琉球新報 社説 2006年10月16日
いじめ苦の自殺・担任が誘発とは言語道断
なんとも痛ましい“事件”が続く。北海道の市立小学校の教室で首つり自殺した6年生の女児が「きもちわるかったですか」といじめを示唆する遺書を残していたことが分かり、衝撃を広げたが、今度は福岡県の町立中学校のトイレでズボンをずり下ろされるいじめを受けた2年の男子生徒が「もう生きていけない」と走り書きのメモを残し、自宅倉庫で首をつった。
福岡のケースは、1年時の担任がいじめを誘発しており、より深刻だ。学校側は生徒の両親に謝罪したが、指導する立場にある教師がいじめを誘発するとは言語道断である。調査し、真相を明らかにしてもらいたい。
北海道の女児は自殺した教室に計7通の遺書を残していた。「6年生のみんなへ」と題された遺書には「きもちわるかったですか?私は、みんなに冷たくされているような気がしました」と記されており、いじめがあったことを示唆している。
また「学校のみんなへ」との遺書には「なぜか私の周りにだけ人がいない。『キモイ』と言われてつらかった。差別され、ほとんどの人が信じられなくなった」と切実な訴えがつづられていた。女児が疎外感や孤独感にさいなまれ続けていたことがうかがえる。
自殺した2人は十代前半だ。あまりに短い人生である。将来への夢や希望もあったはずなのに、自ら命を絶つほどに追い込まれた無念さ、悲しみを思うと居たたまれない。
いじめた児童・生徒らとその両親、担任の教師ら学校側、さらに教育委員会、同級生らも事の重大さを正面から受け止め、深く反省してほしい。 いじめは陰湿かつ悪質である。長期にわたればなおさらで「悪ふざけの範囲」「気付かなかった」では済まされない。傍観と放置はいじめを助長するだけだ。
こんなにつらい目に遭っているのに、誰も助けてくれない―そんな思いでいる児童・生徒は少なくないだろう。見て見ぬふりはやめよう。勇気と行動が彼らを救うことにつながるのだから。 (10/16 9:42)
琉球新報の今朝の社説は「いじめ自殺」を取り上げた。
いじめを単なる教育問題ではなく社会問題としていち早く社説で論じたのは評価したい。
だが「いじめ苦の自殺・担任が誘発とは言語道断」と勇ましい見出しの割には内容は一般論過ぎる。
「いじめた児童・生徒らとその両親、担任の教師ら学校側、さらに教育委員会、同級生らも事の重大さを正面から受け止め、深く反省してほしい」と責任を負うべき当事者を数多く書き並べては逆に責任の重大さが薄まってしまう。
責任所在の焦点がボケるというヤツだ。
≪赤信号みんなで渡れば怖くない≫ ビートたけし