【兵庫】沖縄県人会兵庫県本部(喜納兼一会長)の第62回定期大会が15日、尼崎市立労働福祉会館大ホールで開催され、文部科学省による沖縄戦の「集団自決」に関する検定意見撤回を求めるアピールを採択した。アピールは、大阪沖縄県人会連合会、奈良沖縄県人会、京都沖縄県人会、滋賀・沖縄県人会の賛同も得て、関西の5県人会の連名となった。 アピール文では、「集団自決」への日本軍関与の記述を修正・削除した今回の検定について「歴史の事実をねじまげ、教科書を通して多くの青少年に誤った知識を植え付ける暴挙」と批判。関西の沖縄県人会の意思として、ただちに検定意見を撤回するよう強く求めている。
この日の定期大会には、県人会兵庫県本部の会員約700人が参加した。大会であいさつに立った喜納会長は「教科書検定問題は沖縄県全体で抗議運動が起こっており、関西にいるわれわれとしても無関心でいるわけにはいかない」と述べた。(略)
(琉球新報 永峰眞名通信員) (7/17 9:42)
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沖縄の新聞は、本物の大型暴風に吹き飛ばされ、すっかり「鉄の暴風」を忘れてしまったのか、
この一週間のウェブ・サイトで見る限り「集団自決」の記事が見られなくなった。
わずかに昨日の琉球新報が関西の県人大会の様子を伝えているだけ。
>「歴史の事実をねじまげ、教科書を通して多くの青少年に誤った知識を植え付ける暴挙」
>「教科書検定問題は沖縄県全体で抗議運動が起こっており、関西にいるわれわれとしても無関心でいるわけにはいかない」
沖縄の新聞から情報を得ていると思われる関西県人会としては、この数ヶ月の異常ともいえる狂騒記事を見たら、このような意見になるのも仕方がないだろう。
■読者の「声」■
琉球新報は、記事が少なくなった代わりに読者の「声」欄で、しっかり「教科書検定意見」関連の投書を掲載していた。
沖縄の新聞と言えば当然「軍命あり派」。
投稿は「久間発言に通じる軍命否定」と題する南風原町にお住まいのMNさん(国家公務員、55歳)と、
「許されぬ真実の削除」と題する那覇市にお住まいのSMさん(67歳)のお二人。
「軍命あり派」の特徴だが感情的且つ抽象的で、何故「軍命令があり」とするかの理由は記されていない。
ところが、もう一つの「声」が上記の二つの「声」の間に挟まるように掲載されていた。
驚いたことに「軍命なし派」の投稿である。
これぞ県民の「声なき声の代表」といったとこか。
「被害妄想の軍命」と題する、糸満市に在住の有馬光正さん(自営業、62歳)の投稿である。
有馬さんは投稿の中で
「自決命令があった、という証拠は、現在まで見つかっていない。 とすれば、教科書には、軍の命令に触れないことは当然の措置だろう。」
と極めて論理的に教科書から軍命令の記述が削除された正当性を述べている。
確かにこれまで「軍の命令で集団自決をした」という証言及び証拠は出ていない。
だったら教科書から「軍の命令で集団自決を強いられた」といった記述が削除されても当然だ。
もし今後の検証で「軍命令があった」という客観的な証拠・証言が出てきたのであれば、そのとき改めて教科書に記述しても遅くはない。
現時点で確たる証拠もないのに、「軍命令で集団自決をしいた男」として両守備隊長を教科書にまで載せていいはずはない。
曽野綾子さんも国会の意見陳述で同じようなことを言っている。
風評を元に人を断罪することを「人間の立場を超えた集団リンチ」だと批判している。
以下、曽野綾子氏の「司法制度改革審議会」における発言=
http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html
第34回司法制度改革審議会議事次第
日 時:平成12年10月16日(月) 9:29 ~12:10
場 所:司法制度改革審議会審議室
【曽野委員】
<当時、沖縄側の資料には裏付けがない、と書くだけで、私もまた沖縄にある二つの地方紙から激しいバッシングに会いました。この調査の連載が終わった時、私は沖縄に行きましたが、その時、地元の一人の新聞記者から「赤松神話はこれで覆されたということになりますが」と言われたので、私は「私は一度も赤松氏がついぞ自決命令を出さなかった、と言ってはいません。ただ今日までのところ、その証拠は出てきていない、と言うだけのことです。明日にも島の洞窟から、命令を書いた紙が出てくるかもしれないではないですか」と答えたのを覚えています。しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。>
琉球新報にしては珍しい有馬さんの投稿全文を下記に掲載します。
被害妄想の軍命
糸満市 有馬光正 (自営業、62歳)
7月10日付け声欄で「思考停止はやめよう」という四十代の方のご意見に、正直ほっとした。 自分も常々、沖縄の新聞の論調には辟易(へきえき)してきた。
この方の言うように、「戦前戦中は日本軍が悪い、戦後は米軍が悪い。悪いのはみんな他人で自分を見ない」という感情を特に色濃く感じるのは、最近の「集団自決の軍命の有無」に関して、教科書検定で「軍命」の語を削除した政府に対する、県下の地方議会や新聞の態度である。
真実がどうのというより、「人は追い詰められて自分の尊厳を守るために、自ら死を決意する」という人間に対する崇高な信頼感はなく。「軍隊の命令がなかったら、自決などしなかった」という思い込みだけで議論が進められている。 これは自決した方々の人格に対する甚だしい冒涜(ぼうとく)というべきではないか。 自決があった、という証拠は、現在まで見つかっていない。 とすれば、教科書には、軍の命令に触れないことは当然の措置であろう。自分達が被害者だという、卑屈な思い込みは、いいかげん、やめてもらいたい。
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>「軍隊の命令がなかったら、自決などしなかった」という思い込みだけで議論が進められている。
>これは自決した方々の人格に対する甚だしい冒涜(ぼうとく)というべきではないか。
集団自決といえば、渡嘉敷、座間味両島の今年か論じられないが例えば恩納村でも集団自決があった。
だが、「軍の命令」で自決してはいない。
軍が死ねと言ったから唯々諾々と自決した、と主張するのは
死者を意思のないロボット扱いした
侮辱に満ちた発言である。