狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

暴かれた「座間味村史」のウソ

2010-05-17 08:26:53 | ★集団自決

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天網恢恢疎にして漏らさず、天知る、知知る、読者知る。

これは筆者が子どもの頃、少年雑誌の投稿マンガに盗作で応募する子供たちを戒めた選者の手塚治虫さんの言葉である。

だが、今回は後半の部分を次のように変えてみたい。

・・・天知る、知知る、オバー知る、と。

集団自決の真相を隠蔽するため、幾重にも張り巡らせたサヨクネットワークが、卑劣にも『座間味村史』の記述を改竄していく過程が座間味村に在住の老婦人の証言で白日の下に晒された。

その老婦人の名は大城澄江さん(90歳)。

澄江さんは『母の遺したもの』の著者宮城晴美氏の実母宮城初枝さんと共に、昭和20年3月25日の夜、忠魂碑前の広場に居合わせて「自決はするな、解散せよ」という村長の訓示を聞いた人物である。 今を遡る2年前の集団自決訴訟の大阪高裁判決が下る直前のこと、被告側が主張する「梅澤隊長命令説」を根底から覆すと思われる「宮平証言」が登場した。 

当時15歳で隊長の伝令役をしていた宮平秀幸さんの証言によれば、は昭和20年3月25日の夜、村長や助役を含む村の幹部が、住民達を自決のため忠魂碑前に集合させ、本部壕で指揮を取る梅澤隊長を訪ね自決用の弾薬の支給のため30分にわたり押し問答した光景を目撃していたというのだ。

そして梅澤隊長は、村の幹部達の自決の申し出を声を荒立てて拒否し、広場に集まった住民達を危険だから解散させるように命じたというのだ。

宮平さんは、村の幹部が忠魂前に戻る後について行き、広場で村長が自決の中止と解散を指示するのを聞いたというのだ。

ここで「宮平証言」の重要ポイントを整理するとこうなる。

(1)梅澤隊長は村の幹部の自決するとの要請を却下し解散せよといった。

(2)村の幹部は忠魂碑前に戻り、村長が「自決はするな、解散せよ」と訓示をした。

(3)そこに居合わせた宮平一家も解散し、壕から壕へと逃回った。

これは被告側にとって致命的な証言である。

これを被告側が認めたら、梅澤隊長と住民の集団自決は何の因果関係もないということが事実として確定してしまう。

そうなれば被告側敗訴は火を見るより明らかである。

そこで被告側が「宮平証言」を虚偽だとして否定する根拠にしたのが『座間味村史」に記述された宮平さんの実母貞子さんの証言である。

それによると宮平一家は3月25日の夜、忠魂碑前広場にはいなかったというのだ。

ということは「自決はするな、解散せよ」という梅澤隊長の意志を伝える村長の訓示も聞いていないことになる。

結局集団自決訴訟は原告対被告の争いから、座間味に住む戦争体験者の実の母子が反対の証言で、夫々原告側と被告側に立つという悲劇が起きるのである。

『うらそえ文藝』で星雅彦氏が「沖縄で異論を唱えるのは変人扱いされる」と指摘するように、宮平秀幸さんは座間味島では変人どころか危険人物扱いをされていた。

そのため膨大な数の証言を収録した『座間味村史』には、貴重な体験者であるにもかかわらず、異論(真実)を述べる宮平さんの証言は無い。 

記憶力抜群の宮平さんの証言は、左翼勢力、特に『母の遺言』を踏みにじった宮城晴美氏にとっては「不都合な事実」であったのだろう。

結局、大阪高裁は、公的刊行物である『座間味村史』にある母貞子さんの証言を採用し、息子の秀幸さんの証言は虚言であるとして退けた。

ことの重要性を知らぬ貞子さんは、何が何やらわからないままに「忠魂碑前に集合した」と証言した息子の秀幸さんを、結果的に「大嘘つき」にしてしまったのである。

その後、閉鎖的空気が支配する座間味村では、「秀幸は嘘つきである」といった風評が流布し一種の村八分状況にあったという。

今回証言した大城澄江さんは、梅沢さんと談判した村の幹部について行った宮城初枝さんの友人であり、初枝さんが娘である晴美氏に託した「集団自決の真相」が、真実であることを証明したことにもなる。

逆に「澄江証言」には、本人は意識していないだろうが、友人初枝さんの真実を訴えた遺言を踏みにじり、さらには『座間味村史』を捏造した娘の晴美氏への断罪の意味も含まれている。

 

『うらそえ文藝』の集団自決特集を読んで、二日連続で沖縄の公的刊行物が捏造する沖縄戦史の虚偽の構図を書いた。

ほぼ同じ時期に、藤岡信勝拓大教授が座間味島で決定的とも言える証言者を発見し、それを桜チャンネルで放映された、それはいみじくも二人が同時に公的刊行物である『座間味村史』の欺瞞性を暴いたことになった。

読者の石原さんがお父上の貴重な戦争体験を語りながら次の文で結んでおられる。

神(真理)は細部に宿り給うと言いますが、反戦左翼が戦後、必死でかき集め捏造、歪曲させた、反戦平和イデオロギーで貫かれた紋切り型の何百万にも及ぶ沖縄戦のデータは、ウチの親父という、たった一人の沖縄戦体験者の素朴な証言であっさり覆るのです。何故なら嘘だから、、、
真実って怖くて、なんと興味深いものでしょうか
。》

同じ時期に行われた今回の星雅彦氏と藤岡信勝教授の沖縄の公的刊行物の欺瞞性の暴露は、天の配剤ではないかと思われるくらいである。

沖縄と東京に在住する両氏はお互いに面識はなく、電話一本の接触もないと聞く。

だが、サヨクネットワークに果敢に挑戦しているという共通点では、お互い戦友みたいなものであろうか。

読者涼太さんから桜チャンネルを見て次のようなコメントを頂いた。(太字強調は引用者)

狼魔人様

チャンネル桜見ました。沖縄の歴史が捏造されていく過程が、よく理解できます。
反日左翼ネットワークがうまく機能しているなとの印象を受けました。
忠魂碑には行っていないとする、宮平秀幸さんの母親の証言が載っている座間味村史が、どのように捏造されたのか。つまり村史編集作業の聞き取り段階で、都合の悪いところはカットされ、別の証言をさせる。それを何回も何回も繰り返す。これでは母親が宮平さん達にこぼすように「あれは言ってはいかん。これも言ってはいかん。あー疲れた。」がすべてを語っています。こんな手の込んだ捏造作業も、「宮平さんの家族と忠魂碑で会ったさー。」と証言するオバーの新証言で吹き飛んでしまいます。
座間味に限らず、沖縄県史料編集所まで巻き込んでの歴史の捏造ですから、他の市町村も大方同じように意図的に改竄されていると思います。自らの証言を翻した沖縄史料編集所の嶋津与志さん、宮城晴美さん、富山真順さんに共通するキーワードが安仁屋教授です。
左翼団体がよく使用する「強制集団死」とか「軍の構造論」も、確か安仁屋教授の発案だったと思います。
せめてもの救いは宮平秀行さんが言う「座間味の人で梅澤さんを悪く言う人はいない。」という言葉です。渡嘉敷の件もそうですが、結局島の人たちも、安仁屋教授の様な極左反日団体の、イデオロギー闘争に利用されている。そんな印象を受けました。当人同士は触れて欲しくない問題だと思いますよ。

例によってこれまでは長過ぎるプロローグであり、本論は次の桜チャンネル動画である。

1/6【沖縄の真実】座間味集団自決編[桜H22/5/15]

2/6【沖縄の真実】座間味集団自決編[桜H22/5/15]

 3/6【沖縄の真実】座間味集団自決編[桜H22/5/15]

じっくりご覧下さい。

大城澄子さんの証言と最高裁判決の関係については追って詳しく論考して見たいと思います。

 

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コメント (17)    この記事についてブログを書く
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17 コメント

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拝見しました ()
2010-05-17 09:57:31
生々しい米軍の兵士2名・士官一名の上陸時の写真が有り驚きました、戸籍簿らしきものも忠魂碑の横に有りました。
大江裁判での裁判長は何をねつ造して良いか判らなくなるでしょう。
返信する
さわやかな、朝のサンピン茶です。 (義挙人)
2010-05-17 10:17:44
おはようございます。

いゃ~。桜チャンネル動画  全部拝見しました。
まさに  「目から鱗」ですね。
最高裁にて、良い判決を期待したいです。
情報ありがとうございます。
返信する
亀さんの戦争 (石原昌光)
2010-05-17 15:34:11
狼魔人様、こんにちは
コメントを取り上げて頂き有難うございます。
昨日、親父の昔話を書いて、ある話を思い出しましたので書きます。
高校時代のバイト先に通称亀さんと呼ばれていたオジィーがいました。
亀さんは大正9年生まれ、若い頃は、背が高く、細身で細面のハンサムな青年で大層モテたそうです。
大正デモクラシーは、沖縄にも波及していて自由主義思想に浸った亀さんは、徴兵検査を忌避する立派な非国民になります。
何しろ亀さんは、長身、細身、でも筋肉質の健康優良児です。(今風に言えば細マッチョですか、)検査官がボンクラでない限り絶対に徴兵検査に落ちっこない。
考えた挙句、亀さんは徴兵検査直前に南洋諸島に高飛びします。(笑)
勿論、ただ逃げたのではなく、名目は出稼ぎ労働者としてです。
これでは、陸軍も文句がつけられない、、、
実際に昭和10年代には、出稼ぎ労働を名目に徴兵を忌避し、南洋に高飛びする沖縄県民はかなりの数に上り、陸軍は頭を悩ましていたようです。
まんまと、徴兵逃れに成功したかに見えた亀さん、しかし、戦争は亀さんの思惑を超えて南からやってきます。
亀さんが逃げた、、もとえ、出稼ぎに選んだ島はサイパン島だったのです。
米軍の侵攻を前にして、亀さんは現地で徴兵、戦車地雷を背負い、敵戦車の真下に滑り込んで爆死する決死隊に選ばれます。
道無き道を踏み越え、迫りくる敵戦車に日本兵は次々と飛び込み爆死します。
現代の私達の想像を絶する狂気の世界です、亀さんの目の前で、戦友が草むらから這い出して敵戦車に滑り込み爆死する、あちこちで爆発と黒煙が同時に吹き上がる、飛び散った手足、頭、死に損なった兵士の呻き声、それを踏み潰して進む鉄の塊、、、これらが同時に起きている。
TVや新聞を見ていると、明らかに沖縄戦の体験者ではない世代が、さも知ったような顔で、「沖縄では、まだ戦争は終わっていない、沖縄戦は続いている。」などとコメントしています、それを聞くと私は全身の血が沸騰しそうになります。
「お前は、戦争を体験した事があるのか?滅多なことがない限り死ぬことのない、ぬるま湯の現代沖縄が、女性が深夜平気で出歩ける程に治安が良い、この沖縄が、戦時中と同じだと本気で思っているのか!!」と叫びたくなるのです。
混乱の中で、亀さんは一人になります。そして、思いました。
(敵戦車は、何百と押し寄せてくる、地雷を背負って首尾よく戦車の下に潜り込んで爆死しても、敵はキャタピラが切れて進めなくなるだけだ、、、馬鹿馬鹿しい、俺は、こんな事で死ぬのは嫌だ!)
亀さんは地雷を放り投げて逃げました。敵前逃亡です。
途中で軍服を脱ぎ捨て、民間人の服を着て、避難民の群れに紛れ込んだのです。
もし友軍の兵に見つかれば問答無用で射殺されたでしょう。
こうなると、地雷を背負って爆死するのも、地雷を放り出して逃げるのも、命掛けに代わりはありません。
こうして、亀さんは捕虜になり、戦後を生きていくことになります。
亀さんは、軟派な青年でした、徴兵忌避もしましたし、敵前逃亡もしました。時代が時代なら軍法会議ものの非国民でした。
しかし、この凄絶な亀さんの戦争体験を聞くともう、逃げたとか戦ったとか、勇敢とか臆病とか、そんな次元を超えた圧倒的なモノを感じて言葉を失います。
もう、運命というか、宿命というか、個人の判断では裁けない何かを感じるのです。
大平正芳首相は、社会党の代議士に、先の大戦について、どう思っているか?と問われた時、
「いわゆる、大東亜戦争についての評価は歴史がいたすであろうと思います。」と答えました
私ごときの凡人の範疇に余るという事でしょう。
たった一人の兵士の戦争話でさえ、こうなのに、単純に「皇民化教育で全沖縄県民が洗脳されたから、強制集団死はおきたんだい」じゃ、屁もでませんよ。極左の皆さん、、、
返信する
Unknown (Unknown)
2010-05-17 16:15:36
「解散」が「開戦」になっている場所があります。
返信する
暴動のススメ(1) (太平山)
2010-05-17 21:52:31
狼魔人さま

こんばんは。今日のエントリーでのコメントでは無いのですが、先日の石原さんへの返信ということでよろしくお願いします。

石原さん、こんばんは。返事が遅れましてすみませんでした。いつも感動的な話、ありがとうございます。先日の投稿は石原さんへの語りかけとなっていますが、途中(檄文の引用)からは山崎氏になっていますのでご理解のほどを。石原さんを難詰しているようで(謝)。

山崎氏の情報ありがとうございます。そうですね、氏のブログで三島由紀夫、小林秀雄、江藤淳の名を見ると保守ではないかと思うのですが、彼が批判・糾弾する人はすべて保守陣営の人ですから、訳が分からない人ですね。琉球新報で氏の写真をみましたが、佐高信に似ていてどうにも保守論客とは思えず、典型的な左翼顔だなと私は感じました。

新報での論考を読みましたが、「命懸けで蜂起する時」と言葉は格好いいのですがブログを読む限りにおいては本音は「暴動のススメ」であると捉えました。私は暴動と聞くと1970年12月20日のコザ暴動を思い出しますが、山崎氏も当然それを知っていて「夢よもう一度」の如く、あの暴動の再現を待ち望んでいる感がします。大田昌秀元県知事もそうですね。大田氏も暴動には思い入れが深いのか、これ以上県民を怒らせると暴動が起きるぞと日米両政府に警告していますね。

低次元の暴動に三島の「檄」を引用するのは三島への冒涜だと思うのですが、これは沖縄左翼に対する痛烈な皮肉であるとも考えました。その皮肉を琉球新報が掲載する、そのパラドックスが可笑しかったのですね。ですから私は琉球新報に聞きたくありました。三島の檄文をどう思うかと。


返信する
暴動のススメ(2) (太平山)
2010-05-17 21:57:48

三島由起夫が自決したのは私が高校生の時、ラジオから流れて来る「檄文」を聞いて体が小刻みに震え、涙が止まらなかったことが思い出されます。沖縄返還の2年前、1970年11月25日の事でした。最後の絶叫はまさに「英霊の絶叫」です。

コザ暴動は三島事件より前だったのではないかと思っていましたが後だったのですね。1970年12月20日のことでした。そこで私はフト思ったのですが、あの暴動は三島事件に触発されたのではないかと、そんな気がしてならないのです。おとなしい沖縄県民があのような暴動を起こすとは考えられなかった。

私は当時、あの暴動のニュース聞いて快哉を叫ぶどころかこれで沖縄返還が遅れるのではないかと非常に心配したものです。米軍の報復だってあり得た。焼き討ちされた80台以上の車両の賠償は誰がやったのか、おそらく日本政府ではないかと私は推察するのですが。それにしても佐藤栄作総理大臣は偉かった。三島を狂人呼ばわりしたのを除いては。

三島が自決したのは沖縄返還問題も大きな要因となっていますので、沖縄とも因縁が深いなと今さらながら思います。果たして現在、幾人の日本人がそして沖縄の人があの檄文を知っているのでしょうか。この場でそれを紹介するのは三島を冒涜するのではとの思いもありますが、山崎氏の引用に曲解されないよう、また現在の日本が三島が予言した通りになっているのを思えば、改めてふり返ってみたい「檄文」だと思いますので最後の部分のみ抜粋紹介します。
返信する
「檄」 (太平山)
2010-05-17 22:00:00

―三島由紀夫「檄」―

「・・・沖縄返還とは何か?
本土の防衛責任とは何か?
アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。
あと二年の内に自主権を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。

われわれは四年待った。
最後の一年は熱烈に待った。
もう待てぬ。
自ら冒涜する者を待つわけにはいかぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
共に起って義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に、戻してそこで死ぬのだ、生命尊重のみで魂は死んでもよいのか、生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。
日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
もしいれば、今からでも共に起ち、共に死なう。
われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇ることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」

http://www.kokubou.com/document_room/rance/rekishi/seiji/mishima_geki.htm
返信する
陸軍海上挺進隊の戦果 (敢闘軍)
2010-05-17 22:31:38
昭和20年1月9日夜半、ルソン島リンガエン湾スアルから出撃した、
大日本帝国陸軍海上挺進第十二戦隊のマルレ艇約40隻は、
ウィルキンソン中将指揮する米上陸部隊に奇襲攻撃を実施して
多大の戦果を挙げて僅か2名の生存者を除いて玉砕した。

大型歩兵揚陸艇LCI(L)365号、同974号、戦車揚陸艦LST674号沈没
駆逐艦フィリップ、同ロビンソン、同イートン大破
駆逐艦リーズ、同ホッジス中破
輸送船ウォーホーク大破、貨物船アルサイアニ中破
LST601号、同610号、同625号、同1025号、同1028号大破
同558号中破

他の資料によれば、更に
LST952号大破、貨物船コアホーブ大破
LCI(L)984号沈没

☆これだけの損害に懲りた米軍は、沖縄戦では発進基地を事前に徹底的に叩く方針に出た。
このため、海上挺進隊の基地であった慶良間列島への侵攻を先に実施し、悲惨な集団自決を招くこととなったのである。

辛うじて、第2戦隊第1中隊の4隻が3月28日朝に出撃したのみで、
LCI(L)588号を損傷させただけであった。

返信する
Unknown (狼魔人)
2010-05-17 22:45:33
猪さん

>生々しい米軍の兵士2名・士官一名の上陸時の写真が有り驚きました、戸籍簿らしきものも忠魂碑の横に有りました。

「残虐非道の日本軍」というイメージ作りに躍起にんるサヨクネットワークが、必死になって「座間味村史」を捏造したのだが、その虚飾を暴いたのが一人の老婦人である、その老婦人の証言を証明したのが敵である米軍が写した写真である、というのも不思議な巡り合わせですね。

これこそ天の配剤ですかね。


義挙人さん

公的刊行物がこの有様では、これらを元に書かれた膨大な数の沖縄戦記も根本から洗い直す必要がありますね。


石原昌光さん

いやー、「亀さん」の戦争体験談、興味深いですね。 「亀さん」が生きのびようと必死にもがく姿を、戦後に生きる誰もが、立場の左右を問わず、責めることはできません。

それにしても石原さん、表現力が豊かですね。

より多くの読者の目に触れて欲しいので、近々本文で紹介させてください。


Unknownさん

誤字のご指摘ありがとうございます。他にも気がついた点があれば教えてください。


太平山さん

山崎氏が話題になっているようですね。(笑)

元々保守系の人で、以前は沖縄の「反戦平和教育」を口汚く罵っていました。 沖縄シンパに豹変したのは「集団自決訴訟」の頃からです。

元々思想には関係なく大江健三郎を尊敬したようですが、曽野綾子がその著書で大江批判をして以来、曽野批判を開始し、結果的には沖縄の「反戦平和」を擁護するようになった鵺(ぬえ)のような人物です。

大江を擁護する成り行きで「反戦平和」を擁護する文を琉球新報に寄稿し、沖縄蔑視から沖縄シンパに豹変した人物です。

新報は新報で、「右派の評論家でも反戦平和の理解者だ」と言う名目で、彼の沖縄へ媚びる文に食いついたダボハゼというのが琉球新報と氏の関係です。

以前、当日記でも彼の「曽野綾子批判」をドンキホー手と批判したら恨みに思ったのか「無知幼稚な狼魔人日記」とブログの表紙に貼り付けています。(笑)



敢闘軍さん

情報ありがとうございます。

マルレのルソン島での戦果と慶良間島集団自決の関係は興味深いですね。

返信する
Unknown (涼太)
2010-05-18 01:30:39
狼魔人様

拙いコメントの紹介ありがとうございます。
私も沖縄勤務時代に、戦争の直接体験者のオジー、オバーの話を聞いています。オジーは戦争で満州に行き、オバー達は家族、集落の人たちと沖縄北部に疎開したそうです。オジーは言います。「日本のため一生懸命戦った。」と。石原様が仰るように戦前生まれのオジー、オバー達には日本軍に対する恨みつらみは無く、むしろ毅然としています。
宮平秀幸さん、大城澄江さんの姿に沖縄のオジー、オバーの事を思い出しました。最近は足腰も弱くなって、農作業にも出ていないと聞いています。
オジー、オバーにもう一度会いたいですね。
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