沖縄タイムス 2007年9月13日
実行委設置 動き広がる/検定撤回 県民大会
沖縄市
【沖縄】沖縄市の東門美津子市長は十二日、宜野湾市で二十九日に開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」について、臨時、嘱託を含む全職員約千六百人に参加を呼び掛ける市長メッセージをメールで配信した。また庁内連絡会議を十三日に立ち上げ、全職員が主体となり市民や市内各種団体に参加を呼び掛けることも決めた。(略)
豊見城市
【豊見城】豊見城市議会(大城英和議長)は十二日、与野党会派長会議を開き、市内の各種団体に対し、二十九日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」への参加を呼び掛ける「豊見城市実行委員会」を結成することを確認した。
読谷村
【読谷】二十九日に宜野湾市で開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に向け、同大会読谷村実行委員会が十二日、発足した。実行委員長に安田慶造村長、副委員長に前田善輝同村議会議長を選出。実行委を組織する村内二十三団体が中心となって大勢の村民に参加を呼び掛ける。(略)
◇ ◇ ◇
沖教組、校長らに協力依頼県内反応複雑
沖教組(大浜敏夫委員長)は十二日、本島や周辺離島の小中学校約三百二十校の校長と県内四十一市町村教育長あてに、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」への教職員らの参加を促す依頼文を送付した。沖教組から小中学校の管理職らにあてた依頼文の送付は異例。文書は「文部科学省は県民大会の参加人数に注目している」と指摘。より多い人数が参加することで、検定撤回に向けて圧力をかけることができる―と訴えている。
具体的には、職員会議での校長からの参加呼び掛け、大会当日の参加状況の確認、PTAと協力した保護者への大会案内―などとなっている。沖教組の山本隆司副委員長は「県民総ぐるみの大会になったことで労使が一致できた」としている。
◇
■沖縄の異常な言語空間■
>沖教組から小中学校の管理職らにあてた依頼文の送付は異例。
女子供と年寄りを前面に出していたがここに来て、運動の主体であった教職員会が仮面をはいで正体を現してきた。
沖縄の異常な言語空間について当日記は何度も書いてきたが、県民と思われる当日記の読者が怒りのコメントを寄せているので引用します。
狂ってる・・・ (偶然) |
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2007-09-12 22:58:10 |
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一歩譲って、いや、百歩譲って、県職員や教職員への参加要請は良しとしましょう。あくまで「要請」なのですから。 が、どう考えても某専門学校の生徒に対する「特別授業」という名の大会参加は「強制」でしょう。 授業という事は出欠が確認され、成績や単位認定にも 多少なりとも影響があるのでしょうね。 まさに「強制連行」ですね。 |
専門学校3校も参加
日経教育グループ 職員、生徒1300人
日経グループの専門学校日経ビジネス(沖縄市、島袋永伸学校長)と日経ビジネス工学院(沖縄市、同)那覇日経ビジネス工学院(那覇市、稲福孝則学校長)の3校は12日、那覇市安里の同校で記者会見を行い、9月29日の「許可書検定意見撤回を求める県民大会」に、特別授業の一環として三校の全生徒と全教職員役1200名が参加することを発表した。
島袋学校長は「たくさんの人たちが身を割く思いで証言され、毎日たくさんの報道がなされているが、まだ学生の関心が低いという危機感がある。今回の県民大会を機に、学生に考えるチャンスを与え、沖縄全体へのうねりにしたい」と全員参加にした思いを説明した。 さらに「みんなで考える時期に来ている。是非参加が沖縄全体に広がれば」と期待した。
県民大会まで全クラスで授業2コマ(百分)の事前学習を行うことも表明。 沖縄戦全体の概要を学び、「集団自決」の証言を読み、今回の文部科学省による教科書検定問題について考える内容で、県民大会後に学生全員が感想文を書く予定だという。
確かにこの学校は異常だ。
「県民大会」へ「強制連行」するだけでは飽き足りず、学校内の授業でも「事前学習」をする念の入れように加えて県民大会後に全員に感想文を書かすという異常ぶりだ。
■他ブログがあきれる沖縄のマスコミ■
◆「今夜もさ~ふ~ふ~」報告集会
2007/09/10 17:42
注目の裁判が終わり、
さきほど原告側弁護団による報告集会がありました。
裁判そのものは非公開だったので、
どちらに説得力があったかは差し控えますが、
集会開始直後に予想外のことが起きました。
那覇市内のホテルに原告の支援グループが集まり、
6人の弁護士が地裁から駆けつけます。
相変わらず地元のメディアはいないなぁ、と思っていたら、
ある弁護士の携帯電話が鳴り、
「県庁の記者クラブで会見の要請があったので、行って来ます」。
結局、2人の弁護士が会場から抜けてしまいました。
どうして記者の方がこっちにこないのか不思議ですが、
原告側は沖縄では〝ヒール〟なので、
逃げたと言われないように行くしかなかったようです。
地裁前で終了予定時刻に待っていればいいだけなのに…。
原告側の報告集会はぶち壊しになってしまいました。
◆
◆「ぼやきくっくり」さんより
「小林よしのり沖縄講演会」の孫引きhttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid317.html
■皆さんにより注目していただきたいのは――
関係者の「軍命令はなかった」という証言の重要性もさることながら、今回、皆さんにより注目していただきたいのは、「沖縄にはこの問題で自由な発言がしづらいムードがある」ということです。要するに、「軍命令はなかった」と言いにくい空間が出来上がってしまっているのです。
「軍命令はなかった」と発言すれば、集団自決そのものがなかったと主張しているかの如く受け取られてしまいかねない、ひとでなし扱いされかねない、そんな空気すら感じます。
(このへんも慰安婦問題に似ていますね。あくまで慰安婦の「強制連行」を否定しているのに、慰安婦の存在そのものを否定しているかの如く言われてしまうことが、私もこれまで多々ありました)
産経の社説もそのあたりに少し触れています。
・産経社説6/23:沖縄戦集団自決 文科省は検定方針を貫け
沖縄県議会で、教科書の沖縄戦集団自決に関する記述に付けられた検定意見の撤回を求める意見書が、全会一致で採択された。県議会で与党最大会派の自民党までもが国の検定方針に異を唱えたことは残念であり、沖縄県の特異な政治状況をうかがわせる。
(以下略)
自民党は当初は意見書に慎重でした。が、「世論」に追い込まれる形で方針転換したのです。
自民党の岸本恵光県議は、党内に“事態が長引けば、7月の参院選に悪影響が出かねない”という懸念があったことを認め、「時間があれば軍命を検証できるが、県民世論が待ってくれない、と私は主張した」と述べています。
また、元海上自衛官で自民党の小渡亨県議は意見書に「軍命」を明記することに最後まで反対したそうで、「すべてを軍の責任にして当時の日本人の思想を問わないのはおかしい。この問題では自由な言論が封殺される圧力を感じた」と語っています(西日本新聞6/22)。
沖縄における「特異な政治状況」「自由な言論が封殺される圧力」の一端が見える資料として、小林よしのり氏の講演書き起こしの一部を以下に引用します(出典:「ゴーマニズム宣言EXTRA パトリなきナショナリズム」)。
この講演は、氏の著作「沖縄論」が発行されてから約2カ月後に行われたものです。
■小林よしのり沖縄講演会<「沖縄論」を語る>
2005.8.14 沖縄コンベンションセンター劇場
こちらに6日前に来て沖縄戦の取材を始めましたが、対馬丸記念館ではジッとわしを監視している人がいまして、なんか秘密警察みたいな不思議な雰囲気だなあと思いました。
沖縄タイムスでは3回にわたって批判が繰り返されて、小林よしのりは軍国主義者で、沖縄人を「国民」にして、戦争を再び起こしてその最前線に立たせて犠牲にしようとしている、騙されるなという主張でした。
伊江島に行った帰りのフェリーでも反戦平和学習の団体がいて、寝ていたところをたたき起こされて、目を覚ますと20名ばかりの女性と子供に取り囲まれていました。その中のガイドのような男の人に「沖縄戦について聞かせてほしい」と言われて、他のお客さんに迷惑がかかるので外に出ましょうと言って、デッキでしばらく議論しました。その一番後ろから秘書が、わしが拉致でもされるのかとあわててついてきたんですが、後ろの方では「何が迷惑かかるのよ!」「自分のファンだと思ってるんじゃないの?」とか言ってたそうです。
あるガマ(引用者注:自然洞窟・鍾乳洞、岩の窪み等を意味する沖縄の方言。戦時では避難場所として使われた)では、わしはしっかりガイドさんの話を聞いて、亡くなった人に手を合わせて冥福を祈ったんですが、そのガイドさんはわしが沖縄でどう思われているのか全く知らない善意の人で、ただテレビかなんかでわしの顔だけは知っていて、小林よしのりを案内したと誰かに話したらしい。するとやっぱり「なんてことしたんだ!」という圧力がかかったようで、泣きながら自分の名前も顔も絶対出さないでと言ってきた。
もちろん出すつもりなんか初めからありませんでした。前の取材で沖縄はどういう空気なのかわかってましたから、迷惑がかからないようにしなければと思っていました。しかしわしの思想性も何も知らずにガイドした人が、ずいぶん悩まれたようでした。
本当に悪いことをしたと思うけど、わしがやって来るということはダース・ベイダーがやって来るかのような雰囲気になっているらしくて、わしに協力する人は非常に疎外される。今日、講演会を企画してくれた人たちも、何の党派性も特定の思想性もない本当に一般の人たちですけど、彼らも周りの人から「なんであんな奴を呼ぶんだ」と言われ、友達関係も親戚関係もうまくいかなくなってしまう。宮城さんとか喜友名さんとか、名前も似顔絵も出した人はちゃんと了解を取ってますけど、沖縄の取材ではかなり気をつけないといけない。今までずっと描いてきましたけど、こういう経験をしたことはなかったですね。
つまり、沖縄というのは非常に同調圧力が強い。意見が異なる者をなんとしても排除せねばならないという空気があるらしくて、この『沖縄論』に書いてある論旨を、読んで考えてみようということすら言えない状況になっている。先にレッテルを貼って、読まないようにしてしまおうという戦略が進められている。ものすごく特殊な所ですよ。
やっぱりマスコミ、教育界などを特定のイデオロギーを持った人たちが占拠して、一つの言葉、思想しか許さないという空気が出来上がっているんだと思います。果たしてそれでいいのかと、考えてくれるだけでいいんです。
沖縄戦の集団自決について理解するには、どうやらまずは沖縄そのものの特殊性(歴史や県民性や言論状況)から勉強しなければいけないようです。
私もまた1から勉強です……。
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自分たちが「忌み嫌う事」を自分たちが率先してやっちゃっていますね。イタすぎです。
同調圧力が強い、沖縄の外から見ると非常に感じます。
このままエスカレートすると北朝鮮のようになってしまいそうな雰囲気です。
県民大会に参加しなければ粛清されそうです。
まあ、マスコミは戦時中のように県民を煽っていますが私の周りは「県民大会っていつでしたっけ?教科書のナニがいけなかったんでしたっけ?」というような反応なので事の真相を説明すると「そうなんですね」と理解を示してくれます。
笛吹いても踊る人はサクラばかりという状態を期待しています。
それでも参加者○万人なんて「主催者発表」するんでしょうね。
>私の周りは「県民大会っていつでしたっけ?教科書のナニがいけなかったんでしたっけ?」というような反応なので
このような善男善女が気がついたら「県民大会」の大騒ぎでその気にさせられるのが怖いです。
マスコミは「歴史は多数決で書き換えられる」と信じ込んでいるみたいですね。
今朝の琉球新報によると、ついに精神障害者等の授産施設利用者も「県民大会」に駆り出すそうです。
恐怖の輪が広がっています。