狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

決定的証言者・照屋さんは「捏造証言の元援護課職員」?

2007-06-14 13:54:55 | ★集団自決

「集団自決、軍に責任」 文科審議官が言明

 【東京】文部科学省の教科書検定で「集団自決」の日本軍関与について断定的記述をしないよう検定意見が付された問題で、布村幸彦文科省審議官は13日、審議過程の説明を求めるため同省を訪れた自民党の伊波常洋県議らに対し「軍の関与、責任は確かにある」と述べた。
同問題について文科省は国会答弁などで「軍関与を否定するものではない」と説明してきたが、この日の布村審議官の発言は、軍関与の存在や責任を従来より明確にしたものだ。
 検定意見の撤回について布村審議官は「検定制度の信頼性を失うことになるので、検定前の表現に戻すのは難しい」と困難視した。面談後、伊波氏と国場幸之助県議が記者団に明らかにした。
 伊波氏によると、
布村審議官は軍命の有無については「誰が追い込んだかは今の学説では断定されない」と説明。軍関与は認めるものの、直接的な軍命の有無は明確ではないとの認識を示した。
 1982年に住民虐殺の記述が検定で削除され、県民の抗議行動の結果、記述が復活したことについては「県民感情に配慮しての政治判断だった」と話した。
 同省の諮問機関「教科用図書検定調査審議会」は今回、座間味島、渡嘉敷島の事例のみを議論し、本島でも起きた「集団自決」は対象にしなかったという。
 伊波氏は布村審議官に対し「渡嘉敷と座間味に限定された事象で沖縄戦の全体を見るべきではない。歴史を検証して後世に伝えるのが文科省の責務だ。沖縄戦の実態を伝える表現にしてほしい」と求めた。
 自民党県連は検定意見の撤回を求める野党の意見書案の提出について、近く議員総会を開き、対応を決める方針だ。
 文科省は2008年度から使用される高校教科書の検定で、「日本軍の命令や強要を否定、疑問視する学説や書籍が出ている」などとして、集団自決の軍関与で断定的な記述は避けるよう初の検定意見を付した。伊吹文明文科相は4月20日の衆院教育再生特別委員会で、「集団自決に対して軍の関与がなかったとは書いていない」との見解を示していた。

(6/14 9:42)

                      ◇
 

今朝の琉球新報一面トップの大見出し。

 「集団自決、軍に責任」 

 文科審議官が言明

文部省役人のトップクラスが「集団自決、軍に責任」と言明したのなら、教科書も元に戻るのかと誰でも思う。

だが、記事をよく読んでみるとどうも様子が違う。

試しに同じ取材の沖縄タイムスの見出しをウェブサイトで見ると。
 

文科省「検定撤回無理」

「集団自決」修正

沖縄タイムス 2007年6月14日(木) 朝刊 1面 )

両紙の見出しを見る限り、同じ記事でもまるで逆の印象を受ける。

詳細は文末に掲載した沖縄縄タイムス記事と読み比べて欲しいが、筆者の見る限り何時もは過激な沖縄タイムスの方が実状を良く見極めた見出しと見る。

活字離れと言われて久しい昨今。

安易に目で活字をなぞると容易に錯覚の迷路に陥る。

友人のサイトに名古屋名物「ひつまぶし」について駄文を書いたら「ひまつぶし」と間違えた言う。

新聞社もこの辺の事情を先刻承知で見出しで巧妙に読者をミスリードする。

例は枚挙に暇がないほどだが、それこそひまつぶしに最近の沖縄タイムスの例を挙げよう。

その前に集団自決問題を復習しておこう。

先ず座間味島の件は生存者の証言や村の幹部の詫び状によりほぼ軍命が無かったいうのが専門家の結論。

渡嘉敷島の場合が主な「軍命有無」の論争だった。

だが、元琉球政府援護課職員の照屋昇雄さんの「軍命は援護金をもらう為の口裏あわせだった」との証言で決定的となっている。

両島の場合、言者は多数いるが、客観的な「軍命令有り」の証言はない。

で、下記沖縄タイムス記事の大見出しで元援護課職員とあるのが照屋さんのこと。

 

捏造」証言の元援護課職員

一見、この大見出しでは、元援護課職員(照屋昇雄さんー筆者注)が「捏造証言」をしたいかがわしい男の印象を受ける。

ところがよく読んでみると「『軍命令があった』というのは捏造だ」と証言した元琉球政府援護課職員照屋昇雄氏、・・・というのが見出しの真意のようだ。

「ひつまぶし」を「ひまつぶし」と読み違える人なら容易にミスリードされるだろう。

そして次の見出しと共に、記事は元職員は当時援護課に在籍しておらず、この男の証言は信用できないと結ぶ。

人事記録で指摘   国の方針決定時 担当外

沖縄タイムス記事(5月26日)を一部抜粋すると、

・・・原告側が証拠として提出した、元琉球政府職員が渡嘉敷村の「集団自決」に援護法を適用するため、軍命を捏造したという内容の二〇〇六年八月二十七日付産経新聞記事に対し、被告側は法適用の方針が明確になった時期に同職員が援護課に在籍せず、調査する立場にはないと指摘。被告側は同職員の採用時期が証言にある昭和二十年代後半ではなく昭和三十年で、援護課職員ではなく中部社会福祉事務所職員として採用されたことなどの人事記録を証拠として提出、「元職員の証言は信用できない」と反論した。(略)

 ・・・被告側が今回提出した琉球政府の人事記録では元職員は一九五五年(昭和三十年)十二月に、琉球政府の中部社会福祉事務所に社会福祉主事として採用された。その後、五六年十月南部福祉事務所、五八年二月社会局福祉課と異動、五八年十月には社会局援護課に勤務している

 これまでに被告側が証拠として提出した琉球政府資料によると、五七年五月に日本政府は「集団自決」犠牲者も援護法の対象とする方針を明示、同年七月に処理方針を決定。被告側は「五八年十月まで援護事務に携わる援護課に在籍していない元職員が、渡嘉敷島住民から聞き取りをしたり、援護法適用のため自決命令があったことにしたとは考えられない」と指摘した。(以下略)≫


琉球政府資料によると、・・・・「五八年十月まで援護事務に携わる援護課に在籍していない元職員が、渡嘉敷島住民から聞き取りをしたり、援護法適用のため自決命令があったことにしたとは考えられない」

常識的に考えると、半世紀以上前の職員の正確な人事記録を現在の県職員が真面目に調べるとは考えにくい。

コンピュータ化されていない時代の膨大な人事記録を捏造とは言わなくとも「この時期に援護課には該当する職員の存在を確認確認できなかった」というのがお役所の模範解答だろう。

ところが、証言者照屋さんは沖縄タイムスの画策をコッパ微塵に打ち砕く決定的証拠(証言を裏付ける)を持っていた。

これについては次の稿で。


沖縄タイムス 2007年6月14日(木) 朝刊 1面  
 
文科省「検定撤回無理」/「集団自決」修正
 【東京】自民党県連の伊波常洋政調会長と國場幸之助幹事長代理は十三日、文部科学省に布村幸彦審議官らを訪ね、高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の記述から「軍命」を削除した教科書検定の経過や今後の見通しを聞き取りした。両氏によると、布村審議官は検定の撤回について「検定制度の信頼性を損ねる恐れがある。ほぼ無理だろう」との見解を示したという。伊波氏は「広く沖縄戦の実相を後世に伝える教科書にしてほしい」と検定の修正を要望した。
 布村審議官は「集団自決」への日本軍の広い意味での「責任、関与」については「自覚している」と認めた。一方で、教科用図書検定調査審議会の議論では「渡嘉敷、座間味の両島で部隊長による直接の命令があったかどうかは断定できない」との意見で委員が一致したと指摘した。

 このため、沖縄戦で起きた「集団自決」のすべてに軍命があったとは言い切れないという判断から、軍命を削除する検定意見に至った―との趣旨の説明をしたという。

 大阪で係争中の「集団自決」に関する民事訴訟の影響には「(審議会での)検証のきっかけにはなったが、検定意見を左右するものでない」と述べた。

 伊波氏らは教科書検定で住民虐殺が問題となった一九八四年、当時の森喜朗文部相の国会答弁などをきっかけに検定が撤回された例を指摘した。布村審議官は「当時は県民感情に配慮する政治判断があった」と述べ、事務レベルで撤回を実現するのは困難とした。

 國場氏は「文科省の説明は軍命をあまりにも狭義の意味にとらえ、限定し過ぎている気がした」と述べた。

 自民党県連は十四日午前十一時から、議員総会を開き、両氏の今回の聞き取り結果を受けながら、意見集約に向け協議する。

                  
 

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