狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

教科書が否定する自衛隊!災害派遣の陸自隊員、初の死亡

2011-04-03 20:25:15 | 教科書

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東日本大震災が起きて、懸命な被災者支援、被災地復旧・復興に励む自衛隊の姿に、被災者はもちろ全国民がが感謝の念で涙しているが、自衛隊の県内配備には難癖を付けている沖縄2紙は、自衛隊の救援活動に対しても「売名行為」「政治目的」「火事場度労棒」などの罵声を浴びせるのだろうか。

来年から内容が一新される中学公民の教科書で、自衛隊については憲法違反とする意見をあえて強調するほか、国際貢献などの活動を冷淡に扱う記述が目立つ。 戦争放棄などの憲法9条を理由に「武器を持たないというのが日本国憲法の立場ではなかったのかという意見もある」(東京書籍)などと自衛隊に否定的な見方を紹介教科書もある。 

「戦後民主主義」に毒され自衛隊をいつまでも日陰者の立場に置こうとする勢力と大方の国民世論との乖離を感じる教科書の記述である。

 産経・4月2日
産経抄 2011.4.2 03:19

 不幸中の幸い、などと軽く言うにはあまりに重大な災いである。だがこの大震災で国民が学んだことのひとつは自衛隊の存在の大きさだろう。発生以来、陸海空から10万7千人もの隊員が動員され、人命救助や被災者支援などにあたってきた。


 ▼救助した人の数は1万9千人あまりに上る。原発事故で真っ先に放水など危険な作業に取り組んだのも自衛隊員だった。その献身的な奮闘がなければ、被害は何十倍も大きくなっていた。隊員はもとより、彼らを育てた指揮官らの努力には頭を下げるしかない


 ▼ところが、その必死の活動が続いている最中に公表された中学校教科書の検定結果には驚いた。いまだに自衛隊を「憲法違反」であるかのような記述の教科書があったからだ。「武器を持たないというのが日本国憲法の立場ではなかったのかという意見もある」という記述も見られた。


 ▼自衛隊を「日陰者」扱いするこうした教育は昭和30年代から40年代ごろ、日教組などの教師たちの「得意技」だった。その結果多くの子供たちが「自衛隊は違憲」と刷り込まれたまま社会に出ていった。かの教科書記述もその時代の教育の残滓(ざんし)のようなものだろうか。


 ▼いやそんな生やさしいものではない。大震災後、官房副長官として首相官邸に戻った仙谷由人氏など自衛隊を「暴力装置」と呼んだ。国や国民を守る尊い使命をそうとしか捉えられない戦後教育の欠陥は政権の中枢にまで及んでいるのである。


 ▼そんな菅直人政権が震災支援の大部分を自衛隊に頼らざるを得なかったのは、皮肉だ。だがそれより、自衛隊に救われた子供たちがそんな教科書を読んで、どんな思いにかられることだろう。胸が痛む気がする。

                   ★


msn産経・

【土・日曜日に書く】東京特派員・湯浅博 「歴史に消えた参謀」番外編
2011.4.2 03:31
 ■「吉田ドクトリン」は死んだ


 東日本大震災は日本の「有事」である。救援と復興に、10万人規模の部隊派遣ができるのは自衛隊をおいてほかにない。


 人命救助2万人、遺体収容4千体、物資輸送3千トン、炊き出し100万食、さらに医療、給水から入浴支援へと自衛隊の支援内容は拡大していく。


 さらに、米軍が戦略的に動き出すと圧倒的な機動力を発揮する。自衛隊と連携する「トモダチ作戦」として艦船19隻、航空機140機、1万8千人を投入した。これは日米同盟の発動である。


 大震災のドサクサに、ロシアの空軍機が日本領空に何度も接近し、中国の艦載ヘリも尖閣諸島に接近した。国家存亡の危機に、探りを入れる腹黒い国々である。ここでも、自衛隊が国民を守る最後の砦(とりで)であることを立証した。


 被災地をみるにつけ「吉田ドクトリンは死んだ」と思う。


 吉田ドクトリンとは、占領期の吉田茂首相が選択した軽武装・経済中心主義という戦後復興期を乗り切るための巧みな路線であった。だが、これをドクトリンに高めてしまったのは、彼の後継者たちであって吉田ではない。


 毎週日曜日に連載した「歴史に消えた参謀」で見てきたように、吉田は首相辞任から10年を過ぎた昭和39年、この復興路線に決別した。吉田の軍事顧問だった辰巳栄一に再軍備と憲法改正に踏み切らなかったことを「深く反省している」と告白したのだ。


 だが、吉田の意思とは別に「軽武装、経済優先」路線はすでに独り歩きをはじめていた。


 32年発足の岸信介内閣は、憲法改正を目指したが、池田勇人や佐藤栄作ら主流派に「憲法は定着している」と反対されて日米安保の改定に絞らざるを得なかった。実は、吉田の遺詔を継いだのは、池田や佐藤ではなくて対極にあるとみられた岸であった。


 35年に池田首相は憲法問題を棚上げして所得倍増計画を掲げた。吉田が辰巳に路線の誤りを告白した39年は、すでに佐藤栄作内閣が発足していた。吉田学校の優等生、佐藤は使い勝手のよい復興期の吉田路線を継承した。


 この路線を「吉田ドクトリン」と名付けて最初に論文を書いたのは、おそらく元防衛大学校長の西原正氏であろう。52年に箱根で開かれた日韓知的交流会議に提出した英語論文で、吉田の軽武装・経済外交はその後継者に引き継がれた日本の戦略であると論じた。


 西原論文が際だっているのは、そのドクトリンが有効性を失いつつあると論じたことだった。西原氏は別の論文でも、「日本が経済大国に成長した段階では、逆にその自己中心性が海外で不快を招くことになったといえまいか」と疑問を呈し、「1960年代半ばには限界にきていた」と断じた(『体系民主社会主義』第6巻)。


 ところが、戦後の論壇に強力な擁護者が登場した。東京工業大学名誉教授の永井陽之助である。永井は59年に至って、「保守本流の外交路線の総称」として吉田ドクトリンを肯定した。


 さらに、著書『現代と戦略』に1章を設けて「吉田ドクトリンは永遠なり」と昇華してしまった。日本が戦後歩んだ道を「正教」として賛美するのだから、防衛力の強化には反対である。永井はこれらの論文によって、自民党の池田、佐藤の保守本流に理論武装を提供した。


 永井論文に対する強力な批判者が杏林大学名誉教授の田久保忠衛氏であった。月刊「正論」や「諸君!」で「歪曲(わいきょく)された『吉田ドクトリン』」と論争を挑んだ。田久保氏は辰巳へのインタビューを交え、池田、佐藤ら「保守本流を自任してきた弟子たちは師の志を実現しようともしない」と鋭く切り込んだのである。


 日本の戦後体制は、防衛力を米国に依存しながら「吉田ドクトリン」という経済中心主義の路線で築かれた。日米同盟の分厚い保護膜は、その副産物として独立心を奪い、反戦平和主義者らには「憲法9条によって戦争を回避してきた」との幻想まで生み出した。


 ちなみに、永井を恩師として仰ぐのが、「ゼミで現実主義を学んだ」と礼賛する菅直人首相である。自民党政治を否定した菅首相が、その亜流として継承しているのだから皮肉なものだ。この政権の前官房長官が、自衛隊に否定的な響きのある「暴力装置」と発言する始末だからやり切れない。


 いま東日本の被災地では、自衛隊員が被災者に温かい炊き出しを提供し、隊員ら自身は冷えたままの缶詰でしのいでいる。菅政権の皆さまへ。すでに「吉田ドクトリンは死んだ」のだ。自衛隊の復旧活動を妨害しないよう祈る。(ゆあさ ひろし)


 

msn産経・

災害派遣の陸自隊員、初の死亡 岩手で捜索活動、体調不良
2011.4.1 23:28
 1日午前11時半ごろ、東日本大震災で岩手県へ災害派遣中の陸上自衛隊第二特科連隊(北海道旭川市)の50代の男性陸曹長が盛岡市の病院で死亡した。今回の震災で災害派遣中の自衛隊員が死亡したのは初めて。


 陸自によると、陸曹長は先月12日より北海道の旭川駐屯地から派遣されていたが、31日朝、「左半身が動かない」などと体調不良を衛生担当隊員に訴え、病院へ運ばれた。


 陸曹長は15日から岩手県岩泉町などで津波被害などを受けて行方不明になった人たちの捜索や、がれきの撤去などに当たっていた。


 陸自によると、出発前の健康診断では異常はなく、毎朝体調のチェックを行っていたという。30、31日は休養日だったとしている。


 陸自は「休養は取っていた。倒れた原因を今後調べる」としている。

 

 

自衛隊の活動の動画です!

【地震】自衛隊と米軍が合同で不明者を大規模捜索(11/04/01)
http://www.youtube.com/watch?v=BzSk8VU88m0


東北地方太平洋沖地震 海上自衛隊活動状況
http://www.youtube.com/watch?v=ONpyKvLwNwQ


【陸上自衛隊】東北地方太平洋沖地震における災害派遣
http://www.youtube.com/watch?v=qpiaXXsuST8


地震から一週間 自衛隊の活動 Tohoku Japan Earthquake.Activity of Japan Military
http://www.youtube.com/watch?v=Cc7at1B7WA0&feature=related


東日本大震災 大槌町役場再建を支援する自衛隊 岩手県大槌町
http://www.youtube.com/watch?v=AfAwBFSpqIo


水没地域の孤立住民をヘリで救出=航空自衛隊救助活動
http://www.youtube.com/watch?v=AAzTe1VQ850


【地震】厳しい冷え込み・・・自衛隊が入浴施設を開放(11/03/26)
http://www.youtube.com/watch?v=pEOPduTtspg

 【地震】孤立住民を自衛隊が決死の救出その瞬間(11/03/25)
http://www.youtube.com/watch?v=ehsUWccGCw8

 

中学生に自衛隊を侮蔑する教育をする教科書を廃棄せよ、

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コメント (3)

集団自決、いかがわしい[識者評論] 

2011-04-03 08:40:53 | ★集団自決

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涼太さんのコメントです。

狼魔人様

左翼団体のすさまじい同調圧力の中、多くの沖縄県民が真実を証言されたことに感謝いたします。狼魔人日記で勉強しましたが、名誉毀損の条件
1、公共性
2、公益性
3、真実相当性
の真実相当性が問われているのですね
裁判で、個人名は書いていない、原告側の誤読だと逃げた大江氏でしたが
判決は「普通の人間が普通の判断で解釈すれば、原告の名誉を毀損している。」とばっさり切って捨てました。ただ「当時は大江氏がそう信じても仕方なかった。」との真実相当性を持って原告敗訴にしました。何度も書きますが2011年現在は真実相当性は根拠を失っていると思います。

玉寄氏は、日本兵が弟のおじやを奪った。と証言された方ですね。こういうのも援護法で言う食料の提供に該当するのでしょうか。
高嶋先生が仰る、加害と被害の所在と実態もあまりハッキリさせない方がいいと思いますよ。
戦争と言う極限状態でいろんなケースがあったようですから。触れて欲しくない人も多いと思います。

                ★

 ■最高裁はどう裁くか

集団自決に関しては多くの体験者が次々と証言しても論争の核心である「軍命(強制死)」を証明できる証言はただのひとつも無い。 だが裁判官が戦後民主主義の象徴である岩波と大江健三郎を敗訴に追い込むのを躊躇し、わかりにくい文章で屁理屈を並べ「軍命は無かったが名誉毀損は存在しない」として強引に大江側を勝訴にした、というのが第一審、第二審を通じての筆者の感想である。

「真実相当性」という一般にはわかりにくい法律概念については、判決の時点(2008年10月31日)までは「真実相当性」の適用を認めたとしても、それ以後は出版当時に比べて比較にならないほどの多くの証言の「発掘・検証がされており、涼太さんが指摘するとおり少なくとも2011年現在は「真実相当性は根拠を失っている」と考えるのが順当である。

だが、実際は『沖縄ノート』等の名誉毀損の証拠物は重版を重ねながら依然として現在も店頭で販売されている。 

この矛盾を最高裁がどのように判断するのか。

百歩譲ったとしても、大阪高裁判決の日(2008年10月31日)までは名誉毀損は成立しないが、それ以降は販売続行するのは名誉毀損が成立する、として原告勝訴というのが筆者の推測である。

ちなみに二審判決当時の共同通信は「真実相当性」について次のように報道している。

<書籍(「沖縄ノート」等ー筆者注)は昭和40年代から継続的に出版され、その後資料で両隊長の直接的な自決命令は真実性が揺らいだ。しかし、各記述や前提の事実が真実でないと明白になったとまではいえず、出版の継続は不法行為に当たらない。>(208年10月31日共同)

 

■識者の意見のいかがわしさ

集団自決関連の記事が掲載されると、沖縄紙の主張を代弁・誇張して出鱈目なコメントを寄稿するお馴染みの左翼勢力がいる。

その代表格に高嶋哉欣琉球大学名誉教授であるが、この人物のコメントを聞くと、ほんとうにこんな男が国立大学の教授だったのか、と疑うほどのでたらめぶりで、むしろ左翼アジテーターというほうが相応しいと思うくらいである。

例えば、昨日のエントリ^ではあまりにもばかげているのでスルーしたが、沖縄タイムスの取材に「沖縄戦では日本国民が自国民を組織的に虐殺した」と放言している。

どこをどう押せばこんなでたらめが出てくるのか不可解だが、前に触れた高良帽子かぶり教授といい、高嶋アジテーターといい、こんな連中に教えられる学生が気の毒でならない。

ちなみに高嶋狂呪、ではなく高嶋不名誉教授、もとい名誉教授はタイムスの記事と連動してお馴染みの「識者の意見」をこう述べている

[識者評論] 高嶋伸欣・琉球大学名誉教授

政権交代後も続く歪曲

<・・・4年前の集団自決(強制集団死)歪曲検定事件以来、沖縄からは教科書記述の是正を求め続けてきた。 しかし、今回もまた不満足な結果を見せ付けられた。(略)

それ(歪曲教科書)を黙認している検定官や審議会委員には、やはり沖縄関係記述を適正に判断する能力も見識も欠けている。 何しろこのような事実歪曲の検定は、07年以来3度目なのだから。 しかも深刻なのは前回までの歪曲検定が自公政権だったのに対し、民主党政権になっても同様であるという点だ。 沖縄戦は4月から、というでたらめな記述を容認した検定を「的確・適正」と公言した川畑達夫前文科大臣は論外としても、今回のこの不適切記述に高木義明大臣はどう対応するか。同問題の深刻さにきづかせるためにも、4年前と同様に沖縄県内から声を上げていきたい。 教育関係市民団体だけでなく、県や市町村議会などの決議もあれば効果は大きい。 それでも、これらの不適切記述を業者側が修正するとは思えない。残る方策はこれら教科書の不採択を全国に呼びかけることだろう

>4年前(「11万人集会」・筆注)と同様に沖縄県内から声を上げていきたい。 教育関係市民団体だけでなく、県や市町村議会などの決議もあれば効果は大きい。 それでも、これらの不適切記述を業者側が修正するとは思えない。残る方策はこれら教科書の不採択を全国に呼びかけることだろう

語るに落ちるとはこのことである。 大学教授の肩書きを持ちながら、歴史の専門家でもない左翼活動家のこの男は、教科書に記載する歴史の事実を、学問的研究・研修によらずにイデオロギーまみれの「11万人集会」のような政治的圧力で歴史を決める、と恥知らずな発言をしたことになる。

彼ら左翼集団は2009年の政権交代直後、徒党を組んで次々と上京し、当時の鳩山政府に2007年の「11万人集会」で決議した「検定意見の撤回」をしつこく要請した。

だが当時の川畑達夫文科大臣に拒否されている。

一方の琉球新報に登場する「識者」が、被告側支援団体の事務局長なのには、いまさらなながらあきれ果てる。

その被告側事務局長で 琉球大学准教授の山口剛史氏は「(教科書に記載すべきは)自軍が自国民を殺したことだ」と放言しているが、彼ら左翼アジテーターの声を聞くくと、沖縄戦は「日本軍と沖縄県民の戦い」であるような錯覚に落ちってしまうから、沖縄2紙の印象操作作戦は成功しているというべきなのだろう。

左翼アジテーターの意見を「識者の意見」として堂々と掲載する沖縄2紙が存在する限り、沖縄県民が救われることは無い。

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