狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

小林よしのり氏の『沖縄ノート』批判「軍命」の大嘘を前提にした大江健三郎

2023-10-14 04:32:32 | 政治

 

 

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10月11日付産経新聞に『沖縄「集団自決」』が大きく掲載されました

沖縄考

右手ひとつ、反日と戦う 那覇支局長・川瀬弘至 

ブログ「狼魔人日記」をつづる江崎孝さん=沖縄県宜野湾市の自宅

沖縄の「民意」が、変わりつつある―。

明星大教授らの研究グループが6月に公表した安全保障問題に関する沖縄県民への意識調査によれば、日米安保の強化を望む県民は39%で、望まないと回答した23%を上回った(37%は「どちらとも言えない」)。

とくに18~34歳の若い世代は49%が安保強化に肯定的だ。この世代は、革新勢力が「民意」とする基地反対運動には否定的で、「国防政策は政府に決定権があるので基地反対運動は無意味」と考える割合が55%にも達した。

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■狼魔人日記・文藝コーナー■(毎日三首紹介します)

これは平成22年から令和4年まで私の生活の中で見て聞いて感じた事をメモのつもりで三十一文字にまとめたものです。 一つでもこれはとこれはと思われるものがありましたら幸いです。令和五年一月  

富原盛安(82歳・南城市)

次々とドラマの赤子は変われどもうちのつくもはやっぱりかわいい

友の名を誤り覚え正されるおろかな我の年の瀬のドジ

尖閣の波静まりて鳥も舞う見果てぬ夢か現実の世には

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■瀬良垣譲二 (糸満市)

確かなる我が家唯一の意思疎通 以前はヨイショと立ち上がり今やイタタと座り込む

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沖縄タイムス編著『鉄の暴風』が出版され既に7余年の歳月が過ぎた。

その間沖縄タイムスは、連日のように沖縄戦関連の記事で紙面を飾っている。

だが、それらは全て「集団自決は軍の命令だった」という前提の下に書かれている。

つまり大ウソを前提に書かれている。

沖縄タイムスお得意の印象操作記事だ。

拙著『沖縄「集団自決」の大ウソ』より、関連部分を引用しよう。

 

第五章 「軍命」の大嘘を前提にした大江健三郎 

●元軍人を”屠殺者”と断罪

大江健三郎著『沖縄ノート』は、沖縄タイムス編著『鉄の暴風』が主張する「軍命令による集団自決」を大前提として書かれ、一九百七十年の初版以来、今日まで59版(合計30数万部が発行) を重ねてきた。

 大江氏は慶良間列島の座間味及び渡嘉敷両島で集団自決を命令したとされた梅澤裕少佐と赤松嘉次大尉らを、〝屠殺者〟と呼び、その行為を〝人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊〟と断罪した。

人は「軍命」で死ねと言われて容易に死ねるものではない。ましてや自決命令をした軍人は現場に臨場しておらず、米軍との応戦で大童の状況にあった。

 

■「沖縄のタブー」に挑戦した先駆者・小林よしのり氏

今から約20年程前、漫画家小林よしのり氏が『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論』を発刊。「集団自決と基地問題」という「沖縄のタブー」に挑戦した。 だが、沖縄2紙に徹底的に叩かれ、最近は沖縄問題から撤退したかのようだ。 小林氏曰く「沖縄戦における集団自決で『軍命は無かった』という意見を、沖縄県民が友人・知人の前で言える雰囲気にはない。自衛隊基地への小学生の見学ですら、新聞で批判される風土はずっと続いている」(『日本のタブー』小学館)。 当時は現在のようにネットは普及しておらず、新聞等旧メディア全盛の時代。小林氏の挑戦は時期が早すぎた。 だが小林氏の挑戦、は漫画という斬新な手法で果敢に「沖縄のタブー」に風穴を開けた先駆者として心に刻むべきである。

 

■小林よしのり氏の『沖縄ノート』批判

漫画家の小林よしのり氏が、大江健三郎氏『沖縄ノート』の読後感を、自著『誇りある沖縄より』で次のように述べ、「自分が『土民』などの差別用語を使用したら出版社(岩波書店)が自主規制で絶対使用させない」などとあきれ返っている。

赤松元隊長のことに言及する段となると、とてつもない罵り方だよ。ここまで罵っていいのかなと思うぐらいだね。たとえば元隊長が戦後、渡嘉敷島を再訪するときのことなんか、強姦魔になぞらえている。時が経って犯行現場に戻った強姦魔が、「向こうにも愛があったから強姦されたんだ」と、強姦した事実自体が美しい物語であるかのように錯覚するのと同じような感覚なんじゃないかと推測してるわけ。それで、機が熟した今なら渡嘉敷島に帰ってもいいと考えたというんだな。「彼のペテンは次第にひとり歩きを始めただろう/本土においてすでにおりはきたのだ。かれは沖縄において、いつそのおりがくるかと、虎視眈々、狙いをつけている。かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗り込んで、一九四五年の事実を、彼の記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。・・・彼の永遠の企ては完結するのである」とか、「あの渡嘉敷島の『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗な者だったではないか、とひとりの日本人が考えるに至った時」とか、「土民」という差別語まで繰り出して、その中傷の仕方たるやとてつもないわけよ。「罪の巨塊」という単語ひとつの話では全然ない。「どのようにして人々を集団自決へと追いやったかの、およそ人間のなしうるものとは思えぬ決断の。まったく同一のかたちでの再現の現場に立ち会っているのである/罪を犯した人間の開き直り、自己正当化、にせの被害者意識、それらのうえに、なお奇怪な恐怖を呼びおこすものとして、およそ倫理的想像力に欠けた人間の、異様に倒錯した使命感がある」—ここまで人のことを断罪できるものかね?ここまで実在した人物を徹底的に断罪した本が、ずっと残っていくわけだよ。普通の感覚では、とても許されないよね。元隊長をナチスのアイヒマンになぞらえるくだりなんかも、ものすごい記述だよ。とてつもない人権侵害じゃないかと思うね。(『誇りある沖縄より』195頁~197頁)

漫画家の感性と常識が、ノーベル賞作家の感性と常識をはるか凌駕しているのが一目瞭然である。

しかもノーベル賞作家は、あたかも平面地図を唯一の根拠に登山を論評するがごとく想像力を駆使して「登山紀行」を書き、登場人物に罵詈雑言を浴びせている。おまけにノーベル賞作家が根拠にした地図が間違いだらけというのだ。何をか言わんやである。

 

 

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