狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

世界の学界も「性奴隷」を否定した

2015-05-21 00:10:49 | 従軍慰安婦

 

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良く考えたら お前を雇ってた朝日新聞が捏造だって言ってたんだけど??
http://hannichigukoku.info/blog-entry-8733.html
左翼得意の論点ずらし!慰安婦の強制性は無かった事を認めろよ ~ 元朝日記者植村隆氏が札幌で講演 「私をバッシングして慰安婦問題をなくそうとしている」と分析 【反日愚国 恨寓瘻】 (via worldwalker2)

(windsockから)

 18:16

同時投稿 世界の学界も「性奴隷」を否定した

池田 信夫

世界の歴史学者の「日本の歴史家を支持する声明」という安倍首相に対する公開書簡への賛同者が457人に増えた、と各メディアが報じているが、これは朝日新聞の誤報から始まった「性奴隷」説を否定するものだ。全文(日本語版)を引用しておこう。
下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第二次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するものであります。私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります。この声明は、日本と東アジアの歴史をいかに研究し、いかに記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。

また、この声明は戦後七〇年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに七〇年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。

しかし、これらの成果が世界から祝福を受けるにあたっては、障害となるものがあることを認めざるをえません。それは歴史解釈の問題であります。その中でも、争いごとの原因となっている最も深刻な問題のひとつに、いわゆる「慰安婦」制度の問題があります。この問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。そのために、政治家やジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的であるべき、人間と社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。

元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなります。しかし、同時に、彼女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることも、また受け入れることはできません。二〇世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきものであります。

「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されましたし、各地から女性を調達した業者の行動はそもそも記録されていなかったかもしれません。しかし、女性の移送と「慰安所」の管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家によって相当発掘されていますし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体は一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。

「慰安婦」の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。

歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません。

日本の研究者・同僚と同じように、私たちも過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史的文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族やジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操作や検閲、そして個人的脅迫からも自由でなければなりません。私たちは歴史研究の自由を守ります。そして、すべての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけます。

多くの国にとって、過去の不正義を認めるのは、未だに難しいことです。第二次世界大戦中に抑留されたアメリカの日系人に対して、アメリカ合衆国政府が賠償を実行するまでに四〇年以上がかかりました。アフリカ系アメリカ人への平等が奴隷制廃止によって約束されたにもかかわらず、それが実際の法律に反映されるまでには、さらに一世紀を待たねばなりませんでした。人種差別の問題は今もアメリカ社会に深く巣くっています。米国、ヨーロッパ諸国、日本を含めた、十九・二〇世紀の帝国列強の中で、帝国にまつわる人種差別、植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦しみに対して、十分に取り組んだといえる国は、まだどこにもありません。

今日の日本は、最も弱い立場の人を含め、あらゆる個人の命と権利を価値あるものとして認めています。今の日本政府にとって、海外であれ国内であれ、第二次世界大戦中の「慰安所」のように、制度として女性を搾取するようなことは、許容されるはずがないでしょう。その当時においてさえ、政府の役人の中には、倫理的な理由からこれに抗議した人がいたことも事実です。しかし、戦時体制のもとにあって、個人は国のために絶対的な犠牲を捧げることが要求され、他のアジア諸国民のみならず日本人自身も多大な苦しみを被りました。だれも二度とそのような状況を経験するべきではありません。

今年は、日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です。四月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。

過去の過ちを認めるプロセスは民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養います。「慰安婦」問題の中核には女性の権利と尊厳があり、その解決は日本、東アジア、そして世界における男女同権に向けた歴史的な一歩となることでしょう。

私たちの教室では、日本、韓国、中国他の国からの学生が、この難しい問題について、互いに敬意を払いながら誠実に話し合っています。彼らの世代は、私たちが残す過去の記録と歩むほかないよう運命づけられています。性暴力と人身売買のない世界を彼らが築き上げるために、そしてアジアにおける平和と友好を進めるために、過去の過ちについて可能な限り全体的で、でき得る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではありませんか。
コアの主張は太字で示した部分だけで、英語版では次のようになっている。
Some historians also dispute how directly the Japanese military was involved, and whether women were coerced to become “comfort women.” Yet the evidence makes clear that large numbers of women were held against their will and subjected to horrific brutality. Employing legalistic arguments focused on particular terms or isolated documents to challenge the victims’ testimony both misses the fundamental issue of their brutalization and ignores the larger context of the inhumane system that exploited them.
「強制連行」も「性奴隷」も消えて、「大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされた」というだけの表現になっている。これは河野談話(日本政府の見解)と同じである。戦時中に人身売買などの「強制的な状況」はあったが、日本政府や軍が強制したという証拠は存在しない。これが世界の学問的なコンセンサスだから、安倍首相が戦後70年談話で言及するとしても「河野談話を継承する」というだけで十分である。
 

池田信夫 blogより抜粋。

元朝日新聞の植村隆氏が、あちこちに訴訟を起こしている。今週は櫻井よしこ氏とWiLLを相手に起こし、他にも多くの内容証明を送っているようだ。私には来ていないが、彼が『世界』2月号で私の『朝日新聞 世紀の大誤報』に反論しているので、お答えしておく
 
 

 

 

  
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コメント (15)    この記事についてブログを書く
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15 コメント

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声明についての検討1 (ayumi61)
2015-05-21 01:41:10
ご紹介ありがとうございます。例によって、ちょっとだけ検証させていただきます。

>また、この声明は戦後七〇年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに七〇年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。

この文からは、戦後70年の日本の歩みについては、概ね肯定的なスタンスをとっていることが分かります。

>この問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。そのために、政治家やジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的であるべき、人間と社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。

この文では「日本と韓国と中国の民族主義的暴言」を一緒くたにして批判しています。いわゆる「両非論」ですね。
日本の保守陣営からすればたまったものでは無いですが、この声明への賛同者が457人に増えた、ということは、現在の世界の潮流は「両非論」に傾きつつある、ということです。これは、以前の「日本の民族主義者が悪い」という以前の潮流からすれば、それが「両非論」に変わりつつある、ということが分かります。

ちなみに、皆様周知の通り、中国・韓国の歴史観というのは「名分論」によって成り立っています。つまりは、彼らの言う「正しい歴史認識」というのは、「(自分達がこうあれべきだと考える)歴史認識」のことになりますので、このような「両非論」は断じて受け入れることができません。この声明文を正確に読んだら、中国・韓国の歴史学者・政治家は火病を起こします。
ただし、中国の場合は、「打算」で動きますので、都合よくつまみ食いをして日本批判につなげるでしょうが、韓国の場合は「感情」で動きますので、これは確実に発狂します。

よく言われるのが、歴史というものについて「日本はファクト、中国はプロパガンダ、韓国はファンタジー」と認識している、ということです。そういうわけで、中国・韓国には「両非論」は通用しません。

上述の声明が物足りなさを覚えるのが、この457人の歴史学者が、そのような事情を正確に把握している、とはとても思えないことです。そういう事情があるので、このような「両非論」を持ち出されると、日本の保守陣営は思わずイラついてしまうのですが、ここはとりあえず、世界の潮流が「両非論」までやってきたことを喜んでください。
放っておけば、どうせその内「両非論」にぶちぎれた韓国がまた何かやらかして信用を損ねてくれますので、ここは黙って、韓国が自爆するのを待っていればいいと思います。

>元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなります。

これは、韓国に対する批判です。それも、割と激烈な批判です。世界の歴史学者が、「韓国の民族主義的暴言」にかなりの不信感を抱いている事が分かります。

>しかし、同時に、彼女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることも、また受け入れることはできません。二〇世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきものであります。

これは、「日本の民族主義的暴言」に対する批判です。この声明が「両非論」の立場に立っている、ということが良く分かりますね。
こういうことをいわれると、日本の保守陣営がいらだつのは、「何で日本の慰安婦制度ばかり、極度に”特筆すべきもの”と特別扱いするのか。他国の制度なり性犯罪なりと比較して、特別扱いされるような非道な事はしていない。むしろ、他国の方がもっと酷い事をやっているではないか?」という反発心がわくからです。
この反発心は当然で、「他国の方がもっと酷い事をやっていた」というのは事実です。しかしながら、それをやると、まさに河野洋平氏が言っているように「自分達が万引きしてそれを咎められているときに、他の連中もしているだろう、と言い立てるのはおかしい」とみなされることは確実で、今まで現にそういう扱いを受けてきたわけです。よって、今はこういう反論をするためべきではない、まだそのための機が熟していない、といわざるを得ません。

なぜかというと、今は中国・韓国のプロパガンダのせいで、「日本が慰安婦の件で謝罪も賠償も済ませている。それなのに、中・韓がその事実を隠蔽して、謝罪と賠償のお替りをしようとしている」という事実が世界に浸透していないからです。この誤解がある限り、上の反発をしても、自分達が万引きしてそれを咎められているときに、他の連中もしているだろう、と言い立てるのはおかしい」という反応をされるのは当然です。

厄介なのが、中国・韓国のプロパガンダによると「日本はナチス紛いの犯罪行為を犯した国であり、その事実を否認しようとしている」とみなされていることです。こういうレッテルをはられると、何をいっても聞く耳もってもらええなくなります。
もちろん、トニー・マラーノ氏や、ケント・ギルバート氏、マイケル・ヨン氏のように、中国・韓国がとんでもない嘘をついている、という事実を正確に認識している相手になら、先の反発をしても素直に話を聞いてもらえます。ですが、そこを誤解している相手だと、何をいっても聞く耳持ちません。
よって、まずは中国・韓国が垂れ流している「日本はナチス紛いの犯罪行為を犯した国であり、その事実を否認しようとしている」というプロパガンダを何とか打ち消さなければなりません。このプロパガンダが効力を発揮している限り、何をやっても日本の立場は悪化するばかりです。

もちろん、実際には、マイケル・ヨン氏が指摘しているように「どうゆうわけか中国人が南京大虐殺やセックス奴隷について言うと,米国の大学のキャンパスでは皆がそれを信じる.中華人民共和国がチベットについて嘘を言っていることは,これ以上無いくらいに皆がよく知っていることだ.一方で我々の高等教育機関は,中国が日本について嘘をついているときはいとも簡単に「担がれモード」にスイッチする.」のが現実です。
世界の人々は皆「中国・韓国人が途方もない嘘つきだ」ということは百も承知しているのですが、それでも「中国(韓国)が日本について嘘をついているときはいとも簡単に「担がれモード」にスイッチする」というのが現状です。まあ、「他人を見たら嘘つき(泥棒)と思え」というのが世界の常識ですから、欧米人から見たら「(非キリスト教国家である)日本のことなど信用できない」というのが本音です。
キリスト教だと「モーゼの十戒」がありますので、「うそをつくな」「盗むな」という「戒律」がありますが、そのキリスト教に服していない異教徒は彼らからすれば「嘘つき」「泥棒」なのです。基本的に、「非キリスト教徒である日本民族は嘘つき・泥棒民族だ」ぐらいに思っている、と思っておけば大体正解です。
もちろん中国人・韓国人に対しても大体同じ認識ですが、こと慰安婦問題に関しては「人が自分が信じたい事を信じる」のが常ですので、容易く「かつがれモード」になるわけです。彼らは、中国・韓国ではなく「自分が信じたい事を信じている」わけです。

実は、このプロパガンダの打ち消し方については、まさにマイケル・ヨンJPに上手い方法が教授されていますが、ここでは省略します。

続きは次のコメントでやります。
返信する
上の続き。ようやく世界が「河野談話」の水準に追いついた、といえると思います。 (ayumi61)
2015-05-21 02:29:47
続きです。

>「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されましたし、各地から女性を調達した業者の行動はそもそも記録されていなかったかもしれません。しかし、女性の移送と「慰安所」の管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家によって相当発掘されていますし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体は一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。

これは先に述べた、『「日本の民族主義的暴言」に対する批判』の続きです。この声明は「日本による慰安婦制度は、『二〇世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、…特筆すべきものであります』という認識に立っていますのでこういう言い方になります。正直に言って腹がたってくるのですが、「人は自分が信じたい事を信じる」生き物ですので、こうなります。

>「慰安婦」の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。

ここは、IWPなどの研究成果をふまえてこういう言い方をしているわけです。ちなみに、先月の韓国政府が「慰安婦の人数については、正確な人数が把握できていない」という発表をしていましたが、それとも呼応していそうです。

>しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。

「何万人であろうと何十万人であろうと」←早い話が、彼らの中では、主観的には中国・韓国の言い分を信じている、ということが分かります。ただ、それを裏付ける資料がない、ということと「実態はどうあれ、日本が悪い」という主張を変える気はない、ということが分かります。
つまり、この人たちは「日本帝国はナチス紛いの犯罪国家だった」という認識を抱いている、ということは抑えておいたほうがよいでしょう。

>歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません。

この文は、確かに池田氏が言うように、「戦時中に人身売買などの「強制的な状況」はあったが、日本政府や軍が強制したという証拠は存在しない。」という意味ではあります。ですが、それだと吉見義明氏の見解と何ら変わりはないのですが、何か違いはあるのでしょうか?

結論からいえば、何の違いもありません。というのは、この文章は「日本政府や軍が強制したという証拠は存在しないが、しかしながら、戦時中に人身売買などの「強制的な状況」はあったのだから日本が悪い。日本はこの点について反論してはいけない」といっているからです。この主張は、吉見氏の見解と全く同じです。つまりは、この声明では、吉見氏と全く同じ立場に立って日本政府を糾弾しているのです。

ちなみに、上の見解は、池田氏が指摘されているように「河野談話」(日本政府の見解)と同じです。ですので、確かにこの声明にまともに答える、という観点からすれば、確かに、「安倍首相が戦後70年談話で言及するとしても『河野談話を継承する』というだけで十分である。」のは事実です。その意味では「ようやく世界が『河野談話』に追いついた」という言い方をすることもできます。やっと世界が「河野談話」を認めてくれるようになったのでね。いや、先は長いです。

こういうと、保守陣営はブチぎれるはずです。気持ちは分かります。分かりますが、クラワスワミ報告やマクドゥーガル報告書やマグロービル社の教科書を見れば分かるように、そもそも今までの世界は「河野談話」の水準まで達していなかったのです。つまりは、いわゆる「被害者」の言い分を丸呑みにして、あたかも「日本政府や軍が強制したという証拠は存在する」かのように扱かわれてきたのが現状です。
それがようやくにして、「日本政府や軍が強制したという証拠は存在しない」「慰安婦の人数を正確に確定する事はできない」というところまで来たわけです。それが世界の現実です。

もちろん、先の声明文は吉見氏と同様に、「日本政府や軍が強制したという証拠は存在しないが、しかしながら、戦時中に人身売買などの「強制的な状況」はあったのだから日本が悪い。日本はこの点について反論してはいけない」といっているわけですから、日本にとっては甚だ面白くはありませんが、こういう話であれば確かに「河野談話」以上のものは必要ありません。
今までは「河野談話」では足りない、と言われ続けてきたわけですから、間違いなく「一歩前進」ではあるのです。この点は、池田氏の認識が正確です。

後の文章は省略します。言っていることは、上述の通りですから、大体吉見氏が言いそうな事をいっています。

これだけ見ると、一見絶望的に見えますが、そうでもありません。というのは、既に述べたように、はじめの方で「両非論」を出していますし、終わりの方では「河野談話」と同じ認識にたっていますので、こんなものであの韓国人が納得できるわけがありません。確実に火病を起こして大暴れして、また盛大に自爆をすることが目に見えています。つまり、ここまでくれば、後は勝手に韓国が戦況を不利にしていってくれることが目に見えています。

よく、Kの法則として、「韓国が味方についた陣営は負ける」といわれますが、当たり前ですね。これで火病を起こして自滅すると、一番迷惑を蒙るのは中国です。中国単体であれば、ここはおとなしく「我田引水」して勝手に勝利宣言して終わりにしてしまうのですが、韓国が絡むとそうはいきません。まず間違いなく、火病→自爆→信憑性失う、のコンボが炸裂します。
日本が何もしない限りそうなるのは確実です。そして、まず日本は何もしません(せいぜい、河野談話の精神を全体として引き継ぐ、という従来の見解を繰り返すだけ)ので、このコンボは確実に炸裂します。

こうしてみると、甚だ先は長いですが、今までが今までですので「辛抱が第一。長期戦に持ち込めば持ち込むほど、少しずつ戦況は有利になるので、辛抱強く戦うべし」ということです。「歴史戦」の戦いを放棄しては駄目ですが、焦りも禁物です。もっとも、今の安部政権の方針を維持すれば、そのうち韓国が自爆して、少しずつ日本に有利になっていくだろう、というのが見えていますので、特段焦る必要は無い、というのが私の結論です。
返信する
「良識のある人物」の説得は、マイケル・ヨンJPで。 (ayumi61)
2015-05-21 02:52:11
先ほど省略した、「このプロパガンダの打ち消し方について」をここで紹介したいと思います。「マイケル・ヨンJP」の記事からです。

日本について
http://michaelyonjp.blogspot.jp/2015/03/blog-post_14.html

>良識有る人物と靖国や慰安婦,また中国がたくらんでいることについて話すとき,目から鱗がおちるようにすぐに理解してくれることは興味深い.

ここで「良識ある人物」とわざわざ書かれていることに注意してください。ということは、つまり「良識のない人物」の場合は駄目だという事です。「良識のない人物」の場合は、すぐに先にあげた「担がれモード」にスイッチしてしまいますので、まず聞く耳もってくれません。

もちろん、大多数の米国人が「中国(韓国)は嘘つきだ」と思っています。しかしながら、それと同じぐらいに「日本は嘘つきだ」とも思っています。
理由は簡単で「キリスト教(とそれに付随するモーゼの十戒)を信じていない連中が嘘つきでないわけがない」と思っているからです。「モーゼの十戒」はユダヤ教徒も共有していますので、ユダヤ教徒には比較的信を置いていますが(もちろん例外はあります)、キリスト教・ユダヤ教徒以外の人々については、全く信を置いていない、というのが多くの米国人の基本的スタンスです。ですので彼らからすれば、日本人と韓国人と中国人は、大体同じぐらいとんでもない嘘つき集団です。

ただし、それでも米国やその他の欧米諸国が比較的信用できるのは、それらの国々が「自由の国」であり、つまりは「例外」が多い、ということです。つまり、原則としては上に述べた通りなのですが、その原則に囚われない、原則から外れた「例外」の存在がものすごく多い、というのが欧米諸国の強みなのです。ですので、マイケル・ヨン氏のいう「良識ある人々」の存在に、それなりの期待ができる、というのが希望の意図です。
もちろん、実際には「良識ある人々」の数は決して多くはないのですが、それでも「少数ではあるが、確実に存在する」ことは期待していい、ということです。民主主義は「多数決の論理」で動きますので、政府レベルではなかなか動かない、という事情はここにあるわけですね。

さて、その「良識ある人物」の説得の仕方ですが、続きは上の記事を読んでください。すごく参考になると思います。
返信する
よくみたら、先の声明、戦後の日本について過剰なまでにべた褒めです。 (ayumi61)
2015-05-21 03:28:35
先の声明をみて、一つ面白い事に気がつきました。それを述べたいと思います。

>また、この声明は戦後七〇年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに七〇年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。

よくみたら、この声明、「戦後の日本国の歩み」に関したら、べた褒めしていますね。「全てが世界の祝福に値する」というのは、最上級の誉め言葉といってもいいでしょう。

これもまた、保守陣営をイラつかせるでしょうね。というのは、実はこの文章は戦後の日本を「戦後民主主義の優等生」として賞賛している内容だからです。もっといえば
「軍国主義国家である大日本帝国を潰し、民主主義国家として日本国を作り上げた連合国への自画自賛」であり、「反ファシズム戦争を戦った連合国の正当性」を称揚する内容だからです。これは相当腹立ちます。

甚だしいのは、ここで述べている「戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助」というのは、基本設計こそGHQが作っていますが、それを今のように運用してきたのは他ならぬ日本国民だ、というのを忘れていませんか?と言いたくなることです。
もしも日本国民にその意思と能力が無かったらとっくの昔に崩壊している(アフガニスタンやイラクがその一例です)のですが、実際にはそうではなく、当の日本国民にきちんと運用する意思と能力が備わっていたからこそ「世界に祝福に値する」成果が出せたのだ、というのが事実です。そのことを忘れて、何でもかんでも連合諸国の手柄にしようとしていませんか?ということは正直突っ込みを入れたいところです。

これ以外にも突っ込みどころはありますが、とりあえずこの1点にしておきます。実は、この点を抑えておくと、戦後どうしてアメリカの外交政策が失敗続きだったのか分かります。ベトナムはそもそも負けていますが、それ以外にもアフガニスタンやイラクでも失敗続きです。何故そうなるのでしょうか?

答えは、彼らは戦後日本の民主主義化の成功を、「自分達連合国のおかげだ」と思い違いしているからです。これが大きな間違いで、実際には戦後日本の民主主義が彼らの言う「神の祝福に値する」成果をおさめたのは、実はその大部分が日本人自身の意思と努力によるものなのです。このことを、大多数の欧米人が履き違えています。だから上手くいきっこないのです。

ちなみに、いわゆる昭和天皇による「人間宣言」では、冒頭に「5か条の御誓文」の文言が入っているのですが、その意図は何でも「この5か条の御誓文を見れば、そもそも明治天皇の御代から、日本は民主主義国家を志向してきたことが皆に伝わるから」ということにあったそうです。そして、それをみたマッカーサー元帥がその文言をいたく気に入って「是非そうしてください」と許可を出したというのです。
つまり、マッカーサー元帥は、「日本国は、明治天皇の時代から、民主主義国家を目指してきた国だ」という昭和天皇の主張を受け入れた、ということです。こういう下地があったから、GHQによる戦後日本の民主化政策は上手く言ったのだ、という認識をマッカーサーは抱いていた、と言われています。ただし、このような認識をもっている欧米人は、圧倒的少数派である、ということは知っておいたほうがいいと思います。

まあ、大多数の欧米人が戦後日本の「神の祝福に値する」成果を出してきた事について恩着せがましいことを思っているわけですが、この辺は我々としては意に介さず、昭和天皇やマッカーサー元帥が認識していたように「そもそもその下地が明治時代より敷かれていたこと」と、「その成功の要因の大部分は、日本国民による不断の努力によるものである」ということをきちんとおさえておけばよいのではないか、と思います。
返信する
Unknown (東子)
2015-05-21 09:26:37
「大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされた」の部分をもって、日本を貶めたいがために、日本は謝罪すべきという勢力はまだまだ出てくるだろう。
が、私達には、「河野談話」がある。
私は、かねてより「河野談話」は保存すべし(破棄するな)とコメントしている。
そのうちに、日本が世界に先駆けて、「自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされた」大勢の女性に謝罪した文書となるからと。

関係者の努力や国民の意識の変化で、「そのうち」は、もうすぐ。
返信する
Unknown (東子)
2015-05-21 09:27:37
ayumi61さま

>これは、「日本の民族主義的暴言」に対する批判です。この声明が「両非論」の立場に立っている、ということが良く分かりますね。
>こういうことをいわれると、日本の保守陣営がいらだつのは、「何で日本の慰安婦制度ばかり、極度に”特筆すべきもの”と特別扱いするのか。他国の制度なり性犯罪なりと比較して、特別扱いされるような非道な事はしていない。むしろ、他国の方がもっと酷い事をやっているではないか?」という反発心がわくからです。
>この反発心は当然で、「他国の方がもっと酷い事をやっていた」というのは事実です。
>しかしながら、それをやると、まさに河野洋平氏が言っているように「自分達が万引きしてそれを咎められているときに、他の連中もしているだろう、と言い立てるのはおかしい」とみなされることは確実で、今まで現にそういう扱いを受けてきたわけです。
>よって、今はこういう反論をするためべきではない、まだそのための機が熟していない、といわざるを得ません。

「今はこういう反論をするためべきではない、まだそのための機が熟していない、といわざるを得ません。」に、大いに賛同します。

彼らキリスト教圏には、次のキリストの言葉があります。
ヨハネによる福音書、第8章の1~11節です。
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イエスはオリーブ山へ行かれた。 
朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、
御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。 
「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。
イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。 
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 
そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。 
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。 
イエスは、身を起こして言われた。 
「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
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彼らの文化を使って彼らを黙らせることは、不可能じゃない(笑)
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Unknown (Unknown)
2015-05-21 09:28:02
ayumi61さま

>よくみたら、この声明、「戦後の日本国の歩み」に関したら、べた褒めしていますね。
>「全てが世界の祝福に値する」というのは、最上級の誉め言葉といってもいいでしょう。
>これもまた、保守陣営をイラつかせるでしょうね。
>というのは、実はこの文章は戦後の日本を「戦後民主主義の優等生」として賞賛している内容だからです。
>もっといえば「軍国主義国家である大日本帝国を潰し、民主主義国家として日本国を作り上げた連合国への自画自賛」であり、「反ファシズム戦争を戦った連合国の正当性」を称揚する内容だからです。
>これは相当腹立ちます。

まさに、私が読んだ感想、ズバリです。
これは相当腹立ちます。
今の日本のまま押し込めておこうと意図さえ、感じさせます。


ayumi61さまは、週間金曜日を読んでいらしたとか(でも、今は、止めたそうで)。
それなのに、よくぞ、ここまで、保守の気持ちがわかってくださいますね。
(という、言い方は言い方は気に障るかしら。褒め言葉ととっていただけると嬉しいです)
もともと、深く思考なさる方なんでしょうね。
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失礼しました (東子)
2015-05-21 09:28:45
↑、東子です。
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Unknown (東子)
2015-05-21 09:29:01
ayumi61さま

>「良識ある人物」の説得の仕方

これが、うまくいくのは、聞き手が「良識ある人物」であることと、自国の文化を卑下しない話し手(説得者)である必要がありますね。
とても興味深い資料をありがとうございます。
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Unknown (東子)
2015-05-21 09:29:23
聞き手が「良識ある人物」であることと、自国の文化を卑下しない話し手(説得者)である必要があることについて、少し思うところを書きます。


「良識ある人物」とは、客観をもてる人物と思っています。
つまり、自国の文化を他国から見てというように、自分を他者の目線から眺められる人物ですね。


私は、中学の保健で、「大人になるとは?」を習いました。
1つは体の成熟。
もう一つは精神の成熟。
精神の成熟とは、主観しか持てない子供から客観がもてるようになること。

日本の教育に「思いやり」というのがあります。
が、それは、相手の考えていることを察して、それに沿う、自分を他者に合せるに重点がおかれています。
揉め事を起こさないようにが基本だから、論争するために、他者の立場に立つ教育はしません。
それでは、対面を気にするために他者の目を意識しても、相手を理解するために他者の立場の立ってみるは、できません。

よく教育者やサヨクが話し合いと言いますが、そもそも話し合える力を子供達につけていません。
相手への従属しか教育していません。


それは、なぜか。
戦後、「平和」を有難がるあまり、「日本が悪い」を強調し過ぎたのです。
その結果、日本国民は、日本の文化、風習、すべてに自信を失い、駄目だと思いこみました。

靖国のことにしても、外国から非難されると、「日本(の文化、風習)は駄目だから……」と、反論する前から、自ら否定したのです。
それでは、相手を説得する以前に気力負け。

ヨン氏は、日本の文化を背景に話せば、理解してもらえる、と説いています。
それには、日本の文化に造詣深くすることは、もちろん、その前に、自国文化に誇りと自信を持たねば、造詣は深くなりません。
まさに、安倍首相が言う「日本を取り戻す」です。


18歳から選挙権。
左翼教師は、18歳までに「9条の大事さ」を植え付けようとしていますが、その前に、客観性を持つ人間を育てるべきと思います。
教育に、政治信条を入れてはいけないというのは、教育は、基礎学力と考える力をつける場であって、洗脳の場でない。

サヨクは話し合いが大事というなら、客観性を持つ子供を育てるべき。
洗脳で異論を許さない環境で育った子供は、話し合いなんて力、つきませんから。
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