣市長は)法令に基づき、沖縄県から委託された事務につき、誠実に管理・執行し、県民投票の実施に協力するよう強く求めるものである」(辺野古県民投票の会元山仁士郎代表)


「漫然と数の力」😩県議会決議にも同じ事言えるか?毎度毎度のダブスタ!本当に気持ち悪い👎クズ👎

でさー、これ、もう忘れたの?



沖縄県の敗訴確定 最高裁、上告を棄却
毎日新聞2016年12月20日 15時08分(最終更新 12月20日 15時18分)

沖縄県事件・事故・裁判社会速報辺野古沿岸部=和田大典撮影[PR]
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画を巡り、国側が沿岸部の埋め立て承認を取り消した翁長雄志(おなが・たけし)知事の対応を違法と訴えた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は20日、県側の上告を棄却した。知事による承認取り消しを違法とした福岡高裁那覇支部判決の結論が維持され、県側の敗訴が確定した。

 最高裁判決を受けて国は中断している沿岸部の埋め立て工事を再開する方針。翁長知事は「確定判決には従う」としており、承認取り消しは撤回するとみられる。ただ、別の手続きで対抗策を取ることを示唆しているため、国と県の対立は続く見通しだ。

 今回の訴訟は高裁を第1審とする地方自治法の規定に基づき、2審制で行われた。9月の高裁支部判決は「前知事の埋め立て承認に違法はないのに、これを取り消した翁長知事の行為は違法」と認定。国の是正指示に従わない知事の対応も違法とした。

 県側は「移設は米軍基地の負担を固定化させ、憲法が保障する地方自治を侵害する。高裁は行政庁に代わって全面的な審査をしており、司法の権限を越えている」と上告していた。

 以下略







で、こうなったでしょ?

産経



ただ、そうした知事権限行使による移設阻止は、最高裁判決の確定後には「互いに協力して誠実に対応」と明記された和解条項に反する上、権限の乱用と判断されかねない。その場合、政府が県に対する損害賠償請求を行うことが現実味を帯びてくる。

以上


上記事項ぜーんぶ忘れて(忘れたふり?)この事に一言も触れようとせず、すっ飛ばすのはなぜ?
どうせなら、この人みたいに「辺野古訴訟、沖縄県敗訴は最高裁と政府の癒着ダー」と言えば面白かったのにwww

沖縄の辺野古沖埋め立て承認取り消しをめぐり、国が翁長雄志知事を訴えていた上告審で、昨日12日、最高裁判所は高裁判決の結論を変更する際に必要な弁論を開かず、判決期日を指定した。つまり、今月20日の最高裁判決を前に、沖縄県の敗訴が決定したということだ。
 これまで辺野古移転反対、米軍基地反対を訴え続けてきた沖縄県の民意が、最高裁によって踏みにじられる──。これで普天間飛行場の移転先となる辺野古埋め立てはもちろん、さらに米軍キャンプ・シュワブでの陸上工事や高江ヘリパット工事の動きも一層加速することは間違いない。
 だが、今回の最高裁の態度は、ある意味、予想どおりと言うべきだろう。これまでも公害などの行政訴訟において、多くの場合、最高裁判所は政府、行政寄りの判決を下してきた。
 それは現在、全国各地で起こされている原発再稼働訴訟に関しても同様だ。高浜、大飯、美浜、玄海、浜岡、川内、大間、伊方、泊など全国各地で運転差し止めや、建築差し止め、廃炉、操業停止などを求める住民らによる訴訟が継続中だが、これらも決して楽観視できない状況だ。本サイトで何度も指摘しているが、こうした訴訟の裏では原発ムラや政府と癒着した裁判所の巻き返し、そして露骨な"原発推進人事"が横行しているからだ。
そんな事態を証明するかのような本がある。『黒い巨塔 最高裁判所』(講談社)だ。本書は政府や原発ムラと最高裁判所の関係、そのための人事や政治介入などが赤裸々に描かれた小説なのだが、しかしこれは単なるフィクションではない。…
1979年から31年間、裁判官を勤めた元判事の瀬木比呂志氏。『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社)などで、これまで一貫して裁判所と裁判官の腐敗を告発し続けてきた人物なのだ。つまり、本書は裁判所を知りつくした人物による、ある種の"告発の書"であり、事実、随所にフィクションとは思えないエピソードが散りばめられている。


以下略
ソースはLITERA( ̄∇ ̄)
https://wwwexcite.co.jp/News/source/Litera/
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