狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

韓国国歌と「満州国の繁栄」

2006-03-12 10:23:30 | 歴史

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日本ほど自分の国歌を疎かにする国は無い。

未だに国歌斉唱時に起立するのを拒否するある種の組織の日本人もいる。

又君が代は「相撲の歌」だと本気で考えていたという笑い話さえある。

そんな中トリノ五輪で荒川静香選手が表彰台で国家を歌ったと云う事が話題になった。

その点韓国における国歌に対する愛着は日本の比ではない。

その韓国国歌が今反日の象徴にされかかっている。

         ◇         ◇         ◇

どの国の国歌も自由にネット上で検索し歌詞やメロデーを転載する事が出来る。

勿論「君が代」も例外ではない。

が、唯一その例外があった。  韓国、いや、大韓民国国歌「愛国歌」がそれ。

最近まで韓国国歌には著作権料が絡んでいたというのだ。

元々韓国の国歌は、作詞者は不明であったが、20世紀初頭から「愛国歌」として蛍の光のメロディーに乗せて歌われ始めた。

その後、作曲家・安益泰(An Iktae。1905~65年)が新たなメロディーを作曲して管弦楽曲「韓国幻想曲」の終曲にベートーベンの第九を倣って合唱曲にした。

1948年の大韓民国独立後に彼が李承晩大統領へこの曲を持ち込んだことにより正式に大韓民国の国歌となった。

そして彼が死んだ1965年、韓国の文化勲章・大統領賞が授与された。

ここまでは韓国の誇る大作曲家が作曲した「愛国歌」が国歌となる経緯としては何の問題も無い。

ところが「愛国歌」は、国歌としては余り他の国に例を見ない経緯を辿って行くことになる。

この十年来、韓国では国歌の現在の著作権者たる安の遺族に対して2015年まで国歌使用料を払い続けることになっていた。

最近、韓国政府がこの著作権を買い取る方針を明らかになり、韓国政府と安の遺族を非難する声が韓国内で沸きあがった。

この動きを見たのか、現在スペイン在住のスペイン人で、安の90歳になる未亡人と三人の遺族は、国歌の著作権を放棄することを韓国政府に申し出た。

その代償として、作曲者・安を韓国の独立活動家と認定して欲しいと要望した。

韓国政府は、この遺族の申し出に感謝するとともに、安を独立義士と認定し、韓国国立芸術大学の音楽ホールを安益泰ホールと改称する意向を表明した。

ここまでは「国民的大作曲家が愛国の「国家」を作り、その権利放棄に伴って「独立義士」として国が称える」・・・という、話である。

韓国好みの美談仕立てに話は終わろうとした。

・・・が、事態は意外な展開を見せる。

中国や韓国が最も嫌うのが13年で消え去った「満州国の繁栄」だ。

その「満州の繁栄」を検証する中から或る事実が浮かび上がってきた。

ベルリンのフンボルト大学で韓国人学生によって一巻のニュースフィルム発見された。

この発見が国歌騒動の発端であった。

1942年の満州国建国10周年記念コンサートが友好国ドイツの首都ベルリンで行われた。

その時、安が作曲した祝賀曲を演奏するベルリン・ラジオ交響楽団を、安が指揮している姿がそのフィルムに映っていたのだ。

安は独立義士だったのか、それとも日帝の走狗だったのか。 

そして韓国の国歌が安の曲「愛国歌」でいいのか、という議論にまで発展する気配だ。

折りしも韓国では親日的人物の子孫から財産を没収するといった「親日・反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法」が立法化されたばかりだ。

          ◇         ◇          ◇

安は平壌生まれであり、1921年正則中学校に入学、その後東京の国立音楽学校(当時の正式名は東京高等音楽学校)でチェロを専攻した。

1930年渡米し、フィラデルフィアのカーチス音楽学校に入学、その後シンシナティー音楽学校でチェロと作曲を専攻した。

1935年か36年に上記韓国幻想曲を作曲。

その後1938年頃にドイツに渡り、ベルリンでリヒャルト・シュトラウスに作曲と指揮を師事します。そして亡くなるまで、主として欧州で音楽活動を続ける。

アジア人で唯一リヒャルト・シュトラウスに学んだ作曲家だ。

1939年、ブダペスト音楽学校に入学し、卒業後指揮者として各国を回り、ウィーン交響楽団、ベルリン交響楽団、ローマ交響楽団、ブダペスト交響楽団で指揮した。

第2次世界大戦後スペインへ移住して現地の女性と結婚、スペイン国籍を取得した。

その間、安は200回以上オーケストラを指揮をしましたが、最後は必ず韓国幻想曲の終曲の演奏で締めくくったという。

         ◇          ◇          ◇

満州国は、1932年から1945年の間、満州(現在の中華人民共和国東北地区および内モンゴル自治区北東部)に存在していた国家である。

第二次世界大戦(大東亜戦争)での日本の敗戦とともに消滅した。

安益泰は1905年に生まれて1965年に死亡している。

満州国成立の年には27歳、満州国消滅の年には40歳である。

音楽家としては最も油の乗り切った時期である。 その間に日本の友好国ドイツに音楽留学もしておりドイツの誇り、リヒャルト・シュトラウスに作曲と指揮を師事している。

当時の韓国・北朝鮮は日本の植民地であり、安の恵まれた音楽経歴は日本人でも珍しいものである。

日本或いは満州国の後援があったと疑われても仕方が無い。


        ◇         ◇         ◇

◆「親日派」糾弾、韓国で活発化 国歌作曲者に満州賛美の疑惑

 【ソウル=黒田勝弘】韓国の国歌である「愛国歌」の作曲者に"親日疑惑"が提起され、一部では国歌変更まで取りざたされている。韓国国歌の作者として知られる安益泰(1905-65年)が戦前、満州国をたたえる交響曲「満州国」を作曲し、これを満州建国10周年の記念コンサートで演奏・指揮したことなどが「日本帝国主義をたたえる反民族的な親日行為だ」として問題になっているものだ。

 韓国で活発な親日派糾弾の"過去ほじくり"がついに国歌にまで及んだものだが、問題が国歌の作曲者だけにマスコミなど世論は今のところ戸惑い半分で、「十分な調査が必要」と慎重な姿勢だ。


 ただ、韓国の戦後史批判など"過去清算"に熱を上げている親北・左派勢力には好材料で、新たな論争点になりそうだ。


 故人の"親日疑惑"は最近、韓国人音楽研究者がドイツ連邦文書保管所で当時の記録フィルムを見つけたとして、韓国の音楽雑誌に論文を寄稿して明らかになった。


 記録フィルムによると、問題のコンサートは1942年、ベルリン・フィルハーモニーの演奏会場で開かれ、安益泰はベルリン放送楽団と合唱団を指揮して自作の「満州国」を演奏した。会場には、満州国旗を左右にして大きな日章旗が掲げられていたという。


 また、交響曲「満州国」の重要な部分には、後に韓国国歌になる「愛国歌」を盛り込んだ安益泰の代表作「コリア・ファンタジー(韓国幻想曲)」の旋律の一部がそのまま使われ、これも非難の対象になっている。


 安益泰は戦前、日本の音楽学校を卒業後、さらに米国フィラデルフィアやウィーンなどで学んだ。スペイン人女性と結婚し、戦後もヨーロッパを中心に音楽活動を続けた。戦後、韓国国歌になった「愛国歌」の作者だったため、最近その著作権が話題になり、スペイン在住の遺族たちが著作権を韓国に寄贈すると発表している。


 韓国では近年、日本統治時代の対日協力者をあらためて糾弾する"親日派狩り"が盛んで、韓国を代表する詩人・徐廷柱や画家・金基昶(いずれも故人)らも戦時中の"戦争協力作品"が問題になっている。


 音楽でも最も人気のあった歌曲「先駆者」が作曲者の"親日疑惑"が指摘され、最近は歌われなくなった。


【2006/03/11 東京朝刊から】(03/11 08:54)



◆韓国で親日派子孫の財産没収、特別法を基に仮処分申請

 【ソウル=平野真一】韓国の検察当局は9日、日本の植民地統治に協力した、いわゆる親日派の子孫から不動産を没収する準備として、これらの不動産の売買などを禁じる仮処分申請を裁判所に提出した。

 国会で昨年末に成立した「親日・反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法」に基づく措置で、親日派の財産没収に向けて仮処分申請が取られたのは初めて。ただ、実際に没収されるまでには、大統領直属の調査委員会が没収対象を確定する必要がある。 日本は1905年に日韓保護条約(乙巳条約)締結を強要し、韓国を保護国化。45年8月15日の日本敗戦まで韓国を植民地統治した。同条約に韓国代表の一人として調印し、日本から爵位や褒賞金を与えられた李完用(イ・ワンヨン)ら大臣5人をはじめとする対日協力者が親日派と呼ばれ、民族最大の裏切り者とされている。

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は歴史の見直しを推進。その一環として、与党ウリ党の主導で韓国国会は2005年12月、親日派が対日協力の見返りとして得たり、その子孫が相続した土地などの財産を国家が没収する特別法を制定。法曹関係者ら9人から成る調査委が今年上半期中に発足する運びとなっている。

 今回、検察当局が仮処分を申請したのは、李完用ら親日派3人の子孫が所有する土地など計約5280平方メートル。子孫が特別法制定前に起こした所有権確認訴訟で勝訴が確定したため、善意の第三者に売却された場合に没収できなくなるのを防ぐのが目的だ。

 正確な統計はないものの、親日派の人数は約400人、彼らが対日協力の代価として日本からもらった褒賞金だけで時価にして約1200億ウォン~4200億ウォン(1ウォンは約0・12円)に及ぶと見られている。

(2006年3月9日22時12分 読売新聞)



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1 コメント

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Unknown ( )
2011-10-29 22:27:35
大変興味深い記事を拝見しました。
ただ一点、
『韓国・北朝鮮は日本の植民地であり~』
の部分について。
あれは『併合』でしたから、植民地ではなく日本の一部でした。
『植民地』という表現ですと、朝鮮人に付け入る隙を与え、また対外的にも印象が悪くなります。
長々と済みませんでした。
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