狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「毒おむすび」の次は「赤ん坊を射殺」 「残虐な日本兵の象徴」

2007-08-21 12:04:30 | ★集団自決

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沖縄戦の実相知って 山里さん、教諭らに「平和」訴え カメラ  (8/19 10:11)

山里和枝さん(左)の戦争体験に耳を傾ける沖縄市の教諭ら=16日、糸満市伊敷の「轟の壕」

 【糸満】沖縄市平和ガイドネットワーク主催の「南部戦跡巡り」が16日行われ、同市内の小中学校の教諭約50人が参加した。戦争を知らない世代で、これからの平和学習を考えようと開いた。
 この日は、糸満市の轟(とどろき)の壕を皮切りに、各地の慰霊塔、平和の礎やひめゆり平和祈念資料館を回った。轟の壕では、沖縄戦当時、島田叡(あきら)知事に同行した山里和枝さんの講話があった。
 山里さんは、壕にたどり着くまでに艦砲射撃によって友人を亡くし、壕の中では
日本兵が食べ物を奪ったり、泣きわめく幼児を射殺したり戦争の悲劇を見てきた。
 「そばで子どもが殺されても恐ろしくて誰も何も言えなかった」と当時を振り返り、悔しそうに語り、繰り返される日本軍の横暴に「次第に敵がい心が米軍から友軍に移った。彼らは県民を守ってくれなかった」と怒りをかみしめながら、ゆっくりと話した。
 戦後、二度とあの戦争を繰り返させないために語り部として、修学旅行生らにも戦争体験を説明する山里さんは「日本兵の横暴を語ると皆が驚く。ヤマトの人には、沖縄戦の実相を理解することは難しいのだろうか」と残念がった。
 真剣な表情で耳を傾ける若い教諭らに「戦争中は人が人でなくなる。後生には、悲惨な思いをさせたくないので、若い皆さんが反戦運動をして平和を築いてください。心からお願いします」と深々と頭を下げた。その後、教諭らは山里さんとともに壕内に入り、光の届かない暗闇の中で起きた戦時中の悲しい出来事を追体験し、平和の尊さをかみしめた。

(琉球新報 8/19 10:11)

                     ◇

日本兵が食べ物を奪ったり、泣きわめく幼児を射殺したり戦争の悲劇を見てきた。

沖縄住民への「自決強制」、「食料略奪」そして泣き声を消すための「幼児射殺」。 

沖縄戦に関する証言の殆どが「残虐非道な日本軍」を象徴する話ばかりだ。

沖縄戦は日米両軍の攻防戦だったはずだが、沖縄住民の敵は米軍ではなく、日本軍だったかのような地元マスコミの報道は次の証言に象徴される。

次第に敵がい心が米軍から友軍に移った。彼らは県民を守ってくれなかった

前にも述べたが筆者は次々新聞に登場するこれらの証言の真偽を論じる立場にはない。

現在の価値基準で過去を判断してはいけない、とは言いつつも62年前とは変らぬ価値基準もあるはずだ。

壕に潜む日本兵と沖縄住民。

戦況が決した後は、米兵にも余裕が出来て投降をすすめたり、負傷した年寄りや子供の傷の手当てなど「人道的行為」をした。

これらの様子は従軍カメラマンが占領後のプロパガンダ用にバッチリ記録されている。

だが米軍は上陸当初は撃ち尽くし焼き尽くし、軍民の見境なく殺戮に及んだ。

その凄惨酷薄な無差別攻撃は「鉄の暴風」として語り次がれている。

そして、圧倒的人員で迫る米兵を避けて壕に潜む日本兵によって起こされた幼時虐殺。

≪日本兵にとって、アメリカ兵から逃げているガマと呼ばれる壕の中で、住民は邪魔な存在だった。≫

≪特に赤ん坊の泣き声は、敵兵に見つかってしまうという恐怖心をあおりたてた。≫

戦争と子ども ―沖縄戦に学ぶ―

日本兵による幼児虐殺が壕の中で起こったとされる。

だが、ここで一つの疑問を呈したい。

ガマに潜む敵を求めて近づく米兵に取って、「赤ん坊の泣き声」と「赤ん坊を射殺する銃声」とどっちが攻撃の的になるのか。

「人道的米兵」なら、幼児の泣き声より銃声の元に攻撃をかけるのが常識だ思うのだが。

「平和祈念資料館」に次のような日本兵と親子の像が展示されている。

≪ガマの中に避難している住民、泣く赤子の口をふさぐ母親、そして住民に銃口を向けて威嚇する日本兵≫

幼い子供の泣き声で米軍に所在を知られることを恐れて日本軍兵士は幼児を殺害したり、周囲の者に殺させたりしたとされる。

そして、サヨク学者は「集団自決という住民自殺は、ほとんど日本軍と住民が混在した地域で、起きている」と結論つけている。http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm

ところが実際は、軍民が混在した場所で「集団自決」のなかった場所は沢山ある。(慶留間島など)

逆に日本兵の居なかった壕でも「集団自決」が起きた例はある。(恩納村安冨祖の壕)3家族、12人が「集団自決」

サヨク学者は「軍民混在」を「集団自決」の根拠にして軍の命令の証明としたいようだが、実際に「集団自決」が起きたのは必ずといっていいほど米軍の猛攻があった場所で起こっておる。

米軍の攻撃のない場所では軍民が混在していても「集団自決」は起きていない。

「集団自決」は米軍攻撃でパニックが起きた結果だと想像され日本兵の存在とは関係なく起きている。

 

 >沖縄市平和ガイドネットワーク

終戦記念日の8月15日、NHKの「どうする、これからの日本」という討論番組を見た。

細かい内容についてのコメント避けるが、沖縄の「平和ガイド」と称する照屋氏が「軍隊は住民を守らない」を理由に一昔前の社会党の「非武装中立論」を叫んで失笑を買っていた。

どうして「平和ガイド」をする人は「プロ市民」が多いのだろう

hisi照屋(男)67才 平和ガイド
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2005/kiji/11/1004.html

NHKの「どうする、これからの日本」抜書き
「私は憲法改正する皆さん方の発言聞いてますと、国は軍隊があれば守れると思っていらっしゃるわけですよね。そこに流れているものはですね。しかし私は沖縄に住んでみて、たとえば壕、ガマというんですけれども、ここにおいて14才以下の子供たちが1万1103名の人がですね、壕を日本軍に提供して亡くなってるわけです。・・・・まず戦地において、軍隊が住民を守るという発想自体を私は今、問われていると思います。(略)

「私はですね、米軍だから人殺しをする、戦争をする、日本軍はしないとは私は思ってはおりません。軍隊がある限りね、この権力を持っているのはあなたじゃないですよ、国家権力じゃないですか。彼が使用するんですよ。その関係でね、軍隊を持ってはね、国は決して平和は守れないということなんですよ」(ぼやきくっくりさんより引用)

 

◆参考エントリ:太田中将自決の地「海軍壕」が「平和ガイドコース」から外れた理由

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1 コメント

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Unknown (安心)
2015-07-19 14:26:55
7月12日から沖縄旅行へ行ってタクシーの運転手さんに赤ん坊殺害の話を聞きました。
やっぱりデマでしたか、本当なら共産党の人がその人を特定して国会議事堂の前で被害者家族と共に大演説しますよね。
それが無いって事は・・・作り話って事ですね。
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